2010年6月14日月曜日

"A Spring without Bees"を読む

昨年買ったまま積んだままにしておいた"A Spring without Bees"を半分読んだ。この本は、科学者ではなく、(たぶん)ジャーナリストか環境啓蒙活動家によって書かれたものなのだろう。というのは、主題である蜜蜂の「蜂巣社会崩壊異常」(Colony Collapse Disorder)に関しては、その原因よりも、その対策がなぜ出遅れているかについて、より紙面が割かれているからだ。つまり、社会に窮状を訴えるタイプの「暴露本」のような本なので、CCDの原因に興味があるものにとっては、前半だけ読めば十分である。

本文は、様々な要因を列挙し、その一つ一つを消去していく形で話が進む。そして、すべての要因を否定した後に、フランスで1990年代に起きた一連の事件についての解説が提示される。それは、農薬会社と養蜂家の間の闘いの解説で、IMDおよびFipronilと呼ばれる殺虫剤がCCDの原因であるかどうかを巡るものである。

蜜蜂は、群れるのみならず、共同体を作り、社会的に役割を分担して、生活を営んでいる。働き蜂、女王蜂、掃除蜂、餌取り蜂などである。これは、一匹一匹の生命力が弱いのを補っているからである、と説明される(ゴキブリと違って)。DNAレベルでみても、ウイルスやカビなどの病原体感染に対して蜂の免疫系は弱い、という研究結果があるそうである。では、蜂はどうやって病気から身を守るかというと、病気に成った蜂は、すぐに働き蜂によって巣から追放されるか、あるいは自分から出て行くことによって汚染を最小限に抑えるのだという。つまり、巣全体が「生命体」であって、蜂の個体はあたかもその「細胞」や「組織」の一部のように振る舞う、という訳である。ウイルスを食べて死んだ白血球が、膿みとして体外に捨てられるようなものであろう。

2010年6月5日土曜日

「可変思考」を読む

広中平祐の随筆を読んでみた。書泉のレジ横になぜか積み上げてあったので、思わず買ってしまった。よくみると、初出は1987年である。(ちょっとだまされた...) 確かにかなり古い内容も多く含まれていた。

高校のとき、彼の別の著作「生きること、学ぶ事」という題の、似たような内容の本を読んだ。確か母に買ってもらったんだと思う。この後、本人が講演に来たので高校の授業をずる休みして聞きに行ったこともある。東京の予備校の寮に住んでいたころも、近くの古本屋でいくつか彼の書いた数学の啓蒙書を買ったりもした。しばらく「広中平祐」にはまった、ということなんだろう。いまでも、覚えているのがフィボナッチ数列を例に、花びらの枚数やカタツムリの殻の巻き方、など自然界に現れる数(数列)を解説した話だ。最初に読んだときは、本当に衝撃的だった。

さて、20年ぶりに「広中」本を読んでみたのだが、もう既に彼の言わんとしていることは吸い取ったな、という感じである。たとえば、『アメリカの学生はwhatの質問が多いが、日本の学生はwhyが多い」という彼の指摘は、常に頭の中に入っている。大学に合格して以来,この言葉を参考に質問を組み立てるよう努力してきた。しかし、アメリカに1年留学したり、イギリスで10年近く教えたりしたが、学生たちがwhatの質問しかしなかったか、というと、そういう訳でもなかったと思う。whyの質問も結構受けた。アメリカでの経験は「遠き昔になりにけり」なので比較できないが、最近のイギリスと日本の学生の違いを簡単に挙げてみると、それは、ジョークに反応するか、および居眠りするかどうか、あたりで顕著だ。英国の学生は(yes,no)となるが、日本はその反対の(no,yes)である。とはいえ、今教えている日本の学生たちは、だんだんイギリスの学生のようなレスポンスを返すようになってきたので、二国間の違いといっても、それは教える方のスタイルに責任がありそうである。

つまり、広中先生の言っている事はだいたい正しいとは思うが,自分なりの解釈もできるようになった、という意味では、「広中平祐」は卒業できたんじゃないか、と思う。

私みたいなのよりも、この本は、むしろ高校生や、大学生にお勧めしたい。あの時と私と同じ様に、ガツンと感じ取れるものがかならずあるはずだ。それから、「可変思考」ということなので、頭の固くなりたくない人ならまあ誰でも楽しめるかもしれない。ただ、時代設定がかなり古い感じがするので、そこは受け入れられないかも。例えば,日本の学生たちは、もう丸暗記でなんでも突破しようなんて思ってないような気がする。とはいえ、数学者ならではの独特の思考の仕方は感心する。問題が解けないときは、次元を上げて考えよ、というアドバイスは、まさに「広中理論」だと思う。これは誰でも肝に銘ずべき言葉だろう。

PC雑誌まとめ読み

忙しくて、買ったまま積んであったPC雑誌をまとめ読みした。といっても、今年の春の号までしか到達できなかった。すこし、まとめてみよう。

CPUに関しては、core i5/i7のうち、Lynnfield(LGA1156)が、予想外の大成功を収めた、とある。i7-870, 860, i5-750は自分でも購入して、いろいろ試してみたが、確かに安くて速い!(あれから、i7-860をもう一つ購入した。)i7-870,860は64ビットカーネルのFedora12を入れて、計算マシンにした。それから、i5-750は、windows xpを入れて、CUDAマシンにしたのだが、まだ使い切ってない状態。(はやく勉強を進めなければ....)

CUDAといえば、nVIDIAのGPU対応演算プログラムなのだが、某PC雑誌によれば、ゲーマーはAMDのGPU(つまりRadeon)を選んでいるそうである。そういえば、この間買ったマザーボードもcrossfire対応だが、SLIはだめだった。この辺はこれから研究していくべきと感じる。RadeonでGPU計算ってできるんだろうか?(少なくとも、CALっていうアセンブラがあるようだが。)

SSDも結構流行ってきてるらしい。自分では使う気がしなかったが、保存データ(しかも結構サイズの大きい奴)の管理用にいいかもしれない。つまり、一度計算して、論文作成用に保存しておき、何箇月後、あるいは何年後かにぼちぼち必要になるようなタイプのデータである。(論文のねつ造の有無のチェックにも使えるかも.....) 昔だったら、CDとかDVDに焼いたんだろうが、この「焼く」という作業が面倒で時間がかかる。それに、焼いたディスクの管理も大変だし、その寿命も最近は話題なっているようで、気になるところだ。SSDにその任を与えるのは一案だろう。SSDはsequential dataで管理するようなので、まとまったデータの取り出しや、読み書きの少ないデータの読み込みなどには最適かもしれぬ。また、低電力、低発熱だから、物理的に壊れにくいんだと思う。講義用のファイルの管理なんかにも向いているかも。

サーバー用のCPUは、発熱が小さいのがいい。とすると、core2 duoが依然として優秀な性能を示すようだ。その他、Athlon II x2もなかなかだが、core2 duoより遅いようである。(去年Dynabook ssを買ったら、core2 duoだった。結構速くて、計算なんかもたまにはやらせているくらいだ。実はこのラップトップ、PowerMac G5 Quadより速くなってしまっている!)

2009はAMD Phenom x4 (Socket AM3)の衝撃で幕開きしたようだが、終わってみればLynnfieldのi7/i5であった。2010に入って、six coreのPhenomが出たようだが,この辺の情報は、もっと新しい号の雑誌に目を通さねばなるまい....なるべくはやく読まないと、また置いてかれてしまう。

2010年6月4日金曜日

Leggettとの議論

横浜ではLeggettと議論することができた。時間が限られていたので、それほど深いレベルまでは話をすることができなかったが、いろいろとアドバイスをもらったりすることができた。大収穫だった。そういえば、Leggettの講演でもPfaffianが登場していた。やっぱり、対相関の関わる物理にはかならずこれがでてくるんだ、と感じた。

ポスターセッションでは時間がなかったが、「メールでコンタクトしてくれ」、とLeggettは言ってくれた。そこで、早速メールを送ってみた。自己紹介や自分の論文を添付したりして、CVまがいのメールになってしまったので、これはちょっと厚かましかったかも、とちょっと反省してはみたものの、チャンスを生かすにはこれしかないんだ、と自分に言い聞かせ、メール送信のボタンを押した。案の定、ひと月ほど、なしのつぶてだったので、やっぱりまずかったかな、とあきらめかけていた頃、突然返信メールがやってきた。そして、Leggettはちゃんと論文を読んでくれた!さらに、我々の方針に"Sympathetic"、つまり同調する、と書いてくれたのであった。どれだけ多くの人に見下されても、ノーベル賞を取った人に認められたら自身がつく。嬉しい限りだ。