Steven Weinbergの一般向け書籍の名著。この本に啓蒙されて、宇宙論/素粒子論に進んだ科学者はかなりの数にのぼると思う。和訳は小尾信彌(天体物理学者)で、ダイヤモンド社から1977年に初版本が出ている。原著も1977年出版なので、そうとうなスピードで翻訳したと思われる。(最近知ったのだが、1993年にWeinberg本人による改訂版が出版されている!これは是非買って読まねばならぬ。こちらの方はまだ翻訳がないようだ。)
もう何度もこの本は読んだ。最初に読んだのは学部時代(確か3年のとき)。一応読み通したものの随分苦労した。(実はずっと後になって気づいたのだが、和訳にちょっと難があって初心者にはわかりにくいのだ。)次は大学院に入ってから。物理の基礎が随分固まって来ていたので、なんとか理解できたが、それでもまだ浅い理解だったと思う。英国の大学に就職してからは2回程読んだ。このころになると、素粒子論の理解が随分進んでいたので、和訳のおかしいところなども含めてかなり深いところまで理解できた。そして、今、再度読み直しているのは、実は教科書執筆のため。
今回読んで理解を深めたのが、膨張宇宙論の意味だ。
人間は元来定常宇宙論が好きで、古の宇宙模型はたいてい定常型。その究極の例は、アインシュタインが相対論に付け足した宇宙項だろう。これは、自分のつくった一般相対論が膨張宇宙解を出さないように、「人為的に」付け足した項だ。後年「人生最大の失敗」といって取り下げると同時に、ひどく反省したという。アインシュタインですら、最初は定常宇宙論の虜であったということだ。
定常宇宙論は非常に心が安らぐ。宇宙は不変で、過去も未来もずっと同じ世界が続くことが補償されているからだ。(実は、日本の戦後60年も、似たような感じがあったと思う。この平和がずっと続くと勘違いしてしまった。しかし、変化はある日突然やってくるもの。大地震、大津波、大噴火、大竜巻、大雨、などなど、自然が大きく変化すると人間の心の平安は粉々に砕かれてしまう。)
哲学的あるいは宗教的には、膨張宇宙論は確かにそれなりの意味がある。しかし、物理的な意味はもっと深くて単純だ。それは、膨張宇宙を認めると、宇宙の「温度」が必ず時間と共に下がるということだ。(これはつまり、宇宙の歴史は、時間に沿って記述しても、温度に沿って記述しても、どっちでもよいということ。)温度が下がると、相転移が起きる、粒子の生成消滅の様子が変わる、多体束縛系(原子核や原子)が出来る、星ができる、銀河が出来る、と行った具合に、様々な「構造変化」が可能になる。つまり、宇宙の多様性の源は膨張宇宙にある、といってもよいだろう。一様で不変な宇宙は、きっと飽き飽きするような簡単な構造(いわば地平線の続くアメリカ中西部の景色のようなもの)で、三陸海岸や英国海岸のような多様性は生まれないはず。
もちろん、ビッグバンは劇的な現象で、それ自身が興味深い。しかし、そのエネルギー密度が無限大で、そこから全てが生まれることを約束するのは、単衣に膨張する宇宙という事実に他ならない。いわば、ビッグバンは二次的なものであり、膨張宇宙の方が本質だ、という意味だ。
2011年5月7日土曜日
浜岡原発の停止!
どう考えても矛盾だらけだった浜岡原発に、やっと運転停止要請が出された。総理大臣の政治判断だ。ぐじゅぐじゅ言ってる産業界は問題外。やっと民主党に投票した見返りがあったと思う。こういう政治をどんどんやってほしい。
昔から皆んな知ってたのは、御前崎は東海地震の予想震源域のど真ん中にあること!
この予想は政府機関(文科省)のものだから、浜岡原発は30年以内に大地震に遭遇する、と国は認めている訳だ。にも関わらず、今までの自民政権は「安全です」キャンペーンをずーっとやってきた。論理が壊れてる。(「巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしても、ほんの少しバレてるその黒い腹。」という歌があった。寮の仲間と、下北沢のレコード屋に行って、みんなで買ったのを思い出した。)今回の原子炉停止命令は、政権交代したおかげだ。
これからは、人間の幸せを犠牲にして、モノを売りさばく「豊かさ」の追究ではなく、北欧のように知的で質の高い「幸せ」を追究すべきだと思う。
さて次は、柏崎の原発だ。フォッサマグナの活断層の真上に原発つくるなんて、「なにいってんだーやめときなーいくら理屈をこねても、ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ」ってなもんだ。
坂本龍一がこういう活動やってるのは、やっぱりRCサクセションの影響があるからなんじゃないだろうか?
昔から皆んな知ってたのは、御前崎は東海地震の予想震源域のど真ん中にあること!
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| 独立行政法人防災研究所(要は国立研究所のこと)の予測地図。 今後30年の間に震度6強以上の大地震が 起きる確率の高い地域は赤く塗られている。 |
この予想は政府機関(文科省)のものだから、浜岡原発は30年以内に大地震に遭遇する、と国は認めている訳だ。にも関わらず、今までの自民政権は「安全です」キャンペーンをずーっとやってきた。論理が壊れてる。(「巧みな言葉で一般庶民をだまそうとしても、ほんの少しバレてるその黒い腹。」という歌があった。寮の仲間と、下北沢のレコード屋に行って、みんなで買ったのを思い出した。)今回の原子炉停止命令は、政権交代したおかげだ。
これからは、人間の幸せを犠牲にして、モノを売りさばく「豊かさ」の追究ではなく、北欧のように知的で質の高い「幸せ」を追究すべきだと思う。
さて次は、柏崎の原発だ。フォッサマグナの活断層の真上に原発つくるなんて、「なにいってんだーやめときなーいくら理屈をこねても、ほんの少し考えりゃ俺にもわかるさ」ってなもんだ。
坂本龍一がこういう活動やってるのは、やっぱりRCサクセションの影響があるからなんじゃないだろうか?
2011年5月5日木曜日
連休の地学散歩
フォッサマグナはかつて海峡だった。そのど真ん中にあった大きな島が、現在の関東山地だという。その西の縁に当たるかつての「浜辺」は、現在、信州の山奥にある。八風山近くのとある山に今日は出向いてみた。珊瑚の化石がでると聞き、浮き足だったのだが、今日は採集せず現地の様子見をするだけにした。
小さな渓流に沿って谷をつめていく。谷が分かれ、山に囲まれる。露頭を見ると凝灰岩、特にこの辺りはグリーンタフ(緑色凝灰岩)が目立つ。この岩石は火山灰等の堆積物だが、特に海に降り積もったものと言われている。海水のミネラル成分によって色が緑色になったのだろうか?軽石風の凝灰岩や、大谷石などと違って、ここのグリーンタフは結構固い。キメも細かく、薄い緑色がとてもきれいだ。
凝灰岩の上にあるのが砂岩の地層で、ここから海の生物の化石が出るらしい。今日は、真っ黒で固い砂岩が川沿いに転がっているのだけを確認した。しかし、この砂岩は固すぎて、化石は含んでいる様には見えなかったが。
砂岩の地層の上が溶岩。節理が進んでおり桂林に似た奇岩風景を形成していた。(もっとも、桂林の山は石灰岩で、かつての珊瑚礁だと思うが。)いつか登ってみたい。
小さな渓流に沿って谷をつめていく。谷が分かれ、山に囲まれる。露頭を見ると凝灰岩、特にこの辺りはグリーンタフ(緑色凝灰岩)が目立つ。この岩石は火山灰等の堆積物だが、特に海に降り積もったものと言われている。海水のミネラル成分によって色が緑色になったのだろうか?軽石風の凝灰岩や、大谷石などと違って、ここのグリーンタフは結構固い。キメも細かく、薄い緑色がとてもきれいだ。
凝灰岩の上にあるのが砂岩の地層で、ここから海の生物の化石が出るらしい。今日は、真っ黒で固い砂岩が川沿いに転がっているのだけを確認した。しかし、この砂岩は固すぎて、化石は含んでいる様には見えなかったが。
砂岩の地層の上が溶岩。節理が進んでおり桂林に似た奇岩風景を形成していた。(もっとも、桂林の山は石灰岩で、かつての珊瑚礁だと思うが。)いつか登ってみたい。
写真からも分かるように、木々の新芽が芽吹き始めている。谷川の入り口にあった小さな村は桜が満開だった。時折花びらが流れの方へ、はらはらと散っていく様は、夢の中のよう。遠くで鶯が鳴いた。
鶯や 散り落つ川の山桜
2011年5月4日水曜日
蟠桃(ばんとう)
蟠桃(ばんとう)を初めて食べたのは、10年程前、北京の市場で。絶品だった!学会の合間に、中国人の友人に連れらて、北京大学の近くにある市場にいった。彼が北京大学の学生だった頃、よくここで買い物をしたそうで、隅々までよく知っていて感心した。そこには、ひまわりの種やら、細長いメロンやら、見た事もないような食材が広大なスペースに並べられていて圧巻だった。その中から、友人が食べてみろと選んでくれたのが蟠桃だった。この平たい桃の旨い事!後で調べると、孫悟空が天界で盗み食いした「桃」とはこの蟠桃のことだった。納得だ。この「桃」最近では日本でも栽培しているという報道を信濃毎日新聞で知った。
欧米でよく食べるブドウを元に改良した品種「マニキュアフィンガー」もおいしそう。この種のブドウは皮ごと食べるのだが、私の好物の一つだ。初めて訪米した時、友人宅で食べたのが最初。蟠桃ほどの強烈さはなかったが、現地のスーパーに行く度に購入したものだ。英国に住んでいたときは日常的によく食べた。ただ、英国のスーパー(WaitroseやM&Sですら...)のものは品質が悪く、入荷直後(たいていは木曜の夜)でないと購入する気がしなかったが。
まだ、日本のスーパーに日常的に並ぶ程には普及していない両者。農家の皆さんにはがんばっていただきたい。
欧米でよく食べるブドウを元に改良した品種「マニキュアフィンガー」もおいしそう。この種のブドウは皮ごと食べるのだが、私の好物の一つだ。初めて訪米した時、友人宅で食べたのが最初。蟠桃ほどの強烈さはなかったが、現地のスーパーに行く度に購入したものだ。英国に住んでいたときは日常的によく食べた。ただ、英国のスーパー(WaitroseやM&Sですら...)のものは品質が悪く、入荷直後(たいていは木曜の夜)でないと購入する気がしなかったが。
まだ、日本のスーパーに日常的に並ぶ程には普及していない両者。農家の皆さんにはがんばっていただきたい。
2011年5月3日火曜日
フォッサマグナの東縁(=柏崎)
先日、川中島の博物館でフォッサマグナの勉強をした。博物館にあった参考書を買ったり、町の図書館で本を借りたりして読んでみた。驚いた事に、昔、中学や高校で習った事は誤りであることがわかった。ここにメモしておこう。
まず、中学で「フォッサマグナとは、糸魚川静岡構造線のこと」と習った。高校の地学では、プレートテクトニクスや地震のs波p波は学んでも、地域特有の事象は学ばないから、中学で教わった「フォッサマグナ=糸静線」の認識は改められぬまま今日まで来てしまった。しかし、今回の「勉強」で、この認識が誤りである事がはっきりした。(ちなみにWikipediaにもそういう記述がされている。)
まず、フォッサマグナの意味だが、これはラテン語で「大きな凹み」という意味で、ナウマンによる命名だという。糸静線一本だけでは断層とはなれど、凹みにはならない。凹みにするには、もう一つの「縁」が必要だ。フォッサマグナ(日本語で「大凹」と書いた方が誤解が少なかろう)の西の縁が糸静線。東の縁に関しては諸説あるようだが、大勢は「柏崎銚子線」と考えているらしい。
柏崎?東電の原発があるところじゃないか!しかも、中越地震とか大地震が頻発している場所である。このフォッサマグナの東縁は「生きている」ということだ。義務教育の社会科では「フォッサマグナ」を「大凹」だと強調すべきで、その東の縁が柏崎にあるということは、しっかり教えなければならないだろう。
さて、この「大凹」だが、数千万年前には、その凹みに水が流入しており、海だったそうだ。だから今でも長野県には貝とかクジラとかの化石がたくさんでる。また、千曲川の上流には、小海や海尻、海瀬なんて地名だってあるくらいだ。フォッサマグナの縁は断層になっているため、その巨大な崖が海から立ち上がり、西日本と東日本を2つの島に分けていたという。西縁の崖は今の飛騨山脈だ。
しかし、東の縁に関してははっきりとした断層が現在は見えない。たぶん、中越地震や、今回の大震災翌日に起きた長野県北部地震(栄村)などの大きな地震が起きている地域が、おそらく東縁に対応していると思われる。大震災の後、余震が関東方面を目指して南下しており、茨城、千葉でも結構大きな余震がこの一ヶ月間多発した。これはフォッサマグナの東縁の断層が(大震災に)反応しているからではないだろうか?
フォッサマグナが海だった当時の「東日本島」には「関東」は存在しなかった。この平らで標高の低い部分はまだ(フォサマグナの)海だったからだ。ただ、当時から残る「関東」もある。それが「関東山地」、つまり秩父や多摩の山々だ(甲武信岳から佐久地域に繋がる信州の山々も含まれる)。この塊は「島」だったという。つまり、東日本島と西日本島を隔てる海峡に浮かぶ、大きな島だったらしい。
兵庫や福岡で恐竜の化石が出て、福島いわきにアンモナイトや魚竜の化石が産出し、そして秩父にも恐竜の化石がでるのは、これらの地域が古い岩盤でできているからだ。一方、関東平野でとれる化石といえば、千葉でも神奈川でも新生代の貝類ばっかりで、現代の浜辺で拾える貝殻とほとんど同じ物が多いのは、これらの地域は「最近できた」新しい大地だからだ。
フォッサマグナの信州部分は八ヶ岳(や浅間山など)の火山活動で埋まっていった。また、大地の隆起もあって、次第に水が引いていき淡水化した。そこには日本最大の湖が形成され、その周りにゾウやマンモス、大型の鹿などが住み着いた。またその獲物を狙った旧人類もやってきた。信州に縄文時代の遺跡が多いのはこれが理由だろう。大和朝廷のあったところから遠く離れているにも関わらず、善光寺など古くから文化が発展したのも、昔からこの地には人が多く住んでいて、都市との交流が盛んだったからかもしれない。
この大きな湖の平らな湖底は、信州の盆地となった。ただし、八ヶ岳によって2つに分断されている。その東には千曲川が流れ、佐久上田長野の盆地がある。一方、西側には天竜川(諏訪湖)および梓川沿いに、伊那(諏訪)松本の盆地がある。信州の山奥に「平」があるのは、フォッサマグナの海/湖があった証拠といえよう。
まず、中学で「フォッサマグナとは、糸魚川静岡構造線のこと」と習った。高校の地学では、プレートテクトニクスや地震のs波p波は学んでも、地域特有の事象は学ばないから、中学で教わった「フォッサマグナ=糸静線」の認識は改められぬまま今日まで来てしまった。しかし、今回の「勉強」で、この認識が誤りである事がはっきりした。(ちなみにWikipediaにもそういう記述がされている。)
まず、フォッサマグナの意味だが、これはラテン語で「大きな凹み」という意味で、ナウマンによる命名だという。糸静線一本だけでは断層とはなれど、凹みにはならない。凹みにするには、もう一つの「縁」が必要だ。フォッサマグナ(日本語で「大凹」と書いた方が誤解が少なかろう)の西の縁が糸静線。東の縁に関しては諸説あるようだが、大勢は「柏崎銚子線」と考えているらしい。
柏崎?東電の原発があるところじゃないか!しかも、中越地震とか大地震が頻発している場所である。このフォッサマグナの東縁は「生きている」ということだ。義務教育の社会科では「フォッサマグナ」を「大凹」だと強調すべきで、その東の縁が柏崎にあるということは、しっかり教えなければならないだろう。
さて、この「大凹」だが、数千万年前には、その凹みに水が流入しており、海だったそうだ。だから今でも長野県には貝とかクジラとかの化石がたくさんでる。また、千曲川の上流には、小海や海尻、海瀬なんて地名だってあるくらいだ。フォッサマグナの縁は断層になっているため、その巨大な崖が海から立ち上がり、西日本と東日本を2つの島に分けていたという。西縁の崖は今の飛騨山脈だ。
しかし、東の縁に関してははっきりとした断層が現在は見えない。たぶん、中越地震や、今回の大震災翌日に起きた長野県北部地震(栄村)などの大きな地震が起きている地域が、おそらく東縁に対応していると思われる。大震災の後、余震が関東方面を目指して南下しており、茨城、千葉でも結構大きな余震がこの一ヶ月間多発した。これはフォッサマグナの東縁の断層が(大震災に)反応しているからではないだろうか?
フォッサマグナが海だった当時の「東日本島」には「関東」は存在しなかった。この平らで標高の低い部分はまだ(フォサマグナの)海だったからだ。ただ、当時から残る「関東」もある。それが「関東山地」、つまり秩父や多摩の山々だ(甲武信岳から佐久地域に繋がる信州の山々も含まれる)。この塊は「島」だったという。つまり、東日本島と西日本島を隔てる海峡に浮かぶ、大きな島だったらしい。
兵庫や福岡で恐竜の化石が出て、福島いわきにアンモナイトや魚竜の化石が産出し、そして秩父にも恐竜の化石がでるのは、これらの地域が古い岩盤でできているからだ。一方、関東平野でとれる化石といえば、千葉でも神奈川でも新生代の貝類ばっかりで、現代の浜辺で拾える貝殻とほとんど同じ物が多いのは、これらの地域は「最近できた」新しい大地だからだ。
フォッサマグナの信州部分は八ヶ岳(や浅間山など)の火山活動で埋まっていった。また、大地の隆起もあって、次第に水が引いていき淡水化した。そこには日本最大の湖が形成され、その周りにゾウやマンモス、大型の鹿などが住み着いた。またその獲物を狙った旧人類もやってきた。信州に縄文時代の遺跡が多いのはこれが理由だろう。大和朝廷のあったところから遠く離れているにも関わらず、善光寺など古くから文化が発展したのも、昔からこの地には人が多く住んでいて、都市との交流が盛んだったからかもしれない。
この大きな湖の平らな湖底は、信州の盆地となった。ただし、八ヶ岳によって2つに分断されている。その東には千曲川が流れ、佐久上田長野の盆地がある。一方、西側には天竜川(諏訪湖)および梓川沿いに、伊那(諏訪)松本の盆地がある。信州の山奥に「平」があるのは、フォッサマグナの海/湖があった証拠といえよう。
2011年5月2日月曜日
黄砂
季節外れだと思う。連休の空が黄砂で霞むなんて参った。軽井沢では視界が7m(長野では5m)になったと報道されていた。日中はそれほどでもなかったが、とにかく周りの山が白い霞の中にすっかり隠れてしまった。
不思議な事に、こんな状態でも、夜になると星が見える。前日の強風で邪魔された恨みあって、今日こそはいい写真をとってやるぞと力んでみるも、黄砂はやっぱり空に残っていて街の光を散乱し、目には映らぬ黄色い光を写真に残してまたも邪魔される。
不満足なのは黄砂の茫光のみならず、極軸のブレから長時間露光写真がことごとく失敗する。昨日は強風のせいにして極軸がずれたと言い訳したが、無風の今日も像が歪んでしまった。やっぱり極軸合わせが未熟なのであった。今日は、明るいうちに、極軸望遠鏡の微調整を再度やらないといけないと反省したのであった。
軽井沢の山は今スミレがきれいだ。ピンク色のふわふわした野草も見つけたが名前がわからない。ダンコウバイはさすがに散ってしまった。ツツジの蕾が膨らんで来ている。落葉松の芽吹きも徐々に始まっている。ここは初夏が一番きれいだと思うが、その季節に向けての準備は着々と進んでいる。落ち葉に覆われた山の斜面には、小さな木々の芽が無数に伸びて「林立」している。ウグイスが向こうの山で鳴いた。
不思議な事に、こんな状態でも、夜になると星が見える。前日の強風で邪魔された恨みあって、今日こそはいい写真をとってやるぞと力んでみるも、黄砂はやっぱり空に残っていて街の光を散乱し、目には映らぬ黄色い光を写真に残してまたも邪魔される。
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| 黄色く霞んだ連休の夜空:M104 |
軽井沢の山は今スミレがきれいだ。ピンク色のふわふわした野草も見つけたが名前がわからない。ダンコウバイはさすがに散ってしまった。ツツジの蕾が膨らんで来ている。落葉松の芽吹きも徐々に始まっている。ここは初夏が一番きれいだと思うが、その季節に向けての準備は着々と進んでいる。落ち葉に覆われた山の斜面には、小さな木々の芽が無数に伸びて「林立」している。ウグイスが向こうの山で鳴いた。
2011年5月1日日曜日
流星と蠍座のM4の観測
今日は曇りだったので、まさか星が出るとは思わなかった。今日は極軸合わせがなかなかうまく行かず、また風が強く、空気の状態はよかったのに、いい写真がとれなかった。観測ドームが欲しいと思ったのは、今日が初めてだ。M44,51,65,66,81,82,101,104、そして土星とひと通り全て写真に撮ってみたが、全部ボツ。
それでもいろいろとご褒美はあるものだ。一つ目は、烏座と乙女座の間にあるM104(ソンブレロ銀河)を狙っていたら、流れ星が3回ほど流れた。その内の一つが偶然写真に写っていた。
それでもいろいろとご褒美はあるものだ。一つ目は、烏座と乙女座の間にあるM104(ソンブレロ銀河)を狙っていたら、流れ星が3回ほど流れた。その内の一つが偶然写真に写っていた。
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| M104と流れ星 |
また、なかなか軸が合わず困っていると、蠍座が上がって来てしまった。夏の星座がもう観測できるとは思わなかったので、下調べ無しのまま、とりあえずアンタレスを撮ってみる事にした。現像してみたら綺麗な赤い恒星は当然写っていたが、もう一つのご褒美、星団らしきものも写っていた。調べると、7200光年先にある球状星団のM4だった。
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| アンタレス(左)とM4球状星団(右) 写真背景の「斑模様」は木の枝の影。 |
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