広島市中心部の調査は友人に依頼して行った。測定/採集地点は(1)平和公園付近、(2)広島城周辺の2点。本当は河原に降り立って、昔修学旅行で聞いた噂「河原に落ちている割れた瓦などにガイガーカウンターを近づけると今でも反応する」を確認してもらいたかったが、時間的な余裕がなかったとのこと。いずれにせよ、貴重なデータが手に入ったので嬉しい。以下は伝聞情報をもとに、広島の様子を書き下した(若干の私見混入あり)。
広島駅から出る路面電車に乗って、まずは原爆ドームのある平和公園の方へ向かった。路面電車は思いのほかゆっくり広島の市街地を走り抜ける。原爆ドームで下りる人多数あり。この「遺跡」の周りは見学者で囲まれていて、外国人と日本人の比率は半々程度。核爆弾によって破壊されたそのままが残されている。これは広島の人にとっては大変なことだったと思う。2年前の東北の大地震とその後に襲来した津波が破壊した建物や船舶を、記念に保存しようという動きはあったが、東北の人々をそれを嫌った。むしろ早く撤去して壊してもらいたいと要望した人が多かったそうだ。早く忘れたい、早く昔の生活に戻りたい、という気持ちはわからないではない。むしろ普通の反応だろう。それだけに、広島の人々が、アメリカ軍による非人道的な殺人兵器で人間とその生活と木っ端みじんに破壊された「敗北」の象徴を保存しようと決めたというのは、勇気のあることだし、尊敬するほかはない。
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広島の原爆ドーム。桜が咲き始め。 |
ドームのすぐ外側で線量を測定したが、際立った値は出なかった。むしろ東広島より低い。原子爆弾による放射能汚染はもう残っていないのだろう。橋を渡って平和公園に移動する。ここには原爆資料館がある。この建物、以前からあまり好きじゃなかった。ドームの丸屋根の曲線と比べて、シャープな直線や箱型の形状がなんか刺々しい。
長崎の資料館もあまり好きじゃないが、でも長崎の平和公園は好きだ。あの平和の像とそのまえの噴水。ふんだんに流れる水流の脇にある山口さんの言葉や峠三吉の詩を刻んだ石碑が飾ってあって、それを読むと涙が出る。清らかで豊かな水の流れには、原爆の熱と放射線に焼かれて死んでいった人たちの、渇いた喉にしみ込むように...という祈りが感じられる。
広島にはドームがあるからいいようなものの、それは戦争がつくったものだ。平和の灯火とかいう大きな香炉があるけれど、火で焼かれて死んでいった人を、火や煙で弔うのは残酷だと思う。戦後の人たちは自分たちの手で(広島には)平和公園をつくることができなかったのかもしれない。
平和公園で測定した線量値は0.08μSv/h。東京の西側と同じくらい。もちろん、その内実は随分違うと思うが。
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平和公園での線量測定の様子 |
平和公園を後にして広島城へ。知らなかったのだが、安土桃山時代に建立された、かつての国宝だった城は原子爆弾で破壊されたのだった。改めて、戦争の無意味さを実感す。再建されたものは鉄筋コンクリートだそう。できれば「復元」して欲しかった。
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春の広島城 |
城郭内に入り、石垣の影で測定を行った。平和公園とは違い、東広島に近い高い線量が観測された。0.14μSv/h。平和公園の土は造成のため、外から持ち込んだものなのだろう、きっと。城内の土壌は昔のままだろうから、きっとこれが広島市の本来の自然放射線量なのだろうと思う。
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広島城内にて。 |