まずは、環境省の適正処理•不法投棄対策室のコメントが記事にあったので、引用しておこう。がれきの放射能測定は、部分的な測定で、いわゆるサンプル測定だ。これに関して、環境省は「サンプルを採取しなかった部分で、放射線量が高いところがないとは言えない」と認めている。この喋り方はわかりにくいかもしれないので、分かり易く書き直すと、こうなる:「放射線量が高いがれきはどこかにあると思う。」ということだ。
池田副所長の意見はこうだ。「測定を繰り返して安全性を強調しているが、実は非科学的だ。がれきを全部測ることができないのはわかるが、公表されているデータでは、がれきのボリューム、採取方法、なぜサンプルが全体の線量を代表できるかの根拠などが不明だ。」
環境省の役人は科学者じゃないから、非科学的な方法しか思いつくことができない、ということだろうか?自分の都合に合わせて、線量が出難い「方法」を編み出すのは得意なんだろう。(これはまさに東大話法だ。)とはいえ、役人になったとはいえ、環境省でこういう仕事についている人たちだって、かつては、どこぞの大学院で研究者を目指して頑張っていたはずだ。がんばって公務員試験に合格し、(税金で賄う)給料をもらうようになったら、科学的な方法を忘れてしまったのだろうか?だとしたら、不幸なことだ。同じことが東電の技術者にも言える。彼らの計算ミスが発覚するたびに、(現役の学部)学生のレポートを採点しているような気分になる。
それでは、科学的に測定するにはどうすればいいのだろうか?東京の瓦礫は宮城県女川町と岩手県宮古市を受け入れているし、静岡の島田市は岩手県山田町の瓦礫を燃やしている。まずは、この付近の汚染地図を見てみることになる。文科省の地図は精度はそれほど良くないが、参考にはなる。
女川付近の汚染マップ。牡鹿半島、金華山、そして女川付近の 汚染はかなりひどいようだ。 |
宮古、山田を含む三陸海岸の南側。 当該地の汚染は見つかっていないが、 汚染地域が点在しているのがわかる。精度よく測定すると、 こういう場所は案外ホットスポットがあるかも。 |
上の地図を見てすぐにわかるのは、女川は危ない、ということだ。明らかに汚染が広がっている。普通の人なら、瓦礫の測定なんかしなくても、怪しい所はまず避けるという判断をすると思う。そういう意味では、女川はかなり怪しい。
一方、山田や宮古自体は汚染が軽微だと地図上には出ている。しかし、気になるのは周辺に汚染が小さなホットスポット状に広がっている点だ。こういう場所は、細かく測定すると、意外に航空機による測定では見逃してしまった汚染地域が出てくるものだ。例えば、軽井沢の離山は、文科省の地図では「若干の汚染」となっているが、実際に行って測ってみると、0.4μSv/h程度の場所が現れる!
ここまでで予想されるのは、女川はかなり危ないということ、そして宮古と山田は危険性有りということだ。とすると、女川の瓦礫を丁寧に調べることがまずは大事だろう。しかし、ここで焦って瓦礫の測定にさっそくとりかかるのは拙速だ。
汚染の実態を知るにはまず土壌汚染を見るのがいいだろう。原発事故以来、ほぼ手つかずとなっている地面から土壌を採集し、LB2045などのスペクトロメータを使ってγ線スペクトルを測定してみることだ。「セシウム三兄弟」の3つのピークが立ち上がれば、汚染があるということがyes/no問題としてわかる。次に、ピークの高さからBq/kgの値を算出することができる。ここでのポイントは、瓦礫ではなく土壌を測るという点だ。たとえば、女川の辺りは文科省の地図でいうと松戸あたりとだいたい同じ線量がある。そうすると、予想されるスペクトルはこんな感じになるだろう(下図参照)。
汚染の実態を知るにはまず土壌汚染を見るのがいいだろう。原発事故以来、ほぼ手つかずとなっている地面から土壌を採集し、LB2045などのスペクトロメータを使ってγ線スペクトルを測定してみることだ。「セシウム三兄弟」の3つのピークが立ち上がれば、汚染があるということがyes/no問題としてわかる。次に、ピークの高さからBq/kgの値を算出することができる。ここでのポイントは、瓦礫ではなく土壌を測るという点だ。たとえば、女川の辺りは文科省の地図でいうと松戸あたりとだいたい同じ線量がある。そうすると、予想されるスペクトルはこんな感じになるだろう(下図参照)。
松戸の土壌汚染を示すγ線スペクトル (ベクミルのLB2405で測定) |
次に、瓦礫そのものの測定になるだろう。瓦礫の材質によってはセシウムを吸いやすいもの、吸い難いものがあるはず。したがって、スポンジとか土壁だとか、まずはセシウムが非常に吸着しやすい瓦礫だけを拾ってきて、その線量(Sv/hなど)をガイガーカウンタやシンチレーターで測定するべきだろう。次いで、木材や倒木など、セシウムの吸着具合に応じて分類し、その都度放射線量を測定するべきだ。鉄板にガイガーを向けて「0.05μSv/hです。だいじょうぶ!」とやるのは馬鹿げている。(むしろ鉄板で0.05もあるということは、相当危ないと判断すべきだろう。)
この分類の仕事をするのは手間がかかると思うだろうが、実は現地に雇用を生み出すことになる。重機を使って少人数で「効率よく」瓦礫を処理すると、労働者の数が減ってしまうので、恩恵を受ける人が少なくなってしまう。手作業で多くの人が仕事にかかれば、たくさんの人に恩恵を振り分けることができる。手作業というのは、手編みのセーターみたいなもんで、手間賃は重機よりもかかるから、よりたくさんの賃金を払うことになるだろう。また、丁寧に分類した瓦礫は、汚染レベルの低いものだけを焼却することもできるし、汚染のひどいものから丁寧な処理をすることもできる(例えば、ガラスで固めたあと、コンクリートで包み、鉛で覆われた箱に入れて、東電の社長室に保存するとか)。分類するのは、いいとこずくめのような気がするのは私だけだろうか?問題があったら、ぜひ教えていただきたい。
この分類の仕事をするのは手間がかかると思うだろうが、実は現地に雇用を生み出すことになる。重機を使って少人数で「効率よく」瓦礫を処理すると、労働者の数が減ってしまうので、恩恵を受ける人が少なくなってしまう。手作業で多くの人が仕事にかかれば、たくさんの人に恩恵を振り分けることができる。手作業というのは、手編みのセーターみたいなもんで、手間賃は重機よりもかかるから、よりたくさんの賃金を払うことになるだろう。また、丁寧に分類した瓦礫は、汚染レベルの低いものだけを焼却することもできるし、汚染のひどいものから丁寧な処理をすることもできる(例えば、ガラスで固めたあと、コンクリートで包み、鉛で覆われた箱に入れて、東電の社長室に保存するとか)。分類するのは、いいとこずくめのような気がするのは私だけだろうか?問題があったら、ぜひ教えていただきたい。
そして最後に、それぞれの分類からサンプルを抜き出して、それをスペクトロメータにかけ、γ線スペクトルを観察するのである。この段階で、セシウム三兄弟が出てしまった瓦礫は、焼却するべきではないだろう。どんなに燃やす前の汚染が弱くても、焼いて濃縮すると放射能が強くなることは、関東の焼却場に務める人間なら誰でも知っているだろうから、ここで説明を繰り返すのは釈迦に説法だろう。
科学的な測定というのは、私が思いついただけでも、こんなに手のかかるものだ。はっきりいって、行政のやり方は「非科学的」以下であり、ある意味「おまじない」か「儀式」のようなものに見える。宮古や山田も丁寧に検査する必要があると思う。
新聞記事に戻ろう。瓦礫を運んだ後、瓦礫は焼却処分されるので、次に気をつけるべきは、焼却で出てくる煙、つまり排ガスだ。だから、排ガスに含まれる放射能物質の測定も大事になる。(がれきの焼却処分は、目黒区をはじめとする一部で既に実施し、また東京都全区で計画している手段だ。)しかし、その測定方法に疑問があるという。「環境省は、四時間程度採取した排ガスを測定する方法を示しているが、サンプル量が少なすぎるのではないか?サンプル量を増やして定量下限値を下げ、実際にどのくらい出ているかを把握しないと、汚染の程度は分からない。」
まさに、市民の命を軽視したやりかただと思う。自分たちの都合にあわせて、測定を簡略化しているということだ。例えば次のような状況を考えてみよう。自分で作った新しい化粧品が、副作用がないかどうか知りたいとする。前回作った化粧品を売った時は、客の肌が黒く変色してしまい、二度と戻らなくなるという副作用が80%の客に出てしまった。次の製品はなんとしても成功させなくてはならない。さもなければ、自分は解雇されてしまう。しかし、自分がつくった化粧品は失敗が多いことをみんなもう知っているので、なかなか被験者になってくれない。しかたなく、自分の娘を実験台にすることになった。このとき、この人は、自分の娘の顔にべったりと新しい化粧品を塗って最初の試験をするだろうか?思うに、最初は用心に用心を重ねて、ほんの少量だけ、しかも顔ではなく腕かどこかに、ちょこっと置いてみるだけだろう。
これをがれきの焼却の話に戻してみよう。用心する「親」ならば、いきなりバンバン燃やしたりはせず、徹底的に慎重な検査を少しずつ重ねていって、これはいけると確信をもてる最終段階に至って、ようやくバンバン燃やし始めるということになる。環境省や国、さらには自治体がやっていることは、名も知らぬ他人の頬の上に、新開発の危ない化粧品を塗りたくるのと同じことだ。失敗して肌が溶けてしまい、感染症にかかって醜い顔になってしまっても、それは他人のことだから、心はちっとも痛まないのだろう。
「安い化粧品が新発売です!試してみませんか?」と知らない人が近寄ってきたら、それはぜったい人体実験だ!
まさに、市民の命を軽視したやりかただと思う。自分たちの都合にあわせて、測定を簡略化しているということだ。例えば次のような状況を考えてみよう。自分で作った新しい化粧品が、副作用がないかどうか知りたいとする。前回作った化粧品を売った時は、客の肌が黒く変色してしまい、二度と戻らなくなるという副作用が80%の客に出てしまった。次の製品はなんとしても成功させなくてはならない。さもなければ、自分は解雇されてしまう。しかし、自分がつくった化粧品は失敗が多いことをみんなもう知っているので、なかなか被験者になってくれない。しかたなく、自分の娘を実験台にすることになった。このとき、この人は、自分の娘の顔にべったりと新しい化粧品を塗って最初の試験をするだろうか?思うに、最初は用心に用心を重ねて、ほんの少量だけ、しかも顔ではなく腕かどこかに、ちょこっと置いてみるだけだろう。
これをがれきの焼却の話に戻してみよう。用心する「親」ならば、いきなりバンバン燃やしたりはせず、徹底的に慎重な検査を少しずつ重ねていって、これはいけると確信をもてる最終段階に至って、ようやくバンバン燃やし始めるということになる。環境省や国、さらには自治体がやっていることは、名も知らぬ他人の頬の上に、新開発の危ない化粧品を塗りたくるのと同じことだ。失敗して肌が溶けてしまい、感染症にかかって醜い顔になってしまっても、それは他人のことだから、心はちっとも痛まないのだろう。
「安い化粧品が新発売です!試してみませんか?」と知らない人が近寄ってきたら、それはぜったい人体実験だ!
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