この問題を思えば、昨年の東大の2次試験の数学の方がずっと簡単で、よい問題が含まれていたと思う(全部は見てないので断定はできないが)。例えば、第5問の平行四辺形と一次変換を組み合わせた問題は、大学に入ってから再登場する概念が組み合わされていて、後でとても役に立つと思われる。だから、答えを得るだけではなく、その内容の吟味が大事だろう。もちろん、試験中の学生は正解を得ることだけを考えればよいのだが、日頃の勉強では存分に問題を研究し、その真の意味や背景をえぐり出すよう努力すべきだ。
ちなみに、東大の理系の数学は150分で6問を解く。全問解答を狙うなら、一つ25分ということになるが、昨年の第5問はちょうどそのくらいの時間で解ける。(よく訓練された受験生ならもっと短い時間で解けるだろう。)
さて、この問題から学べることを探してみる。2次元の正方行列。行列要素はすべて整数。たぶん、この「整数」というのが強い条件になるはず。量子力学でも整数は大きな役割を果たす。実数と違って、整数には「隙間」があるからだ。最後に、この行列要素から作ったベクトルがなす平行四辺形の面積は1になるという。実際に問題を解くときは、この条件をどう使うかが問題となろう。
2つのベクトルが成す平行四辺形の面積は、大学では電磁気学でよく取り上げられる。今思いつくのはポインティングベクトル。これは、電磁場によって運ばれるエネルギー流(束)のことで、イメージとしては太陽からやってくるエネルギー、いわゆる「太陽エネルギー」がよい例となろう。youtubeに公開されているMIT物理の講義の一つがまさにポインティングベクトルについてであり、実は太陽エネルギーの例もこの講義の中で取り上げられている。
ポインティングベクトル(S)は、電場ベクトル(E)と磁場ベクトル(B)の外積で表される、つまりS=E×B(比例定数は1に規格化した....)。このエネルギー流の大きさ(たとえば太陽エネルギーの大きさ)を計算するときは、Sの大きさ(ノルム)を計算することになるが、それがまさにEとBがつくる「平行四辺形の面積」の計算に相当している。
電場と磁場の2つのベクトルの外積の結果得られたベクトル(すなわちS)の方向は、この平行四辺形がつくる面に垂直な方向を向いている。このことから、電磁場というのは横波であり、電磁場の揺れる方向に対して垂直方向に電磁波自体は伝搬するという性質がわかる。
電磁場の進む方向(Propagation direction)は、 電場(E)や磁場(B)の振動する方向と垂直な方向になっている。 フロリダ州立大のホームページより。 |
回転操作を座標全体に対して行えば(つまり座標軸の回転変換)、特別な状況から一般的な状況にもどることができる。ここで大切なのは、回転操作はベクトル同士が成す角度を不変に保つという性質だ。また、ノルム(つまりベクトルの長さ)も回転操作に対して不変だというのも大事だ。このように、ある座標変換に対して「不変な量」を探し出すのが、量子力学が誕生して以降の物理学の考え方の基本だ。この問題でも、それに似たようなことを「楽しむ」ことはできる。すなわち、x軸を電場に沿って取った特別な座標から、電場が(a,b)、磁場が(c,d)を向いているような一般座標に回転変換したとしよう。この変換をしても角度θとノルム|E|と|B|は不変なんだから、平行四辺形の面積も不変に保たれる(当然といえば当然だが)。この座標において、|E|と|B|は、それぞれ(a,b)と(c,d)を使って表される(ピタゴラスの定理)。また、θに関してはEとBの内積E・Bによって表す事ができる(正確にはcosθの形だが...)。sin2θ+cos2θ=1を使えば、sineとcosの変換は自由にできるから、内積とノルムを使って、どんな座標系でも使える平行四辺形の面積公式を得る事ができる。内積の定義からE・B=|E||B|cosθ。これをsinθに変換し、上で求めた平行四辺形の面積公式、つまりS=|E||B|sinθに代入すると、
題意から、四辺形の面積は1に拘束されているのでS=1であるが、ad-bc=det(A)、つまりAの行列式の値としてはdet(A)=±1ということになる。実はこのようなタイプの行列をユニタリー行列といって、量子力学で最も重要な変換行列として頻繁に登場する。ちなみに、det(A)=1は回転などパリティが変わらないタイプの変換に相当し、det(A)=-1は鏡映反転などパリティが変わるタイプの変換に相当する。同じユニタリー変換といっても、det(A)の符号が異なる変換同士は連続変換によって結びつけることはできない。ちなみに、行列Bのdetは1だから(det(B)=1)、ある種の回転操作と見なすことができる。
(1)では、とりあえず行列の計算はやってみてもよいだろうが、基本的には行列式を中心に考えるのがよい。detの関係式として有名なものに、det(A)det(B)=det(AB) = det(BA)というのがある。この問いではまさにこれを使う。det(B)=1であることはすでに考察済みだから、det(BA)=det(A)となる。|det(A)|=|ad-bc|=1だから、行列BAの行列要素でつくる平行四辺形の面積は、行列Aの要素でつくる平行四辺形の面積と同じ1であることが示された。
同じようにして、B-1B=E、Eは単位行列、に関して行列式を考えると、det(B-1)det(B) = det(E)、Eは単位行列、なので、det(B-1)= 1/ det(B)=1を得る。従って、det(B-1A)=det(A)=±1となり、この行列要素からなる平行四辺形も面積が1のままであることがわかる。
BAやB-1Aの行列要素が整数のままであるのは、行列の積は、行列要素の観点からすると、和と積の2種類の演算の組み合わせ(つまり線形結合)だから、この演算は閉じている(つまり計算の結果が、整数の集合から飛び出さない)ことがわかる。和と積という2種類の演算が定義された集合の事を「環」、あるいは「代数系」というらしい。仮に、行列の積に割算が含まれるようなことになると、整数÷整数は必ずしも整数に戻らないから、演算は閉じず、結果の行列が非整数の行列要素をもってしまうこともあり得る。行列の積は「線形結合」なんですよ!という出題者からのメッセージだと、この問題は受け取るべきだろう。実際、大学に入学して、最初に理系の学生が挫折しかかり、ショックを受けるのが、線形代数の「一次独立」、「線形結合」などの概念だ。東大に合格するような高校生は、すでにこの問題が解けるのだから、そういうところでつまずく心配はないだろう。教える方としても、大きな面倒が省けて非常に嬉しいはず。ちなみに、環とか代数系というのは、量子力学の交換関係に密接な関係があるので、若いうちに一生懸命やっておくのは決して無駄ではない。
(2)は、行列の積がつくる集合の構造のチェックに相当するだろう。「変換」としたいところだが、量子力学の意味で「行列の変換」に対応するのは、演算子の変換であり、それはA'=BAB-1に相当する。この問題では、Bあるいはその逆行列を左から掛けるだけだから、厳密には「変換」とはいえない。が、それに似たような計算で、変換の練習をしていると考えれば、物理を目指す学生は納得できるかもしれない。
数学の観点からすると、AとBの積の結果が、ある集団に対し閉じているかどうか調べよ、というのが(2)の要旨となろう。c=0なので、Aは三角行列という特別な形になる。これは問題を解く上で非常に重要な条件となろう。三角行列の行列式は対角要素の積になる、という有名な関係がある。実際、数値的に大きな次元をもった行列のdetを求めるときは、三角化する方法がよく使われる。ちなみに、この問題では、Aは上三角行列になっている。任意の行列は上三角行列と下三角行列の積に分解できるという定理がある(LU分解)。これも、数値計算で線形代数、ひいては量子力学の研究を行う時の必須アイテムだ。
問題を解くにあたっては、det(A)=ad=±1となったことに注目する。和(差)の演算が消えて、積だけになったのが非常に大きな特徴と捉えるべし。このことから、a,dが特定できるようになったからだ。a,dともに整数という制限があるので、この条件を満たす組み合わせは4つしかない。つまり(a,d)=(+1,+1), (-1,-1)、これはdet(A)=1の場合。そして、(a,d)=(+1,-1), (-1,+1)、これはdet(A)=-1の場合。この4つの場合について、丁寧に調べていけばよい。しかし、bが決まらないので、ここの処理が勝負の分け目となる。
手を動かして計算してみると、BnAもB-nAも、同じような構造になることがわかる。それは
という形にまとめられる。a,d=±1なので、結局、この行列は
つまり、BnあるいはB-nは上のような行列の集合を形成する。この集合の中に、問題に示された行列は含まれるかどうか議論すればよい。明らかに、それは
b±n=0が成り立つかどうかにかかっている。b>0ならば、b-nになるような積をn(=b)回繰り返せばよい。一方、b<0ならb+nの場合を選びn(=b)回だけ行列の積を計算するとよい。ちなみに、b=0の場合は積などやらずとも、Aが最初から望みの形になっていることは明らか。bが整数である、という条件がこの問題では効いているのだ。これは、量子力学で、量子数を算出する条件を導出するのと似たような思考法だ。とてもおもしろい問題だと思う。
(3)は、また一般の形式に戻る。BAもB-1Aも、ここでは具体的に計算しないといけない。|X|+|Z|に相当するのは、|a±c|+|c|となる。この先はあまり行列や線形代数とは関係ない展開となるので、なんだこりゃ?と思う人も多いだろう。
基本的には、a>0, c>0の場合の|a-c|+|c|を考えるだけでいいことが、いろいろ分析していくと判明する(残りの3つの場合は、正の数a’>0などを導入し、a=-a'と置き換えてやると、全ての場合が最初の場合と等価であることが示せる)。この証明はあまりにも簡単すぎてここに書く気がしない。多少は三角不等式やSchwarzの不等式などと関係しているかと思ったが、まったくこの問題とは無関係だった。がっくり。この問題の本質はc>0ということだけ。これは、場合分けがあるように見せかけて受験生を脅かし、時間不足にするのが狙いか?と疑ってしまう!この問題の内容は、大学で勉強するためには不要なんじゃないか?
ちなみに、MITの講義では、太陽からの光線がポインティングベクトルになっていることを紹介し、その大きさは1.4kW/m2だといっていた。これがいわゆる太陽定数だ。太陽光発電をする際は、これが発電エネルギーの上限値に相当する。教授の説明では、パネルを砂漠一面に敷き詰めても、全米のエネルギー消費量を賄う量には届かないとか。「太陽光発電っていうのは、そういう意味では残念なエネルギーなんですよ」と解説していた。(調べてみると、実は、彼は核物理出身なのだった...)
この講義によると、アメリカの保有する発電所の出力は7.0E5(MW)、つまり700,000,000kWあるという。太陽定数で割ると、500km2程度になる。仙台市の面積は760km2、横浜市は440km2だというから、発電効率100%だとしたら、仙台と横浜の中間程度のかなり広い土地を太陽パネルで埋め尽くさないとアメリカ一国の発電量を賄えないことになる。実際には、太陽光発電の効率は30%程度らしいから、さらに3倍以上の面積が必要になる。だいたい1700km2と見積もると、大阪の面積がだいたい1900km2だというから、その9割近くをパネルで埋め尽くすことになる。
これはたしかに大変な事業だとは思うが、不可能ではないと思う。アメリカなら、そのくらいの土地なら余っていそうな気もする。MITの教授は太陽光発電を「残念」と評したが、むしろ太陽光発電の方がやりがいのある、チャレンジのしがいのある事業のような気がして来た。
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