今年の中秋の名月は箱根で見る。東名を東に車を走らせていると、足柄山の陰より大きな満月が、昇っては沈み昇っては沈む。でこぼこの外輪山が成せる技なり、と感心する。
写真を撮るため足柄SAに止まるも月すでに高く昇る。夕焼けの富士も暗闇に没し、機会を逸す。カレースープをナンで食してから帰路に着く。
2013年9月20日金曜日
2013年9月17日火曜日
2013年9月8日日曜日
ファインマンの言葉。
PR活動とか、PRするとかよく言うが、これはPublic Relationsの略語。「多くの人に自分をいかによく見せるか」ということ、つまり広告、宣伝、イメージ戦略などなどのこと。
オリンピック開催都市を決定するに当たっては、まさにこの「PR」がものをいう。審査する人は学者でも専門家でもなんでもない、しかも常識をもった一般人ともかけ離れた、ただの大金持や貴族、王族の人だから、理にかなった真実なんかよりも、小学生でもわかるようなPRの方を重視する。つまり、印象をよくしさえすればかなりの票を投票してもらえるのではないか?逆に、ライバルの候補地を陥れようとするならば、悪い噂を流してやればいい。知性とはほど遠い、お猿レベルの争いなのかもしれない。
アメリカの物理学者リチャード•ファインマンが、スペースシャトル事故の調査委員会に提出した報告書に書いた言葉を噛み締めなくてはいけいないだろう。
オリンピック開催都市を決定するに当たっては、まさにこの「PR」がものをいう。審査する人は学者でも専門家でもなんでもない、しかも常識をもった一般人ともかけ離れた、ただの大金持や貴族、王族の人だから、理にかなった真実なんかよりも、小学生でもわかるようなPRの方を重視する。つまり、印象をよくしさえすればかなりの票を投票してもらえるのではないか?逆に、ライバルの候補地を陥れようとするならば、悪い噂を流してやればいい。知性とはほど遠い、お猿レベルの争いなのかもしれない。
アメリカの物理学者リチャード•ファインマンが、スペースシャトル事故の調査委員会に提出した報告書に書いた言葉を噛み締めなくてはいけいないだろう。
For a successful technology, reality must take precedence over public relations, for nature cannot be fooled.
つまり、「真理真実を隠し、(上っ面だけの)PR活動ばかりに執心するならば、後で深ーい後悔に苛まれることを覚悟しなくてはならない。それは、人間が『自然(=宇宙)』を騙すことなんて到底できないからだ」というような意味だ。
長野のオリンピックが、いかに自然を壊し、いかに人間の浅ましい金銭欲を浮かび上がらせたか。結局、高レベルの放射能廃棄物(焼却灰など)が佐久平に運び込まれて捨てられることになったのも、オリンピックのためにつくった高速道路のせいだ。(また、日本橋の景観が台無しになったもオリンピックのせいだし、ボロボロの首都高が改修不能なのもオリンピックに合わせてあわててつくったからだ。)自然を壊して、ほんの一部の人間だけが巨額の利益を貪る。私には、オリンピックの姿がこういう風にしか見えない。
長野のオリンピックが、いかに自然を壊し、いかに人間の浅ましい金銭欲を浮かび上がらせたか。結局、高レベルの放射能廃棄物(焼却灰など)が佐久平に運び込まれて捨てられることになったのも、オリンピックのためにつくった高速道路のせいだ。(また、日本橋の景観が台無しになったもオリンピックのせいだし、ボロボロの首都高が改修不能なのもオリンピックに合わせてあわててつくったからだ。)自然を壊して、ほんの一部の人間だけが巨額の利益を貪る。私には、オリンピックの姿がこういう風にしか見えない。
2013年9月7日土曜日
朝日新聞の報道「汚染水はコントロールできていると首相」
朝日新聞に、2020年の五輪開催地の選考会で、東京を推す阿部首相がそのプレゼンで「(福島原発の)汚染水はコントロールできていて、東京にはまったく問題がない」と言ったという報道があった。これはかなりの「張ったり」だと思う。真実は「コントロール不能」、「お手上げ」ではないか?
汚染水を貯蔵するタンクの数は増え続けているのに、毎日事故を起こした原発の地下で「製造」される汚染水の量はそれ以上。さらに、なんとかタンクに入れた汚染水も、手抜き工事とそもそもの耐久不足によって、穴が開いたタンクからどぼどぼ漏れ出している。しかも、放射能が高すぎて、タンクの近くに行ってどこから漏れているか詳細に検査することもかなわない状態。原発に流れ込む地下水は「豊富」で、政府が出した過小評価気味の値でも、タンクへの汲取にも関わらず、一日に300トンが太平洋に流れ込んでいるという。
これを「コントロールできている」と表現するならば、日本の国語の授業は根本から組み立て直し、加えて「論理」の定義を作り直さなくてはならないだろう。
汚染水を貯蔵するタンクの数は増え続けているのに、毎日事故を起こした原発の地下で「製造」される汚染水の量はそれ以上。さらに、なんとかタンクに入れた汚染水も、手抜き工事とそもそもの耐久不足によって、穴が開いたタンクからどぼどぼ漏れ出している。しかも、放射能が高すぎて、タンクの近くに行ってどこから漏れているか詳細に検査することもかなわない状態。原発に流れ込む地下水は「豊富」で、政府が出した過小評価気味の値でも、タンクへの汲取にも関わらず、一日に300トンが太平洋に流れ込んでいるという。
これを「コントロールできている」と表現するならば、日本の国語の授業は根本から組み立て直し、加えて「論理」の定義を作り直さなくてはならないだろう。
M27:亜鈴星雲の観測
いるか座の新星の観測のおかげですっかり、夏の大三角の付近が詳しくなった。前回の観測写真に写っていたM27亜鈴星雲を、もう少ししっかり観測すべく夜空にカメラを向けてみた。
こぎつね座のM27は、超新星爆発の残骸だ。飛び散るガスが青色に光ってそれは美しい。ここは天の川の中ではあるけれど、射手座付近と違って星の靄で暗闇がかき消されることはない。その宇宙の暗闇の背景に、はっとするほどの鮮やかに、紺碧の星雲が浮かび上がる様にはなんともいえないものがある。
今までどうして、なかなかこの星雲が撮影できなかった不思議なくらい、はっきり写真に写る。たぶん、や座の星の分布についての理解が弱くてなかなか正しい位置にレンズを向けることができなかったからだろう。今回は、新星の位置の特定のために、いるか座とや座の星座の形についてはよく勉強したので、M27の位置を見極めるのはかなり容易であった。
見つけ方は、や座の矢先に当たるγ星のさらにもう一つ先にあるη星をまず見つける。そこから右側に列状に小さな星が並んでいるのでその線を少しずつ辿りながら視線を動かしていく。途中3つ星が縦に並んでいるように見える所で視線を停めて、一度広角気味に写真を撮ってみれば、鮮やかな青色したM27がどこかに写っているはず。
M27: 820 Lightyears, a supernova exploded about a few thousand years ago.
こぎつね座のM27は、超新星爆発の残骸だ。飛び散るガスが青色に光ってそれは美しい。ここは天の川の中ではあるけれど、射手座付近と違って星の靄で暗闇がかき消されることはない。その宇宙の暗闇の背景に、はっとするほどの鮮やかに、紺碧の星雲が浮かび上がる様にはなんともいえないものがある。
今までどうして、なかなかこの星雲が撮影できなかった不思議なくらい、はっきり写真に写る。たぶん、や座の星の分布についての理解が弱くてなかなか正しい位置にレンズを向けることができなかったからだろう。今回は、新星の位置の特定のために、いるか座とや座の星座の形についてはよく勉強したので、M27の位置を見極めるのはかなり容易であった。
見つけ方は、や座の矢先に当たるγ星のさらにもう一つ先にあるη星をまず見つける。そこから右側に列状に小さな星が並んでいるのでその線を少しずつ辿りながら視線を動かしていく。途中3つ星が縦に並んでいるように見える所で視線を停めて、一度広角気味に写真を撮ってみれば、鮮やかな青色したM27がどこかに写っているはず。
M27:亜鈴星雲 iso3200, 60sec (CD-1) composite (x6) with gimp |
M71(球状星団)もや座のγ星とζ星の間にあるので、簡単に観測することができた。
2013年9月5日木曜日
奈良井宿へゆく
8月の終わりに奈良井宿へ行った。歴史的には当然「木曽」地域なのだが、小泉政権下でやった市町村統合の悪影響を受けて、「木曽の奈良井宿」は「塩尻市奈良井」になってしまった。なんだか興醒めだ。
とかなんとかぐちゃぐちゃ書いても、奈良井宿が素晴らしいことには変わりない。
五平餅とおやき。木曽のは信州の他の地域のとはちょっと感じが違って、とても美味しいと思う。奈良井宿の通りには、他にも蕎麦やら茶屋やらがずらーっと並んでいて、どこに入ろうか迷ってしまうほど。今回は、しかし、夏の陽光を楽しむために、奈良井宿っぽくないけれど、テラスのあるカフェにいくことにした。場所も街道からちょっと外れた場所にある。目玉料理らしき「百年前のカレー」もよかったが、ここは「水出し珈琲」がなんといっても一番。おかわりしてしまった。
とかなんとかぐちゃぐちゃ書いても、奈良井宿が素晴らしいことには変わりない。
奈良井宿 |
奈良井宿の「手前」には、木曽平沢という漆器工房の村がある。ここの工房では、長野オリンピックのメダルを製造したという。ある漆器店の主に「漆塗りの金メダルだったんですね」と尋ねると嬉しそうに頷いていた。木曽には腕のいい漆器職人も多いけれど、いい家具職人もたくさんいる。山中の工房に独り籠ってもくもくと素晴らしい家具を作りつづけている。そんな職人のひとりを紹介してもらって、工房を訪ねてみることにした。
木曽の山の中に入り込むのは実は初めてのことだ。細い道を縫って緑の森の中に分け入る。やがて、ぽっかりと穴が開いたように森が無くなっている場所があって、そこに工房があった。周りに倉庫が並び、木材がうずたかく積み重なっている。木の歪みをとるために、寝かせてあるのだという。職人の方と話をして、机を作ってもらうことになった。すると、倉庫の中に入ってゴソゴソやっていたかと思ったら、大きな欅の板を二枚持って出て来た。一見、誇りだらけで汚く見えたが、30年寝かせた板だという!しかも、その樹齢は伐採時およそ300年程度だろうという。江戸時代から昭和にかけての300年間を木曽の森で暮らした立派な欅の木の板なのであった。なにもかもが素晴らしい。自然な風合いを生かして、卓を作ってもらうことにした。秋の終わりには完成するという。雪が降る前の、山々が紅葉して赤くなった頃に受け取りに戻ろうと思う。
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