週末のせいなのか、月末のせいなのか、とにかく一般道はどこもかしこも混んでいて、抜け道を駆使してというより、出来の悪いロボットが迷路の中を彷徨うようにして、やっとこさ最寄りの首都高ICへたどり着いた。腕時計を見ると、これは大幅な余裕か、と思われたが、その数秒後、秒針が完全に静止しているのに気づき、冷や汗が吹き出した。このとき、すでに、約束の時間まであと15分と迫っていた。とはいえ、東京の良い点は、多摩川の内側に住んでさえいれば、都心までの絶対距離を聞いても意識が遠のくほどは遠くはないことで、この切羽詰まった状態においても、首都高さえ空いていればなんとか「誤差の範囲」でまにあうはず、と考えることも可能なくらいである。運のよいことに、この日の首都高は「外苑までは」空いていたので、なんとか、「0分前」には、外苑に到着することができた。(ちなみに、外苑から三宅坂トンネルは3キロの渋滞であった。これを抜けるのには、おそらく15分はかかったことだろう。)
外苑ICがあるのは信濃町と外苑の境界辺である。この辺りは、外苑東通くらいしか使った事がなく、案外不案内である。道は広いのだが、交差点が多く、意外に複雑でもある.その上、変な角度で交わるものも多く、一度のミスが致命的になることも少なくない。現に、首都高を降りた直後の交差点では、2台の高級車が事故を起こして停車していた。おそらく、どちらかの車が、IC直後の交差点を間違った方向に曲がってしまい、焦ってもとに戻ろうとしたが、それがかなわなかったのであろう。動揺してふらふら車線変更しているうちに接触してしまったのか、あるいは信号を見落として交差点に突っ込んでしまったのか、それとも急ブレーキをかけて後ろから追突されたのだろうか?警察の取り調べは、すでに終わったようだった。野次馬気分で見物しようと思ったが、信号が青に変わったのでしかたなく車を走らせた。間もなくして、後ろでガーンとものすごい音がして驚いた。ミラーで確認するとレッカー車で事故車が処理された音だった。自走できないほど壊れるとは、案外大きな事故だったようだ。
国立競技場や、明治記念館の辺りを抜け、赤坂御所の裏を走る道に入る.この辺りの並木道には秋の趣が感じられる.学習院の初等部が近くにあるな、と思ったら、歩道に小学生の長い列があった。彼らの手には、ドングリが詰まった袋が握られていた。あんなに拾って、料理でもするんだろうか?と思うほどであった。この列の先頭には、コワモテのお年寄り先生がいて、ときおり、隊列を乱す学生を叱りつけていた。学習院の先生は怖いな、と思ったのだが、ふと見ると、この先生の手にも、はち切れんばかりのドングリ袋が握られていた。私のようなドライバーに笑われていたのを、先生はきっとご存知ないだろう。
迎賓館とその庭園が見えてくると、紀伊国坂に至る。「むじな」に出てくる「紀伊国坂」と同一なのだろうか。いまでも、その当時の気配がなんとなく残っている感じがした。この辺りは江戸城の外堀がちょっと残っていて、ボート遊びができる。いつもはトンネルに入る直前に首都高から見下ろすだけの場所で、十数秒しかみることのできない風景だ。しかし、今日はゆっくり見る事ができてなんとなく満足感があった。
ホテルには、10分遅れで到着。予想通り「誤差」の範囲内であった。
紀伊国坂にて、学習院の先生を思い出して詠める:
秋の陽に ドングリ拾う はげオヤジ