マイケル・ファラデーは絶縁体と導体の区別について
"insulation and ordinary conduction cannot be properly separated"
と、その論文で書き記している。
この一文は、現代の物理学者、特に凝縮系物理や固体物理を研究するものにとって、非常に含蓄が深い一文である。というのも、高温超伝導と絶縁体は「紙一重」のところに存在していると考えられているからだ。
中島貞雄先生が執筆した岩波新書「超伝導」にも、このことが記されている:超伝導の臨界温度を高くしようと思えば、ギャップエネルギーΔを大きくする必要がある。フェルミ面周辺に存在する状態のうちクーパーペアの形成に寄与するものを増やす、ということである。 このためには、電子間に働く(有効相互作用としての)引力を強くする必要があるが、あまりに引力が強くなりすぎると、(直感的だが)電子同士がネバネバと粘り着くような流体状態になってしまって、却って絶縁体に近づいてしまうのである。
そういえば、超伝導を世界で最初に発見したオネスのノーベル賞講演でも「(当初の研究の狙いは)金属の温度をどんどん下げていき、絶対零度に近づけていけば、金属を形成するいかなる粒子も完全に静止してしまうはずだから、電流の流れない完全な絶縁体が発現すると考えた。ところが、超低温下で発見したのは、電気抵抗が0になってしまう『超伝導状態』だったのである。」といった内容の箇所がある。
電流をよく流すもの、と電流をほとんど流さないもの、というのは、最初から理論的にも、実験的にも、実に紙一重のところにあって、様々な物質を作って試したときに、どちらに転ぶかは、現在のところ「神のみぞ知る」のである。
実際、常温で絶縁体として知られるようなセラミック系の物質(銅酸化物など) が、最初の高温超伝導物質であったし、最近ではグラフェンのシートを二枚重ねるときの角度によって、絶縁体になったり、超伝導体になったりと、極端な状態を右から左へワープする様に性質を変える様なデバイスも開発されている。
また、トポロジカル絶縁体とトポロジカル超伝導体は、同じ文脈で語られることも多い。
まさに、ファラデーの書いている通りではないかと感じるこの頃である。
0 件のコメント:
コメントを投稿