安富歩著、原発危機と「東大話法」(明石書店、2012)
この本はおもしろい。東大=ショッカーで、小出裕章=仮面ライダーは頷いた。
また、東大文化の3つの特徴として、底知れない不誠実、抜群のバランス感覚、高速事務処理能力がある、という指摘も納得。特に、最後の2つはよくわかる。(最初の特徴は、権力に近い教官が特にそんな感じが強かったかも。だいたい安富氏が不誠実だとは思わないから、例外もあるのは確か。)
この本で初めて知ったのが、原発事故直後あるいは、事故以前に幅をきかせていた東大工学部の原子炉工学関係者たち。東大話法の典型例として紹介されている。注目すべきは、大橋弘忠氏と関村直人氏。
特に、大橋教授が小出先生と討論した時のyoutubeの映像は必見だろう。大橋氏は東電から東大へ転職した人物で、ひたすら東大話法ででたらめを繰り返す。一方、小出先生の精神力の高さにとても感動した。科学者とは公開討論の場で、あのようにありたいと思う。安富氏が小出先生のことを「君子」と呼びたくなる気持ちがよくわかる。大橋氏はスイシンジャーでも登場していた。
関村氏が爆発する原子炉の映像を目の前にしながら、「格納容器の安全性は保たれている」と根拠の無い説明を繰り返したという映像は残念ながら見つからなかった。この人物も要注意。
本の内容に戻ろう。この本は面白いのだが、幾つかまずい点もあると思う。
まず、気になるのは「熱力学の第二法則」の使い方。特にイントロのところで、経済活動と結び付ける所はちょっと違うんじゃないか?
「立場」論はなかなか面白かったが、まだまだ掘り下げることは可能だと思う。福島県民がなぜ福島を去らないか?というとても面白い問いを発していながら、その答えが今ひとつ曖昧な感じを受ける。アパートのゴミ当番を、放射線の恐怖よりも優先的に考える人の例の方がわかりやすかったが、例を挙げるだけで答えが書いてなかった。
プルトニウムは長い宇宙の歴史の中で消え去っていったみたいな記述があるが、一応現在の物理学ではプルトニウムのabundancesはほぼゼロということになっている。つまり、もともと「神」はプルトニウムをこの宇宙に作ってないということ。(最近になって、U-238に自発的核分裂で生じた中性子が若干あたって、ほんのわずかPu-239が天然生成されることもあることが分かったらしいけれど...)
全般的に軽い文体なのが気にかかるが、ブログを元にした記事だというから、そういう背景を理解した上で読めばいいと思う。日本の狂った部分にストレートパンチをぶちかましているような感じがあって、ある意味尊敬できる。あまり飾らず、日常の徒然をそのまま書いている部分と、専門の研究内容をかぶせているところ、さらにはさすがに教養あるね、と思わせる部分など色々な側面が見える。論というより随筆かも。
一読の価値はあるし、情報量もあって資料としても使える。良本。
1 件のコメント:
以下はenniethebearさんからの投稿:
「東大話法」は東大色に染まらない賢者によるパロッタご批判のようで興味深いものです。
しかし、今から4.5昔も前もことで恐縮ですが、東大は先生方も学生も極めて“多様性”に富んでいたように思います。 右から左、上から下、異次元突き抜けまで。 しかし、残念なことに、正論を説いた先生方の多くは、死語となった「万年助手」の運命をたどることになりました。
今時の自然科学屋さんの多くは、自己の研究につき社会科学的視点から吟味する習慣を持ち合わせていないように見えるのは気がかりです。 勿論、昔もそのような研究者は少なからず存在(あるいは主流として君臨)しており、その結果、原発事故が・・・。
しばしば正論はご利益が見えず、扱い難いものです。 扱い易い二種の“粒”の世界で、ユニオン(エニオンのパロディ)のようにご利益が見えず扱い難いものは忘れ去られてゆくのでしょうか・・・。
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