2002年から使っているiMac G5が、ついに壊れた。起動時の「ボーン」という音はするものの、その後のプロセスに入って行かない。放っておくとファンがもの凄い勢いで回りだす、件の症状となる。
少し以前に起動しなくなったときは、メモリに埃が溜っていたのが原因であった。そのときはボーン音すらしなかった。そこでメモリについた埃を拭き取ると回復した。
しかし、今回は別のところに問題がありそうで、やっかいだ。というのは、iMacは分解して中を掃除することが、とても大変なのだ。今日は、とあるホームページを頼りに途中まで分解する。T-6の星形ねじ回し(Torxというらしい)が必要になったところまでやる。(明日この工具を買わねば。)我ながら巧く分解できたと思う.きれいに液晶が外れ、一応基盤を覗く事ができた。
中身は、予想通り埃にまみれていた。これを掃除機できれいに吸い取ったり、布などで拭き取れば、多少は症状が改善するかもしれない。最悪の場合でもHDDを抜き取れそうなので、ファイルのサルベージをすることができるだろう。
実は、イギリスで撮りためた写真の全てがここにあるのだ。自体は深刻である。
次ぎへ続く。
2010年11月29日月曜日
木星の衛星観察(その2)
Vixenの屈折式望遠鏡POLTA AII A80Mfを購入して、木星の観測を再度行ってみた。口径80ミリ、集光力131倍のアクロマート対物レンズを持つ望遠鏡で見た木星はさすがに大きい。まずは46倍の接眼レンズで観測。縞模様が見える!観測時のガリレオ衛星はイオとガニメデが、かなり接近していたものの、この望遠鏡ではちゃんと分解できた。残りの2つの衛星は、ほとんど木星に隠れていたが、なんとかその内の1つを確認できた。素晴らしい。
次に、144倍の接眼レンズに交換してみたが、まず視野に入れるのが大変。倍率の低いレンズで位置をある程度定めておく必要があった。せっかく視野に入った木星だが、高倍率だと大気の揺らぎのためピントを合わせるのが難しく、今日のところはあきらめた。大気が安定する、ということの意味を実感した観測であった。
そういえば、12/14(火)の午後8時は双子座流星のピーク、さらにその一週間後は日没直後から皆既月食があるとのこと。(月食のピークは5時頃か?)今月は観測するものがたくさんあって嬉しい。
次に、144倍の接眼レンズに交換してみたが、まず視野に入れるのが大変。倍率の低いレンズで位置をある程度定めておく必要があった。せっかく視野に入った木星だが、高倍率だと大気の揺らぎのためピントを合わせるのが難しく、今日のところはあきらめた。大気が安定する、ということの意味を実感した観測であった。
そういえば、12/14(火)の午後8時は双子座流星のピーク、さらにその一週間後は日没直後から皆既月食があるとのこと。(月食のピークは5時頃か?)今月は観測するものがたくさんあって嬉しい。
2010年11月19日金曜日
Oxygenを読む(1)
Oxford University Pressから出ている、Nick Laneの"Oxygen: The Molecule that made the World"を読んでいる。この本はとても素晴らしい本だと思う。とはいえ、まだ読み終わっていないので、内容に関してはまだなにも書けない。単語の勉強も兼ねてここでメモして行きたいと思う。
Chapter 2: In the beginning. (pp.16-21)
Chapter 2: In the beginning. (pp.16-21)
- calamitous: 災難をもたらす、悲惨な: pollution with oxygen must have been calamitous.
- reclusive:隠遁した、世を捨てた: From dominating the world, they shrank back to a reclusive existence at the margins.
- at the margins:その余白に;
- noxious:有毒な:a noxious mixture of hydrogen, methane and ammonia
- congeal:固まる、凝結する:
- insurmountable:克服できない: an insurmountable problem
- incipient:始まりの、初期の: incipient forms of life
- coalesce: 合体する、一体化する:
- conflagration:大火災、大火事、災害、戦争
- exasperate:怒らせる、イライラさせる
演奏会
アマチュアの交響楽団のコンサートに行った。なんといっても入場料無料なのがいい。とはいえ、その腕前はセミプロ級だから、演奏の質においても十分楽しめる。さらに、指揮とピアノ独奏はプロの演奏家だったから、ものすごく「お得」な演奏会であった。場所は蒲田にある大田区民ホール。曲はメンデルスゾーン、ショパン、シベリウスで、個人的にはショパンのピアノ協奏曲第一番が良かった。
昔、池上にアパートを借りていた時はよく自転車で来た蒲田だが、多分10年ぶりの来訪になる。今回はユザワヤやその周辺の商店街にはいかなかったので、どれほど変わったか、変わらないのか、判断はできないが、これを機にもう少し南東京にも足を延ばしてみようと思う。目の前でウナギの蒲焼きを焼いてくれる店があったんだが、まだあるだろうか?本門寺の葛餅も久しぶりに食べてみたい。正月過ぎには梅が咲き出すから、その辺りが良いだろう。
昔、池上にアパートを借りていた時はよく自転車で来た蒲田だが、多分10年ぶりの来訪になる。今回はユザワヤやその周辺の商店街にはいかなかったので、どれほど変わったか、変わらないのか、判断はできないが、これを機にもう少し南東京にも足を延ばしてみようと思う。目の前でウナギの蒲焼きを焼いてくれる店があったんだが、まだあるだろうか?本門寺の葛餅も久しぶりに食べてみたい。正月過ぎには梅が咲き出すから、その辺りが良いだろう。
2010年11月18日木曜日
木星の衛星観察
今、木星がよく見える。南の空に高く明るく光っている。月に近いのが珠に傷だが、−3等近いから、肉眼で見る限り問題ない。
双眼鏡でガリレオ衛星(木星の4大衛星、イオ、ガニメデ、エウロパ、カリスト)を観測してみることにした。学生に教えている手前、自分でちゃんと観測しておくべきだと思ったからだ。今晩は、左から、カリスト、ガニメデ、イオ(この3つは黄道面に対して木星の左側)、エウロパは木星の右に見えるはずである。今日は、6時、10時、12時と全部で3回の観測を行った。
6時の観測では、3つしか確認できなかった。左に2つ、右に1つだ。ガニメデとイオはかなり接近していたため、自分のもっている双眼鏡では分解できなかったのかもしれない。また、きちんとピントを合わせないと、微かに光るガリレオ衛星を観測するのは難しかった。
10時の観測では、かろうじて、ガニメデとイオは分離していたように見えた。が、先入観がないと1つに見えたかもしれない。6時に比べ、カリストとエウロパが木星に近づいたため、全体的にコンパクトになり、焦点が合わせにくかった。
12時。再び3つしか見えなかった.たぶん、イオが木星に近づきすぎたため、双眼鏡では分解できなかったのでは?あるいは、月の光が明るすぎて、十分コントラストが取れなかったのかもしれない。
次は、月の無い時に観測したいと思った。4つの衛星を完全な形で見てみたい。とはいえ、月は月でおもしろい。なんといっても、双眼鏡でとても大きく見える。いわゆるウサギ(耳=豊の海、顔=静かの海、胸=晴の海、胴=雨の海、足=嵐の海)がよく見えたし,Tychoクレータは今日もきれいだった。
明け方5時頃、東の水平線上に金星が見えるはずだ。三日月の形をしていると思うので、これも観測すべきなのだが、多分起きられないだろう。
双眼鏡でガリレオ衛星(木星の4大衛星、イオ、ガニメデ、エウロパ、カリスト)を観測してみることにした。学生に教えている手前、自分でちゃんと観測しておくべきだと思ったからだ。今晩は、左から、カリスト、ガニメデ、イオ(この3つは黄道面に対して木星の左側)、エウロパは木星の右に見えるはずである。今日は、6時、10時、12時と全部で3回の観測を行った。
6時の観測では、3つしか確認できなかった。左に2つ、右に1つだ。ガニメデとイオはかなり接近していたため、自分のもっている双眼鏡では分解できなかったのかもしれない。また、きちんとピントを合わせないと、微かに光るガリレオ衛星を観測するのは難しかった。
10時の観測では、かろうじて、ガニメデとイオは分離していたように見えた。が、先入観がないと1つに見えたかもしれない。6時に比べ、カリストとエウロパが木星に近づいたため、全体的にコンパクトになり、焦点が合わせにくかった。
12時。再び3つしか見えなかった.たぶん、イオが木星に近づきすぎたため、双眼鏡では分解できなかったのでは?あるいは、月の光が明るすぎて、十分コントラストが取れなかったのかもしれない。
次は、月の無い時に観測したいと思った。4つの衛星を完全な形で見てみたい。とはいえ、月は月でおもしろい。なんといっても、双眼鏡でとても大きく見える。いわゆるウサギ(耳=豊の海、顔=静かの海、胸=晴の海、胴=雨の海、足=嵐の海)がよく見えたし,Tychoクレータは今日もきれいだった。
明け方5時頃、東の水平線上に金星が見えるはずだ。三日月の形をしていると思うので、これも観測すべきなのだが、多分起きられないだろう。
2010年11月13日土曜日
MacBook Airを買う事にした。
結局MacBook Airを購入する事にした。理由は次の通り。
強いて使うなら、個人的に作ったデータベースから情報を読み出す際の確認程度にしか使えないのではないか?と思い始めている.ということは、在庫管理に使ったり,プロジェクトチームのメンバー同士がスケジュールの確認に使ったり,とか、そういうタイプの職業についている人は、重宝するかもしれない。
Steve Jobsはプレゼンが上手だし、Mac OSは画面の操作自体の美しさが素晴らしい訳だから、ぜひとも出力機能を拡大し、操作自体も外部モニターに映し出せるように設計変更してもらいたい。特に要望するのは、iPad+Google Earthが液晶プロジェクターで使えるようになること。今回Airを買う事にしたのは、このためだけ、といってもよいかも。正直、iPadにはちょっとがっかりしている。
- iPadのプレゼン機能があまりよくなかったこと。DVD, Web pagesは結構、講義で利用するが、このためにはiPadでは不備で、Airが必要になる。特に、Google EarthはiPadでは動作が鈍いらしいので、快適な操作で、星座や月面地図をグルグルやりながら説明することができない。また、iPadで、keynoteのプレゼンテーションばかりをやると、多くの学生を居眠りに誘うだけとなる。
- LinuxでGoogle Eearthを動かすのがちょっと難しいことが判明したので、Dynabook SS RX2をプレゼンマシンとして兼用する目論みが崩れてしまった。
- podcastのビデオ管理も、iTuneから外して自前のフォルダーに入れて保存したほうが安心。また、iTuneで管理するvideoをprojectorに映すだけなら、iPod touchで済んでしまう。
- プレゼンのみならず、プレゼン自体を作成したり、編集/管理するためには、iPadより、Airの方がはるかに便利。
- 研究費に余裕がでた。
強いて使うなら、個人的に作ったデータベースから情報を読み出す際の確認程度にしか使えないのではないか?と思い始めている.ということは、在庫管理に使ったり,プロジェクトチームのメンバー同士がスケジュールの確認に使ったり,とか、そういうタイプの職業についている人は、重宝するかもしれない。
Steve Jobsはプレゼンが上手だし、Mac OSは画面の操作自体の美しさが素晴らしい訳だから、ぜひとも出力機能を拡大し、操作自体も外部モニターに映し出せるように設計変更してもらいたい。特に要望するのは、iPad+Google Earthが液晶プロジェクターで使えるようになること。今回Airを買う事にしたのは、このためだけ、といってもよいかも。正直、iPadにはちょっとがっかりしている。
2010年11月11日木曜日
Google Earth 5.2をFedora 12にインストールする。
月、火星、そして星座の地図がGoogle Earthで見れるらしい、と聞いた。さっそくPowerMac G5にダウンロードしてみた。素晴らしい!
そこで、Dynabookに入れたFedora 12にもGoogle Earth 5.2をインストールしてみようと思い立った。しかし、これが案外大変な作業であった。
まず、google earthのホームページに行き、GoogleEarthLinux.binという実行ファイルをダウンロードする。これはシェルスクリプトに見えるが、バイナリデータがくっついているので、変則的な実行ファイルだ。その機能を完全に解析することはちょっと難しいと思う。さらに、インストールメモとか添付されてこないので、手探りでインストールするしかない。まずは、このbinファイルを実行してみた。すると、「共有ライブラリがいくつかないから、もうだめだ」というメッセージを出して実行ファイルは止まってしまった。無い、と言われたライブラリはちゃんとインストールしてある。なにかおかしい。
調べてみると、Google Earthは32ビットプログラムなんだそうである。私のFedora12はx86_64だから、動かないはずだ。そこで、次のようにして必要な32ビットの共有ライブラリを付け足す。
....が、文字化けしている。メニュー等の文字化けはqtconfig-qt4というコマンドを実行し、フォントを大きめ(16、18あたり)にすると、一応は日本語が出る。しかし、肝心の地図中の地名などが現れないので、このままでは使い道がない。英語ではちゃんと地名・星座名が出るので、~/.config/Google/GoogleEarthPlus.confというファイルにlocale=en_USという一文を付け足す。これで、一応最低限の機能でGoogle Earthが動いてくれる。
ただ、Wikipediaなどの情報を印字する窓でちゃんとした表示がでないという問題が残る。これを解決した人はいるだろうが、とりあえずはここで止めておく。
星座の位置図が特に素晴らしい。拡大していくと、どんどん星が現れる。目に見えなかった星雲が現れる。アンドロメダを探してみてみた。ちゃんとあるし、その姿も美しい。とりあえず来週の講義は、これを使っていろいろやってみよう。
そこで、Dynabookに入れたFedora 12にもGoogle Earth 5.2をインストールしてみようと思い立った。しかし、これが案外大変な作業であった。
まず、google earthのホームページに行き、GoogleEarthLinux.binという実行ファイルをダウンロードする。これはシェルスクリプトに見えるが、バイナリデータがくっついているので、変則的な実行ファイルだ。その機能を完全に解析することはちょっと難しいと思う。さらに、インストールメモとか添付されてこないので、手探りでインストールするしかない。まずは、このbinファイルを実行してみた。すると、「共有ライブラリがいくつかないから、もうだめだ」というメッセージを出して実行ファイルは止まってしまった。無い、と言われたライブラリはちゃんとインストールしてある。なにかおかしい。
調べてみると、Google Earthは32ビットプログラムなんだそうである。私のFedora12はx86_64だから、動かないはずだ。そこで、次のようにして必要な32ビットの共有ライブラリを付け足す。
yum install gtk2.i686 gtk2-engines.i686 libxml2.i686 libSM.i686 mesa-libGL.i686 PackageKit-gtk-module.i686 libcanberra-gtk2.i686i686という拡張子を付けるのがポイント。さらに、念のためgoogle関係のファイルをインストールしておく。
yum install google*ここまでやると、GoogleEarthLinux.binというインストールプログラムがちゃんと働いてくれて、インストールは完成する。googleearthとタイプすると、Google Earth 5.2が起動する。
....が、文字化けしている。メニュー等の文字化けはqtconfig-qt4というコマンドを実行し、フォントを大きめ(16、18あたり)にすると、一応は日本語が出る。しかし、肝心の地図中の地名などが現れないので、このままでは使い道がない。英語ではちゃんと地名・星座名が出るので、~/.config/Google/GoogleEarthPlus.confというファイルにlocale=en_USという一文を付け足す。これで、一応最低限の機能でGoogle Earthが動いてくれる。
ただ、Wikipediaなどの情報を印字する窓でちゃんとした表示がでないという問題が残る。これを解決した人はいるだろうが、とりあえずはここで止めておく。
星座の位置図が特に素晴らしい。拡大していくと、どんどん星が現れる。目に見えなかった星雲が現れる。アンドロメダを探してみてみた。ちゃんとあるし、その姿も美しい。とりあえず来週の講義は、これを使っていろいろやってみよう。
2010年11月8日月曜日
黒斑へ。
秋も終盤、里の葉も随分色づき始めた。大河原では冬の景色に近づきつつあったので、浅間の方に行ってみる事にした。石尊山あたりがちょうどよさそうだったが、ここは頂上までが長いので、とりあえずは手っ取り早く登れる高峰方面を目指す事にした。水ノ塔を目指すか、黒斑を目指すかは、車坂峠についてから決める事にした。
峠への途中までの道は、唐松の黄葉がすばらしかった。ここも、2000メートルまでいくと、紅葉は終わっている感じがした。
車坂峠からの眺望は素晴らしく、八ヶ岳はもちろん、その手前に広がる佐久平に靄の溜まる様は、秋の終わりの風景にふさわしいものであった。
車坂峠は面白い場所である。実は、信州側の麓(小諸や軽井沢など)に降りると、電気の周波数は関西と同じ60Hzなのだが、同じ小諸に属する高峰温泉は関東と同じ50Hzなのである。もちろん、車坂峠の県境を越えた群馬嬬恋はおそらく50Hzであろう。つまり、ここは関西と関東の電気的な境界なのである。
車坂峠で左右の様子を見渡して、今回は浅間により近い、黒斑山に登る事にした。この山は浅間の外輪山の一つで、軽井沢あたりからは想像もつかないような別の顔を見せてくれる。実は、黒斑からの景色は、私には「地獄の入り口」のように映るため、精神的にちょっと苦手である。居てもたってもいられない、そんな不安を呼び起こす魔界のような風景である。
今回、頂上からは富士山が見えた。さらに、御岳、槍、穂高などの北アルプス、木曽駒の中央アルプスがはっきりと拝め、赤石を含む南アルプスは八ツの向うに微かに見えた。佐久平は相変わらず靄のなかにあって、きっとそこから浅間を見上げる人たちは「今日は、浅間に雲がかかっている」と思うのだろう.本当は、彼らの頭のすぐ上に靄がかかっているだけで、浅間自体は快晴なのである。
秋風の吹く黒斑にて詠める:
峠への途中までの道は、唐松の黄葉がすばらしかった。ここも、2000メートルまでいくと、紅葉は終わっている感じがした。
車坂峠からの眺望は素晴らしく、八ヶ岳はもちろん、その手前に広がる佐久平に靄の溜まる様は、秋の終わりの風景にふさわしいものであった。
車坂峠は面白い場所である。実は、信州側の麓(小諸や軽井沢など)に降りると、電気の周波数は関西と同じ60Hzなのだが、同じ小諸に属する高峰温泉は関東と同じ50Hzなのである。もちろん、車坂峠の県境を越えた群馬嬬恋はおそらく50Hzであろう。つまり、ここは関西と関東の電気的な境界なのである。
車坂峠で左右の様子を見渡して、今回は浅間により近い、黒斑山に登る事にした。この山は浅間の外輪山の一つで、軽井沢あたりからは想像もつかないような別の顔を見せてくれる。実は、黒斑からの景色は、私には「地獄の入り口」のように映るため、精神的にちょっと苦手である。居てもたってもいられない、そんな不安を呼び起こす魔界のような風景である。
今回、頂上からは富士山が見えた。さらに、御岳、槍、穂高などの北アルプス、木曽駒の中央アルプスがはっきりと拝め、赤石を含む南アルプスは八ツの向うに微かに見えた。佐久平は相変わらず靄のなかにあって、きっとそこから浅間を見上げる人たちは「今日は、浅間に雲がかかっている」と思うのだろう.本当は、彼らの頭のすぐ上に靄がかかっているだけで、浅間自体は快晴なのである。
秋風の吹く黒斑にて詠める:
浅間嶺の靄の向うは鬼の城
2010年11月7日日曜日
チューナーを使ったアナログテレビの地デジ化
10年ほど前に購入したSONYの小型トリニトロン、もちろんブラウン管である。これを使って今でもテレビ放送を見ている。当然アナログ放送しか見れないが、「地デジ放送用のチューナーを通せば、このテレビでもデジタル放送が見れるはず」と思い、I-O DATAのHVT-TLSD/Rを4000円ほどで購入した。地デジ対応の薄型テレビは32型でも6万円はするから、うまく行けば随分安くあがる。(画面の大きさ、迫力?そんなもん、只のテレビ放送に必要だろうか?)
最初の問題は、アンテナがUHF対応かどうか。私の自宅周辺では昔から民放の多くはUHF割当だったので、問題は無いはずだ。電気屋の話だと、あまり古いUHFアンテナだと、地デジ用のUHF電波の波長を受信しきれないかもしれない、という。まあ、ちょっとした「脅し」みたいなものだと考え、アンテナは購入しない事にした。(買ったところで、屋根に登っての取り付けは、面倒を極める。)
次の問題は、電波の強度。地デジの問題点は、電波強度がちょっとでも足りないと、まったく映らなくなってしまう、ということ。アナログだと雑信号(ノイズ)が入ったり、ゴーストを出しながらも、なんとか映像、音声を届けてくれるが、デジタルはその性質上、Yes/Noのどちらかしかない。中継基地から遠かったり,障害物の裏手に家があると、まったく放送が入らない、という問題は、アナログ打ち切りまで半年ちょっととなった現在でも、日本中で報告されていて、社会問題になっている。東京にもそういう地域はたくさんある。ビルの谷間や、多摩丘陵の陰にある家などは、ケーブルテレビを導入して、しのいでいるところも結構あるはず。
自宅に戻り、早速チューナーにアンテナ線をつなぎ、テレビに出力する。設定画面に入り、受信チャンネルの自動スキャンを開始する。NHK総合, NHK教育の2局は問題なく入った。しかし、民放が一つしか入らない。がっくりである。実は、アナログ放送のときも、ここはブースターがないとよく映らない地域だった。よって、地デジになっても電波強度が弱く民放が映らないのだろう。
しかたないので、とりあえずはデジタルとアナログを両方使えるようにと、アンテナ線をブースターにつなぎ、そこから2つに分線して、チューナーとテレビに繋ぐ事にした。アナログはテレビの受信機で直接見るという訳。ちゃんと映る事を確認。ノイズが多いが、真っ黒になるよりはましだ。これはいずれ何かを手を打たないといけないかな、と思いつつ、デジタル放送も確認。NHKは2つとも映る。民放も1つはOK。この状態で、念のためと、もう一度スキャンした。
すると、驚いた事に、デジタル放送の局が民放も含めて全て受信できるようになっていた!古いアナログ用のブースターは、地デジの電波も増幅してくれたのであった。以上で、我が家のアナログテレビの地デジ化は終了となった。
まとめよう。古いUHFアンテナは再利用可能。アナログ用のブースターも役に立つ。古いアンテナ線もそのまま使えて、そしてなにより、SONYのトリニトロンでも地デジは見れるのであった。
最初の問題は、アンテナがUHF対応かどうか。私の自宅周辺では昔から民放の多くはUHF割当だったので、問題は無いはずだ。電気屋の話だと、あまり古いUHFアンテナだと、地デジ用のUHF電波の波長を受信しきれないかもしれない、という。まあ、ちょっとした「脅し」みたいなものだと考え、アンテナは購入しない事にした。(買ったところで、屋根に登っての取り付けは、面倒を極める。)
次の問題は、電波の強度。地デジの問題点は、電波強度がちょっとでも足りないと、まったく映らなくなってしまう、ということ。アナログだと雑信号(ノイズ)が入ったり、ゴーストを出しながらも、なんとか映像、音声を届けてくれるが、デジタルはその性質上、Yes/Noのどちらかしかない。中継基地から遠かったり,障害物の裏手に家があると、まったく放送が入らない、という問題は、アナログ打ち切りまで半年ちょっととなった現在でも、日本中で報告されていて、社会問題になっている。東京にもそういう地域はたくさんある。ビルの谷間や、多摩丘陵の陰にある家などは、ケーブルテレビを導入して、しのいでいるところも結構あるはず。
自宅に戻り、早速チューナーにアンテナ線をつなぎ、テレビに出力する。設定画面に入り、受信チャンネルの自動スキャンを開始する。NHK総合, NHK教育の2局は問題なく入った。しかし、民放が一つしか入らない。がっくりである。実は、アナログ放送のときも、ここはブースターがないとよく映らない地域だった。よって、地デジになっても電波強度が弱く民放が映らないのだろう。
しかたないので、とりあえずはデジタルとアナログを両方使えるようにと、アンテナ線をブースターにつなぎ、そこから2つに分線して、チューナーとテレビに繋ぐ事にした。アナログはテレビの受信機で直接見るという訳。ちゃんと映る事を確認。ノイズが多いが、真っ黒になるよりはましだ。これはいずれ何かを手を打たないといけないかな、と思いつつ、デジタル放送も確認。NHKは2つとも映る。民放も1つはOK。この状態で、念のためと、もう一度スキャンした。
すると、驚いた事に、デジタル放送の局が民放も含めて全て受信できるようになっていた!古いアナログ用のブースターは、地デジの電波も増幅してくれたのであった。以上で、我が家のアナログテレビの地デジ化は終了となった。
まとめよう。古いUHFアンテナは再利用可能。アナログ用のブースターも役に立つ。古いアンテナ線もそのまま使えて、そしてなにより、SONYのトリニトロンでも地デジは見れるのであった。
2010年11月6日土曜日
大河原峠、天祥寺原と二子山(の途中)
大河原峠に登った。クルマの「低温警告」が出た。麓で温度が15度以上あったのに、峠では3度まで落ちた。途中、唐松の黄葉が夕映えしてきれいだった。
大河原ヒュッテの暖炉の煙は「冬の初」の景色なり。日陰になった地面は一面の霜柱。雪が降るまで、あとほんのわずかだけ楽しめる風景。
天祥寺原まで降りてみようと思ったが、日が傾いて蓼科の陰になり寒くなったので途中で止めた。代わりに、二子山の途中まで登って佐久平と浅間の夕暮れを見る事にした。二千メートル辺りはもう紅葉はほとんどなくて、眼下の里に舞台は移っていた。碓井峠のあたりなら、紅葉の盛りが楽しめるかもしれぬ。
大河原ヒュッテの暖炉の煙は「冬の初」の景色なり。日陰になった地面は一面の霜柱。雪が降るまで、あとほんのわずかだけ楽しめる風景。
天祥寺原まで降りてみようと思ったが、日が傾いて蓼科の陰になり寒くなったので途中で止めた。代わりに、二子山の途中まで登って佐久平と浅間の夕暮れを見る事にした。二千メートル辺りはもう紅葉はほとんどなくて、眼下の里に舞台は移っていた。碓井峠のあたりなら、紅葉の盛りが楽しめるかもしれぬ。
蓼科の影が延びる二子山 | 天祥寺原へ続く笹の道 |
帰り道Badgerを見た。車の前で立ち止まってこっちを見ていた。イギリス以外で見たのは、これが初めて。少し嬉しい。
2010年11月3日水曜日
2010年11月2日火曜日
回転楕円体の表面積
本郷へ久しぶりに行く。昔のように根津駅で下りる。以前は、この地下鉄駅の階段は強い風が吹いていて上るのが一苦労だったが、改修されて階段部分の「穴」が広くなり、風が随分弱くなっていて、ちょっと驚いた。言問通りを上る。ここの歩道は狭いまま。大学関係者や地元のおじいさんおばあさんは結構ゆっくり歩く。逆に学生や会社員は早歩きなので、かならず坂のどこかで詰まり「渋滞」する。今回は、議論に熱中しながら、のろのろ歩く米国人らしき研究者の2人連れに行く手を阻まれる。「同軸ケーブルを伝わる電話信号とDSLのように、互いに干渉せず自由に歩行できる仕組みを、この歩道に組み込んでもらいたいものだ」と思い始めたら、前を歩いていたうちの一人が横によけてくれた。機械やシステムにないもの、それは人間の「思いやり」だろう。
ひょんなことから、学部生の宿題を手伝うことになった。共同研究者の一人が受け持つ輪講で、解けない問題があるので助けてくれ、というのだ。さすがの東大生でも解けない問題があると思うのか、それとも東大生のレベルが落ちてきたと思うべきか、それを見極めるのはちょっとおもしろそうだな、と思ったので喜んで引き受けた。問題とは、液滴の表面エネルギーの計算だった。
この問題は、結局、回転楕円体に変型した液滴の表面積を計算し、それを球からのずれを表すパラメータの2次まで展開すればよいのだが、以外と計算は煩雑で、しかもナイーブに計算すると係数がずれる。表面積を求める公式は調べればすぐ分かるし、微分積分の知識を応用すれば、大学1、2年生なら自分でも導出できるはず(まあ、1、2時間はかかるかもしれないが)。問題は、この公式を回転楕円体に当てはめたときに出てくるarcsineの展開法であった。
これを、単純に一次近似すると、とんでもない結果となる。数値計算して比べてみると、まあ悪くない結果にはなっているが、ずれはかなり大きい。問題はパラメータについての線形項の存在。こいつが誤差を増幅している。ということで、arcsineを3次近似(この関数はx=0周りで奇関数)してやる必要があるんだろう、と普通は考える。実際やってみたら、うまい具合に線形項が相殺して消えた。「やった」と思ったら、次の2次の項の係数が若干教科書の値からずれている。「ははーん、学生の諸君はここで力尽きたな」と直感する。確かにここまでの計算は結構大変で、かなり大きな整数の組み合わせでできた分数の、足し算引き算をするので、それが最後にきれいな数字に約分されるとは、なかなか思えない。
実は、arcsineの5次近似をしないと正解には辿り着けないのである。線形項が再び相殺するのは、キリストの奇跡を見るようである。1859/135とか1300/237などいった、めちゃくちゃな分数の足し算引き算のあと、きれいに相殺して0になるのである。同じようなことが、二次の項でも起きる。最後の最後に、すぱっと約分できて1/3とかきれいにまとまるのである。
今回、学生が問題を解くことができなかったのは、はっきりいって粘りがなかったからだ。ごちゃごちゃした計算のど真ん中であきらめてしまったんだと思う。効率重視の役人やら会社員ならともかく、研究者になるにはこれではいけない。「限界だ、もうだめだ」と感じたところから、本当の勝負が始まることを学んでほしい。この間のコヒーレント状態の問題なんかは良い例だと思う。まあ、これを20歳そこそこの普通の学生に要求するのは酷だとは思うんだが、東大生としてはちょっと物足りない感じがする。彼らも巷の学力低下の例にもれず、並のレベルに落ちたのかな?
ひょんなことから、学部生の宿題を手伝うことになった。共同研究者の一人が受け持つ輪講で、解けない問題があるので助けてくれ、というのだ。さすがの東大生でも解けない問題があると思うのか、それとも東大生のレベルが落ちてきたと思うべきか、それを見極めるのはちょっとおもしろそうだな、と思ったので喜んで引き受けた。問題とは、液滴の表面エネルギーの計算だった。
この問題は、結局、回転楕円体に変型した液滴の表面積を計算し、それを球からのずれを表すパラメータの2次まで展開すればよいのだが、以外と計算は煩雑で、しかもナイーブに計算すると係数がずれる。表面積を求める公式は調べればすぐ分かるし、微分積分の知識を応用すれば、大学1、2年生なら自分でも導出できるはず(まあ、1、2時間はかかるかもしれないが)。問題は、この公式を回転楕円体に当てはめたときに出てくるarcsineの展開法であった。
これを、単純に一次近似すると、とんでもない結果となる。数値計算して比べてみると、まあ悪くない結果にはなっているが、ずれはかなり大きい。問題はパラメータについての線形項の存在。こいつが誤差を増幅している。ということで、arcsineを3次近似(この関数はx=0周りで奇関数)してやる必要があるんだろう、と普通は考える。実際やってみたら、うまい具合に線形項が相殺して消えた。「やった」と思ったら、次の2次の項の係数が若干教科書の値からずれている。「ははーん、学生の諸君はここで力尽きたな」と直感する。確かにここまでの計算は結構大変で、かなり大きな整数の組み合わせでできた分数の、足し算引き算をするので、それが最後にきれいな数字に約分されるとは、なかなか思えない。
実は、arcsineの5次近似をしないと正解には辿り着けないのである。線形項が再び相殺するのは、キリストの奇跡を見るようである。1859/135とか1300/237などいった、めちゃくちゃな分数の足し算引き算のあと、きれいに相殺して0になるのである。同じようなことが、二次の項でも起きる。最後の最後に、すぱっと約分できて1/3とかきれいにまとまるのである。
今回、学生が問題を解くことができなかったのは、はっきりいって粘りがなかったからだ。ごちゃごちゃした計算のど真ん中であきらめてしまったんだと思う。効率重視の役人やら会社員ならともかく、研究者になるにはこれではいけない。「限界だ、もうだめだ」と感じたところから、本当の勝負が始まることを学んでほしい。この間のコヒーレント状態の問題なんかは良い例だと思う。まあ、これを20歳そこそこの普通の学生に要求するのは酷だとは思うんだが、東大生としてはちょっと物足りない感じがする。彼らも巷の学力低下の例にもれず、並のレベルに落ちたのかな?
2010年11月1日月曜日
葉山での昼食
どんより曇る東京を抜出して、日差し一杯の葉山に行くことにした。(アメダスの雲レーダーで確認したので現地が晴れているのはわかっていた。)
11月に入り、さすがの東京も、日が陰るとさすがに冷んやりしてきた今日この頃。それが、わずか車で1時間足らずのところにある葉山が、あれほど暖かいとは本当に驚きだった。現地の老人に話を聞くと、対岸に見える鎌倉で雪が降っても、葉山には降らないそうな。着ていった上着を脱ぎ、レストランではベランダに座り、海を見ながらの昼食。(しかも、レストランに来ていた客はみなベランダ席を選んでいた!)ここには冬というものがないのかもしれぬ。
皇族が使う別荘の横に葉山公園というのがあって、そこは平日は無料で駐車できる。(この駐車場までの道はとても細く、すれ違いが大変だった。実は、これよりわずか先にある国道沿いの大型駐車場も平日は無料なので、そっちに停めた方がよかったかも。)
この海岸は、実はそれほど広くない。犬を走らせるにはちょっと狭いくらい。特に、海に向かって右側に進むと、すぐに天皇の別荘に行き着いてしまい、警備している警察官たちに睨まれてしまう。逆の方角はというと、崖のある岬に行き当たると、それ以上先にいけなくなる。なにより、この浜辺のきまりに「犬を放さぬこと」とあるので、広かろうと狭かろうと、犬にとってはあまりおもしろい所ではないようだ。
浜辺の散歩もそこそこに、お腹が空いたので昼飯を食べることにした。辺りを見回しても、怪しいタイ料理の店と、トラックの運ちゃんで一杯のラーメン屋があるばかりで、静かにのんびりと「葉山らしい」雰囲気で食べられそうなところがなかなか見つからなかった。しばらく国道を走り、長者ヶ崎という岬を回ったところで(そこからは横須賀市であった)、音羽の森を見つけた。軽井沢にあるのと同じなんだろう、と思い、多少の期待を持ちつつ、海岸段丘の急坂を登った。すると、玄関先に受付の人が立っていて、鍵を渡せという。バレットパーキングであった。ハワイの学会で泊ったホテル以来2度目。「ちょっと値段的にやばいかも」と少々不安もあったが、楽しみも膨らむ。玄関から入ると、目の前はガラス張りになっていて、海の眺望がすばらしかった。大島が見える。富士が見える。江ノ島が見える。そして、なんといっても目の前に滞空する鳶の姿がすばらしかった。ガラス張りの向うは、崖の上にせり出したテラス席で、すでにテーブルは2、3占有されていた。一番端の富士の見える席に座った。
一日15食限定という葉山バーガーと、この季節の特別メニューの小さなカボチャに詰めた海鮮グラタンを頼んだ。海鮮グラタンは絶品。器になっているカボチャは全部食べられる。坊ちゃんカボチャだろうか、ちょうどよい大きさ。葉山バーガーは肉、タマネギ、ピクルスなどを、山盛り状態にしたものを強引にパンで挟んであって、15センチくらいの高さがある。これを丸かじりできる人は日本にはそうはいない、と信じたい。私は顎が開かないタイプの人間なので(つまり木の実などをすりつぶして食べる草食系である)、このハンバーガーは解体して食べることにした。おいしいことはおいしかったのだが、ちょっとハンバーグの量が少なく感じたので、コーヒーとデザートを頼むことにした。お盆の上に並べられたケーキ各種から指差しで選ぶ。ウェイターが「パンプキンクリームケーキですね」と確認する。意図せずして、季節ものとなり苦笑する。コーヒーはかなり強いが、ケーキの甘さとよくあう。値段は寿司を食いにいったのと同じ程度であってほっとする。
バレットパーキングなので、車を玄関まで持ってきてもらったのだが、運転席に犬が寝ていたと驚かれてしまった。この後、鎌倉へ回る。ちょっと迷ったのと、切り通しで渋滞したのとで、だいたい1時間弱程度かかる。ようやく辿り着いた、鶴岡八幡の前の段葛の辺りは観光バスだらけ。散歩する気になれず、そのまま切り通しを越えて街を出て、帰路に着く。帰りは往きよりも順調で、40分ほどで多摩川を渡る。鎌倉は予想以上に近かった。
11月に入り、さすがの東京も、日が陰るとさすがに冷んやりしてきた今日この頃。それが、わずか車で1時間足らずのところにある葉山が、あれほど暖かいとは本当に驚きだった。現地の老人に話を聞くと、対岸に見える鎌倉で雪が降っても、葉山には降らないそうな。着ていった上着を脱ぎ、レストランではベランダに座り、海を見ながらの昼食。(しかも、レストランに来ていた客はみなベランダ席を選んでいた!)ここには冬というものがないのかもしれぬ。
皇族が使う別荘の横に葉山公園というのがあって、そこは平日は無料で駐車できる。(この駐車場までの道はとても細く、すれ違いが大変だった。実は、これよりわずか先にある国道沿いの大型駐車場も平日は無料なので、そっちに停めた方がよかったかも。)
この海岸は、実はそれほど広くない。犬を走らせるにはちょっと狭いくらい。特に、海に向かって右側に進むと、すぐに天皇の別荘に行き着いてしまい、警備している警察官たちに睨まれてしまう。逆の方角はというと、崖のある岬に行き当たると、それ以上先にいけなくなる。なにより、この浜辺のきまりに「犬を放さぬこと」とあるので、広かろうと狭かろうと、犬にとってはあまりおもしろい所ではないようだ。
浜辺の散歩もそこそこに、お腹が空いたので昼飯を食べることにした。辺りを見回しても、怪しいタイ料理の店と、トラックの運ちゃんで一杯のラーメン屋があるばかりで、静かにのんびりと「葉山らしい」雰囲気で食べられそうなところがなかなか見つからなかった。しばらく国道を走り、長者ヶ崎という岬を回ったところで(そこからは横須賀市であった)、音羽の森を見つけた。軽井沢にあるのと同じなんだろう、と思い、多少の期待を持ちつつ、海岸段丘の急坂を登った。すると、玄関先に受付の人が立っていて、鍵を渡せという。バレットパーキングであった。ハワイの学会で泊ったホテル以来2度目。「ちょっと値段的にやばいかも」と少々不安もあったが、楽しみも膨らむ。玄関から入ると、目の前はガラス張りになっていて、海の眺望がすばらしかった。大島が見える。富士が見える。江ノ島が見える。そして、なんといっても目の前に滞空する鳶の姿がすばらしかった。ガラス張りの向うは、崖の上にせり出したテラス席で、すでにテーブルは2、3占有されていた。一番端の富士の見える席に座った。
一日15食限定という葉山バーガーと、この季節の特別メニューの小さなカボチャに詰めた海鮮グラタンを頼んだ。海鮮グラタンは絶品。器になっているカボチャは全部食べられる。坊ちゃんカボチャだろうか、ちょうどよい大きさ。葉山バーガーは肉、タマネギ、ピクルスなどを、山盛り状態にしたものを強引にパンで挟んであって、15センチくらいの高さがある。これを丸かじりできる人は日本にはそうはいない、と信じたい。私は顎が開かないタイプの人間なので(つまり木の実などをすりつぶして食べる草食系である)、このハンバーガーは解体して食べることにした。おいしいことはおいしかったのだが、ちょっとハンバーグの量が少なく感じたので、コーヒーとデザートを頼むことにした。お盆の上に並べられたケーキ各種から指差しで選ぶ。ウェイターが「パンプキンクリームケーキですね」と確認する。意図せずして、季節ものとなり苦笑する。コーヒーはかなり強いが、ケーキの甘さとよくあう。値段は寿司を食いにいったのと同じ程度であってほっとする。
バレットパーキングなので、車を玄関まで持ってきてもらったのだが、運転席に犬が寝ていたと驚かれてしまった。この後、鎌倉へ回る。ちょっと迷ったのと、切り通しで渋滞したのとで、だいたい1時間弱程度かかる。ようやく辿り着いた、鶴岡八幡の前の段葛の辺りは観光バスだらけ。散歩する気になれず、そのまま切り通しを越えて街を出て、帰路に着く。帰りは往きよりも順調で、40分ほどで多摩川を渡る。鎌倉は予想以上に近かった。
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