美山というところへいくため、途中で山岳ルートに(後で考えると無謀にも)入った。京都の北方にこれほどの山間地(京丹波?)が広がっていることを知り、非常に驚いた。信州の山々のような高山地帯とはちょっと違う。切り立った「里山」というべきか?「奥山」という雰囲気が近いだろうか?
おくやまに もみぢふみわけ鳴く鹿のこの歌がまず頭に浮かぶほど、古典的な風景が残っていて感銘を受けた(京都はまだ暑かったけれど)。
声きくときぞ 秋はかなしき
目で見れば絶壁に近いような斜面に杉の森が林立し、所々に岩盤が顔を出して大きく崩れている。斜面に張り付く、つづら折りの細い道が延々と続き、薄暗い森の中を、頂きに登っては、谷に下る繰り返し。驚いたことに、谷間に降りると茅葺き屋根の民家が連なって集落を成している。学校はどこに通うのだろうか?買い物はどうしているのだろうか?この細い道が大雨や土砂崩れなどで寸断されれば、簡単に孤立してしまうだろう。余計なお世話だろうが、つい心配してしまった。
美山町は、そんな集落の中でも(おそらく)最大規模の集落で、比較的開けた場所にあった。とはいえ、「切り立つ里山」から流れ下る瀧の風景などと共存しているのを見れば、それは決して通常の意味での「開けた場所」ではないことは明らか。それにしても、並び立つ茅葺き屋根は圧巻の眺めだった。日本昔話の風景が現存しているといっていいだろう。すばらしい!
美山(知井地区)の風景 |
美山を後にして鯖街道へと戻る。江戸の昔、海から遠い京都の人が、魚料理を楽しむために、福井の若狭湾で獲れた鯖を塩漬けにして運び入れ、それを押し寿司にして楽しんだとか。京都では、お祭りやおめでたいことがあると、鯖寿司で祝うというから、今で言うデコレーションケーキみたいなものなんだろう(ローソクは立てないだろうが)。京都には「鰊蕎麦」というのもあって人気がある。これも甘露煮の魚を蕎麦に入れたもので保存食のひとつ。ただ、こちらは明治に発案されたものだとか。(鯖寿司が考案されたのは江戸時代のことで、その店はまだ続いているらしい。「祇園いづう」がそれにあたるらしい。駅の出店で買って食べてみた。ちょっと塩っぱめだが、さすがにおいしい。でも、一人前とはいえ、一本全てを一人で食べるのはちょっときつかった。鯖寿司は食べ過ぎるべからず。)
鯖街道沿いには、鯖寿司を売る店がちらほらあった。その中でも、朽木の旭屋は人気があるそうで立派な店構をしている。セシウムやストロンチウムの海洋汚染のせいで、関東以北の太平洋の魚はもうちょっと食べる気がしないだけに、京都に来たらさぞうまい鯖寿司が食べられると思って楽しみにしていた。ところが、鯖街道の店々で話を聞いてみると、現在出回っている京都の鯖寿司の多くは、千葉の鯖を使っていると聞いて驚いた。京都の名産鯖寿司は、福井小浜の鯖じゃなければ、一体全体なんだというのだろう?「いづう」の鯖は九州のものだという。いづれにせよ、福井の鯖はいったい全体どこにいってしまったのだろう?
調べてみると、若狭湾の鯖の漁獲高は1970年から1990年にかけて激減し、未だに回復してないという。「いづう」のホームページには乱獲が原因だとあるが、別の文献には温暖化による海水温の上昇が原因かもしれないとあった。この文章を読んで、はっと思いついたことがある。若狭湾の原発、すなわち大飯、高浜、敦賀、そして「もんじゅ」による環境破壊の可能性だ。日本の原発が海岸に建設されるのは、海水を冷却水として使うからで、その結果大量の温水を海に投棄する。
この文書を読むと、原発から排水される温排水によって7度ほど海水温は上昇するという。海水温はだいたい平均20度前後だそうで、それを30度程度にして海に戻す。原発の熱効率は非常に悪いのは有名で、大量の温排水がなされることが、この文書にも記述されていた。つまり、原発は、放射能汚染だけなく、温排水でも環境破壊を行っている。Wikipediaには、「平均海水温が3℃上昇するだけで、東京湾に生息する魚類が熱帯魚になる」とある。7度の海水温上昇というのは、魚にとっては想像を絶する温度上昇なのだろう。
若狭湾で鯖が獲れなくなり始めた1970年から1990年にかけて、大飯原発は建設された。大飯1、2号機は1979年に、3号機は1991年、そして4号機は1993年に稼働を開始した。(若狭湾の鯖の漁獲量の減少が始まったのは、こちらの文献では1990年ころとあり、こちらの文献では1970年後半(昭和50年以降)とある。)大飯原発だけでも、4基もの原発が大量の温排水を若狭湾に流し込んで来た。加えて、高浜、敦賀、もんじゅも若狭湾にはある。これでは、20度以下の冷温を好むという鯖にとってはたまったものではないだろう。
現在の鯖街道は、残念ながら廃れているように見える。沿道の鯖寿司屋は、1、2の例外を除けば、けっして繁盛しているようには見えない。街道を走るのは、主に大型のダンプカーで、それは無機質な感じで隊列を成し轟音を響かせて走行している。この風景を見れば、江戸当時の鯖街道の情緒はまったく失せてしまった、と感じる人は多いだろう。この原因は、福井の鯖の激減にある。そして、その激減の理由のひとつとして、福井の原発群があげられる可能性は非常に強い。特に、小浜の海を温排水で破壊する大飯原発が、大きな癌になっている可能性は否定できないだろう。京都の人は文句をいうべきだと思う。
なんなら、大飯原発をしばらく止めてみて、鯖が戻ってくるかどうか実験してみたらいいだろう。実は、今がいいチャンスではないだろうか?(大飯原発が2基再稼働してしまったとはいえ、以前に比べれば今年の温排水の量は少ないはずだ。今年の方が、今までよりも鯖の漁獲高が多くなったとしたら、原発と鯖には関連性があると言わざるをえないだろう。)
鯖街道沿いには、鯖寿司を売る店がちらほらあった。その中でも、朽木の旭屋は人気があるそうで立派な店構をしている。セシウムやストロンチウムの海洋汚染のせいで、関東以北の太平洋の魚はもうちょっと食べる気がしないだけに、京都に来たらさぞうまい鯖寿司が食べられると思って楽しみにしていた。ところが、鯖街道の店々で話を聞いてみると、現在出回っている京都の鯖寿司の多くは、千葉の鯖を使っていると聞いて驚いた。京都の名産鯖寿司は、福井小浜の鯖じゃなければ、一体全体なんだというのだろう?「いづう」の鯖は九州のものだという。いづれにせよ、福井の鯖はいったい全体どこにいってしまったのだろう?
調べてみると、若狭湾の鯖の漁獲高は1970年から1990年にかけて激減し、未だに回復してないという。「いづう」のホームページには乱獲が原因だとあるが、別の文献には温暖化による海水温の上昇が原因かもしれないとあった。この文章を読んで、はっと思いついたことがある。若狭湾の原発、すなわち大飯、高浜、敦賀、そして「もんじゅ」による環境破壊の可能性だ。日本の原発が海岸に建設されるのは、海水を冷却水として使うからで、その結果大量の温水を海に投棄する。
鯖街道でつなぐ福井の若狭湾と京都、そして原発の位置の関係。 小浜で水揚げされた若狭湾の鯖を塩漬けにして京都に運んで 寿司にしたのが、本来の「京都の鯖寿司」。 現在は、千葉や九州、さらにはノルウェー産の鯖でつくるらしい。 |
若狭湾で鯖が獲れなくなり始めた1970年から1990年にかけて、大飯原発は建設された。大飯1、2号機は1979年に、3号機は1991年、そして4号機は1993年に稼働を開始した。(若狭湾の鯖の漁獲量の減少が始まったのは、こちらの文献では1990年ころとあり、こちらの文献では1970年後半(昭和50年以降)とある。)大飯原発だけでも、4基もの原発が大量の温排水を若狭湾に流し込んで来た。加えて、高浜、敦賀、もんじゅも若狭湾にはある。これでは、20度以下の冷温を好むという鯖にとってはたまったものではないだろう。
現在の鯖街道は、残念ながら廃れているように見える。沿道の鯖寿司屋は、1、2の例外を除けば、けっして繁盛しているようには見えない。街道を走るのは、主に大型のダンプカーで、それは無機質な感じで隊列を成し轟音を響かせて走行している。この風景を見れば、江戸当時の鯖街道の情緒はまったく失せてしまった、と感じる人は多いだろう。この原因は、福井の鯖の激減にある。そして、その激減の理由のひとつとして、福井の原発群があげられる可能性は非常に強い。特に、小浜の海を温排水で破壊する大飯原発が、大きな癌になっている可能性は否定できないだろう。京都の人は文句をいうべきだと思う。
なんなら、大飯原発をしばらく止めてみて、鯖が戻ってくるかどうか実験してみたらいいだろう。実は、今がいいチャンスではないだろうか?(大飯原発が2基再稼働してしまったとはいえ、以前に比べれば今年の温排水の量は少ないはずだ。今年の方が、今までよりも鯖の漁獲高が多くなったとしたら、原発と鯖には関連性があると言わざるをえないだろう。)
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