2018年9月15日土曜日

ファラデーの原論文を読む

マイケル・ファラデーは19世紀を代表する天才物理学者であり、その電磁気の研究でよく知られる。その影響力は現代社会において計り知れないものがある。例えば、先日起きた北海道のブラックアウトで注目された発電所であるが、一般に、火力発電所も、水力発電所も、原子力発電所も、ファラデーが発見した「電磁誘導の法則」によって発電を行なっているのは周知のとおりである。ちなみに、電磁誘導の法則を利用しない発電機構は、太陽光発電だけであり、それは光電効果(アインシュタインがノーベル賞を取った研究内容)で発電する。

さて、ファラデーの主要な論文は、王立協会(the Royal Society of London)が17世紀から出版する"Philosophical Transactions of the Royal Society of London"で読むことができる。今回はそのうち導体と絶縁体について論じたシリーズ12の論文

Michael Faraday,
Phil. Trans. R. Soc. Lond. (1838), 128, pp.125-168

を読んでみた(閲覧は無料である)。

この論文は、「電流/放電現象」には何種類かある、という書き出しから始まっており、その最初のカテゴリーである「通常伝導」についての議論が展開される。そこでは、キャベンディッシュもポワソンも、「伝導と絶縁という二つの概念の違いについての明確な説明を与えていない」という問題提起がなされる。これに対するファラデーの答えは、非常に控えめな書き方を採用してはいるが、心の中には確固とした信念があることが読み取れる。特に、1326段目の文章は重要であるので、引用してみたい。

"All these considerations impress my mind strongly with the conviction, that insulation and ordinary conduction cannot be properly separated when we are examining into their nature; that is, into the general law or laws under which their phenomena are produced."
 この段落の前に議論していたのは、鯨油は誘電物質(電場に反応して分極、要は電荷を発生させる物質)であると同時に伝導体(つまり電気を通す物質)でもある、という議論や、ガラスや樹脂なども誘電物質かつ伝導体と言おうと思えば言えなくもないが、その程度は鯨油に比べ弱い、とかいった議論である。「こういった議論を踏まえると、物理的な性質の観点からみて、絶縁体(電気を通さない物質)と伝導体(電気を通す物質)とを分けるのは無理なのではないか?という気持ちに強く傾いていく」とファラデーは述べている。そして、「絶縁も伝導も、より一般的な法則によって共通に説明されるべき現象なのではないだろうか」とコメントしている。

続く文章では、その「一般的な法則」がどんなものになりそうか推論している。

They appear to me to consist in an action of contiguous particles dependent on the forces developed in electrical excitement; these forces bring the particles into a state of tension or polarity, which constitute both induction and insulation; and being in this state, the continuous particles have a power or capability of communicating their forces one to the other, by which they are lowered, and discharge occurs.
「絶縁も伝導も、なんらかの粒子が存在し、その振る舞いによって説明されるべき現象ではないかと考える。この粒子は、電気的なエネルギー励起によって発生す力(電圧、あるいはポテンシャルエネルギーの勾配、つまり電場)に従って運動し、電流が流れる際には一種の緊張状態(励起状態)、すなわち分極状態、へと変化するのであろう。この緊張状態へ(エネルギー的に)上がった粒子は、電気的な相互作用を媒介して、脱励起を起こし、放電へと至るのである。」

エネルギーという言葉は使ってないが意訳ということで勘弁願いたい。現代物理の観点からすれば、「なんらかの粒子」というのは電子に他ならない。電圧やポテンシャルエネルギーの概念が採用されていないので、ちょっと読みにくいところもあるが、結局は電圧がかかると、原子に束縛されていた電子は、電場の作用により電離し、自由電子となって流れ始めるということである。この際、電流が流れる物質原子の結晶構造(バンド構造)によっては、電気抵抗が高くなったり、低くなったりして、絶縁体となったり、導体となったりするというわけだ。ファラデーは、もうこの段階で、電流とはどんな現象なのかほぼ完全に理解していたと言ってよいだろう。さすがである。

そして、次の文章が決定的である!

Every body appears to discharge; but the possesion of this capability in a greater or smaller degree in different bodies, makes them better or worse conductors, worse or better insulators; ....
 「全ての 物質は放電する(電気を通す)。ただ、物質の種類によって、電気を通す程度が大きかったり、小さかったりするだけである。絶縁体と呼んでみたり、導体と呼んでみたりするが、良い絶縁体と悪い導体は同じものであり、悪い絶縁体と良い導体も当然同じものの言い換えに過ぎないのである。」

つまり、電気を通すものと、通さないものに分けるという、あの小学校の理科の授業は、ファラデーのこの論文に真っ向から論争を挑んでいる、ということなのである!

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