2011年の原発事故の直後に大流行りしたのが群馬大学の早川さんが作成した「汚染地図」。これは市町村や公的機関の測定した「線量」をもとに、汚染地域の予想を図にしめしたもので、国や東電が汚染を隠そうとして情報をなにも発信しない時分は、放射能汚染がどのように広がったか大雑把に知るには結構役立った。
半年以上経ってから、国は航空機を使い、簡易測定ではあるが大規模な汚染分布の調査を始め、その結果を公表した(たとえば
東日本の場合はこちら)。高高度から結構なスピードで広範囲を測定するため精度はあまり高くない上に、自然放射線量をごちゃ混ぜに表示した地図は、やはり「大ざっぱな」汚染分布の情報しか伝えてくれなかった。とはいえ、公の情報ということで、多くの人がこの情報の内容を信じた。特に、東京の中心部から西にかけては「放射能汚染がない」という報告は多くの人に間違った希望を与えた(東京も放射能に汚染されていることは、ベクミルや民間測定所に持ち込んで測定した個人個人の努力により少しずつ証明されていったが、大半を占める無関心な都民/国民にはまだ十分伝わっていないと思う)。
実は、以前から気に懸かっていたのだが、早川地図と国の地図が一致していたのは誤った東京の汚染分布だけではなく、関東平野の北部、つまり群馬でも一致していた。特に、高崎と前橋の周辺の汚染があたかも皆無に思えるような、真っ白な「清浄領域」が2つの地図には記載されている。
群馬県の北部には尾瀬が位置し、その北方は日光や那須へと続いている。この辺りは有名なホットスポットとなっていて、NHKの特集番組でその存在が最初に報告された(と記憶している)。別のホットスポットである長野県の軽井沢に接する群馬側の山間部、例えば妙義山や横川などにも、かなり強いセシウム汚染があることもすぐ後に判明した。また続いて報道されたNHKの特番で赤城山や榛名山の火口湖の放射能汚染が伝えられた。このように、上州三山と呼ばれ群馬県民に親しまれて来た群馬の名峰周辺の群馬県北部西部地域が深刻な放射能汚染を受けたことは、さすがに早川地図にも国の地図にも記録されている。
にもかかわらず、深刻な汚染地帯のすぐ目の前にある高崎と前橋にはまったく放射能プルームが到達していないかのような汚染分布図を2つの地図では示していて、なにか不自然な感じを受けた。特に、東京の汚染がないというメッセージは間違っていることを確信してからは、この疑惑はより深くなった。しかし、高崎と前橋にいく機会にはなかなか恵まれず、確認することができなかった。最近運の良いことに、知り合いの一人が前橋に転勤となり、見知らぬ土地で右も左もわからない中、なんとか群馬県庁がある前橋城址の土壌を持って来てもらうことができた。さっそく測定してみると....
セシウム137,134のガンマ線がくっきり浮かび上がり、その放射能は1226 Bq/kgと算出された。Cs-134の減衰を考慮すれば、原発事故直後は2000Bq/kg近くあったと思われる。これは東京中心部の汚染とほぼ同じ程度だ(たとえば
東大本郷は2000Bq/kg弱、また東京西部の
町田も900 Bq/kg近くの汚染があった)。
前橋や高崎にいくと感じるのが、街全体の開発が進み、コンクリートやアスファルトで一面覆われていることだ。街中の緑は少なく、大規模な公園のようなものはあまり見当たらない。自民王国群馬の公共工事の成せる技なのだろうか?いずれにせよ、このような都市化の進んだ場所ではセシウムは沈着しにくい。ほとんどが排水溝に流れ込み、河川へ逃げて行くため、線量だけみれば低くなったのだろう。地面が露出しているところでガンマ線を測れば、事故の後に到達したであろうプルームの名残りをみることができ、汚染の実態を教えてくれる。きっと高崎も同じように高いセシウム汚染を受けているだろう。ということで、早川地図も国の汚染地図も、東京と同じように、群馬の「清浄地帯」の把握に失敗していた可能性が高まった。もちろん、まだ測定したのは1地点のみであるから、結論は出せないことは断っておこう。
私の想像では、放射能プルームは、高崎や前橋に到達しただけでなく、街に降り立ち放射能汚染を引き起こした可能性が高いと思われる。群馬の2大都市を飲み込んだプルームはさらに西進北進し、妙義や榛名に到達、横川や北軽井沢、嬬恋などを汚染した後、信州へと流れ込んでいったのかもしれない。この推測を確認するには、群馬のサンプルがもっと欲しいところだ。