ドイツとイタリアは、福島の原発事故を受けて、脱原発に大きく舵を切った。よく考えると、この二国はチェルノブイリ原発事故でホットスポットとなった国だ。偶然ではないと思う。
その他のホットスポットとなった国としては、スェーデン、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、オーストリア、スイス、ポーランドなどがある。これらの国も、福島の事故を聞いて、かつて味わった悪夢を思い出す事だろう。
2012年4月2日月曜日
2012年4月1日日曜日
チェルノブイリのホットスポット:イタリアとドイツ
1986年のチェルノブイリ原発事故から一年後に、この事故を特集したNHK番組が作られていたことを知った。その再放送が、先日(例によって真夜中に)流れたので、鑑賞してみることにした。とても驚くべき内容だったので、ここにまとめてみたい。
まずは「ホットスポット」という言葉がすでに登場していたことに驚いた。もちろん、今では多くの人が、「ホットスポット」の概念は、そもそもはチェルノブイリ事故からの応用だということをよく知っているだろうから、それほど驚かない人もいるだろう。しかし、その距離的感覚は、せいぜいベラルーシやウクライナといったチェルノブイリ周辺の旧ソ連地域に限られていると思っているのではないか?この番組で紹介されていたホットスポットは、もっと広大な地域、つまりヨーロッパ全域に関するホットスポットだったことが、私の二番目の、そして最大の驚きだった。そして、その汚染の度合いは、どうやら現在の郡山や日光付近の放射能汚染と同程度だ。つまり、相当強いホットスポットが、西欧州にも広がっていたということだ。この番組があったにもかかわらず、イタリアやドイツに生じたホットスポットについてはあまり知られていないと思う。
まずは、空気の流れによってどのように放射能プルームが広がったのかを計算した図を見てみよう。これは、当時の日本の気象庁を初め、北欧や米国の国立気象研究所が流体計算に基づくシミュレーションを行った結果をまとめたものだ。(今となっては貧弱な、1980年代当時のコンピュータでもこれだけ速く正確に計算できるのに、現代の並列化スーパーコンピュータを利用したSPEEDIの計算が事故の解析に使えないわけがないだろう、と叫ぶ人は多いだろう。他国の解析はこれだけ熱心なのに、自国の事故の分析は隠すのが日本政府の正体なのだろう。)
最初に私の目を引いたのは、イタリアの名勝地Comoだ。湖の青さ、ドロミテ山脈の高さと美しさ(そしてイタリアのドライバーのメチャクチャさ)が素晴らしい。(湖の脇をうねる長いトンネルで何度も追い抜かれた。)コモはヨーロッパ最高の観光地の一つだ。007のCasino Royaleの最後のシーンも確かComo lakeで撮影したはず。この美しい湖のある街が、30年前、セシウムで強く汚染されホットスポットと化してしまったというから、驚いた。
まずは「ホットスポット」という言葉がすでに登場していたことに驚いた。もちろん、今では多くの人が、「ホットスポット」の概念は、そもそもはチェルノブイリ事故からの応用だということをよく知っているだろうから、それほど驚かない人もいるだろう。しかし、その距離的感覚は、せいぜいベラルーシやウクライナといったチェルノブイリ周辺の旧ソ連地域に限られていると思っているのではないか?この番組で紹介されていたホットスポットは、もっと広大な地域、つまりヨーロッパ全域に関するホットスポットだったことが、私の二番目の、そして最大の驚きだった。そして、その汚染の度合いは、どうやら現在の郡山や日光付近の放射能汚染と同程度だ。つまり、相当強いホットスポットが、西欧州にも広がっていたということだ。この番組があったにもかかわらず、イタリアやドイツに生じたホットスポットについてはあまり知られていないと思う。
まずは、空気の流れによってどのように放射能プルームが広がったのかを計算した図を見てみよう。これは、当時の日本の気象庁を初め、北欧や米国の国立気象研究所が流体計算に基づくシミュレーションを行った結果をまとめたものだ。(今となっては貧弱な、1980年代当時のコンピュータでもこれだけ速く正確に計算できるのに、現代の並列化スーパーコンピュータを利用したSPEEDIの計算が事故の解析に使えないわけがないだろう、と叫ぶ人は多いだろう。他国の解析はこれだけ熱心なのに、自国の事故の分析は隠すのが日本政府の正体なのだろう。)
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| チェルノブイリからの放射能プルームの流れのシミュレーション。 |
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| Comoで1987年に測定された、土壌のγ線スペクトル。 セシウム134と137が顕著だと指摘している。 この汚染の度合いは、現在の郡山と同じ程度。 |
Comoにはミラノ大学で知り合った友人たちが住んでいるし、5年程前に研究会でイタリアに言った時、車で通った場所でもある。ここで素晴らしい時間を過ごすことができたのはいうまでもない。イタリア料理も食べたし、空気も水もおいしかった。(Comoの近くにあるBelgamoではミネラルウォーターの世界的なブランドになったS.Pellegrinoが生産されている。)英国の同僚達も口をそろえて、ニースやカンヌなどのある南フランスよりもコモはすばらしい、と言っていた。
先日、英国に行った時、偶然イタリアの友人に再会した。彼に話を聞くと、確かに小学校の頃、地域に立ち入り禁止区域があったり、食品規制があったという。しかし、それはすぐに無くなって、高校大学に進学した頃にもなると(つまり、10年ほど前?)、もう誰も放射能のことは気にしなくなったという。彼の話では、ミラノ周辺で放射能による健康被害が問題になったことは、未だにないそうだ。
チェルノブイリの事故があったのが25年前だから、ほぼセシウムの半減期にあたる。Como周辺に降り注いだセシウムの量は今ややっと半分になったというのに、事態はそれほど深刻化していないようだ。すでに10年前から食品規制はなくなり、ヨーロッパのみならず世界中に食品を輸出し、観光客を招き寄せるようになった。私もこの地域の食品をたくさん食べて飲んでしまったし、訪問までしたんだから、まちがいなくチェルノブイリのセシウムを摂取してしまっただろう。私だけでなく、世界中の人たちがComoの食品を食べ、飲み、そして観光のために訪れている。これは、「30年はもつ」という風に解釈すべきなのか、それとも「意外にセシウムは怖くない」と解釈すべきなのか?非常に迷う。
ヨーロッパのホットスポットはComoだけではない。ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーン、そしてスイス全域など、観光地で有名なアルプス周辺の地域や国がホットスポットとなっていた。今、それを気にする人はほとんど誰もいない。(ウィーンには去年いってきた...J.シュトラウスの像のある公園で、まずいソーセージ料理を食べたりもした...)ミュンヘン工科大学の教授が先日京都に来た際に話した感じでは、彼はミュンヘンがホットスポットとなっていることすら気付いていない。
80年代は、ガイガーカウンターも大型で持ち運びしにくく、また高価な製品だったので、今のように市民が測定する事は難しかった。そのため、詳細な汚染地図がつくられなかった可能性が高い。だから、人々は汚染の事実に気がつかないまま時が過ぎてしまったのではないだろうか?にもかかわらず、ミラノでも、ミュンヘンでも、ウィーンでも、スイスでも、際立った健康被害は報告されていない。私が思うに、じわじわと増加する乳がんや前立腺がんの原因の一部になっているかもしれないが、それは決定的な原因とはまだなっていないように感じる。半減期を過ぎた頃にそれは現れるのか、それとももうセシウムは怖がらなくてよいのか?まったくもって謎だ。
一つの説としては、陸上の汚染は植物に移行しにくい、というのがあるかもしれない。土壌が汚染されても、植物はその全てを吸収できないので、人間の体にはなかなかセシウムは入って来ないという考え方だ。今Comoやミュンヘンの土壌のγ線を見て、はっきりとしたセシウムのピークがあれば、この考え方でいけると思う。興味があるのは、Como lakeの魚の汚染だ。セシウムの解けた水を直接吸い込む魚介類は、陸上の汚染に比べて遥かに汚染が深刻になる傾向がある。
とすると、日本の場合、陸上の汚染はしばらくは続くだろうが、10年も我慢すれば、イタリアやドイツのように切り抜けられるのかもしれない。しかし、海の汚染に関してはチェルノブイリの事故は我々にあまり教えてくれない。原子炉から直接汚染水を1年以上も垂れ流し続けた事故は、福島が初めてだ。太平洋や東京湾の魚介類の汚染こそが、今一番恐れなくてはいけないことなのかもしれない。
一つの説としては、陸上の汚染は植物に移行しにくい、というのがあるかもしれない。土壌が汚染されても、植物はその全てを吸収できないので、人間の体にはなかなかセシウムは入って来ないという考え方だ。今Comoやミュンヘンの土壌のγ線を見て、はっきりとしたセシウムのピークがあれば、この考え方でいけると思う。興味があるのは、Como lakeの魚の汚染だ。セシウムの解けた水を直接吸い込む魚介類は、陸上の汚染に比べて遥かに汚染が深刻になる傾向がある。
とすると、日本の場合、陸上の汚染はしばらくは続くだろうが、10年も我慢すれば、イタリアやドイツのように切り抜けられるのかもしれない。しかし、海の汚染に関してはチェルノブイリの事故は我々にあまり教えてくれない。原子炉から直接汚染水を1年以上も垂れ流し続けた事故は、福島が初めてだ。太平洋や東京湾の魚介類の汚染こそが、今一番恐れなくてはいけないことなのかもしれない。
2012年3月31日土曜日
学会で神戸へ:六甲山での線量測定
神戸に到着す。何回か通り過ぎた事はあったが、この地を訪ねたのは生まれて初めて。新神戸の裏手にはすでに山が迫っていて、軽井沢かどこかの避暑地に来た雰囲気。目の前には瀬戸内の海があるはずなのに、不思議なところだと思った。
まずは、駅近くのホテルで寿司を楽しむ。和歌山の魚だということで、久しぶりに、刺身を注文する。先日も報道されていたが、福島の原子炉には亀裂や穴が空きまくっているようで、水位はわずかに60センチ。毎日9トンの水を注ぎ込んでおきながら、そのほとんどが漏れているということは、ストロンチウム90どころか、プルトニウム239やその他の恐ろしい「死の灰」のほとんどが、きれいさっぱり環境、つまり海に今でも流れこんでいるということだ。そんな場所の魚(つまり関東近海の太平洋)は到底楽しんで食べる事などできっこない。しばらくは、寿司を食べるのは関西のみのつもり。ということで、結局この店には二度食べにきた。探せばきっともっと美味しいところはあるはずなんだろうが、神戸というのは食べる場所を探すのがなかなか難しい。
すこし斜面にそって移動してみた。神戸のこの辺りは、六甲山の斜面に沿って高級住宅街が展開されている。神戸の大地震の傷跡はもうないように見える。それにしても、こんな斜面に高層建築を建てて大丈夫なんだろうか?もう地震は当分やってこないと高をくくってないだろうか?杞憂に済めばいいのだが。
六甲山に登ってみる。意外に高い山で驚いた。山頂までの道のりはグニャグニャ曲がりくねっている。谷に大きな橋がかけてあったところで道を間違え、危うくトンネルの向こう側の丹波に抜けてしまうところだった。
関西とはいえ、6時半を過ぎると夕闇が迫ってくる。この日は、接近した金星と木星の丁度真ん中に細い三日月が入り込んでいて、非常にきれいだった。(写真を撮ってみたが手ブレがひどくうまく行かなかった。残念。)
神戸の夜景はそれなりにすごかった。しかし、この灯りを手放しで喜ぶことはできないと思ったのも事実。少なくとも、せっかくの綺麗な星空が見えなくなってしまうのは見過ごせない。しばらくすると土星が上がって来た。今は、火、木、金、土が観測できる素晴らしいタイミングなのだが、いかんせん天気が悪い。神戸も東京並みに寒いと思った。(翌日、六甲はすごい吹雪となり、真っ白の世界と化した。下から登ってくると、嘘のような景色の変化でとても驚いた。たぶん、学会会場に居ただけの人たちは、神戸の山の方で積雪があったなんて説明しても、「わかった、わかった。ところで、今日4月1日だっけ?」と笑われるだけで、きっと信じてもらえないだろう。)
翌日、空き時間を使って再び六甲山を目指した。六甲の頂上付近は路面が凍結ぎみで緊張する。しかし、そこからちょっと南にくだっただけで雪は消えてしまった。ものすごく局所的な気候変化だ。神戸って実は変化に飛んだ、おもしろい場所なのかもしれない。この日の目標は線量測定と土壌採集。まずは、JB4020で線量を測定する。
六甲山は母岩が花崗岩なので、自然放射線が結構高いはずだ。日本地質学会のページで調べると確かに高めになっている。0.1μSv/h弱といったところだろうか?
地面を見ると、砂粒/小さな石ころが多い。そしてその母岩が露出しているところをよくみると案の定、花崗岩だった。花崗岩が風化してぼろぼろになり、砂粒となって表土を形成していた。セシウムが仮に福島から飛んできていたとしても、沈着せずに雨などによって流れ出しやすい土壌といえる。が、いちおう土壌を採取し、「汚染の無い例」として持ち帰ることにした。スペクトル分析したとき、どんな形になるか楽しみだ。
まずは、駅近くのホテルで寿司を楽しむ。和歌山の魚だということで、久しぶりに、刺身を注文する。先日も報道されていたが、福島の原子炉には亀裂や穴が空きまくっているようで、水位はわずかに60センチ。毎日9トンの水を注ぎ込んでおきながら、そのほとんどが漏れているということは、ストロンチウム90どころか、プルトニウム239やその他の恐ろしい「死の灰」のほとんどが、きれいさっぱり環境、つまり海に今でも流れこんでいるということだ。そんな場所の魚(つまり関東近海の太平洋)は到底楽しんで食べる事などできっこない。しばらくは、寿司を食べるのは関西のみのつもり。ということで、結局この店には二度食べにきた。探せばきっともっと美味しいところはあるはずなんだろうが、神戸というのは食べる場所を探すのがなかなか難しい。
すこし斜面にそって移動してみた。神戸のこの辺りは、六甲山の斜面に沿って高級住宅街が展開されている。神戸の大地震の傷跡はもうないように見える。それにしても、こんな斜面に高層建築を建てて大丈夫なんだろうか?もう地震は当分やってこないと高をくくってないだろうか?杞憂に済めばいいのだが。
六甲山に登ってみる。意外に高い山で驚いた。山頂までの道のりはグニャグニャ曲がりくねっている。谷に大きな橋がかけてあったところで道を間違え、危うくトンネルの向こう側の丹波に抜けてしまうところだった。
関西とはいえ、6時半を過ぎると夕闇が迫ってくる。この日は、接近した金星と木星の丁度真ん中に細い三日月が入り込んでいて、非常にきれいだった。(写真を撮ってみたが手ブレがひどくうまく行かなかった。残念。)
神戸の夜景はそれなりにすごかった。しかし、この灯りを手放しで喜ぶことはできないと思ったのも事実。少なくとも、せっかくの綺麗な星空が見えなくなってしまうのは見過ごせない。しばらくすると土星が上がって来た。今は、火、木、金、土が観測できる素晴らしいタイミングなのだが、いかんせん天気が悪い。神戸も東京並みに寒いと思った。(翌日、六甲はすごい吹雪となり、真っ白の世界と化した。下から登ってくると、嘘のような景色の変化でとても驚いた。たぶん、学会会場に居ただけの人たちは、神戸の山の方で積雪があったなんて説明しても、「わかった、わかった。ところで、今日4月1日だっけ?」と笑われるだけで、きっと信じてもらえないだろう。)
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| 夜の六甲山と神戸の夜景 |
翌日、空き時間を使って再び六甲山を目指した。六甲の頂上付近は路面が凍結ぎみで緊張する。しかし、そこからちょっと南にくだっただけで雪は消えてしまった。ものすごく局所的な気候変化だ。神戸って実は変化に飛んだ、おもしろい場所なのかもしれない。この日の目標は線量測定と土壌採集。まずは、JB4020で線量を測定する。
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| 六甲山系のとある山頂にて。 |
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| 自然放射線量分布図 |
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| 六甲の花崗岩 |
さて、線量測定の結果はというと、RAMIによる平均値は0.1μSv/h(生データ)となった。補正すると、0.05μSv/hに相当する。これは地質学会のデータ通りの値だ。つまり、福島原発事故に由来した汚染による、線量上昇は無いと解釈してもいいだろう。(もちろん、γ線スペクトル分析をしてより確証を高める必要はあるが。)この場所の測定でおもしろかったのは、一度だけ0.21μSv/hという値が表示されたことだ。これは、予想通りに結構高めの自然放射線がときどき六甲の山からは出ているということだろう。同じ0.1μSv/hという平均値が出ても、関東の汚染が弱い地域では各々の測定値で0.2μSv/hを越える値が出たのを見た事はない。(0.16μSv/h程度が上限のことが多い。しかし、東大本郷では0.2μSv/h以上の値が観測されている。)
2012年3月30日金曜日
学会で神戸へ:新幹線から富士を撮る
学会発表のため神戸へ向かう。いつもは、東京駅まで出るのだが、今回は新横浜を使ってみた。
第三京浜の方が、首都高よりも渋滞が少ないのは利点だ。港北ICはIKEAに行くときによく使うが、新横浜にいくにはIKEAとは反対方向にいく。少し走ると、日韓W杯の決勝を行った日産スタジアムが見えてくる。大きい。作りかけて計画頓挫したらしい首都高X号線の残骸が見えたりする。その先で右折し直進すると高島屋とくっついた形で新横浜の駅に突き当たる。ロータリーには10台程度路駐可能で、荷物の積み降ろしができる。が、込み合っているときはスペースが空くまでロータリーをクルクルと回り続けるか、有料駐車場に停める事となろう。
今回は、いつも静岡で見る見事な富士山の姿を新幹線の車窓から写してみようと、準備しておいた。時速200キロ以上で走行しているため、目で見える景色と写真に写る景色が異なる。つまり、肉眼では高速で視界から走り去る鉄柱やら電線を自動的に消去補正して認識するのだが、カメラは律儀にすべてを写し込むのである。あっ綺麗だ、と思ってシャッターを切ると、ど真ん中に鉄塔が鎮座して富士をまっ二つに割っていたりして、なかなかうまくとれなかった。それでもなんとか一枚まともな写真が取れた。とはいえ、この日の山頂は雲の中であった。残念。(実は帰りの列車からは綺麗な白富士が拝めたのだが、準備するのは忘れてしまい撮影する事ができなかった。残念。)
それにしても、シャッタースピードを1/800秒にすると、あたかも景色が止まっているように見えるから驚いた。
第三京浜の方が、首都高よりも渋滞が少ないのは利点だ。港北ICはIKEAに行くときによく使うが、新横浜にいくにはIKEAとは反対方向にいく。少し走ると、日韓W杯の決勝を行った日産スタジアムが見えてくる。大きい。作りかけて計画頓挫したらしい首都高X号線の残骸が見えたりする。その先で右折し直進すると高島屋とくっついた形で新横浜の駅に突き当たる。ロータリーには10台程度路駐可能で、荷物の積み降ろしができる。が、込み合っているときはスペースが空くまでロータリーをクルクルと回り続けるか、有料駐車場に停める事となろう。
今回は、いつも静岡で見る見事な富士山の姿を新幹線の車窓から写してみようと、準備しておいた。時速200キロ以上で走行しているため、目で見える景色と写真に写る景色が異なる。つまり、肉眼では高速で視界から走り去る鉄柱やら電線を自動的に消去補正して認識するのだが、カメラは律儀にすべてを写し込むのである。あっ綺麗だ、と思ってシャッターを切ると、ど真ん中に鉄塔が鎮座して富士をまっ二つに割っていたりして、なかなかうまくとれなかった。それでもなんとか一枚まともな写真が取れた。とはいえ、この日の山頂は雲の中であった。残念。(実は帰りの列車からは綺麗な白富士が拝めたのだが、準備するのは忘れてしまい撮影する事ができなかった。残念。)
それにしても、シャッタースピードを1/800秒にすると、あたかも景色が止まっているように見えるから驚いた。
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| 静岡から見た富士(新幹線から撮影) |
2012年3月28日水曜日
今年二つ目の論文
この間の論文の続編がほぼ完成した。
前の論文が発表されてから、よくよく調べてみたら前回の結果は一般化できることが分かったのだ。今回の論文では、数学の基礎理論を多用している。数学の基礎というのは本当に大事だと痛感した。それから、難しい教科書の細部という奴も、後で凄く大事になる。つっかかってしまって先に行けないのはよくないが、後で思い出して戻れる程度には理解しておくべきだった。そして必要なときに、必要なだけ深く理解できるような柔軟さも訓練して身につけておく必要があろう。人間というのは動機が必要なのかもしれない。せっかくの才能も、動機がないと発動させられない。
そういえば、小学校の頃、桜の散る時分になると必ず外国人の宣教師が校門脇に現れた。この宣教師、桜の木の下で自転車の荷台に紙芝居の道具を載せて、聖書の話を紙芝居にして子供達に説教した。私はクリスチャンではないが、彼らの影響を受けて、知らないうちに聖書風の考え方を身につけてしまったような気がする。
彼らの見せた絵の中に、天国への門の絵があった。開け放たれた大きな門は、門というよりは広い敷居に過ぎなかった。誰だってそこを跨いで簡単に天国に向かう事ができるように見える。しかし、宣教師は、「天国への門は誰にでも開かれているのだが、それを見る事をできるのは限られた人だけ」と言った。この広くて開け放たれた門を、多くの人々は見逃してしまうのです、と付け加えた。確かに絵をみると、門の目の前で横を向いたり、下を見たりと、まさに近視眼的な振る舞いをしている人々が描かれていた。天国の門の存在は、見える人には自明だが、そうでない人には永久に見えないのだという。子供の頃に「洗脳」されてしまった私にとって、この喩話は、今、至極納得がいく。
2012年3月24日土曜日
ストレステストはGIGOでしかない
「ストレステスト」などという名称がついているが、所詮はシミュレーションだ。シミュレーションをやったことがある人なら誰でも知っていること、それはシミュレーションは想定内の事しか扱えないということ。しかも、モデリングに問題があれば、出てくる結果は惨憺たるものになる。
ネズミの頭数を計算する「ねずみ算」を考えてみればよくわかる。最初のうちは指数関数的に増えるだろうから、現実のネズミの「人口」も、「シミュレーション」でよく予言できるはずだ。しかし、このシミュレーションに空間の有限性や、食料の有限性、ネズミの精神安定性などなど、数えきれないほどの条件を入れておかないと、シミュレーションと現実の結果はやがて乖離する。だからといって、増えすぎたネズミが海を渡って隣りの島に旅立つシナリオ、洞窟の中に潜るシナリオ、殺し合って個体数を減らしてしまうシナリオ.....いろんなシナリオはあるだろうが、その全てをシミュレーションに取り込む事はできない。結局はプログラマーが「考えつけることだけ」を取り込むだけとなる。
ネズミの頭数を計算する「ねずみ算」を考えてみればよくわかる。最初のうちは指数関数的に増えるだろうから、現実のネズミの「人口」も、「シミュレーション」でよく予言できるはずだ。しかし、このシミュレーションに空間の有限性や、食料の有限性、ネズミの精神安定性などなど、数えきれないほどの条件を入れておかないと、シミュレーションと現実の結果はやがて乖離する。だからといって、増えすぎたネズミが海を渡って隣りの島に旅立つシナリオ、洞窟の中に潜るシナリオ、殺し合って個体数を減らしてしまうシナリオ.....いろんなシナリオはあるだろうが、その全てをシミュレーションに取り込む事はできない。結局はプログラマーが「考えつけることだけ」を取り込むだけとなる。
福島第一原発の事故が「想定外」だったとするなら、シミュレーションで安全性を「きっちり」議論することは不可能だ。津波の高さを想定し間違えただけで、「絶対安全」なものが3つもメルトダウンし、水素爆発するわけだから。ファインマンが言ったように、シミュレーションというのはGIGO(ギーゴ)に過ぎない。GIGOすなわちGarbage in, garbage out (ゴミを入れて、ゴミを出す)というのがシミュレーションの正体だ。この本質を知り抜いた者だけが、シミュレーションの結果をうまく利用できる。
数値計算をやったこともなければ、原子力発電のことなんかさっぱり知らない文系出身の総理大臣が、シミュレーション(ストレステスト)の結果を見て政治判断する、という報道が最近あった。この「政治判断」は「破滅的判断」になる可能性がある。論理的、科学的な判断こそ求められているのに、(近視眼的な)経済的/政治的な判断など無意味というよりは、害悪を及ぼすだろう。
(原子力ムラ以外の)計算機科学の専門家が判断するなら、必ず「安全とは言い切れない」と結論づけるはずだ。シミュレーションの性質を知っていれば、その計算結果なんか見なくても必ず同じ答えに収束する。1+1が2になるのと同じくらい自明な話だ。
(原子力ムラ以外の)計算機科学の専門家が判断するなら、必ず「安全とは言い切れない」と結論づけるはずだ。シミュレーションの性質を知っていれば、その計算結果なんか見なくても必ず同じ答えに収束する。1+1が2になるのと同じくらい自明な話だ。
2012年3月19日月曜日
武谷三男の「原子力発電」を読む:死の灰
飛行機の中で何冊か新書を読んだ。ケプラーの伝記はおもしろかった。高木さんの「プルトニウムの恐怖」も良かったが、ちょっと話が脱線気味で読み難かった。そして、武谷先生の「原子力発電」は思わず没頭して読み切ってしまった。
原子力発電に反対するこの「三聖人」は、実は皆、専門が異なる。高木さんは核化学、小出さんは原子力工学、そして武谷さんは物理学だ。自分が物理学者であるせいもあろうが、この本は他の「聖人」の著書と比べても格段に読みやすい。物理学は、複雑な現象を細かく分解し、その基本原理を探り出す学問だが、そのやり方が貫徹された表現が心地よい。
一言だけ感想を書くとすると、この本は名著であり、今年巡り合えた本の中で一番である。それは、日本陸軍に命じられて原子爆弾の開発に身を置き、その内実のすべてを知り尽くした科学者が暴露しているだけに迫力がある。そして、原子力発電の弱点の全てが書かれている。原発推進/反対に関するすべての議論は、この本を読んでから始めるべきだろう。
ところで、この本では「放射能物質」のことを、端的に「死の灰」と呼んでいる。昔のNHK特集なぞ(例えばチェルノブイリ原発事故の番組)でも、「死の灰」を採用していた。(外国人は、その番組内でradioactive materialsと言っているが、それを死の灰とわざわざ訳している。)原爆とか、ビキニ環礁の被曝事故とか、チェルノブイリの放射能汚染など、外国のやることに関しては「死の灰」と呼んでおいて、自分の国がまき散らしたものは「放射性物質」と呼び変えるのは、非常にずるいことだ。NHKなどは、今まで通り「死の灰」を採用するべきだ。私も、武谷先生に倣い、これからは出来る限り「セシウム137などの死の灰は...」などと書くよう努めることにする。
武谷先生の「原子力発電」は岩波新書から1976年に発行されている。武谷三男博士は、東大話法の安富氏による「三聖人」の筆頭に上げられた物理学者であり、反原発論者だ。
原子力発電に反対するこの「三聖人」は、実は皆、専門が異なる。高木さんは核化学、小出さんは原子力工学、そして武谷さんは物理学だ。自分が物理学者であるせいもあろうが、この本は他の「聖人」の著書と比べても格段に読みやすい。物理学は、複雑な現象を細かく分解し、その基本原理を探り出す学問だが、そのやり方が貫徹された表現が心地よい。
一言だけ感想を書くとすると、この本は名著であり、今年巡り合えた本の中で一番である。それは、日本陸軍に命じられて原子爆弾の開発に身を置き、その内実のすべてを知り尽くした科学者が暴露しているだけに迫力がある。そして、原子力発電の弱点の全てが書かれている。原発推進/反対に関するすべての議論は、この本を読んでから始めるべきだろう。
ところで、この本では「放射能物質」のことを、端的に「死の灰」と呼んでいる。昔のNHK特集なぞ(例えばチェルノブイリ原発事故の番組)でも、「死の灰」を採用していた。(外国人は、その番組内でradioactive materialsと言っているが、それを死の灰とわざわざ訳している。)原爆とか、ビキニ環礁の被曝事故とか、チェルノブイリの放射能汚染など、外国のやることに関しては「死の灰」と呼んでおいて、自分の国がまき散らしたものは「放射性物質」と呼び変えるのは、非常にずるいことだ。NHKなどは、今まで通り「死の灰」を採用するべきだ。私も、武谷先生に倣い、これからは出来る限り「セシウム137などの死の灰は...」などと書くよう努めることにする。
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