2014年8月28日木曜日

まさかの代々木公園(デング熱)

デング熱に感染した埼玉の患者は、実は代々木公園で蚊に刺されていたことが判明。しかも、患者の友人2人も一緒に代々木公園に行って蚊に刺され、デング熱に感染していたとも! 

NHKのニュースでは、ものものしい格好をした人たちが代々木公園の一部を閉鎖し、消毒液をまき散らしている姿が映像で流された。

代々木公園はNHK放送センターの真後ろだけに、NHK職員自身がもっともビビったんじゃないだろうか?(東京在住の人でも、代々木公園にいかない人たちはあまり怖がってないんじゃないだろうか?)もちろん、実は代々木公園は氷山の一角で、東京の広い範囲でデング熱のウイルスは蔓延していた...なんてことが出てくるとパニックになるかもしれないが。そうはならないことを祈るのみ。

西日本はマダニ...

昨晩のNHKニュースで、マダニが媒介するSFTSウイルスによって、山口を中心とする西日本で死者が出ている、という報道があった。

有効な治療薬がないそうで、自分の免疫がウイルスより強いか弱いかで、罹患者の運命は決まるらしい。「負けた」場合は大変な苦しみを受けた後に死んでしまうが、生き延びるにしても失明したりなど、大きな障害が残ることもあるようだ。

温暖化の影響でまずは気温の高い西日本でoutbreakしたのかと思ったのだが、東北や北海道でもSTFSウイルスを保有したマダニは発見されているとのこと。全国に広がるのは時間の問題かもしれない。都市部でも、ペットを通じての感染があるそうなので、外飼しているネコやイヌには気をつけないといけないのだろう。先週の広島の土砂災害で注目されたような、山を切り開いて開発した近郊住宅地には、イノシシや狸、キツネ、さらには猿、クマなどが出没する。これらの動物が山奥からマダニを都市部周辺に連れてくるそうだから、市街に住んでいるから安心というわけにはいかないようだ。

マダニにデング...これにマラリアが加わったら、おちおち半袖短パンで散歩もできない日がやってくるかも。まいった。(エボラだけは当分来ないとは思うが....)

ちなみに、エボラに関しては、英国人医師が感染して、ロンドンに緊急搬送されたという報道が先日あった。また、ZMappを投与したアフリカ人医師は死亡したとの報告もある。(アメリカのケースでは、回復したらしい。)闘いは続いている。

2014年8月27日水曜日

デング熱への感染、埼玉にて発生。

埼玉でデング熱への感染が発生したとの報。エボラのことにかまけている場合ではなかった...
主に東南アジア諸国で蔓延しているこの伝染病だが、海外旅行にいったときに感染するケースは年に200件ほどはあるのだという。そういう意味では関東の医者たちはデング熱の症状には比較的習熟しているのかもしれない。

しかし、今回デングに感染した人は海外渡航した経験がないという。国内での感染は70年ぶりだとか。地球温暖化や、東京の熱帯化により、デング熱のウィルスが関東でも生き延びてしまう可能性が高くなったということだろうか?マラリアの上陸が長らく噂されているだけに、その前兆とならねばよいのだが。

2014年8月12日火曜日

Ebola outbreak: 今度はヨーロッパ人(スペイン)

リベリアで救済活動に参加していたスペイン人の牧師がエボラ出血熱に感染した。この牧師は治療のため、先週木曜、飛行機でマドリードまで搬送された。ヨーロッパにエボラ出血熱の患者が入ったのはこれが初めてだという。アメリカからZMappが届けられ、このスペイン人に処方されることになっていたが、さきほど死亡したという。ただ、ZMappを服用したのか、しなかったのかについては確認がとれていない、と英紙Guardianは伝えている。

カトリック教会が派遣し、アフリカで活動していた牧師の内、エボラに感染したのは3人。残りの2人はアフリカ出身者だという(ガーナとコンゴ)。この二人はアフリカに留まって治療を受けていたが、今日までに死亡したことが確認された。ZMappを服用することも、投与する予定もなかった。

「白人だけ(欧米人)がZMappを利用できるのか」というアフリカの人々の怒りは最高潮に達しているようで、WHOは、臨床試験薬に過ぎないZMappのアフリカ導入を先ほど決定した。最初にリベリアで試すらしい。果たして、吉とでるか凶とでるか?

もし、ZMappを服用したのにスペイン人牧師が死亡したとすれば、この薬の効能は限定的ということになるから、失望がアフリカに広がるだろうが、一方で彼らの怒りのもとである不公平感は消えるだろう。ほんとうに難しい状況になってきた。

ちなみに、日本からの救援団は感染中心地帯から一時退避することになったと聞いた。エボラの蔓延する地域はこれで見捨てられなければよいのだが...(ゾンビ菌にやられて閉鎖された、未来都市が舞台の映画を思い出してしまった)。

2014年8月11日月曜日

Ebola outbreak: エボラ伝染病の治療薬

西アフリカで、エボラ出血熱という伝染病が手の付けられない状態になった、というWHOの宣言が最近あった。これまでに1000人近くの患者が死んでいる。今回の伝染病の蔓延(outbreak)に関しての死亡率はこれまでのところ50%という。

先日大学からの帰り道に聞いていたAFNで、エボラ出血熱のことばかり取り上げていたので、どうもおかしいと思って耳を澄ますと、救援のためにアフリカに駆けつけたアメリカ人医師がついに感染してしまったという。これまではアフリカに住む現地人の犠牲者ばかりだった。感染者は特別機でアメリカ国内に搬送され治療を受けている、というところまで聞いたが、そのときは「致死率90%近くのこのウイルスに罹患したら、治療もなにもあったもんじゃない。ただ、隔離措置して終わりじゃないだろうか?」と思っていた。

ところが、家に帰ってNYtimesの記事を読んで驚いた。なんとアメリカは密かにエボラ出血熱の治療薬を作成していたのだ!ZMappと呼ばれるこの薬はまだ実験段階で、使用は承認されてないそうだが、「いま使わずにいつ使うのだ?」とばかりに、感染患者に投与され、しかも効果が出ているらしい。研究者たちは「効果があるかどうか結論づけるには、まだ時期尚早」と慎重なコメントを出しているらしいが、もしかするとエボラ出血熱にかかっても、アメリカの現代医学なら、もしかしたら治療してしまうかもしれない。すごい...
(新聞には、感染者は2人とあり、2人ともZMapp投与後、症状は安定しているという。)

ただ、この薬を開発した薬品会社MappBioの従業員はわずか9人、しかもその資金のほとんどが軍からの出資だということで、アメリカ人たちはその胡散臭さに神経を尖らせている。アメリカ人だけ助かって、アフリカ人は見殺しにされるのか?といった論調も出ているようだ。オバマは「まだ承認されていない薬だから、広く適用するわけにはいかない」といっているようだ。また、実験段階にあるため、大量生産の体制ができておらず、数に限りがあると製薬会社は言い訳している。

NYtimesによれば、ZMappの生産方法は次の通り。エボラウィルス蛋白をマウスなどに注射し、これに反応して発生した抗体を回収。回収された抗体は、人間に適合するように遺伝子操作される。この遺伝子は、(植物としての)タバコの葉に埋め込まれる。こうして植物が生産する「人間向けに遺伝子操作されたネズミの抗体」が、葉の成分となって「収穫」され、薬品へと精製される。このタバコ(植物)は厳重に管理された研究室の中のみで栽培されていて、花粉や種のみならず、植物自体が外部の畑に漏れ出さないように注意深く管理されている。実は、このやり方は、以前トウモロコシなどに適用しようとしたらしいが、一般の食品用途のトウモロコシが遺伝子汚染を起こす可能性があるとされ、研究続行が棄却されていたのだ。しかし、それを軍が資金援助することで、密かに研究を続行させていたらしい。タバコという、ちょっと変わった作物に適用することで、遺伝子汚染を最小限に食い止めようとしたのかもしれない。

いずれにせよ、いままで「治療薬もワクチンも存在しない、致死率90%の、死の伝染病」と言われ、恐れられたエボラ出血熱だが、「金持ちには治療薬が用意」されてあると知って、非常に驚くと共に、いささかやり切れない気分になった。しかし、STAP細胞で「もめてる」日本の医薬界のレベルは、アメリカに比べて圧倒的に低い所で這いつくばっている感じもあり、米国の恐ろしさにおののく前に、恥ずかしさも感じた次第なり。

とはいえ、西アフリカに飛んで、エボラと闘う日本人医師もいると聞いた。彼らの勇気と高い能力に敬意を表したい!

2014年8月10日日曜日

明治時代の古地図をgoogle earthで見る

(独立行政法人)農業環境技術研究所という、農林水産省の管轄の団体が公表している地図データ(kml)。明治期の土地利用図をgoogle earthで閲覧することができる。

「自分の買ったマンションが実は昔の水田の上に立っていた!」とかいうことが起きないように、昔の様子を調べておくのは無駄ではないはず。

ちなみに、駒場周辺の地図を見てみたら次のようになった。

上が現在の詳細な地形図、下が明治中期のころの土地利用図。
赤い×や青色の印が付いている場所は、以前土壌サンプルを採取して放射能汚染を調べた地点。
この頃の駒場には「駒場農学校」というのがあった。現在の東大農学部、および東京農業大学の前身だと思う。現在、東大駒場キャンパスの東端にある(いわゆる)「一二郎池」の脇に校舎が配されていたようだ(その当時の写真はこちらで見ることができる。)一二郎池の湧水を利用した池には魚が養殖され、研究されていたらしい。この辺りは現在の「炊事門」外側で、現在は埋め立てられて住宅地(もしかしたら数理科学の敷地にかかっているかも)となっている。

現在の駒場キャンパスの中心部分がある高台の部分は、この地図が作成されたころは牧草地となっていて、その周辺には広大な農場(畑)が広がっていた。現在の銀杏並木のある真っすぐな道は、この農場を貫く直線路で、それは駒場公園にある旧前田公爵邸まで伸びていた。

現在は野球グランドやテニスコートがある、駒場キャンパスの西端の部分はなぜか一段低くなっていて、在学中にはちょっと不思議に思っていたのだが、それは、ここが明治の頃までは、小川の流れるちょっとした谷間だったからであることが古地図から判った(!)。現在の15号館と16号館の建物の接合部などに大きな亀裂が縦に入っているのは、この場所が谷を埋めた「盛り土」になっているからに違いあるまい。また、テニスコートの先の「坂下門」の横には小学校があって、その脇には今でも湧水があり、そこより流れ出る水は、かつての小川の名残りなのかもしれない。銀杏並木から前田邸に続く道は、この谷を横切って続いていた。現在は「西門」のところでちょっと折れ曲がりつつも、以前の直線道の名残りが確認できる(公園に抜ける道がある)。

この谷の出口となっている場所には井の頭線の踏切があって、その下には現在も水田がある(!)。これは駒場農学校の実験水田の名残りらしい。この水田は現在は近場の学校に通う学生やら、皇室の行事やらで使われていると、たしか駒場野公園入り口の看板に書いてあったのを昔読んだ記憶がある。

目をキャンパスの北側に向けると、山手通りに相当する場所には大きな道は明治期にはなく、「けものみち」か農家の使う小径のような小さな道しかない。そのさらに北側には、東京でも有数の高級住宅地の松濤が現在はあるが、そこは明治の頃はなんと茶畑であった!鍋島公園を囲むこの台地は、江戸時代には徳川家の屋敷があったが、そこを鍋島氏なる九州の士族が明治になって商売を企んで買い上げて茶畑とした、と渋谷区のホームページに説明があった。その茶の商品名が「松濤」だったということ(!)は、今回初めて知った(Chez Matsuoのある場所も茶畑だったのだ、きっと)。茶のよく育つような高台にあるのだから、松濤はきっと地震に強い、地盤のよい場所ではないだろうか?

2014年8月8日金曜日

缶詰の収納箱を作る

缶詰を入れる収納箱を「自作」した。箱といっても、取り出しやすく、またラベルが確認できるように、骨組みだけの簡単なもの。台風のせいで雨降りが続く中、夏休みに入ってこれが最初の「成果」なり。
自作した缶詰「収納箱」
材料費は(ネジも入れて)2000円...これに木材カット代1000円を入れると、トータルで3000円もしてしまった...原因は細い板。杉材で1820x14x14のものが600円もする。今回はとにかく「カネには糸目をつけずに」製作したので、仕上がりはよいのだが、割高になってしまった。

これからは、仕上がりの性能と値段とを天秤にかけて、コストパフォーマンスがよくなるように設計する必要があると感じた。「NASAの研究プロジェクトの計画とか、予算と成果のバランスが大事になるんだろうな」などと思った次第。

製作時間も結構ばかにならない。構想に60分、買い物に60分、そして工作に60分...なんと3時間も使ってしまった。まあ、経験値が低いので、いた仕方ないところ。

2014年8月4日月曜日

「ファインマン物理学II 光、熱、波動」

ファインマン、レイトン、サンズ著(富山小太郎著)
岩波書店(1968年)

富山先生は物理学者であり、確かに格調高い翻訳になっている。読んでいて楽しい。しかし、やはり訳がよくわからないところがあちこちに見受けられる。該当する場所を原著で読んでみると、「なーんだこういうことか!」とすっと頭に入ってくる。

例えば,「1-5 フェルマーの原理のもっと正確ないい表わし方」において、ラジオ波の波長に比べて、隙間の大きさが短いときに回折現象が生じる説明がある。この部分の翻訳を読むとなんのことなのかよくわからない。もちろん、なんとなく何を言いたいのかはわかるのだが、英文を読んだ時の明瞭さといったら、「目から鱗が落ちる」といったら語弊があるが、霧がすーっと晴れてもボンヤリ影のようにしか見えなかった古城とその庭園の花々の姿がさーっと色鮮やかにその姿を眼前に表したときの感激に似ている。

どうも意訳が多いようで、ファインマンの書いた文章の機微を重視するというよりは、物理的な内容の正確さを優先している。その結果、「ファインマンの」というよりも、「富山先生」の講義になってしまっているような感じだ。これもやはり、原著で読むべき作品だと思った次第。

「宇宙の謎:65の発見物語」

ポール・マーディン著(富永 星訳)岩波書店(2012) 4800円

原著と寸分違わぬレイアウト!写真も、ページ数も。随分苦労して翻訳したはずだ。これはすごいことだと思う。

しかし、肝心の訳の内容があまりよくない。これは「短く訳そうとしたせい」だけではないと思われる。細かい点を書くと時間がたりないので、まずはこの間違いだけ指摘しておこう。212ページにアンドロメダ銀河までの距離を「2500万光年」と訳しているが、正しくは250万光年だ。この数字は天文単位(地球と太陽の距離)に匹敵するほど重要だ。というのは、有名なシャプレーとカーティスの「島宇宙論争」で非常に重要な役割を果たしたからだ。できればなるべく早いうちに直しておくべきだろう。(ちなみに原典では正しい数字が書かれている。)

また、天文学者が訳していないので、拡張高いマーディン先生の英語の感じがうまく取り込めていない。その辺の学生が目一杯背伸びして、格好付けて、訳したような感じになっている。アカデミックに勉強したい人は、絶対に原著を手に入れるべし。

2014年8月2日土曜日

"Philosophical Magzine"は物理の専門誌

キルヒホッフの法則を述べた、キルヒホッフ自身の論文はドイツ語で書かれている。これはネットでもダウンロードできるのだが、ドイツ語が読めない人間には無用の長物である。英訳はPhilosophical Magazineにあるというのだが、この雑誌はあまり今まで見たことが無い。ネットで引くと、現在は物性と凝縮体の物理研究の論文を取り扱っているようだ。

この雑誌、かつてBoseの論文をrejectした雑誌だったことが判明。Boseのアイデアをまとめた論文は日の目を見ずに終わる所だったのだが、Bose自身がEinsteinに直訴する形をとったところ、すぐにアインシュタインはその価値を見抜いて、英語からドイツ語に翻訳してZ.Physに投稿し、即座にAcceptされたという逸話がある。これがBose-Einstein condensateの最初の論文となったわけだ。