2009年11月30日月曜日

英国からの客人

英国で世話になった教授が、実験のため日本にやって来た。一週間の間にできるかぎりデータを集める計画だったのだが、肝心の実験機械が壊れてしまって、なかなかうまくいかない、とこぼしていた。とはいえ、彼は無為に時間を浪費するタイプではないことはよく知っている。実際、色々な人たちと議論をして、無駄に時間は過ごしていないようだった。私の大学にも一日やってきて、有益な議論をすることができた。特に、彼がドイツの研究所でおこなった実験では、新しい発見があったようで、たいそう興奮した様子でその実験内容の説明をしてくれた。

議論の後、野田岩に行った。夏にイタリア人たちと行ったときは、うなぎづくしのコース料理を頼んだのが、今回はいつも出前で食べている、うな重を頼んだ。イギリス人にとって、ウナギは「ゲテもの」食いだから、なるたけ抵抗無く食べられそうなものを選んだ。最初はおっかなびっくり食べていたが、5口も食べると「これはいける」とバクバク食べだして、けっきょく平らげてしまった。喜んでもらってなによりである。

休日は、自宅に招いていろいろと話をした。日本に戻ってきてからの、こちらの生活の様子を主に伝えた。この客人、以前来日したときには、水筒代わりに丸々スイカを一つ担いで登ってしまった健脚で、英国にいた時も、「そういえば、この休みは大学時代の友人とキリマンジャロに登ってきたよ」とさらっと言ってのけ、私はのけ反って驚いたものである.今回も、渋滞の骨董通りでタクシーを降りたところから出発し、表参道を南下して明治神宮を参拝し、その後、渋谷経由で246沿いに西麻布まで、ずっと徒歩で巡ってしまった。この長い散歩の後の夕方、西麻布の、とある居酒屋にいった。ここは「いらっしゃいませ」を店員が一斉に叫ぶような、ちょっと騒さいタイプの店なのだが、店内の日本風の内装が案外居心地よく、今回で2回目となる。料理がいまひとつなのが問題なのだが、まあそれは居酒屋ということで目をつぶることにした。とにかく、ここは外国人をつれてくるにはもってこいの場所だ。そう思う人は少なくないようで、客の40%近くは外国人であった。

店を出ると、しとしと雨が降っていた。天気予報から少しずれたようだ。首都高を飛ばして、客人の宿まで送る。「今度はバークレーで会おう」といって別れる。来年の夏は、久しぶりにカリフォルニアで国際会議があることを教えてもらった。なんとか都合をつけて、参加したいものである。

2009年11月1日日曜日

訳本は難しい

訳本を読んでいて「難しい」と感じた。

多くの人は、シェイクスピアの戯曲のおかげで、リチャード三世のことを知っている。だが、歴史としてみた場合、この話は胡散臭い。なんといっても、シェイクスピアのパトロンは薔薇戦争の勝者だからだ。とはいえ、個々の話に問題があっても、学者はさまざまな記録をふるいにかけて共通点や補完する見方を手に入れ、偏見のない知識に到達できる。

日本語として、なんか意味がすぐに頭に入ってこない....それに、この書き方、ハーバード大学の先生が書いた文章とは思えない。「胡散臭い」なんて、どこぞの週刊誌の政治記事かなんかのようだ。そこで、原書を購入して読んでみた。

Most of us learn about Richard III through Shakespeare's eponymous drama, but as history, this account is suspect - after all, Shakespeare's patrons won the War of the Roses. Biased, selective, incomplete, and even incomprehensible documents are the daily bread of historians. Despite the shortcomings of individual accounts, however, scholars can arrive at a balanced understanding of the past by sifting through a number of different records for points of agreement and complementary perspectives.


まず驚いたのは、"Biased, selective...."に対応するはずの一文が、訳本に見つからないことである。完全に訳し忘れている。この文はいわばこの段の主文であり、これがないと、次の段落への展開に辻褄があわなくなってしまう。

最初の文は意味だけとれば悪くないが、learnを使っているので、単に「知っている」とやるより、「勉強して学んだ」感じを出した方がよいと思う。「シェイクスピアの戯曲」ってのはいいとは思うが、「eponymous」を訳してない。エリザベス朝もの、とかエドワード朝もの、とかいった感じの、いわゆる「時代劇」である。イギリスでは"period drama"ともいう。また、文末にリチャード三世が来ているが、後ろの文章で議論されるのは「戯曲」であって、王様のことではない。間違った印象を与えるのを避けるためには、王様と戯曲の順番を変えたほうがよいだろう。

しかし、この翻訳の一番の問題部分は、飛ばされた文の次の文だと思われる。まず、accountを『話」としているが、やはり「記述」にするべきだと思う。「話し」っていうのは、なんか安っぽい週刊誌の記事を思い浮かばせるのでよくないと思う.また、一文飛ばしてしまったので、scholarsの意味が曖昧な「学者」になってしまっている.ここでは「歴史学者」とするべきだろう。

最後の「偏見のない知識に到達できる」というのはそれこそ「訳者のハナシ」であって、原著者の意図していることではない。到達するのは知識」ではなくて、「理解」である。学者たちの骨身を削った前向きな努力があって、やっと得られるのが「理解」である。だから、「理解」は、ある意味、その学者の「作品」であり、創造といってもよいかもしれない。(もちろん、自分勝手な創造ではだめで、史実や論理に沿ったものでなければならないのはいうまでもないが。)一方、「知識」というのは、どちらかというと受け身な感じがして、いわば、論理的な思考を身につけたものなら誰でも到達できるものだから、ある意味「あたりまえ」の作業だ。説明書通りにプラモデルを組み立てるのか、それとも自分のイメージを形にした彫刻作品をつくるか、の違いである。


リチャード三世について最初に学校で習うのは、大抵シェイスピアの「時代もの」の戯曲だろう。しかし、彼の作品が史実を忠実に再現しているかといえば、それは疑わしい。つまるところ、シェイクスピアの創作活動を支援していたのは、薔薇戦争に勝った王や貴族たちだったからだ。このように、恣意的かつ偏見に満ち、不完全である上に、ときには文字がかすれて読めないような文献こそが、真の歴史学者たちが日常的に扱う資料なのである。ひとつひとつの資料には様々な問題点が存在する。しかし、それにもかかわらず、歴史学者たちは、たくさんの記録や資料を調べ、それらをふるいにかけながら、多くの記録に共通して記された出来事や、ある資料で欠損している部分を補完するような記述を探し出したりして、過去に起きた出来事に対してバランスのとれた理解へと到達することができるのである。

2009年10月31日土曜日

外苑周辺のドライブ

先週の講義で、太陽系外縁天体について説明した。「外苑じゃありませんよ」と言ってみたら、一人だけ笑ってくれた。日本の大学も捨てたもんじゃない。ところで、今日は、その外苑近くのホテルに用事があったので、昼頃車で出かけた。

週末のせいなのか、月末のせいなのか、とにかく一般道はどこもかしこも混んでいて、抜け道を駆使してというより、出来の悪いロボットが迷路の中を彷徨うようにして、やっとこさ最寄りの首都高ICへたどり着いた。腕時計を見ると、これは大幅な余裕か、と思われたが、その数秒後、秒針が完全に静止しているのに気づき、冷や汗が吹き出した。このとき、すでに、約束の時間まであと15分と迫っていた。とはいえ、東京の良い点は、多摩川の内側に住んでさえいれば、都心までの絶対距離を聞いても意識が遠のくほどは遠くはないことで、この切羽詰まった状態においても、首都高さえ空いていればなんとか「誤差の範囲」でまにあうはず、と考えることも可能なくらいである。運のよいことに、この日の首都高は「外苑までは」空いていたので、なんとか、「0分前」には、外苑に到着することができた。(ちなみに、外苑から三宅坂トンネルは3キロの渋滞であった。これを抜けるのには、おそらく15分はかかったことだろう。)

外苑ICがあるのは信濃町と外苑の境界辺である。この辺りは、外苑東通くらいしか使った事がなく、案外不案内である。道は広いのだが、交差点が多く、意外に複雑でもある.その上、変な角度で交わるものも多く、一度のミスが致命的になることも少なくない。現に、首都高を降りた直後の交差点では、2台の高級車が事故を起こして停車していた。おそらく、どちらかの車が、IC直後の交差点を間違った方向に曲がってしまい、焦ってもとに戻ろうとしたが、それがかなわなかったのであろう。動揺してふらふら車線変更しているうちに接触してしまったのか、あるいは信号を見落として交差点に突っ込んでしまったのか、それとも急ブレーキをかけて後ろから追突されたのだろうか?警察の取り調べは、すでに終わったようだった。野次馬気分で見物しようと思ったが、信号が青に変わったのでしかたなく車を走らせた。間もなくして、後ろでガーンとものすごい音がして驚いた。ミラーで確認するとレッカー車で事故車が処理された音だった。自走できないほど壊れるとは、案外大きな事故だったようだ。

国立競技場や、明治記念館の辺りを抜け、赤坂御所の裏を走る道に入る.この辺りの並木道には秋の趣が感じられる.学習院の初等部が近くにあるな、と思ったら、歩道に小学生の長い列があった。彼らの手には、ドングリが詰まった袋が握られていた。あんなに拾って、料理でもするんだろうか?と思うほどであった。この列の先頭には、コワモテのお年寄り先生がいて、ときおり、隊列を乱す学生を叱りつけていた。学習院の先生は怖いな、と思ったのだが、ふと見ると、この先生の手にも、はち切れんばかりのドングリ袋が握られていた。私のようなドライバーに笑われていたのを、先生はきっとご存知ないだろう。

迎賓館とその庭園が見えてくると、紀伊国坂に至る。「むじな」に出てくる「紀伊国坂」と同一なのだろうか。いまでも、その当時の気配がなんとなく残っている感じがした。この辺りは江戸城の外堀がちょっと残っていて、ボート遊びができる。いつもはトンネルに入る直前に首都高から見下ろすだけの場所で、十数秒しかみることのできない風景だ。しかし、今日はゆっくり見る事ができてなんとなく満足感があった。

ホテルには、10分遅れで到着。予想通り「誤差」の範囲内であった。

紀伊国坂にて、学習院の先生を思い出して詠める:

秋の陽に ドングリ拾う はげオヤジ

2009年9月8日火曜日

生命とは何か(シュレディンガー)

シュレディンガーの"What is life?"の訳本「生命とは何か」の初読を終える。流し読みなので、細かいところは分からないが、この本のエッセンスは、次の2点だと思う.

(1)生命体の主な機能/器官は、量子力学には従わない。
(2)ただし、遺伝子の突然変異だけは、量子力学に従う。

これが正しいか、どうか、特に(2)についてはDNAの発見により、かなりの部分が明らかにされた。DNAの複製に確率が関与してくる点は、ある意味シュレディンガーの知見は正しかったと言えると思う。ただし、トンネル効果と断じたところが、果たして正解だったかどうかは、議論の分かれるところであろう。

2009年9月1日火曜日

妻籠にて

台風が去っても、晴天にはならないし、暑くもならない。おそらく、夏はこれにておしまい、なのであろう。今日から9月。とはいえ、まだ夏の名残があるうちに、と思い、木曽は妻籠宿にドライブにいった。

塩尻で一升瓶(!)に入ったブドウジュースを購入し、中山道(国道19号)を南下する。いつも止まっている奈良井宿はスルーして、木曽福島に至る。ここから20キロほど更に行くと、寝覚の床に到着する。



前に来たのは10年以上前。いろいろ記憶と違うことがあって、われながら驚いた。まず、駐車場からかなりの傾斜をくだらないといけないこと。以前はこの程度の斜面なんでもなかったのだろうか?記憶に残らなかったようだ。同じように、浦島堂までの岸壁をなんの苦もなく上って行ったような気がするが、今回は大変そうで登る気にならなかった。下まで降りた時、お日様がちょうど雲に隠れていて、水の色が透き通った緑色になっていなかったのは残念だった。太陽が顔を見せるまで待っていようかと思ったが、風が弱くなかなか雲がどきそうもなかったし、妻籠はまだ先だったのであきらめた。

イギリスに住んでいる間に、馬籠は岐阜県になってしまった。たしか、当時の田中知事がかなり反対していたのを記憶している。そんなこともあって、妻籠の方が今は身近に感じるのかもしれない。実際、妻籠の方が家から見て馬籠よりも地理的にも近い。平日にも関わらず、駐車場には結構観光バスが来ていた。少し心配したが、宿場筋に登ると、ちょうど良い感じの人の出だった。殿様商売の店のおばさんたちは、客をそっちのけでおしゃべりに花を咲かせている。ちょっと暑かったが、のんびりしていて、天気もよく、気持ちよい散歩ができた。

2009年8月23日日曜日

生命の誕生

そろそろ後期の講義の準備をしようと思い、散歩がてら、駅近くの公立図書館へいってみた。建物は外から見ると立派に見えて、有栖川公園にある都の中央図書館とまではいかないまでも、それなりの広さがあるかな、と期待したのだが、存外にも、中はぎゅうぎゅうであった。でも、みんな勉強熱心で、とても感心した。

さすがに東京の図書館は結構いい本がおいてある。今回はAndrew Knollの本、「生命:最初の30億年」を借りた。このタイトルは、同じハーバードの教授だったSteven Weinbergの名著「宇宙創世:最初の3分間」のパロディだと思う。Knollは、現在最高の地質学者だ、とタイム誌で褒められたらしい。物理でいうと、プリンストンのWittenに相当する感じなんだろう。だとすると、かなりすごい。

Knollは、ハーバード大学地質学科の教授であると共に、NASAの主任研究員で、おまけに彼の書いた本は生物に関してである。この3つを結びつけるのが、天体生物学(Astrobiology)という新しい分野らしい。地質学では、岩石や、その中に含まれる化石を調べ、古代の地球環境について知識を得ようとする。これを地球誕生の極限まで引っ張っていくと、生命の起源の研究になる。生命がまだ発生していない地球というのは、火星やガニメデなど、その辺にある惑星や衛生なんかと同じ、あるいは類似の環境と見なせる。現在の惑星探査は、生物

2009年8月22日土曜日

夏の散歩

久しぶりに東京に戻ってきた。東京にしては過ごしやすい気温と湿度なんだろうとは思う。しかし、高原からやってくると、耐え難い蒸し暑さに感じられる。とはいえ、一日部屋にいるのも体によくない。ということで、夕方、日が沈んでから散歩にでることにした。

街に近づくと、まず聞こえてきたのが、盆踊りの太鼓の音。通りには、浴衣姿の人がちらほら見える.人の流れから察するに、きっと入間川の向い岸の地域だろう。

駅に近づいてきたら、今度は、散発的にドンドンと低い音が鳴り響いてきた。ビルの向こうに赤や緑の光も点滅しているように見える。どうやら、今日は多摩川で花火が打ち上げられているようだ。駅ビルの屋上に登ればなんとか見えるかな、と思ったが、残念ながら、この屋上庭園は南側に視界がまったく開けていなかった。同じように思った人たちが結構来ていたが、同じように落胆の声をあげて去っていった。実は、このビルから見える唯一のポイントは、最上階の真ん中辺りにある洋食屋の窓越で、この日は立食パーティになっていった。5000円で飛び入り参加できるとあったが、たいていの人はレストランの窓越しに見える花火を通路から見て楽しんでいた。そのせいで、レストランの前は、ちょっとした人だかりになっていたが、店の人は案外鷹揚にそれを許していて、ちょっとうれしく思った。

家に戻ってくる間、住宅街に大きな花火の音が響いた。あの屋根に上ればきっとみえるかな、と思って見上げると、案の定、屋根に上って見物している兄弟ふたり。せまいベランダに家族中が集まって観賞している家もあった。春、夜桜がきれいだった家の近くの辻にきたら、うまい具合に花火が見えた。と、その近くの電線を見上げると、カラスの群れが一列に並んでいる。


電線にずらりと高見の烏かな。

2009年7月18日土曜日

地震、印刷、そして花火

大学の研究所主催のワークショップがあった。テーマは地震。後援者は、国土地理院や首都大などの専門家たち。彼らの共通の見解は、30年以内にでかいのが一発くる、であった。仕事場から帰れなくなる人がたくさんでる、とのことで、歩行者だけで幹線道路はパニック状態になるようだ。特に最近注目されているのがトイレの問題。トイレットペーパーは早い段階で手に入らなくなるという。備蓄しておこうとおもった。食料と水も最低3日分は必要らしい。東京が被災すると、助けにくる人がいなくなる可能性が高いので、自己防衛してください、というのが結論だったような気がする。伝言ダイヤルの使い方とか勉強しておこう。また、IP電話は使えなくなる可能性が高いので、近場の公衆電話の位置を把握しておこうと思った。(携帯が使えなくなるのは、当たり前として。)

ワークショップの後、新しく購入したネットワークプリンタの設定をする。OS Xに対応しているEPSONのLP-S300N。(Canonはどうも、OS Xに積極的なサポートはしないらしい。)ドライバーのインストールはうまくいったのだが、プリンタの設定をマニュアル通りにやったら印刷できなかった。ちょっと怒りを覚えつつも、きっと誰かこの問題を解決した人がいるはず、と思いなおしてネット検索する。しかし、何も有益な情報が出てこず、いらつきレベルはピーク近くにまで達する。そこで、マニュアルを無視し、自分のいつものやり方、つまりIPPを使ってやりなおすことにする。するとあっけなく一発でOK。最初からこう書いてくれよ、と一瞬怒りを感じたが、動けば文句はないので、すぐになんで怒っていたのか忘れる。これでいけるか、と思ったら、今度は両面印刷の設定がうまくいかない。勘弁してくれ、である。これで両面印刷できなかったら、大枚叩いてこのプリンタを買った意味がなくなってしまうではないか。冷静に冷静に、と自分を落ち着かせ、まずできることは、と頭を整理する。そうだ、EPSONのホームページでドライバをアップデートしよう、となり、そうすることにした。すると、今まで無かった設定ボタンがあらわれ、両面印刷設定頁が現れる。ただし、印刷毎に両面印刷印刷するかしないか、選ぶ方式ではないので、ちょっと不便だ。これに関しては、バージョンアプして改良することを望む。なにはともあれ、両面印刷ボタンをチェックすると、印刷はすべて両面印刷になった。これでようやく設定完了。1時間無駄にした。とはいえ、この間もっと苦労して設定したCanonのLBP-350に比べて、高速かつ両面印刷。非常によい買い物をした、と最後はEPSONに感謝!(まあ、地元の企業だしね。)

日が暮れると、窓の向うでドーンと大きな音がした。大玉の花火が夜空に開いた。多摩丘陵の頂き近くにある建物最上階からの眺めは特等席級だろう.しばし、手を休めて、花火観賞する。これが日本の夏だよ。来年は、つまみとシャンペン、それにうちわを持ってこよう。

2009年7月14日火曜日

梅雨明け

どうも蝉がうるさいな、と思ったら梅雨明けしてしまっていた。なんか早い感じがしたが、でもあのじめじめの季節が早く終わるのは歓迎する。今日は教授会なので、ネクタイ締めて都心まで出ないといけない。暑いな、きっと...

前期の試験監督の当番が、なんと日食の時間に重なってしまった!急いで教務課に連絡して、夕方に変えて下さい、と頼み込む。果たして受け入れられるか?

2009年7月13日月曜日

AMD64マシンのベンチマークテスト

Solaris10のインストールが一段落した。
せっかくのAthlon64だからdouble-channelのメモリアクセスにしてやろうと思い、1GBのDDR400を2つ買って、スロット1と3に挿してみた。すると、動かない。起動すらしない。これは、最初にもらってきたときの症状と全く同じだ。ということは、メモリに問題があったんじゃなくて、マザーボードに問題があったということだ。これはショックだった...はやく、ほんとのdual channelマシンが欲しい。

がっくりきたが、このスペックでも素晴らしい結果がでれば、まあいいかな、と思い、次はフォートランのベンチマークをやることにした。幸い、おまけのDVDにgcc/g77が入っていたので、新たなインストールの手間なしで済んだ。ところが、/opt/sfw/lib に納められているg77のdynamic libraryが使えない事が分かる。どうもライブラリの設定が必要な気配。

2009年7月9日木曜日

論文ひとつ完了

東大の核物理センターへいく。共同で執筆している論文の仕上げ。First authorのIさんからの修正案を一読して、これでいける、と感じた。これで今年の一本目が完了。

東大の大学院のレポート問題に例のモデルがつかえないか、と相談を受ける。黒板の前で一時間議論したが、やっぱり、細かいところは自分で計算しないとまずい感じがしたので、あとでノートを作って渡す事に。答えが分かっているとはいっても、レポートとなると細かい計算がありすぎてもよくないし、かといって簡単すぎるのはもっとよくない。ちょうどいいレベルで止めるのが難しい。

2009年7月8日水曜日

solaris10,ネットワークにつながる

Solaris10がついにネットワークに繋がった!
MSIのマザーボードK8T Neo2の、オンボードLANチップはrealtek 8110Sなんだが、このドライバーがインストールディスクに入っておらず、インストール時の認識が失敗し、ネットワークがつながらないことを前に書いた。さらに、このドライバーを個人的に開発し、無料で公開している偉い人がいることも書いた。

そのドライバーをダウンロードし、USBメモリに入れたところまでは良かったが、このメモリスティックをどうやって、ソラリスに読み込ませたらよいのか、という問題が浮上する。ここを参照にして、いろいろやってみたら、なんとか接続することに成功。(あとで、デスクトップ環境をjavaに変えてみたら、メモリスティックを差し込むと自動的に認識してくれることが判明....)

makeして、コンパイルし、カーネルに組み込んでみた。
テストはうまくいって、喜んでいたのだが、ネットワークの設定をソラリスは手動でやらねばならぬことがわかり、がっくり。いろいろ調べてやってみたが、どうもうまくいかない。あきらめかけたときに、sys-unconfigコマンドというものがあることをつきとめ、実行。ついに私のソラリス10もネットワークにつながった。

論文執筆とワークショップ

BECの論文も佳境に入って来た。
縮退と分裂の関係、スケーリング、分裂発生の機構、などなどの議論をまとめる。全部英語だけで説明しようと思ったが、不可能だということに気づく。数式を入れてなんとか筋が通るようにしている。これが結構時間がかかる作業。

超変形の論文は、イントロに戻って来た。一度は完成したが、やはりパンチが弱いということで、練り直しすることにする。中性子過剰というのと、高励起というのが、物理的には同じで、結局はsdーpf間のcross-shell励起をやっているんんだ、という流れにする。しかし、中性子過剰で、高励起にするとどうなるか?このあたりの詰めが甘く、まだうまくかけない。たぶん、計算をやってみる必要があるのだと思う.計算についての良いアイデアはO先生から頂くことができた。問題は、明日のミーティングまでに計算をやってる暇があるかどうかだ。多分、東大に着いて、議論しながら計算することになりそうだ。

7月の終わりに、理研で開かれる研究会で招待講演することになった。元素合成のメカニズムを、核構造の立場からどう研究するべきか議論してもらいたい、ということだが、こういう話はしばらくマークしてなかったので、ちょっと焦る。なんとか、計算が2、3できるとよいのだが。

2009年7月7日火曜日

Solaris10のインストール

古いAMD64マシンをもらった。G5以外では、初めての64ビットマシンなので、楽しみだ。

I/O出版の「はじめてのSolaris10」という書籍を買ってきて、付録のDVDからインストールを試みた。
SATAのHDDを認識してくれないとか、メモリが壊れていたとか、いろいろあったが、古いIDEを入れて、壊れたメモリを外したら
とりあえずBIOSは通って、インストールは無事に終了したように見えた。しかし、なにかが変だな、と思ったら、ネットワークの設定がまったくされていないことに気づいた。

どうも、オンボードのnetwork interfaceのチップが認識されてないようである。ネットで調べると、偉い人がまたまたいて、フリーのデバイスドライバを公開なさっていらっしゃった。指示通りにコンパイルし、テストしてみるとifconfig -aでちゃんとチップが認識されるようになった!今日はここまでで時間切れで、ネットワークのその他の設定は後日することにする。

今日は講義2コマ。前期の講義はなんとかこれで終了する。最後にちゃんとまとまったので、よかったと思う。が、梅雨のじめじめ感がつらい。とくに、90分しゃべった後は汗びっしょりで、体力が消耗しているのがわかる。とはいえ、家に帰るとWiiのテニスで、また汗だくだく。今日は1800台に復帰。ボレーにブレがまだある感じ。

霧ヶ峰のレンゲツツジ

6/20に霧ヶ峰へいった。(正確には車山だが。)
レンゲツツジが満開だった。

ニッコウキスゲはこの後だが、鹿の食害が昨年はひどくあまりきれいではなかったように感じる。果たして今年はどうか?

2009年6月29日月曜日

Canon Laser shot LBP-350をMac OS Xで使う

イギリスで使っていたHPのPSプリンタを捨ててきたことを後悔している。電源がイギリス仕様だし、荷物になるし、まあ日本にはいいプリンタが安くいっぱいあるだろうし、とたかをくくってイギリスに置いて来てしまった。ところが、いざ帰国してみると、忙しくて新しいプリンタを物色する時間がない。しかたがないので、かつて学振研究員だった頃に、科研費で購入したLaser shot LBP-350を、実家の倉の中から引っ張りだして使う事にした。

ここで、落とし穴にハマる。なんとキャノンは、OS X用のドライバを公開していない、というか開発していないようなのである。ああ、HPのpsプリンタがあったら、CUPSを使ってすぐにでもIPP接続できたのに...とひどく後悔する。大学の倉庫の片隅に放置されていたプリンタサーバを拝借して試してみたが、暗号のような文字がでるばかりで、まともに印刷できない。このプリンタサーバは、LIPSを通してくれないようだ。ネットワークプリンタがつくれないのはショックであったが、なんとかローカルなプリンタとしてだけでも使う事はできないだろうか?さもなければ、実家からわざわざ東京に持って来た労力が水の泡だ。

いろいろ調べると、賢い人たちがいるもので、彼らのおかげでなんとかローカル接続で印刷することができるようになった。ghostscriptをOS X用にチューンしたとのことだ。これをインストールし、USB接続の設定の下、プリンタをつなぐとうまく印刷できた!ありがとう!

参考にしたホームページはここである。その他、派生参考文献としては、ここもある。

G5(dual)の問題

週末が明けて、研究室に来てみるとG5(dual)が唸りを上げていて、まず驚いた。ファンがフル回転している。熱暴走が原因と思われる。電源を切り、しばらく待って再稼動させる。動かない...白いLEDのパイロットランプが3回点滅している。なにかまずーいことが起こった予感がする。何度か電源を入れ直してみたが、うんともすんとも言わない。壊れたか???

別のマシンから、Webで「パイロットランプが3回点滅する」という症状をキーワードに、検索をかけた。どうもメモリアクセスが失敗しているのが原因らしい。イギリス(タイタニックが出航したSouthampton港である)を出発し、地中海から紅海を抜け、ソマリアあたりで海賊に銃撃を受けながら、地球を半周して来たマシンである。どこかで損傷を受けたのだろうか? 恐る恐るパネルを開け、メモリを外してみると、なにか白い粉みたいなのがついている。カビ?東京の湿気と、イギリスの埃で、メモリスロットにカビが発生したのだろうか?それとも、インド洋の湿気にやられたのだろうか?原因はともかく、この白い粉状の汚れが原因かもしれない、と思い、外し、清掃し、付け直してみた。最初は失敗、2度目も失敗。やはり死んでしまったのか?それでも大枚はたいて日本に持ち込んだ、高価なマシンである。あきらめきれず、さまざまな蘇生術を試した。「人工呼吸」(スイッチのオンオフ)を繰り返す。5、6回繰り返しただろうか?オこれを執念というのだろう、ついにG5(dual)が鼓動を打ち始めた。なんとか、生き返ってくれたようである.....

一週間後、再びファンが唸りを上げていた。がっくりである。再起動してみると、今度はうまく起動した...とおもったら一分で凍り付く。この状況が、三回続いた所で、またカビでも生えたか、と思い蓋をあけてみた。大丈夫そうにみえる。蓋を閉じ、再起動。1分で落ちる。どうみても熱暴走の症状なので、透明なプラスチックケースを開けたままにした。G5はこのケースが外れると、センサーが働いてファンがフル稼働する。この状態にしたら、なんと一分で落ちる症状が改善し、安定して作動しはじめた。そして、蓋を閉じるとすぐに落ちる事も確認。どうも、熱がどこかに溜ってしまうようだ。CPU周りを掃除したかったのだが、ちょっと分解の仕方がわからない。下手に外して壊してしまった、Gショックの例もあるし、ここはあきらめることにした。

変わりに、温度モニター(Temprature monitor)を走らせて、何が問題か調べることにした。すると、memory controller heatsinkが、60度、61度、62度、とどんどん上昇して行くではないか!CPU自体は45度程度で安定している。memory controller heatsinkが65度になったとき、システムが落ちた。原因はメモリだけでなく、メモリコントローラーの熱暴走であった。これは、ヒートシンクがうまく当たっていないのか、それとも埃かなにかがつもって、ヒートシンクに熱が伝わらないのか、のどちらかだろう。Webで調べたが、ヒートシンクの位置がわからず、また部品取り外しも難しそうだったので、しばらくは騒音はあるが、蓋を開けて使用することにした。



とはいえ、この音はメインマシンとしては許せない大音響である。そこで、G5(dual)を引退させ、G5(quad)を一線に復活させることにした。温度をモニターすると60度で安定している。やはりG5(dual)は、どこかに歪みが、埃などの堆積があって、ヒートシンクが熱をちゃんと逃がしていない、という問題があるような気がする。

ところで、G5(Quad)の蓋を開けてみた所、もの凄い埃だった!dualの4倍は積もっている感じ。ちょっと掃除したが、なかなか取りきれない。この状況で、熱暴走してないということは、原因はやはりマシンの歪みか?船会社が、運搬中に落としたのだろうか?

2009年2月27日金曜日

Steven ChuがDOEの大臣に

APSの新聞がお茶部屋に置いてあった。たぶん、Ronが置いてくれたんだろう。見出しをみると、Steven Chuが、エネルギー省(DOE)の大臣(長官?)になった、とある。オバマからの直接のオファーだという。オバマは分かってる、と思った。

でも、Chuはバークレイを辞めるんだろうか?もったいないと思う。それとも、只でさえ忙しかったLBNLのヘッドと兼任して、D.C.で長官職につくんだろうか?だとしたら、彼はスーパーマンだ。でも、彼ならやれるかも。俺も体力つけて、ばりばりやらなきゃ、と思うが、学生に「ベクトルと行列ってどこが違うんですか?」とか聞かれると脱力してしまう....精神の強さも大事ということか? Jamesクン,とにかく、今日は君のおかげでたっぷり疲れさせてもらったよ。ありがとう。

Martin Wells

2月25日のThe Guardianの記事に、Martine Wellsという生物学者の、日本でいう「お悔やみ」記事があった。

タコ、イカ類(英語ではCephalopodsという)の研究で有名だそうだ。タコ、イカで思い浮かぶのが、アンモナイトやベレムナイトだ。

イギリスの南西部の海岸は世界遺産に登録されていて、ジュラシックコーストと呼ばれている。それは、アンモナイトやベレムナイトの化石がふんだんに採れるからで、時折イクチオサウルスやプレシオサウルスなど、魚竜の化石も出てくる。(私もイクチオサウルスの背骨の化石を2つ採集してもっている。)これらの無脊椎動物は、ジュラ紀に大繁栄し、白亜紀に突然恐竜と共に絶滅してしまう。原因は、隕石衝突による環境変化と言われているが、その子孫であるタコとイカは現在まで生き延びている。面白いのはオウムガイで、この化石もジュラシックコースとにいくと時々採集できるのだが(私はジュラ紀のものを3つ、白亜紀のものを3つ程採集して持っている)、気候変動を深海に生き延びたようで、その姿をジュラ紀、白亜紀以来の形にほぼ保っている、つまり「生きた化石」である。タコとイカは、アンモナイトやベレムナイトの子孫であるが、一点においてその姿が随分異なる。それは、「殻」の有無である。古いアンモナイト、ベレムナイト類は硬い殻を持っていたが故に、その化石が1億、2億の年月に耐えて現在まで残る事ができた。(本体は絶滅してしまった、というのは皮肉だが。)一方、現代のイカ、タコ類は殻を全く持たない。唯一、オウムガイだけが殻を保持している。

Martin Wellsは、現存するオウムガイと、タコイカ類の構造を比較し、なぜ後者が環境変化を耐え抜いて、前者はそれに失敗し絶滅してしまったかを、解き明かしたことで知られる、とThe Guardianにはあった。これは、すばらしい研究だと思う。詳しい事は書いてなかったが、どうも循環器系の機能が、イカやタコの方が圧倒的に優れているようだ。

ところで、この人の名字を聞いて、パッとかの有名な作家を思い起こすできる人は、かなりのSFファンだと思う.「タイムマシン」や「火星人襲来」で有名なH.G.Wellsは、この学者のおじいさんだそうだ。H.G.Wellsの母親は、今私の住んでいるHampshireにある、Upparkというお屋敷の女中をしていた。つまり、H.G.Wellsは、幼少時をポーツマスに近い、サウスダウンズと呼ばれる丘陵地帯で過ごした、ということになる。なんだか、急に親近感を覚える。

2009年1月11日日曜日

寒波


クリスマスの頃から、毎日氷点下の日が続く。今週なぞは、お昼過ぎになっても零下のままという、とてもイギリスとは思えないような真冬日が連続している。地中海沿岸のマルセイユで雪が降ったとか、東欧で凍死者が出たとか、寒い報道が相次ぎ、どうやらヨーロッパ全域が寒波に覆われている様相。昼間になっても樹氷が残るのは、イギリスに住んで10年近く経つが初めてのことである。そういえば、ニュースでも10年ぶりの寒さだ、といっていたから、辻褄があう。玄関先の植木についた樹氷を観察してみると、きれいな氷の結晶の粒が一次元的に伸びて、ハリネズミのようになっていた。



近くの公園(といっても広大な原野だが)の樹氷がきれいだったので、写真を撮りにいってみた。考える事は皆同じようで、一眼レフを首から下げたおじさんや、バシャバシャとデジカメのシャッターを切る子供たちなど、いつもに比べて多くの人が、カメラを持ってやってきていた。車の温度計をみると−2度だった(午後2時半)。靄がまいていて、空気が冷たい。

ふと、この間実家に電話したとき、母親が「こっちは−10度だよ」といっていたのを思い出した。−2度なんて実は結構暖かく感じなくてならないはずなのに。子供の頃は−20度の環境でスケートとか雪合戦とか毎日やっていたはずである。やっぱり、絶対値というより、相対値の変動幅が人間の感覚には強く効いてくるのか?それとも、じじいになってステテコが恋しくなるような「年頃」についになってしまったのか?答えは実家に戻ればわかるであろう。