2012年9月30日日曜日

中秋の名月:2012

9月30日に台風が来た。この日は中秋の名月で、暴風雨の中では見ることは不可能かと思っていたが、思いのほか台風の進みが速かったおかげで、日付が変わる前に満月が夜空に顔を出した。台風の目だったのかもしれない。満天の星も輝いていた。ただ、強い風の流れが上空にはあるようで、雲がもの凄い勢いで移動しているのがわかった。月は時折そんな雲に隠されては、また明るく輝いた。

中秋の名月:2012

中国では、この時期一週間の長い祝日となるそう。上海の共同研究者が、「月餅を食べ過ぎた」というメールを送って来た。こういうところは中国人と日本人は話が合う。国のメンツなどといったくだらないいざこざは早く終わらせて、いい論文を書き上げて共に祝杯でも上げたいものだ。(個人的には、お酒よりも、豫園周辺にある茶屋に行きたい!)


2012年9月26日水曜日

NHKのETV特集:ウクライナの低線量被曝の苦しみ

先日、NHK教育にてウクライナの低線量被曝についての番組があった。基本的な内容は、いままでにこのブログで考察してきたことと同じ。特に大事だと思ったのは、汚染した食材を摂取することで生じる「低線量被曝」(あるいは「内部被曝」)が、事故から30年経って、循環器系、すなわち心臓と血管の疾患を引き起こしているらしい、という認識がウクライナやベラルーシなどで広まっていることだ。また、白内障の増加も目立つというが、これは初めて聞いた。

セシウムはアルカリ金属だから、単体で水に溶ければ一価の正イオンとなり、電気を持つ。(「アルカリイオン飲料」とかいうけれど、要は「塩水」「海水」みたいなものということ。)したがって、ナトリウムやカリウムと同じように、セシウムも血液や細胞液にとけ込んで体中に流れ込んでいく。アルカリ金属、特にナトリウムとカリウムは神経伝達システムの重要な要素のひとつであり、物理的に考えれば神経情報を「電気パルス」として伝える媒体となっている。

したがって、体液のあるところにはかならずセシウムは到達できる。眼球は涙などの水分が豊富に詰まっているから、セシウムは滞留しやすいだろう。体液を運ぶパイプである血管もセシウムからの放射線に曝される確率は高いだろう。そして、鼓動として電気パルスを必要とする心筋にもセシウムは多く運ばれるだろう。

ついひと月前にも福島原発の作業員の一人が心筋梗塞で亡くなった。今までに作業中に死んだ原因も多くが心筋梗塞だ(私が知っているのは、今年の1月までに心筋梗塞が2人、急性白血病が1人、原因不明が1人。今回のを含めると、心筋梗塞は3人となった。)。これは偶然ではないだろう。NHKでも、若い原発作業員の一人は毎日鼻血が止まらないほど出るという報道をしていた。また、2003年にベラルーシの医学研究者が発表した論文でも、セシウム137と心臓病の関連が臨床的に疑われている。

このように、低線量被曝というのは、劇的な症状を急性に起こすものではなく、生体器官を「少しずつ、そして致命的に」破壊するプロセスなのであろう。これは生活習慣病と同じだ。破壊と修復が平衡状態にあるうちはいいが、そのバランスがちょっとでも崩れると、少しずつ、しかし確実に体は病んでいく。

番組ではまた、ウクライナ/ベラルーシで最近増えて来た中年世代の甲状腺癌についての報告もあった。彼らは、チェルノブイリ事故当時、20代の若者だった。今までに発症してきた少年少女の甲状腺癌は、10代の子供たちがヨウ素131に被曝(内部被曝)してから5年から10年程度経って発症し始めるケースが多かった。子供の方がホルモン分泌や代謝が活発だからだろう。次に活発なのが20代の若者だが、30年経ってついに病魔に襲われ始めたらしい。ピークが来るのはさらに後のことになろう。

セシウムと違って、ヨウ素131の低線量被曝が恐ろしいということは、WHOなど公的機関によって認められている。それは半減期が短いからこそ証明できたとNHKは言っていた。つまり、事故から数ヶ月も経てばキセノンに変わって無くなってしまうので、それ以降に生まれた子供達はヨウ素131の影響をまったく受けないのだ。事故から数ヶ月経った前後に生まれた子供達を追跡し、その甲状腺癌の発症率を調べると明らかな差異が出た。(たとえば、事故のその日に生まれた子供は7歳で死んだ、とNHKは伝えていた。)

今40代になって甲状腺癌を発病している人たちは、チェルノブイリ原発が爆発してからわずか数ヶ月の間に摂取した、汚染されたミルクなどの食品、飲み水、そして空気などによって、殺されかけているのである。とすると、福島やその近隣で2011年3月から6月まで暮らしていた30代以下の人たちは、その30年後の運命がもう決まっている可能性があるということだ。これから、どんなに食事や健康に気を使っても変えることができない運命を背負わされているかもしれない。

最初はヨウ素131と甲状腺癌の因果関係について否定的だった世界の医学者は、短い半減期のせいで、しかたなく関係を認めざるをえなくなった。これに引き換え、セシウム137の半減期は長い(30年)。つまり、ヨウ素131と同じ方法で証明しようと思ったら、事故後300年前後に生まれた人の統計を使って、心臓病の増加の有無を検証しなくてはならいないのだ。今から300年前といったら、江戸時代だ。徳川の悪事で我々の健康が冒されてしまったとしたら、絶望するするしかない。そして、ヨウ素131と甲状腺癌の関連を間近で見てきたウクライナとベラルーシの医者たちは、心臓と血管の疾患、そして白内障の増加に関して、セシウム137との関連性を本能的に見抜いているようだ。当初国際社会が認めなかったヨウ素131の場合と同じだ、と彼らを感じている。

2012年9月22日土曜日

干し椎茸の放射能汚染

東京新聞でしばらく前に報道されていたが、新潟県で販売されていた干椎茸が放射性セシウムで激しく汚染されていたという。この件はあまり報道されていない気がする。

新潟に住む市民が店頭で購入した製品を自主検査した結果、汚染が判明した。今月中旬(9/15頃)に新潟県による公式測定がなされ、1100Bq/kgという桁外れの放射能汚染が確認された。

調べると、この干し椎茸は、岩手県産の椎茸を、静岡の食品会社が加工して出荷した製品だった。今年の冬、この食品会社は横浜でも同じ製品を販売したが、2077Bq/kgの汚染が発覚してしまった。横浜市や神奈川の保健所からの販売停止、製品回収命令を受けたこの会社は、命令を無視し、嘘を突き通して、今月に至るまでの半年間、場所を変えて同じ製品を売り続けていたことになる。食品工場のある静岡の保健所は、この間、この干し椎茸に検査合格とのお墨付きを与えていたというから、なにやらうさん臭いものを感じる。(報道では、検査が不十分だった、と書かれているが、婉曲表現であろう。)

「お上」のいうことが信用ならない、という事例がまたひとつ増えた。放射能汚染された食品を避けるためには、自分で自分の身を守るしかないらしい。

これも熱力学の第二法則に従っているのだろう。すなわち、日本にまき散らされた「死の灰」は、薄まりながら拡散の一途をたどっている。しかも、人為が絡んでいるから、物理法則による拡散速度よりもずっと速いスピードで、食品汚染は進んでいる。

食品汚染は内部被曝の問題だ。外部被曝と混同するべからず。この違いは電磁気で習ったガウスの法則に似ている。つまり、電荷を包んだ領域で体積積分するか、それとも包まない領域で体積積分するかによって、雲泥の差が出るということだ。「包む」というトポロジー的な事実が、内部被曝では大きく響いてくる。包まれてしまった物体は、包みを「よけて」進むことは絶対に出来ないのだ。さらに細胞や核膜のように、「包み」が小さければ小さい程(同じ立体角を覆う表面積は小さくなるから)放射線が傷付ける箇所はダブってくる。似たような箇所で内部被曝によって繰り返される組織や遺伝子の破壊の修正がついに失敗したとき、その部分は「自分」ではなくなり、「悪魔」と化す。すなわち、増殖し、自らを喰い尽くして自滅する癌細胞となるというわけだ。

これに加えて、食品による内部被曝で嫌なのは「低線量の被曝」だという点だ。強い被曝だったら、組織は完全に破壊され、焼き尽くされて死滅するから、代謝する方向に生体システムは働く。つまり、壊れた組織を除去し、新しい組織と入れ替える。たしかに、これはエネルギーを消費し、体力が消耗するから、決して体にはプラスではないが、怪我をしたのと同じように、休養と栄養を摂れば、回復できる。

しかし、中途半端に破壊された組織は、免疫によって異物と見なされないから、そのまま居座り続ける。遺伝子を中途半端に破壊された場合、それは「まだ使える部品」と見なされてしまう。この「弱く壊れた」生体部品は、細胞分裂するという点において、弱く壊れた機械部品と決定的に異なる。遺伝情報をもとに生体物質を合成したり、細胞分裂する際に「品質」が悪化したり、別の「部品」に化けてしまうからだ。

もっとマクロなレベルにおいても同様の効果は起きる。食品の汚染が薄らいでくると、警戒心は落ちてくる。「安心して」たくさんたべるようになったとき、今回のような1000ベクレル/キロ級の汚染物質も平気で食べてしまう確率も高くなるだろう。また、薄い汚染だとしても積分すれば(トータルでみれば)総量は増えてしまう可能性もある。そんな状態が30年も続いた時、取り返しのつかない結末がやってくるに違いない。

大きなニュースにならなかった新潟の干し椎茸のセシウム汚染。「がっつり」食べた人たちは決して少なくないはず。注意が薄れ、慣れてしまい、繰り返して薄い汚染物質を摂取し続ける状況をさけねばなるまい。





2012年9月17日月曜日

野山里山の汚染続々

味覚の秋....山菜やキノコ狩り、森の木の実など、今まで「ただで」手に入った楽しい食材が、「死の灰」つまり放射性セシウム等によって汚染されている実態が、続々と報道されている(あまり目立たないが)。野生動物は汚染されたそのままの森で餌を食べているし、野草は汚染された土壌から栄養を摂っている。死の灰が降ったかどうかの有無を確認するにはもってこいの指標といえよう。主なものをリストにしてみた。
参考:測定限界に関する東京新聞の秀逸記事はこちら

2012年9月16日日曜日

琵琶湖、比良山地、そして断層

彦根城から琵琶湖を臨むと、湖の向こうに険しい山なみが見える。比良山地だ。
琵琶湖と比良山地
鯖街道はあの山の向こうの谷沿いを走っている。このような急峻な山地帯が、なぜ日本最大の湖に面しているのか不思議に思ったので、少し調べてみる事にした。

答えは断層だった。この辺りは、大きな地震が何度も起きていて、その度に巨大な断層が生じる。ズレ落ちた斜面は急峻な山肌となる。これが繰り返される度に、皺のように断層が重なり合い、急峻な山間地へと変貌していったようだ。断層と断層の間が比較的開いている場所はお盆のように平らな地形となって浅く水を溜める。それが琵琶湖に相当する。したがって、新しい断層が出来る度にお盆の形が変わり、湖の位置は変遷する。琵琶湖も動き回って現在の位置にやってきたそう。琵琶湖周辺の盆地や、湖沼地帯は古い時代の琵琶湖の跡だという。京都大学の地理同好会のホームページが大変参考になる。

比良山地の南には比叡山がある。京都盆地は琵琶湖のすぐ後方にあるのに、高い山地で隔たれている。以前から不思議に思っていたが、京都盆地はどのように形成されたのかも調べてみた。すると、京都も断層によって作られた盆地らしい。たまたま、盆地の南側に「お盆の縁」が無かったから鴨川や桂川となって水が流れ出てしまい、湖にならなかっただけだろう。琵琶湖と同じようにしてできたわけだから、京都湖という大きな湖ができたとしても不思議ではなかっただろう。



彦根城へ

信州は秋風ふけど、彦根城夏の陽光強かりし。琵琶湖を渡る風吹きて、軒の風鈴揺らしたり。茶店の傘の影の内、冷茶の緑透き通る。風に吹かれて髪乱れ、暑さの中の涼しさや。

残暑の中の彦根城
ひこにゃんには会うこと能はず。週休3日と聞く。来春には小学校に入る歳になったとか。あちこちの学校から引きがあり、ひこにゃんの争奪戦で彦根の町は盛り上がっているという。よくよく考えれば、若年労働者なり。この当たりは問題とはなっておらぬよう。

ひこにゃんの猫は豪徳寺の猫に同じ。雷除けのまじないに、ひこにゃん人形祀るべし。町には井伊直弼の銅像あり。日本開国の功労者と地元の人は言う。ものはいいようなり。いろは松の通り、きれいなり。明治政府に壊されたという、門と隅櫓は無惨なり。恨みをもってしかり。

2012年9月15日土曜日

京都の鯖寿司と福井の原発

京都から滋賀、そして福井に抜ける「鯖街道」を走ってみた。

美山というところへいくため、途中で山岳ルートに(後で考えると無謀にも)入った。京都の北方にこれほどの山間地(京丹波?)が広がっていることを知り、非常に驚いた。信州の山々のような高山地帯とはちょっと違う。切り立った「里山」というべきか?「奥山」という雰囲気が近いだろうか? 
おくやまに もみぢふみわけ鳴く鹿の 
声きくときぞ 秋はかなしき
この歌がまず頭に浮かぶほど、古典的な風景が残っていて感銘を受けた(京都はまだ暑かったけれど)。

目で見れば絶壁に近いような斜面に杉の森が林立し、所々に岩盤が顔を出して大きく崩れている。斜面に張り付く、つづら折りの細い道が延々と続き、薄暗い森の中を、頂きに登っては、谷に下る繰り返し。驚いたことに、谷間に降りると茅葺き屋根の民家が連なって集落を成している。学校はどこに通うのだろうか?買い物はどうしているのだろうか?この細い道が大雨や土砂崩れなどで寸断されれば、簡単に孤立してしまうだろう。余計なお世話だろうが、つい心配してしまった。

美山町は、そんな集落の中でも(おそらく)最大規模の集落で、比較的開けた場所にあった。とはいえ、「切り立つ里山」から流れ下る瀧の風景などと共存しているのを見れば、それは決して通常の意味での「開けた場所」ではないことは明らか。それにしても、並び立つ茅葺き屋根は圧巻の眺めだった。日本昔話の風景が現存しているといっていいだろう。すばらしい!

美山(知井地区)の風景
近くの蕎麦屋に入り、昼飯とする。この辺りは観光地化しているので、食べる場所は数カ所ある。おそらく一番人気は(上の写真にある)「きたむら」という蕎麦屋さん。きたむらでは、地元の蕎麦を食べることができる。写真には水田しか写っていないが、欄外には白い花を咲かせた蕎麦の畑が広がっていた。しかし、諸々の事情により今回は「もりしげ」という店に行く事にした。ここの蕎麦は地元丹波のものではない。せっかくここまで命がけで、山越え谷越えでやってきたのに、最後の最後で「岡山工場の最新型の機械でつくった、最高級の信州戸隠産の蕎麦ですよ」などと言われたのでは脱力だ。そこで、丹波の地鶏を使っているという親子丼を頼むことにした。しかし、鶏肉が筋張っていて食べにくい(食べられない事はないが)。何度も噛んで、なんとか飲み込んだ。

美山を後にして鯖街道へと戻る。江戸の昔、海から遠い京都の人が、魚料理を楽しむために、福井の若狭湾で獲れた鯖を塩漬けにして運び入れ、それを押し寿司にして楽しんだとか。京都では、お祭りやおめでたいことがあると、鯖寿司で祝うというから、今で言うデコレーションケーキみたいなものなんだろう(ローソクは立てないだろうが)。京都には「鰊蕎麦」というのもあって人気がある。これも甘露煮の魚を蕎麦に入れたもので保存食のひとつ。ただ、こちらは明治に発案されたものだとか。(鯖寿司が考案されたのは江戸時代のことで、その店はまだ続いているらしい。「祇園いづう」がそれにあたるらしい。駅の出店で買って食べてみた。ちょっと塩っぱめだが、さすがにおいしい。でも、一人前とはいえ、一本全てを一人で食べるのはちょっときつかった。鯖寿司は食べ過ぎるべからず。)

鯖街道沿いには、鯖寿司を売る店がちらほらあった。その中でも、朽木の旭屋は人気があるそうで立派な店構をしている。セシウムやストロンチウムの海洋汚染のせいで、関東以北の太平洋の魚はもうちょっと食べる気がしないだけに、京都に来たらさぞうまい鯖寿司が食べられると思って楽しみにしていた。ところが、鯖街道の店々で話を聞いてみると、現在出回っている京都の鯖寿司の多くは、千葉の鯖を使っていると聞いて驚いた。京都の名産鯖寿司は、福井小浜の鯖じゃなければ、一体全体なんだというのだろう?「いづう」の鯖は九州のものだという。いづれにせよ、福井の鯖はいったい全体どこにいってしまったのだろう?

調べてみると、若狭湾の鯖の漁獲高は1970年から1990年にかけて激減し、未だに回復してないという。「いづう」のホームページには乱獲が原因だとあるが、別の文献には温暖化による海水温の上昇が原因かもしれないとあった。この文章を読んで、はっと思いついたことがある。若狭湾の原発、すなわち大飯、高浜、敦賀、そして「もんじゅ」による環境破壊の可能性だ。日本の原発が海岸に建設されるのは、海水を冷却水として使うからで、その結果大量の温水を海に投棄する。

鯖街道でつなぐ福井の若狭湾と京都、そして原発の位置の関係。
小浜で水揚げされた若狭湾の鯖を塩漬けにして京都に運んで
寿司にしたのが、本来の「京都の鯖寿司」。
現在は、千葉や九州、さらにはノルウェー産の鯖でつくるらしい。
この文書を読むと、原発から排水される温排水によって7度ほど海水温は上昇するという。海水温はだいたい平均20度前後だそうで、それを30度程度にして海に戻す。原発の熱効率は非常に悪いのは有名で、大量の温排水がなされることが、この文書にも記述されていた。つまり、原発は、放射能汚染だけなく、温排水でも環境破壊を行っている。Wikipediaには、「平均海水温が3℃上昇するだけで、東京湾に生息する魚類が熱帯魚になる」とある。7度の海水温上昇というのは、魚にとっては想像を絶する温度上昇なのだろう。

若狭湾で鯖が獲れなくなり始めた1970年から1990年にかけて、大飯原発は建設された。大飯1、2号機は1979年に、3号機は1991年、そして4号機は1993年に稼働を開始した。(若狭湾の鯖の漁獲量の減少が始まったのは、こちらの文献では1990年ころとあり、こちらの文献では1970年後半(昭和50年以降)とある。)大飯原発だけでも、4基もの原発が大量の温排水を若狭湾に流し込んで来た。加えて、高浜、敦賀、もんじゅも若狭湾にはある。これでは、20度以下の冷温を好むという鯖にとってはたまったものではないだろう。

現在の鯖街道は、残念ながら廃れているように見える。沿道の鯖寿司屋は、1、2の例外を除けば、けっして繁盛しているようには見えない。街道を走るのは、主に大型のダンプカーで、それは無機質な感じで隊列を成し轟音を響かせて走行している。この風景を見れば、江戸当時の鯖街道の情緒はまったく失せてしまった、と感じる人は多いだろう。この原因は、福井の鯖の激減にある。そして、その激減の理由のひとつとして、福井の原発群があげられる可能性は非常に強い。特に、小浜の海を温排水で破壊する大飯原発が、大きな癌になっている可能性は否定できないだろう。京都の人は文句をいうべきだと思う。

なんなら、大飯原発をしばらく止めてみて、鯖が戻ってくるかどうか実験してみたらいいだろう。実は、今がいいチャンスではないだろうか?(大飯原発が2基再稼働してしまったとはいえ、以前に比べれば今年の温排水の量は少ないはずだ。今年の方が、今までよりも鯖の漁獲高が多くなったとしたら、原発と鯖には関連性があると言わざるをえないだろう。)

2012年9月12日水曜日

甲状腺ガン、ついに出る:最初の犠牲者は福島の子供

NHKの報道で、福島の子供に甲状腺ガンが、ついに見つかったことを知った。

チェルノブイリのときも、「原発との因果関係は見られない」と最初の5年は言っていた旧ソ連(現在のロシア)政府も、10年後には因果関係を認めた。30年近く経過した現在でも、その影響は猛威をふるっている。

チェルノブイリのときは最初の3年間は問題なく過ぎた。4年目から甲状腺ガンが急増し、5年目に問題となったが、上述したように、このときは政府も(お抱え)科学者も否定した。

福島での最初の患者は、事故から1年半しか経っていない。これからの統計に注意する必要はあるが、チェルノブイリより随分早いような気がする。むろん、今のところ統計的には因果関係は出せないだろうが、これが悲劇の始まりである可能性も高いと思う(チェルノブイリの例があるだけに)。噂されているように、福島の場合、放出されたヨウ素131の量と濃度はかなり大きかったのかもしれない。セシウムと違って南方に流れたといわれるので、最初の患者がいわき市の方面の子供ならば、因果関係を真剣に疑う必要はあろう。詳しい情報が知りたいものだ。

(追記:チェルノブイリにおける事故後の健康診断に使われた装置や機器は、現在のそれに比べれば相当性能が劣っていたはず。チェルノブイリで癌が発症したかどうかの診断は、病状がかなり進んで触診でわかる程度にまで悪化してからにちがいない。だとすると、今回福島で見つかった子供の癌は相当小さかったらしいし、組織検査を通して癌であることがやっと判明したことを考えれば、仮にこの子供を未処置のまま放置しておけば、きっとちょうど3年目ぐらいに触診で引っかかる程度の癌に成長することだろう。つまり、この時期に精密検査/組織検査で発ガンが認められたということは、けっしてチェルノブイリと比べて早すぎるということにはならないだろう。公式/マニュアルだけを単純に当てはめて、3年経つまでは原発による癌は発症しないと短絡的に結論づけてしまうのはよくない。知的な思考訓練が不足している医者/科学者の言葉には注意すべき。)

甲状腺癌は、ガス状のヨウ素131のプルームを吸引したのが原因となる。また、事故直後の水道や牛乳等の汚染も原因となりうるだろう。一方、セシウム137、134の方は、吸引や飲み水のみならず、半減期が長いため、いまだに私たちの周りに存在し続け、現在進行形で起きている食品汚染を引き起こしている。それは、これから起きるであろう大規模な健康障害の主原因となる可能性がある。放射性セシウムは、心筋梗塞や膀胱癌、原因不明の体調不良や鼻血などをひき起こすと言われる。セシウムの影響が見えてくるまでに、チェルノブイリでも10年単位の時間がかかった。しかし、今の調子で、福島、宮城、岩手といった東北の汚染地帯のみならず、栃木、茨城、群馬、千葉といった関東の汚染地帯やホットスポットでの農作物、魚介類を国民に食べさせ続けるならば、もっと早く、そしてもっと大規模に被害者が現れる可能性は高いだろう。

原発事故の本当の怖さが、ついに始まったのだろうか?

2012年9月5日水曜日

御代田のキノコのセシウム汚染

御代田のセシウム汚染の問題がじわじわと、人々の生活に侵入し始めている。今回は、信州の人々がこれからの季節に楽しむキノコ狩りでの問題だ。御代田のとある国有林で採集した野生のキノコを測定したところ、キロあたり630ベクレルのセシウム汚染が確認された。
平成24年9月1日の信濃毎日新聞より。
採集されたキノコは浅間山麓で採集されたものか、
それとも森泉山/八風山の地域で採集されたものか、明記されていない。
いずれにせよ、御代田の山間地のセシウム汚染には注意が必要だ。


森泉山のような限られた別荘地の汚染に留まらず、御代田や軽井沢周辺の山々が広範囲にセシウムで汚染されている可能性を示唆している。私の測定では、御代田にある森泉山の森林における土壌の汚染は(頂上付近のホットスポット周辺の1万ベクレル/キロを除けば)だいたい400ベクレル/キロで、東京の平均的な汚染レベル(私が勝手に「レベルC」と呼んでいる)に近い放射能汚染の程度だ。
森泉山の山頂よりちょっと下の森(この地図のB地点)で採集した土の汚染スペクトル

今回測定された御代田の野生キノコは630ベクレル/キロを示したというから、御代田の森に染み込んだセシウムを生物濃縮している可能性がある。こういうキノコを食べるということは、死の灰で汚染された森の土をそのまま食べるのと同じことになってしまうから、地域の住民は注意しなくてはならない。

しかし、よく考えれば、東京のほとんどはレベルC(300から500Bq/kg)以上だから、そういう場所でつくられる農作物を気持ちよく食べることは可能だろうか?もちろん、吸収係数が低ければ「問題は小さい」だろうが、「死の灰」を摂取していると思うだけで吐き気をもよおす人は少なくないだろう。また、securitytokyo.comが報告しているように、柑橘類やお茶などは結構セシウムを土壌からよく吸い込む性質があるような気がする。御代田の問題は、東京の問題と同じではないだろうか?

ちなみに、御代田から佐久平に下ると急速にセシウム汚染は軽減する。少なくとも、私が行った森泉山の麓の畑の土の測定では、そういう結果になった。(そういえば、この場所のスペクトルをまだ発表していなかったので、ここに貼っておこう。)
御代田の森泉山の麓の畑の土壌(この地図のA地点
セシウムのピークは見えるが非常に低い。
ところで、関東周辺で発生した8000Bq/kg以下のセシウムを含む焼却灰を、最終埋立処分をしていることで「有名な」産廃業者「フジ・コーポレーション」は、御代田のこの場所からほんの数キロ離れた、小諸/佐久の境界線上にある。神様がせっかく100Bq/kg以下に抑えてくれた土地に、8000Bq/kgの汚染「死の灰」をわざわざもってきて埋め立てるとは....

とにかく、「死の灰」の処分に困っている汚染地域の自治体は、「死の灰の輸出」にやっきになっているから、いったん処分を受け入れれば次から次へと絶え間なく「死の灰」を送りつけてくる。どんなに広い処分場でも、1年以上も経てば、信州の埋め立て地も一杯となってくる。その関連で、最近悪い噂を聞いた:どうも、小諸市は、一杯になった「埋め立て地」を、「埋め上げ地」に変更する許可を出すことを検討しているというのだ!

これは、周辺の土地を買い上げて埋め立て地に用途変更するのが難しいと感じた業者と自治体が、一杯になった埋め立て地を盛り上げて、さらに「死の灰」を引き受け、儲けようと考えていることを意味している。その高さは、なんと7メートル! いっそのこと、死の灰で作るピラミッドかなにかにして、佐久平の観光名所にでもしたらいいだろう。というのは皮肉だが、そんな「埋め上げ」なぞ前代未聞の放射能物質の処理方法だ。科学的にも危険きわまりないし、法律だってそれは認めてないだろう。無知な小諸/佐久の自治体に、地元の住民は健康を害され、殺されないないよう、今のうちに反対しておく必要があろう。