岩波書店の「科学」4月号に甲状腺癌検査についての分析記事があった。
津田敏秀さん(岡山大学)の記事。発生率は、100万人あたり3人と言われているが、福島県の中通り中部では100万人あたり6人強という数字が出ていて、「原発事故が原因と言わざるを得ない」と述べている。この雑誌にある別の記事(牧野さん)でも「この結果をみると、原発事故と因果関係がないとは言い切れない」とある。
また、小豆川さん(東京大学)の記事も興味深いものがあった。群馬県や山梨県にある「道の駅」(国道沿いにある地域の物産店)で昨年秋(2014年)に購入した舞茸の放射能レベルを測定してみたところ、150-180 Bq/kgという結果となった、という記事だ。政府の出した基準(100 Bq/kg)に従えば、この商品の販売は禁止すべきなのだが、お店で売っている地元の人々に「まずいものを売っている」という気持ちは見受けられないという。つまり、放射能汚染のことを完全に忘れてしまっていて、平然と放射能汚染されたキノコをお土産用に売りさばいているのだという。
個々の事例としては大きな問題ではないだろうが、こういうことが重なりながら、体内に放射能物質は蓄積し、30年とか経った後に、突如として牙をむくのであろう。とりあえず、福島地域の甲状腺癌の発症リスクが問題レベルに達しつつあるのは、警戒の必要があると思う。チェルノブイリのケースと比較すれば、あと1、2年もすれば、100万人に20人とか、60人とか、現在の10倍以上の発生率に跳ね上がる可能性が高いはずだから。
2015年4月16日木曜日
2015年4月8日水曜日
駒場の講義
駒場(東大の教養部)のコマ当たりの時間が105分になったと聞いた。通常90分/コマでやっている大学が多いと思う。
数年前、文科省は「一学期15回の講義をやりなさい」と全国の大学に通達を出した。試験期間や補講の期間を考えれば、このプランだと夏休みが始まるのが8月になってしまう。そんな馬鹿なことありえない、ということで、各大学はオリエンテーションを3月から始めたり、5月の連休を削ったり、補講/追試期間をなくしたりと涙ぐましい努力をして、なんとか8月の頭には夏休みが始まるようにしている。
東大の場合は、ヒトコマあたりの時間を長くする事で、1学期の講義回数を13回に減らし、その分夏休みの開始期間を維持できるように設定したようだ。しかし、その他諸々の制度変更のせいで、試験前の夏休み、試験後の秋休みという国立大学で採用されてきたシステムは大きなダメージを受け、結局講義終了直後から試験期間が始まることになってしまった。今までの学生は、夏休みに自習して学習内容を定着していたとのことだが、それがかなわなくなった。結果として、講義内容を易化しなくてはならない、と知り合いの某教授は嘆いていた。
また今朝の報道で、大学教授/准教授の研究時間が激減した、という記事があった(私は日経で読んだ)。理由は教育に割く時間が増大したからだそうだ。学期あたりの開講数が15なんぞになれば、研究時間はとられてしまうのは当然だ。また、カリキュラム改正だの、導入教育の充実だの、「教育システムの拡充」をやればやるほど、関連委員会が増えて、研究時間が減ってしまう。
結局、文科省は日本の科学・技術の国際競争力を大幅に低減させるのに、「すばらしい寄与」をしたということであろう。それでいて「ノーベル賞の受賞数を50年で30個取る」などという、取らぬ狸の皮算用もしっかりやっているから驚きだ
数年前、文科省は「一学期15回の講義をやりなさい」と全国の大学に通達を出した。試験期間や補講の期間を考えれば、このプランだと夏休みが始まるのが8月になってしまう。そんな馬鹿なことありえない、ということで、各大学はオリエンテーションを3月から始めたり、5月の連休を削ったり、補講/追試期間をなくしたりと涙ぐましい努力をして、なんとか8月の頭には夏休みが始まるようにしている。
東大の場合は、ヒトコマあたりの時間を長くする事で、1学期の講義回数を13回に減らし、その分夏休みの開始期間を維持できるように設定したようだ。しかし、その他諸々の制度変更のせいで、試験前の夏休み、試験後の秋休みという国立大学で採用されてきたシステムは大きなダメージを受け、結局講義終了直後から試験期間が始まることになってしまった。今までの学生は、夏休みに自習して学習内容を定着していたとのことだが、それがかなわなくなった。結果として、講義内容を易化しなくてはならない、と知り合いの某教授は嘆いていた。
また今朝の報道で、大学教授/准教授の研究時間が激減した、という記事があった(私は日経で読んだ)。理由は教育に割く時間が増大したからだそうだ。学期あたりの開講数が15なんぞになれば、研究時間はとられてしまうのは当然だ。また、カリキュラム改正だの、導入教育の充実だの、「教育システムの拡充」をやればやるほど、関連委員会が増えて、研究時間が減ってしまう。
結局、文科省は日本の科学・技術の国際競争力を大幅に低減させるのに、「すばらしい寄与」をしたということであろう。それでいて「ノーベル賞の受賞数を50年で30個取る」などという、取らぬ狸の皮算用もしっかりやっているから驚きだ
2015年4月5日日曜日
力学の予習...
昨晩は、皆既月食だったそうだが、厚い雲に覆われてしまい、満月すら観測することができなかった。残念なり。
さて、今年は力学の講義を担当する事になったので、ここひと月ほど講義ノートの作成に時間を割いてきた。実は力学を教えるのは初めてなので、意外に準備は手間取っている。もちろん、学生のレベルにもあわせて行かなければならないので、やりながらの修正はこれからも続くだろう。来週は、TAをやってくれる大学院生とのミーティングもあるので、彼の意見なども聞きながら、直前の微調整を行う予定。
さて、今年の力学の講義で参考にした教科書は次の通り。
さて、今年は力学の講義を担当する事になったので、ここひと月ほど講義ノートの作成に時間を割いてきた。実は力学を教えるのは初めてなので、意外に準備は手間取っている。もちろん、学生のレベルにもあわせて行かなければならないので、やりながらの修正はこれからも続くだろう。来週は、TAをやってくれる大学院生とのミーティングもあるので、彼の意見なども聞きながら、直前の微調整を行う予定。
さて、今年の力学の講義で参考にした教科書は次の通り。
- J.C. Slater and N. H. Frank (柿内賢信訳)「力学」丸善
- R.P. Feynmann, "Feynman Lectures on Physics" (Wesley and Sons)
など。スレーターの教科書は絶版になってしまったようだが、原書ならネットで読む事ができる(ここ)。スレーターの教科書は、MITでの講義ノートが元になったようだが、アメリカの大学らしく、実用に焦点が絞られている。この教科書では、力学のエッセンスは微分方程式の解法に他ならない、という認識に基づき、徹底的に練習問題を解く。解法も実用的なアプローチを採用することが多く、数学的に微妙なところなどを細々と議論したりはしない。
一方、ファインマンの教科書には、数学の細かい技法に関する記述もあったりするが、物理的な考え方を「くどくどと」書いてあるところが特徴だ。しかし、この「くどくど」感こそがファインマンの素晴らしいところで、ここが味わえるようになれれば、もう力学はマスターしたと思ってよいだろう。
大学における力学の学習では、数学の技巧/技術の習得と平行して行う必要があるので、そこが初年度の学生にはもっとも辛いところだ。線形代数で習うベクトル空間や一次独立の概念、解析学で習う偏微分や線積分など、一朝一夕ではなかなか習熟できない概念が当たり前の道具にように力学では登場するから、初めて見た時は相当困惑する。まずは、あまり深く考えず、テイラー展開や微分方程式の解法など頻出の数学の道具立てが出てきたら、赤ん坊のように「ただただ受け入れる」姿勢が必要だろう。その後で、「どうして」とか「なぜ」の部分を、数学の講義に出席して、埋めて行けばよいと思う。
また、ニュートンのプリンキピアの英訳もここで閲覧することができる。ニュートンによってまとめられた、力学の3つの法則のオリジナルな定義や、運動量の定義などを確認するときに役に立つ。現代の力学の講義では、慣性の法則などはあっさりスルーする傾向があるが、実はそれはとても重要かつ難しい概念であるから、後々でゆっくり噛み締める時間も必要であろう。プリンキピアの最初の方は簡単に目を通しておいても無駄ではないと思う。
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