2012年2月25日土曜日

東京大学(文京区本郷)のセシウム汚染

久しぶりに東大(本郷)にいった。
東大(文京区本郷)
いろいろ用事はあったが、今回の一番の目的は土壌採集...時計塔のあるこの場所は東大のシンボルと行ってよいだろう。

実は、ここは、セシウム汚染がひどいのではないか?という噂が立ったり消えたりした、いわく付きの場所なので、他に測定に適当な場所はあったとは思うが、自然と足がここに向いてしまった。近くには楠の大きな木があるので、その下の土を薄く削ってベクミルで測定してみることにした。
楠のある場所

表面5ミリ程度の深さで、だいたい30平方センチ程度の広さから薄くかき集めた。採集地点にJB4020をおいて、(地表面の)線量測定をしてみると0.13μSv/h(生データ)という値が出た(もちろんRAMI解析で)。ちょっと高めだが、補正すれば0.08μSv/h...まったく問題無いとNHKの解説員は説明するだろう。

また、放射能汚染の実態や解決策など様々な研究の進む東大ともあれば、自分のキャンパスの状況はよく把握しているだろう、と皆思うだろう。隣の上野の汚染は結構ひどいので、東大の敷地が汚染無しというわけにいかないはずだ。とはいえ、このシンボルとも言えるこの場所は、きっとよく整備してあるだろう、汚染があればキチンと除染したことだろう....などと勝手に想像していたのだが、この予想は簡単に裏切られた。(東電のお偉方や上級技術者を生み出しているのも、ここ東大の工学部や経済学部であるわけで、彼らの主張で、東大は「汚染されているはずはない」から何もしなくていい、ということになったのかもしれないが...)

ベクミルのLB2045に計測をかけた直後から、採取した土壌のスペクトルには、セシウム三兄弟のピークが林立し、あっというまに、およそ2000Bq/kgの強い汚染があることが明らかとなってしまった。今まで測定した中では、松戸の土に次ぐ強い汚染だ。

東大(本郷)の土壌のセシウム汚染。
見事なセシウム三兄弟のピークが出た。
上野や日比谷の汚染も加味すれば、東京東部の土壌には強いセシウム汚染があることがはっきりした。もっと詳しく調べれば、文京区や台東区は相当汚染されていることが判明するだろう。東京電力の原子力発電所から放出された放射能物質で汚染されたのは、千葉の柏や松戸だけではなかったのだ。

また、線量だけで汚染の有無を判断するのは、なかなか難しいということも再確認できた。今までの結果を復習してみると、0.15μSv/h以下の場所の土壌が汚染されているかどうかは、ガイガーカウンタやシンチレータで調べるだけでは判断がつかない。LB2045などのスペクトロメータによって、γ線のスペクトルを確認するまでは、汚染の有無はわからない。(汚染の程度は、スペクトルの山を積分すればわかる。)

今日この場所には、外国人留学生がベンチに寝そべっていたり、近所の子供達が這いつくばって泥だらけになって遊んでいたり、受験生が記念写真をとっていたりと、昔と同じ微笑ましい風景があった。まさかこれほどの汚染がある場所にいるとは、彼らは露も思っていないだろう。東京は汚染されているという認識はそろそろ強くもったほうがよいのではないだろうか?(このきれいなγ線スペクトルを見た後で、「基準値以下なら大丈夫」などと、まだ言えるだろうか?)

2012年2月18日土曜日

漫画:ふるさとの絆





参考資料:「ふるさとの歌と放射能廃棄物

漫画:がれきの放射能測定





参考資料:「がれきの放射能測定は実は非科学的」

塩化セシウムはしょっぱい?

過日「CsCl」のことを書いた。セシウムというのはアルカリ金属で、電子構造が同族のナトリウムやカリウムとよく似ている。つまり、化学的な性質が、互いによく似ているということ。

日常なじみのある塩化ナトリウム(NaCl)とは、食塩のこと。また、「やさしお」というのは味の素の製品で、塩化ナトリウムの量を抑えて、塩化カリウム(KCl)を大量にぶち込んだ製品。(そうすると、必然的に放射性のカリウム40がたくさん入り込む。これを利用して、野尻先生たちがベクミルでLB2045のエネルギー較正に利用した。)つまり、塩化カリウムも塩化ナトリウムも、白色でしょっぱい結晶質の「粉」状に見えるので、人間の五感では区別はつかないということ。

同族のセシウムを使って、塩化セシウムをつくったら、やっぱり食塩と同じように、白色でしょっぱい結晶質の粉末になるのかな?と思ったら、やっぱりその通りだそうだ。まずは、wikipediaで塩化セシウム(CsCl)を確認してみたら、こんな感じ。
塩化セシウム(wikipediaより転載)
これを嘗めてみた人がいるようで、やっぱり「しょっぱい」らしい。

政府/東電は新製品「もっとやさしお」でも売り出して、損失補填してみたらいかが?ただし、成分表示はしっかりとお願いしたい。例えば、「NaCl 80%, KCl 15%, CsCl 5%、ただし塩化セシウムの内50%は133CsCl、25%は134CsCl, 25%は137CsCl」とか。政府は多分、「ただし....」以降の文章を極小フォントで書くだろうが。



2012年2月17日金曜日

セシウム汚染された静岡のお茶に更なるダメージ

静岡の島田市が、東北地方からの瓦礫を受け入れ焼却するという件について、いろいろ調べていて、「静岡放射能汚染測定室」というグループのデータに行き当たった。結構丁寧に調べていて、感心した。

自治体や国の検査でも同じ結果が出ていたが、彼らの測定でも、やっぱり静岡のお茶のセシウム汚染は結構ひどいという結果が出ていた。

島田市の瓦礫焼却の判断は、すでに汚染された静岡の農産物にトドメをさすようなものだ。これは、「味付けの濃い」料理に、さらにテーブルソルト(それともCsCl?)をバサバサ振りかけるような、下品な食事マナーを想起させる。

東京新聞「環境総合研•池田副所長に聞く」:がれきの放射能測定は実は非科学的

先の議論の続きを見てみよう。今度は、がれきの安全性とその放射能測定の非科学性だ。

まずは、環境省の適正処理•不法投棄対策室のコメントが記事にあったので、引用しておこう。がれきの放射能測定は、部分的な測定で、いわゆるサンプル測定だ。これに関して、環境省は「サンプルを採取しなかった部分で、放射線量が高いところがないとは言えない」と認めている。この喋り方はわかりにくいかもしれないので、分かり易く書き直すと、こうなる:「放射線量が高いがれきはどこかにあると思う。」ということだ。

池田副所長の意見はこうだ。「測定を繰り返して安全性を強調しているが、実は非科学的だ。がれきを全部測ることができないのはわかるが、公表されているデータでは、がれきのボリューム、採取方法、なぜサンプルが全体の線量を代表できるかの根拠などが不明だ。」

環境省の役人は科学者じゃないから、非科学的な方法しか思いつくことができない、ということだろうか?自分の都合に合わせて、線量が出難い「方法」を編み出すのは得意なんだろう。(これはまさに東大話法だ。)とはいえ、役人になったとはいえ、環境省でこういう仕事についている人たちだって、かつては、どこぞの大学院で研究者を目指して頑張っていたはずだ。がんばって公務員試験に合格し、(税金で賄う)給料をもらうようになったら、科学的な方法を忘れてしまったのだろうか?だとしたら、不幸なことだ。同じことが東電の技術者にも言える。彼らの計算ミスが発覚するたびに、(現役の学部)学生のレポートを採点しているような気分になる。

それでは、科学的に測定するにはどうすればいいのだろうか?東京の瓦礫は宮城県女川町と岩手県宮古市を受け入れているし、静岡の島田市は岩手県山田町の瓦礫を燃やしている。まずは、この付近の汚染地図を見てみることになる。文科省の地図は精度はそれほど良くないが、参考にはなる。
女川付近の汚染マップ。牡鹿半島、金華山、そして女川付近の
汚染はかなりひどいようだ。

宮古、山田を含む三陸海岸の南側。
当該地の汚染は見つかっていないが、
汚染地域が点在しているのがわかる。精度よく測定すると、
こういう場所は案外ホットスポットがあるかも。

上の地図を見てすぐにわかるのは、女川は危ない、ということだ。明らかに汚染が広がっている。普通の人なら、瓦礫の測定なんかしなくても、怪しい所はまず避けるという判断をすると思う。そういう意味では、女川はかなり怪しい。

一方、山田や宮古自体は汚染が軽微だと地図上には出ている。しかし、気になるのは周辺に汚染が小さなホットスポット状に広がっている点だ。こういう場所は、細かく測定すると、意外に航空機による測定では見逃してしまった汚染地域が出てくるものだ。例えば、軽井沢の離山は、文科省の地図では「若干の汚染」となっているが、実際に行って測ってみると、0.4μSv/h程度の場所が現れる!

ここまでで予想されるのは、女川はかなり危ないということ、そして宮古と山田は危険性有りということだ。とすると、女川の瓦礫を丁寧に調べることがまずは大事だろう。しかし、ここで焦って瓦礫の測定にさっそくとりかかるのは拙速だ。

汚染の実態を知るにはまず土壌汚染を見るのがいいだろう。原発事故以来、ほぼ手つかずとなっている地面から土壌を採集し、LB2045などのスペクトロメータを使ってγ線スペクトルを測定してみることだ。「セシウム三兄弟」の3つのピークが立ち上がれば、汚染があるということがyes/no問題としてわかる。次に、ピークの高さからBq/kgの値を算出することができる。ここでのポイントは、瓦礫ではなく土壌を測るという点だ。たとえば、女川の辺りは文科省の地図でいうと松戸あたりとだいたい同じ線量がある。そうすると、予想されるスペクトルはこんな感じになるだろう(下図参照)。
松戸の土壌汚染を示すγ線スペクトル
(ベクミルのLB2405で測定)
手つかずの土壌がこのように汚染されているということは、これだけの放射性セシウムが一度は瓦礫に降り掛かったということを意味する。

次に、瓦礫そのものの測定になるだろう。瓦礫の材質によってはセシウムを吸いやすいもの、吸い難いものがあるはず。したがって、スポンジとか土壁だとか、まずはセシウムが非常に吸着しやすい瓦礫だけを拾ってきて、その線量(Sv/hなど)をガイガーカウンタやシンチレーターで測定するべきだろう。次いで、木材や倒木など、セシウムの吸着具合に応じて分類し、その都度放射線量を測定するべきだ。鉄板にガイガーを向けて「0.05μSv/hです。だいじょうぶ!」とやるのは馬鹿げている。(むしろ鉄板で0.05もあるということは、相当危ないと判断すべきだろう。)

この分類の仕事をするのは手間がかかると思うだろうが、実は現地に雇用を生み出すことになる。重機を使って少人数で「効率よく」瓦礫を処理すると、労働者の数が減ってしまうので、恩恵を受ける人が少なくなってしまう。手作業で多くの人が仕事にかかれば、たくさんの人に恩恵を振り分けることができる。手作業というのは、手編みのセーターみたいなもんで、手間賃は重機よりもかかるから、よりたくさんの賃金を払うことになるだろう。また、丁寧に分類した瓦礫は、汚染レベルの低いものだけを焼却することもできるし、汚染のひどいものから丁寧な処理をすることもできる(例えば、ガラスで固めたあと、コンクリートで包み、鉛で覆われた箱に入れて、東電の社長室に保存するとか)。分類するのは、いいとこずくめのような気がするのは私だけだろうか?問題があったら、ぜひ教えていただきたい。

そして最後に、それぞれの分類からサンプルを抜き出して、それをスペクトロメータにかけ、γ線スペクトルを観察するのである。この段階で、セシウム三兄弟が出てしまった瓦礫は、焼却するべきではないだろう。どんなに燃やす前の汚染が弱くても、焼いて濃縮すると放射能が強くなることは、関東の焼却場に務める人間なら誰でも知っているだろうから、ここで説明を繰り返すのは釈迦に説法だろう。

科学的な測定というのは、私が思いついただけでも、こんなに手のかかるものだ。はっきりいって、行政のやり方は「非科学的」以下であり、ある意味「おまじない」か「儀式」のようなものに見える。宮古や山田も丁寧に検査する必要があると思う。

新聞記事に戻ろう。瓦礫を運んだ後、瓦礫は焼却処分されるので、次に気をつけるべきは、焼却で出てくる煙、つまり排ガスだ。だから、排ガスに含まれる放射能物質の測定も大事になる。(がれきの焼却処分は、目黒区をはじめとする一部で既に実施し、また東京都全区で計画している手段だ。)しかし、その測定方法に疑問があるという。「環境省は、四時間程度採取した排ガスを測定する方法を示しているが、サンプル量が少なすぎるのではないか?サンプル量を増やして定量下限値を下げ、実際にどのくらい出ているかを把握しないと、汚染の程度は分からない。」

まさに、市民の命を軽視したやりかただと思う。自分たちの都合にあわせて、測定を簡略化しているということだ。例えば次のような状況を考えてみよう。自分で作った新しい化粧品が、副作用がないかどうか知りたいとする。前回作った化粧品を売った時は、客の肌が黒く変色してしまい、二度と戻らなくなるという副作用が80%の客に出てしまった。次の製品はなんとしても成功させなくてはならない。さもなければ、自分は解雇されてしまう。しかし、自分がつくった化粧品は失敗が多いことをみんなもう知っているので、なかなか被験者になってくれない。しかたなく、自分の娘を実験台にすることになった。このとき、この人は、自分の娘の顔にべったりと新しい化粧品を塗って最初の試験をするだろうか?思うに、最初は用心に用心を重ねて、ほんの少量だけ、しかも顔ではなく腕かどこかに、ちょこっと置いてみるだけだろう。

これをがれきの焼却の話に戻してみよう。用心する「親」ならば、いきなりバンバン燃やしたりはせず、徹底的に慎重な検査を少しずつ重ねていって、これはいけると確信をもてる最終段階に至って、ようやくバンバン燃やし始めるということになる。環境省や国、さらには自治体がやっていることは、名も知らぬ他人の頬の上に、新開発の危ない化粧品を塗りたくるのと同じことだ。失敗して肌が溶けてしまい、感染症にかかって醜い顔になってしまっても、それは他人のことだから、心はちっとも痛まないのだろう。

「安い化粧品が新発売です!試してみませんか?」と知らない人が近寄ってきたら、それはぜったい人体実験だ!

東京新聞「環境総合研•池田副所長に聞く」:復興の足かせ論について

池田氏がまっさきに疑問を投げかけたのが、最近、政府がプロパガンダのように繰り返している「がれきは復興の足かせだ」というキャッチフレーズ。

池田氏によると「被災地になんども足を運んでいるが、『がれきがあるから復興が進まない』という話は聞かない。(途中省略)がれきが復興の妨げになっているかのような論調は、国民に情緒的な圧力を加えているだけだ」という。

そもそも「復興」とは何か?

「復興」とは、住民を助け、もとの暮らしを取り戻すことだと思うが、政府や官僚たちは、それ以上のことをやろうとして欲張っていないだろうか?選挙対策の人気とりと見なしている雰囲気はないだろうか?今、被災地に必要なことは、大きな道路を引っ張ってきて、新しい街の区画を割り振ることじゃないだろう。こういうのは、もう少し後だってちっともかまわない。むしろ拙速に行って、取り返しのつかない間違いを犯せば、住民を苦しめることになる。そんなことより、緊急にやるべきことはいくつかあって、それらはやる気になれば案外速やかに片付いてしまう。

まず、これから先10年間、人間が住める場所と住めない場所を明確に宣言することだろう。住めるというのは、農業で生活の糧を稼いでいる人たちが、そこで農業をできるかできないか、酪農をできるかできないか、漁業を続けることができるかできないか、をはっきりさせることだ。これを曖昧にしているから、戻る/戻らない、去る/とどまる、といった無意味な論争、争いが生じてしまっている。チェルノブイリのときは、強制移住の地域の定義策定を最初にやった。

次に、「住めない」と定義された地域の人たちに、賠償金を十分に支払うことだ。これをケチって、なるべく少なく払おうとするから、もめ事が生じる。大きな過失を犯してしまった東電と政府は、彼らの生活と命に対して十分な賠償を速やかに払うべき。これが終わらないと、人々は不安で仕方ないはず。復興なんて気持ちにはならない。十分な経済基盤ができてこそ、元気も湧くし、未来も見えてくる。土地を奪って放浪させた上に、一文無しにさせ、その上「元気を出せ!復興だ!」とやるのは、地獄の責め苦を与えるのと同じだ。

最後に、雇用の確保だが、それこそ地元でがれきを処理すれば、雇用が生まれる。東京のゼネコンや建築会社を使うと、地元の雇用は生まれないから、絶対に被災地以外の企業に仕事を割り振ってはいけない。建築、土建はすべて地元で調達すべし。スピードはこの際関係ないから、足りない材料があったら、その製造会社を東北につくるところから始めるべし。基礎を固めず、大急ぎで形だけ整える復興はぜったいに次の地震と津波を切り抜けられない。セイタカアワダチソウのような背の高い雑草や、もやしのようにひょろ長く短時間で育てるようなことはせず、時間がかかっても立派な森となるようにブナの苗を植えるべきだ!東北の人たちが納得でき、幸せになるようにお金を使うべきだ。

2012年2月16日木曜日

震災がれきの「広域処理」キャンペーン

東京新聞の2月15日の朝刊に載った「こちら特報部」の記事に、震災がれきの「広域処理」が取り上げられていた。

「広域処理」などというと意味が薄れてくるが、結局はこれは「がれきと称する放射能物質を日本全国にばらまく可能性のこと」という意味だ。今回のがれきは宮城と岩手のもの。この二県ともに、放射能汚染された場所があることは、文部科学省の汚染地図でも明らかになっている。(ちなみに、汚染の弱い仙台平野の海岸沿いのがれきは、仙台市が自分で処理することになっているので、汚染されたがれきの割合は、全国に散っていくものの方が必然的に高くなる。)宮城の汚染は牡鹿半島全域。そして岩手は牡鹿半島の付け根から北にのびる三陸海岸の南半分の沿岸地域だ。この辺りの汚染は、柏や軽井沢なみ、あるいはそれ以上の汚染がある。したがって、そのがれきや土砂などには確実にセシウム137やストロンチウム90などの放射能物質がたっぷり付着している。

テレビ等の報道では、40から50万円程度のガイガーカウンタや簡易型のシンチレータでがれきを測定している様子が映されていて、細野大臣et al.が「ああ、低いですね。これなら大丈夫だ」などと呑気なことを言っている。しかし、それは外部被曝と内部被曝の違いがわからない、今となっては「旧世界の人間」の発言であることは明らかだ。

「これからの日本人」、あるいは「新しい日本人」が気にしなくてはいけないのは、外部被曝なんかじゃない。内部被曝の脅威だ。(注意:「新しい」というのは、残念ながら今回の場合は、「幸福で、より進歩した」という意味ではない。あくまで、「原発事故以降の」というだけ意味だ。)

関東周辺の土壌検査をしてみてわかったのは、ガイガーなどで測定して0.05μSv/hが出たとしても、残念ながら、それは汚染が無視できるほど弱いということにはなっていない。以前にも報告した通り、キロあたり数百ベクレルにも汚染された土と、数ベクレル以下の汚染の弱い土とでは、ガイガーや簡易シンチレータなんかでは区別がつかないのだ。

信州佐久でもそうだったように、関東でも「知らない間に」汚染の可能性の高いがれきを持ち込んで、焼却してしまおうとしている。ずるい行政の態度に立腹した人たちは、声を上げて反対の立場をぞくぞくと表明し始めている。例えば、恵比寿と中目黒の間にある目黒区のゴミセンターで宮城、岩手のがれきをすでに焼却していることが判明したが、これに反対する集会が最近開催されたという。このゴミ処理場の近くには、江戸時代に爺々が茶屋があったという茶屋坂があり、目黒のさんまの落語で有名な場所だ。このまま行政の横暴を許すと、今年の秋のさんま祭りでは、セシウム137の煤塵を被りながら、放射能まみれの太平洋秋刀魚を味わうことになる可能性が高い。

人々がいやがることを、なぜ国は強引に推し進めるのか?そもそも、それをやっていい事があるのか?まずは、東京新聞にあった記事で紹介されていた、環境専門のシンクタンク「環境総合研究所」の池田副所長の見解をみてみよう。

2012年2月14日火曜日

二号機の温度上昇:熱電対

福島第一原発が爆発して以来、学部時代にやった実験が如何に大事だったか、何度となく思い知らされた。放射線、放射能、ガイガーカウンタやシンチレータの仕組み、γ線のスペクトルに光電ピークとコンプントンの山があること、さらには水酸化物の性質やアルカリ金属の性質、などなど...そして今回は、熱電対。

異なる種類の金属を張り合わせると、温度差によって起電力が生じる。逆に、回路に生じた電圧を測ることで、温度差を計測することができる。これが、原子炉の圧力容器に取り付けられた「温度計」のしくみだ。

学部時代にならった熱電対のしくみの直感的な理解はこうだ。温度差があるということは、物質内に平均的なエネルギー勾配があるということだから、物質中にある粒子は坂を転がるようにエネルギー勾配に沿って流れ出す。このとき、電子などの荷電粒子が一方方向に流れるように調整してやれば(これが多分異なる金属を張り合わせる理由だろう)、勾配の「角度」に応じた荷電粒子の移動が起き電圧が生まれる。この電圧差から温度差を知ることができると言う訳だ。

早野さんの情報によると、東電が使っている熱電対は「銅とコンスタンタン」の熱電対だという。これをT型と言うらしい。(早野さんの情報によると、これは東電の文書でも確認できる。48ページ。)コンスタンタンは銅とニッケルの合金。面白いことに、このT型熱電対の使用範囲を調べると「-200度から300度」となっていて、「低温測定に向く」とある。つまり、この温度計はもともと水温だけを測るように置かれている温度計で、メルトダウンした2000度から3000度近くの超高温物質の温度は測れない。

最初の頃の報道では、温度計の回路が断線して故障とされていたが、腑に落ちない。東電の資料から熱電対の概念図を見てみると、熱電対の回路を閉じて電流を流すようだ。この電流の大きさと、回路を閉じるときに挟んだ抵抗値を使って、オームの法則で電位差を計算していると思われる。
原子炉の温度計の概念図(東電の資料より)


もし、熱電対自体が断線したらどうか?この場合電流は流れないから、温度差は0つまり、温度計の目盛りは低温側にずれていくはず。高温側にぶれていくことはない。

熱電対の回路が生きていて高温側にぶれていく場合をつぎに考えよう。それは電荷移動、つまり電流がたくさん流れる場合だ。例えば、どろどろに融けた核燃料の塊が熱電対の先にあたり、温度差が急上昇する。このとき、荷電粒子の移動は激しいだろうから電流の値は急上昇するだろう。そして最後には測定限界を越えるが、較正が正しくなくなるというだけで電流は流れ続けるはず。ただし、核燃料と接している温度計の周りは、融けてしまうかもしれない。この場合は、温度計は最終的には壊れる。しかし、これは「断線」とは普通言わない。(ちなみに銅の融点は1000度強、コンスタンタンは1200度程度。)

断線しているという判断にどうやってたどりついたんだろうか?単純に考えれば、熱電対の開口端に外部電源を繋いでみたが、電流が流れなかったということか? でも、超高温の物体が熱電対の先についていれば、荷電粒子の移動を引き起こす熱勾配は相当急なはずで、外部電圧が弱ければ電流は流れない可能性もあるだろう。いづれにせよ、上で見たように、断線していれば低温側に値は狂っていくはずだから、今回の振り切れるという現象は説明できないように思う。東電の説明は、腑に落ちない。

実際の回路図。基本的には上の図と同じ。
まさか、記録計が壊れてるなんていってないだろうな?
(記録計が壊れてるなら、交換すればいいのでは?)

ふるさとの歌と放射能廃棄物

先日の「さよなら原発」の集会で、藤波心ちゃんが歌った「ふるさと」の歌。この歌は不思議な力があるようで、日本人の心が迷ったり、窮地に陥った時に自然と歌われ、私たちを勇気づけてくれる。(この歌を報道しなかったマスメディアが我々に送ったメッセージは明らかだ:彼らはスイシンジャーだ。)

ふるさとの歌は信州中野出身の高野辰之の作詞だといわれている。高野が東京に出てから、ふるさと北信の美しい風景を思い浮かべながら書いた詩に違いあるまい。その気持ちはよくわかる。

ところで、この「ふるさと」の舞台となった現在の信州中野市永江付近に、飯山陸送という会社が所有する廃棄物処理場がある。驚くべきことに、長野県は、佐久/小諸に加え、この場所にも放射性焼却灰を捨てているという。しかも、汚染のひどい関東からの持ち込みだという。


信じられない...「日本人のこころ」ともいえる「ふるさと」の舞台を汚してなにが嬉しいのだろうか?

長野県は観光と農林業とによって(一部の業者だけではなく)県民全員に豊かさをもたらすことができるのに、県庁は自ら進んでこの道を閉ざそうとしている。愚行だ、これは明らかに愚行だ。

ふるさとの歌を愛する人たちは、長野県の愚行を正してやってください。心からのお願いです。


  志を果たして いつの日にか帰らん。山は靑き故郷、水は淸き故郷


高野が生きていれば、きっとこう言うだろう。「日本の水は限りなく清くなくてはならぬ。そして、山は限りなく青くなくてはならぬ。『基準値以下なら大丈夫』などとほざく、志の低い輩は日本人に非ざるなり」と。

2012年2月13日月曜日

二号機の温度上昇:冷温停止「状態」の根拠消滅

毎日新聞にいい記事があった

二号機の温度計の一つがついに94度を越えた。温度計には誤差が20度程あると、東電も政府も認めており、原子炉の温度が80度を切ることが「冷温停止状態」(注意:冷温停止ということではないらしい...)の定義だった。その80度を20度近くも上回り、文字通り100度付近まで原子炉の温度が上昇している現在、すでに「冷温停止状態」は維持されていないことは、いくら政府や東電(のOBKSN)の目にも明らかだろう。

そもそも「冷温停止状態」を宣言したときは、温度だけを頼りにそう言い切ったのに、逆の現象が生じたときには、前の方法論を採用しないというのはおかしい。自分の都合に合わせて定義を変えている。これはすでに「東大話法」であり、スペースシャトルを爆発させたNASAの文化と同じだ。

東電はいつもの必殺技を出して来た:この温度計は故障している。今までの嘘の繰り返しの後で、この説明は容易には受け入れられないだろう。現に、毎日新聞は返し技を開発していた。「もし温度計が故障しているのなら、そんなあてにならない機械を使って「冷温停止状態」を定義するのは科学的でなく、信用できない。」

つまり、温度計が壊れていようが、壊れていまいが、結局は「冷温停止状態」と宣言できないということだ。

(追記:2/14の東京新聞の記事に、温度が200度を振り切ったという報道が出た。東電はこの温度計が故障したと断定したという。しかし、それを証明した訳ではない。故障というならば、再現実験をやってみて、どういう状況になれば高温側に振り切れるのか示してもらいたい。少なくとも、お得意の「ストレステスト」もどきでもやって、どう壊れたか見せて欲しいものだ。東電以外の熱電対の専門家、物理学者の人に、今回の現象について是非説明してもらいたいと思う。)

事故の力学法則(5):NASAの文化とGIGO

ワシントンDCに到着したファインマンは、道に迷いながらもNASAの事務局にたどり着く。会議の時間に遅れたのは彼だけだったそうだ。

そこで気がついたのは、NASAの文章は略語ばかりで読み難く、文章がブレットポイント(銃弾点、すなわち銃弾で穴が空いたような点によって、要点が細切れにされている文章)に分割されていて、関連が薄い内容に見える項目がずらずらと羅列される傾向があるということだった。例えば、ブレットポイントというのはこんな感じ。

  • The lack of a good secondary seal in the field joint is most critical and ways to reduce joint rotation should be incorporated as soon as possible to reduce criticality.
  • などなど
  • などなど
  • ........
  • Analysis of existing data indicates that it is safe to continue flying existing design as long as all joints are leak checked with a 200 psig stabilization....
  • などなど
こういう文章(あるいは報告書)というのは、読みやすいようで、非常に読み難い。長く読んでいると疲れてくるのだ。だから、最後のブレットポイントを読んでいるときには、最初に何が書いてあったかなぞ忘れてしまうのだ。実は、この長ったらしいブレットポイント文書こそが、NASAの問題の核心だった。つまり、読み手のみならず、書き手までが、最初と最後のブレットポイントの内容が矛盾しているようなことを書いても、平気になってしまうのだ。

実際ファインマンが読んだレポートも、最初のブレットポイントと2番目のブレットポイントの間には、たくさんのブレットポイントが挟まれていて、あたかもThe lack of a good ...で始まるブレットポイントと、Analysis of existing data ...で始まるブレットポイントはまったく無関係のように見えたという。しかし、この二つは切っても切れない関係にあると同時に、まったく矛盾した内容を語っていることにファインマンは気付いたのだった。

"joint rotation"について説明しておく。ロケット壁の結合部一カ所につき、Oリングは2個(ペアで)装着されていた。したがって、一本目のOリングが駄目になっても、二本目で食い止めれば問題はない。しかし、ロケットが燃焼を始めると莫大な圧力がかかって、タンクが外側に膨張してしまう。ロケットのつなぎ目が外れないように結合を強くすればするほど、膨張は中間部分でしなるように大きくなり、つなぎ目の端の部分にトルクがかかって、燃料壁を浮き上がらせてしまうという問題があった。つまり、Oリングが封印すべきタンク壁の間の隙間が拡大してしまうのだった。この問題をNASAの技術者はjoint rotationという専門用語で呼んでいた。実は、joint rotationの問題はかなり早い段階で発見されていて、それはシャトルを飛ばすずっと前からの懸案事項だったと技術者はファインマンに語ったのだった。

以上の点を踏まえて、上のブレットポイントを訳してみよう。

  • (ロケット壁の)結合部にある燃料封入のための予備Oリングが機能しない場合、それはもっとも危険な状況を生みだす。したがって、この危険を減ずるためには、可及的速やかに、ジョイントローテーションを避ける方法を考え、対処する必要がある。
  • ....延々とつづく無関係のブレットポイント...
  • 得られたデータを分析した結果、圧力200psigをかけた状況で全ての結合部のガス漏れチェックをやりさえすれば、従来の設計のままシャトルを打ち上げることは安全であることが示された...
ファインマンは「このままいったら危ないと指摘しているブレットポイントのはるか下の部分に、それと真っ向から矛盾した『設計は無修正のまま飛ばし続けても安全』と書いてあるのは、論理が破綻している」と感じた。

どうしてこんなことになったかというと、NASAの頭にあるのは「シャトルを飛ばし続ける」ことであり、その「偏見」をもちながら、長い文章を細切れに作っていくからこういうことになった。もちろん、問題が指摘されればそれを「隠蔽する」ほど、NASAは腐ってはいなかった。だから、上の方にあるブレットポイントには問題点をちゃんと書いておいたのだろう。しかし、長いことブレットポイントをたくさん書いているうちに、問題のことなどすっかり忘れてしまって、最後に思わず本音を書いてしまったんだろう。

Oリングを製造した技術者は、joint rotationのせいで燃料がタンクの外に漏れ出してしまうことを知っていた。この漏れ出しの問題のことをblow-byと名付けてさえいた。さらにまずいことに、blow-byは実際のシャトル打ち上げの時、何度も発生していることを写真にとって危険だとNASAに報告していたのだった。報告を受けたNASAが対処法を検討し、その結果をまとめたのが、上のブレットポイント集(正式にはflight readiness reviews、すなわち「打上安全報告書」)だったわけだ。

2つ目のブレットポイントにあった「得られたデータ」が、どのように得られたかを確認するためファインマンは分厚い報告書の前の方を探し、対応する箇所を探し出す。すると、そのデータは単なる数値シミュレーションだったことが判明する。実際に、燃焼実験して得たデータではなかったのだった!

現在、計算機科学の最先端分野に「量子コンピュータ」というのがあるが、その最初の理論を編み出したのがファインマンだ(つまり量子コンピュータの父だ)。また最初の並列計算機thinking machinesの開発に関わったのもファインマンだ。さらには、マンハッタン計画で原爆爆発のシミュレーションをコンピュータで行ったのもファインマンだ。つまり、ファインマンはコンピュータ科学の神様みたいな人だ。その人が、「コンピュータの別名は何か知ってるか?GIGOっていうんだよ。つまり"Garbage In, Garbage Out"(「ゴミを入れてゴミが出る」)って意味さ」と言っている。計算シミュレーションというのは、使い方によってはゴミしか出て来ないという、計算機科学の専門家による深い洞察だ。(うまく使えば、とても「おもしろい」ことは、ファインマンがこれだけ計算機で「遊んでいる」ことを見ればよくわかる。)この辺りの文章は面白いので、見てみよう。
We went back through the report and found the analysis. It was some kind of computer model with various assumptions that were not necessarily right. You know the danger of computers, it's called GIGO: garbabe in, garbage out! The analysis concluded that a little unpredictable leakage here and there could be tolerated, even though it wasn't part of the original design.
私たち(ファインマンとOリング開発の担当技術者)はレポートの前の方まで戻り、この「解析」とやらの説明が書いてある場所を探した。そこに書いてあったのは、この「解析」が、いろいろな仮定(しかも、必ずしも正しいとは限らない仮定)に基づいた、コンピュータモデルらしきもの、ということだった。コンピュータの結果というのは危険なものであることは、読者の皆さんはよく知っているはずだ。コンピュータの別名は何かご存知だろうか?それはGIGO(ギゴ)と呼ばれている。つまり、「ゴミ入(い)りてゴミ押出(い)ずる」という意味だ!(GIGOと呼ばれているのが伊達でないことがわかるのは、)このNASAの分析の結論は「ロケットのあっちこっちで想定外のちょっとしたガス漏れが起きても、ロケットはなんとか持ちこたえることができるであろう。たとえ、この問題が最初の設計では想定されていなかったとしても大丈夫だろう。」となっていた(からだ)。
日本の原発のほとんどが点検のために今は止まっているが、「ストレステスト」と呼ばれる、要は「コンピュータモデルらしきもの」を走らせて、分析を行ったあと安全性が確認されれば再稼働されることになっている。ファインマンがいたら「それはGIGOだ!」と断じるのは間違いない!

さて、ファイマンの追及はさらに進む。
If all the seals had leaked, it would have been obvious even to NASA that the problem was serious. But only a few of the seals leaked on only some of the flights. So NASA had developed a peculiar kind of attitude: if one of the seals leaks a little and the flight is successful, the problem isn't so serious. Try playing Russian roulette that way: you pull the trigger and the gun doesn't go off, so it must be safe to pull the rigger again...

もし、ロケットに取り付けられた全てのOリングからガス漏れが起きてしまったら、いくらNASA(のおばかさん)でも 、それがかなり深刻な問題となることは明らかにわかるだろう。しかし、わずか数回程度のフライトにおいて、たった2、3箇所でガス漏れが生じたに過ぎない。そこで、NASAはこの問題に対し、とても奇妙な解釈(言い訳?)を編み出すのである。すなわち、「もし漏れがわずかであり、そのときのフライトが成功裏に終われば、この問題はたいしたことはない」と。この解釈がおかしいことは、ロシアンルーレットを想像してみればすぐにわかる:あなたは引き金を引いた。しかし銃弾は飛んで来なかった。ということは、もう一度引き金をひいても、きっと安全なはずだ...
ファインマンが生きていれば、日本にある55基の原発はロシアンルーレットみたいなものだと、きっと言うことだろう。結局、弾丸は2011年3月11日にぶっ放されてしまったのだが、このロシアンルーレットのゲームを、脳みそを半分吹き飛ばしながら、まだ日本人がやり続けているのは凄いことだ!日本人が興じる、このロシアンルーレットがさらに凄いのは、まだまだ弾はたくさん装填されていて(日本には大地震が多い)、次の「銃声」は結構近いかもしれないのに、依然として平気でやり続けているという点だ。(原発の安全性を信じているみなさんは、ディアハンターのクライマックスを見るべき。)


Richard P. Feynman,
"What do you care what other people think?"
 (Bantam Book, 1988)

事故の力学法則(4):O-ringとエンジンの問題

首都ワシントンに飛ぶ前に、カルテックの敷地内にあるNASAのJPL(ジェット推進研究所)で、NASA技術者たちと意見交換する機会をもったファインマンは、そこでO-ringの問題について知る。

Oリングというのは、輪っか状のゴムのことで(形がOに似ているからOリング)、真空ポンプやホースの継ぎ目など、隙間を塞ぐ必要があるときに使用する。シャトルの固体燃料ブースターは大きな塔のような形をしているが、それを一枚の鉄板で形成するのは不可能なので、小さな円環をつなぎ組み合わせてつくる。このつなぎ目に隙間があると、そこから燃料が漏れて引火し爆発する恐れがあるため、Oリングで封じこめるわけだ。もちろん、スペースシャトルで使用されたOリングはとても大きなゴムの輪っかだ。

しかし、JPLの技術者たちによると、Oリングの封印を突破して燃料が外部に漏れる事故が起きていることはよく知られており、しかもOリングの内部に設置された亜鉛と酸化クロムの合金からなる断熱材が燃焼の熱で泡状に膨張し、Oリングに損傷を与える可能性があることが指摘されていたという。これが本当なら、燃料タンクの外部にもれた燃料に引火して、シャトルが爆発した可能性が浮上してくる。

もう一つ技術者が指摘したのは、エンジンの安全性だった。エンジンの開発には苦労したし、完成した後も問題がいろいろ持ち上がってきて、打ち上げの度に「何事もありませんように」と祈っていたという(英語の口語で、have one's fingers crossedという)。あるエンジニアは、チャレンジャーの爆発を見て「ああ、やっぱりエンジンがもたなかった」と思ったという。

JPLでの意見交換会の後、飛行機でワシントンDCにファインマンは飛び立つ。そして、NASAの独特の文化に触れて色々と驚くのだった

2012年2月12日日曜日

「原発危機と『東大話法』」を読む

安富歩著、原発危機と「東大話法」(明石書店、2012)

この本はおもしろい。東大=ショッカーで、小出裕章=仮面ライダーは頷いた。

また、東大文化の3つの特徴として、底知れない不誠実、抜群のバランス感覚、高速事務処理能力がある、という指摘も納得。特に、最後の2つはよくわかる。(最初の特徴は、権力に近い教官が特にそんな感じが強かったかも。だいたい安富氏が不誠実だとは思わないから、例外もあるのは確か。)

この本で初めて知ったのが、原発事故直後あるいは、事故以前に幅をきかせていた東大工学部の原子炉工学関係者たち。東大話法の典型例として紹介されている。注目すべきは、大橋弘忠氏と関村直人氏。

特に、大橋教授が小出先生と討論した時のyoutubeの映像は必見だろう。大橋氏は東電から東大へ転職した人物で、ひたすら東大話法ででたらめを繰り返す。一方、小出先生の精神力の高さにとても感動した。科学者とは公開討論の場で、あのようにありたいと思う。安富氏が小出先生のことを「君子」と呼びたくなる気持ちがよくわかる。大橋氏はスイシンジャーでも登場していた。

関村氏が爆発する原子炉の映像を目の前にしながら、「格納容器の安全性は保たれている」と根拠の無い説明を繰り返したという映像は残念ながら見つからなかった。この人物も要注意。

本の内容に戻ろう。この本は面白いのだが、幾つかまずい点もあると思う。
まず、気になるのは「熱力学の第二法則」の使い方。特にイントロのところで、経済活動と結び付ける所はちょっと違うんじゃないか?

「立場」論はなかなか面白かったが、まだまだ掘り下げることは可能だと思う。福島県民がなぜ福島を去らないか?というとても面白い問いを発していながら、その答えが今ひとつ曖昧な感じを受ける。アパートのゴミ当番を、放射線の恐怖よりも優先的に考える人の例の方がわかりやすかったが、例を挙げるだけで答えが書いてなかった。

プルトニウムは長い宇宙の歴史の中で消え去っていったみたいな記述があるが、一応現在の物理学ではプルトニウムのabundancesはほぼゼロということになっている。つまり、もともと「神」はプルトニウムをこの宇宙に作ってないということ。(最近になって、U-238に自発的核分裂で生じた中性子が若干あたって、ほんのわずかPu-239が天然生成されることもあることが分かったらしいけれど...)

全般的に軽い文体なのが気にかかるが、ブログを元にした記事だというから、そういう背景を理解した上で読めばいいと思う。日本の狂った部分にストレートパンチをぶちかましているような感じがあって、ある意味尊敬できる。あまり飾らず、日常の徒然をそのまま書いている部分と、専門の研究内容をかぶせているところ、さらにはさすがに教養あるね、と思わせる部分など色々な側面が見える。論というより随筆かも。

一読の価値はあるし、情報量もあって資料としても使える。良本。

スイシンジャー:東京新聞の記事から

東京新聞の記事に「スイシンジャー」の特集があった。日本にもやっとこういう知性あるジョークを繰り出せる人々が出て来たかと感心した(正直にいうと、感心する前に大爆笑してしまった)。スイシンジャーはyoutubeで見ることが出来る

事故の力学法則(3):R.P.ファインマン

ここからはファインマンの著作"What do you care what other people think?"からの抜粋メモ。他人の目を気にせず、自分の意思を堂々と主張し続けたファインマンの人生を象徴するタイトルだ。

事故の数日後、カリフォルニア工科大学の教授だったファインマンに、NASAの長官から一本の電話がかかってきた。電話の主に「かつての教え子だ」と言われても、なかなか思い出せなかったファインマンは、電話を切ってから卒業名簿を確認してみることにした。すると、ちゃんと長官の名前があったそうだ。まあ、悪くも良くもない平均的な学生で、印象に残らなかったのだろう。(正直、こういうことは時々ある。むかし、英国で引っ越し屋に行った時、「先生の物理の講義に出ていたMikeですよ!久しぶりですね!」と担当者に声をかけられた。「おー!マイクか!(マイクってどのマイクだっけ?)ところで、その段ボールいくら?(心臓、冷や汗)」となんとか切り抜けることに成功したが、正直彼のことは思い出せずじまいだった...申し訳ない、マイク。また、日本に帰国した直後に役所に住民変更に行ったら、担当者が「おー、kuzzilaじゃないか!久しぶりだなー!英国から戻ってきたそうじゃないか。元気だったか?」と話しかけてきた。必死で頭の中をスキャンして、高校の先輩だったその人の苗字まではなんとか思い出すことができたのだが、下の名前がどうしても思い出せない...「鈴木先輩、久しぶりです!」というのが精一杯。「住民票、一枚いくらでしたっけ?」と同じ作戦でそのときもなんとか切り抜けることができたが、またもや冷や汗ものであった...)

教え子の頼みとはいえ、政府の仕事に関わるのを避けていたファインマンは、断る方向で考えていたが、同僚や家族に説得される。特に、彼の奥さんの一言が凄い。入試の時期でもあるから、前文英訳やってみよう。(入学試験といえでも、こういう役に立つ文章を試験問題にすべきだと思う。)
My last chance was to convince my wife. "Look," I said. "Anybody could do it. They can get somebody else." "No," said Gweneth. "If you don't do it, there will be twelve people, all in a group, going around from place to place together. But if you join the commision, there will be eleven people --- all in a group, going around from place to place together -- while the twelfth one runs around all over the place, checking all kinds of unusual things. There probably won't be anything, but if there is, you'll find it." She said, "There isn't anyone else who can do that like you can."
(調査委員に加わって欲しいという同僚や友人からの説得をなんとかかわしていたファインマンだが)最後の難関は妻の説得だった。「誰がやったって、きっと同じさ。誰か別の適任者がみつかるよ」と私(ファインマン)はいった。グウェネス(ファインマンの奥さん)は「いいえ、それは違うわ」ときっぱり言った。「もしあなたがやらなかったら、選ばれた12人の委員は、みんな同じ仲良しグループになってしまって、どこへいくにもいつも一緒、なんて状況になるのは確実よ。でも、あなたがもし調査委員会に入れば、仲良しグループに入るのは11人。彼らはどこにいくにも、いつも一緒という状況になるとは思うけど、12番目の委員だけはあちこち一人で走り回って、おかしなことがないかと、ありとあらゆることを調べ出すはずよ。結局、たいしたものは何も無かった、なんてことになればいいけれど、万が一「何か」があるとすれば、それを見つけるのは「あなた」でしょうね。あなた以外で、こんなことができる人なんていないのよ」と私の妻は言ったのだった。
こうして、ファインマンは首都ワシントンDCへと飛ぶことになった
(日本でも事故調査の委員会には益川さんとか野依さんとかを入れるべきだ!)

事故の力学法則(2):NASAのスペースシャトル爆発の場合

まずスペースシャトルについて簡単にまとめておこう。

アポロ計画で月にまで人間を送ることが可能になったアメリカだが、一回一回の打ち上げ費用が膨大で、定期的かつ持続的に宇宙へいくことは困難な情勢となった。残り三回の打ち上げを残していたが、1972年を最後にアポロ計画は中止された。

アメリカが次に欲しかったのは、宇宙への「定期便」だった。が、それは「安く」打ち上げないと意味がない。そこで、アポロ計画のような使い捨てシステムではなく、何度も再利用が可能なシステムの開発を目指すことになった。当初日本で「宇宙往還機」と直訳された「スペースシャトル計画」はこうしてアポロ計画の直後の1972年に正式に認められることになった。「宇宙に行ったり来たりを、安く気楽にやる」というのが鍵となる概念だ。

1981年に最初のシャトル「コロンビア」の打ち上げが成功し、5年ほどの間着実に打ち上げ実績は上がっていった。シャトル打ち上げがニュースにならなくなっていったが、まさにそれこそが、シャトル計画の目指す目標だった。「宇宙に行き来するのが当たり前」ということだ。

この頃、NASAの技術者の間には、定期的にシャトルを打ち上げるということが如何に困難であるかが、少しずつ分かり始めていた。一回の宇宙旅行を終えて帰ってきたシャトルは、宇宙にあふれる放射線、大気圏突入時の高温、それから大気圏脱出のための高加速などによってぼろぼろに痛んでおり、それを一つ一つ確認し、修復するのは予想以上に手間と金のかかる作業だったからだ。

打ち上げのペースを落とし、検査にもう少し時間をかけるよう技術者の方から要望があがったが、NASAの上層部をそれを無視する。定期的に打ち上げて、打ち上げコストを下げないと「シャトル」の意味がなくなってしまうと考えたからだろう。まさに、事故の力学の第一法則、すなわち「慣性の法則」が働いたと思われる。事故を起こした時の代償と、コストが膨らんで(アポロのように)計画が中止されてしまうという損害を、「知性」と「良識」、そして「倫理」の観点から比べることができなかったのだろう。こうして、現場からのSOSを無視したまま、1986年1月28日を迎えてしまう。

チャレンジャー号の爆発(NASA提供)
右下にたなびく細い煙状の「雲」の間を拡大すると、落下する乗組員が確認できるという。この段階で彼らは生きており、脱出装置が付いていたら助かったかもしれない、と言われている...実は、脱出装置の概念はアメリカ空軍のものであり、NASAのものではなかった。NASAは脱出装置を無用と判断し、外してしまったという報告がある。シャトルの打ち上げ費用を安くするために、安全を軽視して、無駄を削減したわけだ。福島原発のベント装置にあるべきはずだったフィルターが取り外された経緯と似ている感じがする....)

チャレンジャーの事故は、最初の打ち上げから25回目、コロンビアの打ち上げから5年後に起きた。事故の原因究明のための委員会が大統領命令によって立ち上げられ、「専門家」による検証が始まった。その中に、ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者R.P.ファインマンがいた。

2012年2月10日金曜日

事故の力学法則(1):「慣性」の法則

古典力学の第一法則に「慣性の法則」というのがある。多少物理学上の正確さは損なわれるが、この法則の内容は「止まっているものは止まり続けるし、動いているものは止まらない」と表してよいだろう。

政治家や国家が間違いを犯す時、それはまさに慣性の法則に従っているように見える。今までやったことがないことは(外部の力が働かない限り)やらないことにし、やってしまったことは(よっぽどの圧力がかからない限り)やり続ける。それがいいとか悪いとか主体的に判断する「知的生命体」としてではなく、ただ単に慣性の法則に従う「物体」のよう振る舞うから興味深い。そういえば、将棋倒しの事故の解析などでも、押し寄せる人間の流れを「意思をもった知的生命体」としてではなく、「流体」として考えると比較うまく説明できると言う話を以前聞いた。集団というのは単なる物理体となるのだろうか?最近買った「原発危機と東大話法」にも同じようなことが書いてあった。

実は、スペースシャトル(チャレンジャー)が爆発した事故のときも、この「慣性の法則」がNASAの上層部に生じていたという話がある。ノーベル物理学賞を受賞したアメリカの理論物理学者、R.P.ファインマンが書いた"What do you care what other people think?"という本にその内容が書いてある。

福島原発の事故が人災であると思うなら、この本は読む必要があるだろう。ファインマンは、事故調査委員の一人として事故の原因解明にあたったが、驚くべきこと(それは日本の原発政策や日本政府の態度と全く同じであることだが)を幾つか発見する。そして、調査委員会での経験に基づき「国がどんな間違いを犯したのか」について詳細に語っている。あまりにも相似性があり、国家の振る舞いというものは、その国固有の文化や歴史に依らず、「普遍の原理」に従うのではないか?と疑ってしまうほどだ。それを「事故の力学法則」と呼ぶことにしよう。

スペースシャトルの爆発事故を許したNASAの場合、事故の力学法則がどう働いたか見てみる

2012年2月8日水曜日

名古屋のセシウム汚染:わずかなピーク構造あり

先日の名古屋のデータの解析を行った。まず数値化して、グラフ化し、バックグランドの寄与を抜いて表示してみた。
LB2045による測定(バックグランドは抜いた)
矢印はセシウム134,137のガンマ線の位置。
先日写真を見た印象として「なんとなく構造が見える」と書いたが、こうしてグラフに打ち出してみると「三兄弟」のピークが見えるような気がする....ただ、汚染が軽微であることは確かで、スペクトルの山の形はそれほどはっきり見えているわけではない。(グラフでは縦軸を拡大して引き延ばし、強調している。)ただ、測定時間を20分から60分程度にまで延長したら、山が形づくられてしまいそうな感じは受ける。

ある意味、これはショックだ。この土は名古屋城の近辺で採集したものだが、福島原発から飛散した放射性セシウムは、名古屋の土まで汚染している可能性が高くなってきた...(実は、よく調べたら愛知のお茶からはどうもセシウムが検出されているようだから、これは当然の結果かもしれない。)

愛知県、あるいは名古屋市は、ゲルマを使った長時間測定で白黒つけるべきだろう。しかし、中途半端にやってはいけないと思う。LB2045で測定してこの程度なのだから、汚染が軽微なのはすでに確かだ。ということは、かなり精密なゲルマ測定を(1時間とか5時間とかかけて)やって、丁寧に検証する姿勢が(科学的には)肝要だろう。

ちなみに、同じようなスペクトルに見えた佐久(長野)のグラフは次のようになった。
セシウムの3ピークらしきものはあるが、
名古屋よりは構造がのっぺり
矢印はセシウム134,137のガンマ線の位置。
以前議論したように、佐久の土壌スペクトルにも三兄弟らしきピークは見え隠れするが、名古屋に比べると、構造がのっぺりしていて際立った感じがしない。汚染はかなり弱いとは思うが、これもゲルマによる長時間測定で確認する必要があるだろう。長野県や佐久市が税金を使うべきは、こういう緻密な測定だ。(追記:名古屋市議員の方が7月にゲルマですでに測定なさっていたようだ。やっぱり、微量の汚染があるという結果だったそうだ。)


2012年2月7日火曜日

東電に原子炉管理は無理:二号機で臨界の可能性

東電に原子炉を任せるのは、もう無理なんじゃないかと感じた。二号機で温度が急上昇し、「冷温停止『状態』」から「外れてしまった」(とあえて書かせてもらう)。原子炉というのは、ストップしてもストップできない代物だということは、今回の原発事故を通してよくわかった。ポンプで何年も何十年も「使用済み」燃料を冷やし続けるんだから、原子炉ってのはスイッチが永遠に切れない機械だということがわかる。原子炉を止める/制御する生命線となるのは冷却装置だ。福島の場合、冷却装置は、水をポンプで循環させる仕組みだから、水と配管とポンプと電気が重要な役割を果たす。

その配管と水を、真冬の福島でコントロールできなかった東電は、東北地方の気候、寒い地域での凍結の経験がなかったと見える。東北に施設を作り、管理する能力がまず劣るといえる。そして、この配管の損傷が、冷却システムの要であることを、またまた過小評価した。東電はやることなすこと、なんでもかんでも「想定外」になっちゃうんじゃないか?ビートたけしにでも、東電ネタで漫才やってもらいたいもんだ。

日本の国土の半分を環境破壊する強力な汚染装置を操縦する資格は東電にはないのではないか?ミスばかりする人間が、ミスの許されない機械を操作している。東電の技術者が飛行機を整備したとしたら、誰も乗らないだろう。ましてや、彼らの作った車があったとしたら、それにだって乗りたくない。墜落したり、タイヤが外れても、平然と「想定外でした」と言ってのけるだろう。

今回は、冷却水、つまり配管破裂による汚染水の水漏れだけでは済まず、冷却不足になった原子炉の燃料が、臨界状態に達し核反応が再開した可能性すらある。これが本当なら深刻な事態だ。さっき、ホウ素を投入したという報道もあったくらいだから、東電の技術者は相当焦っているはずだ。テレビに出てくる報道官は、鏡の前で何度も何度も練習して、焦った姿をさらけ出さないように努力したことだろう。こんな状態で、壊れた福島原発を100年近くも管理し続けることは、彼らには無理だと思う。事故を起こしてない、刈羽など他の原発の運営能力だって怪しい。東電は即刻解散し、別の有能な技術者や経営者など、新しい人材を使って新会社をつくり、それに経営権/管理権を譲渡するべきだろう。(カネを集める能力の高さは、実に尊敬するが。)

(追記:その後ホウ素を投入しても温度は上昇し続けるばかり。今や、冷温停止状態とはいえないほど熱くなってしまった。ホウ素が聞かないということは、温度上昇の理由が臨界状態となったことではない能性が高い、と小出先生は説明していた。)

2012年2月6日月曜日

Frankenstein (by Mary Shelly)を読む

1818年に書かれた、Mary ShellyのFrankenstein(の原書)を読んだ。正味3日の速読で、内容だけ拾った。

Frankensteinを読もうと思ったのは、人間の作った技術が人間自身に牙を剥く話だと思ったからだ。これは最近の日本の「事故」と関連しているような気がして、19世紀の人間が技術の発展をどう考えていたか興味があった。

しかし、読んでみて寸評せよ、と言われたら、そういう流れで書くことはためらわれる。むしろこれはストーカーの話だと思った。愛や幸福に飢えた醜い化け物が、そういうものを持っている人間に対してストーキングする話とでもなろうか?

こういう「化け物」は、科学や技術とは直接は関係無しに、現代の日本社会のシステムの劣化によって大量に生み出されているような気がする。そして、その化け物とは人間自体のことだ。

ちなみにFrankensteinというのは、化け物を作った人間の苗字であって、化け物の名称ではない。(この本を読むまで知らなかった...)また、Frankensteinは年寄りの博士ではなく、若い金持ちのスイス人学生だ。

2012年2月5日日曜日

川崎市のセシウム汚染:浄水場近くの土壌

川崎市の浄水場近くの土壌を採取し、LB2045で測定した結果が出た。(測定時間は20分)

ちなみに、採取場所の地表面の線量をRD1503で測定すると、修正値で0.07μSv/h程度。普通はこの数字を見て「安全かな」とか「ちょっと安心した」と思うだろう。実際、自分もそう思ってきた。

ところが、LB2045(NaIシンチレータ)で測定すると、一つ上の次元で汚染度合いを見ることになる。それは、以前千葉県の土壌汚染を調べた、この方のブログを見て感じたことだ。

やはり、γ線のスペクトルを見るということがとても大事だ。セシウム三兄弟の3つのピークが綺麗に見えるかどうかで、まず汚染の有無(これは、0/1、あるいはYes/Noの問いであり、その中間はあり得ない)を確かめることが先決。その上で、そのピークの大きさが大きいか小さいかを確かめる(これはBqやBq/kgを算出するということに相当)。さらに、ガイガーを使ってその場の線量を測る、あるいはBqとSvの変換を行う。(これは外部被曝の目安になるので、やっぱり必要な測定)。つまり、今までとは、まったく逆の手順でセシウム汚染を理解していく必要があると痛感している「今日この頃」だ。

スペクトルのプロファイルを読み取って数値化し、エクセルでまとめ、以前議論した他の地点のデータと比較して見た。結果は次の図の通り。

横軸はエネルギーに相当(keV)。縦軸はcps(count per second)に比例する値。
グラフの色と場所の関係は次の通り。緑は市原、水色が今回測定した川崎、
紫が船橋、そして赤が佐久。
グラフの見方や数字の意味は、こちらの文章を参照して頂きたい。大雑把にいって、横軸がγ線のエネルギーで、縦軸がγ線(光子)の捕捉数に対応している。

3本のピーク(山)が立っているが、左からセシウム134の604keVのγ線、セシウム137の660keVのγ線、セシウム134の800keVのγ線に相当する。山があるということは、そのγ線がたくさん出ているということで、放射性セシウムにより汚染されているということを意味する。そして、放射能が高い程、ベクレル数が大きくなるわけだが、それは山の高さや面積が大きくなることに対応する。

まず、川崎の土壌はきれいにセシウム三兄弟のピークをもっていることがわかる(水色のグラフ)。つまり、福島原発の原子炉の中にあった放射性セシウムによって、川崎の土は見事に汚染されているということだ。

次に、その汚染具合だが、興味深いことに、船橋の汚染レベルとぴったり一致しているように見える。川崎と船橋を囲む円が「等放射能線」になっているとすれば、その円の中心は東京中心部だ。ということは、汚染のピークは東京の中心部にあると言うことなのかもしれない。これを確認することは、緊急の研究課題だと思う。

実際、3月に測定された空間降下物の量を見ると、都庁での値が、横浜市や千葉市よりもずっと多い。また横浜と千葉の降下量はだいたい同じだ。東京駅周辺や上野公園の線量が比較的高い(0.2μSv/h程度)という学生からの報告もあることから、この予想、つまり汚染中心は東京にあると言う説、は当たっているような気がする。

ちなみに、川崎の土の汚染度合いは312Bq/kg、船橋は341Bq/kgという値をLB2045は示している。その絶対値はともかく、汚染レベルを理解する上で参考になる値だろう。さらに、どちらもガイガーカウンタで測定すると0.07μSv/h程度だという点も共通している。


2012年2月4日土曜日

名古屋にいく:名古屋の土壌は汚染されているか?

名古屋に用事があったので、大雪の降る直前に東海道新幹線で西に向かった。車窓に流れる関東の街並をボオッと見ながら、「ここが全部、放射能で汚染されているなんて信じられん」と思わず呟いてしまった。新横浜を過ぎ小田原にかかると、白い富士が大きくそびえ立つ。放射能物質は、あそこまで飛んでいったのだろうか?あさはかな戦後の日本人たち(もしかすると明治以降の日本人かもしれない)は、この美しい自然を台無しにしてしまったのかと落胆する。

箱根を越えて、静岡に入る。美しい里山が広がる。「多分ここにもセシウムは来ているんだろう」という疑いと、「ここまでだったら来ないかも」という希望が入り交じる。

ケストラーの「ヨハネスケプラー」の訳書を読んで、残りの時間を潰す。この本はとてもおもしろいし、ケプラーのイメージが変わる。

名古屋に降り立つ。ここならきっと大丈夫、と少し嬉しくなる。

まずは、地下鉄を乗り継ぎ、名古屋城へ向かった。ここでの目的は2つ。城を見ることと、土を採取すること。名古屋城は結構人気があるらしく、上田城なみに観光客がいた。また、土の採集に関しては、名古屋の街の中は人目もあるし、ほとんどがアスファルトで覆われているので、採集は困難。そこで、名城公園の方なら採集できるかなと考えたわけだ。

名古屋城は、なんといっても、天守閣の石垣の反りが素晴らしい。清政の作だという。見事だ!また、この日の名古屋は晴天で、これらから大雪になるとは想像も付かない状態。帰京してから、ニュースで真っ白の名古屋城を見て驚いた。
名古屋城
さて、名古屋の土である。後日、ベクミルに持ち込み、LB2045で測定する。その結果は次の通り。
上が名古屋、下が佐久
はっきりしたピークは無い...しかし、なんとなく「構造」はあるような気がする。関係ないが、1460keV付近のカリウム40のピークがあるのは確認できる。これは、採集した場所になんらかの栄養分(植物育成用の)がまかれていたからだろう。

名古屋のスペクトルを、信州佐久のスペクトルと比較してみた。佐久の方がスペクトルの凸凹がはっきりしているような感じも受けるが、どちらも似たような感じがするという人もいるだろう。写真だけからはよくわからない。実は、名古屋のスペクトルの写真は手ブレしてしまって、よく値が読み取れない...再度測定して、数値化し、グラフに落として比較しないと、まだはっきりしたことは言えない。(再測定の分析結果はこちら。)

また、どちらも40Bq/kgという結果が出ている、名古屋の方が構造が少ないように見えることから、汚染は少ないように感じる。この辺りまでくると、ゲルマに登場してもらうしかないのかもしれない。少なくとも、LB2045の測定時間をもう少し長くしたいと思う。

LB2045で見る限り、名古屋も佐久もだいたい同じような「軽微な汚染か、それ以下」と分類してよいだろう。しかし、LB2045で測っても、0Bq/kgとなるような「完璧に汚染の可能性が0の土」を測ってみたい。そういう意味では、名古屋はまだ福島に近いのかもしれない。

ところで、名古屋の食事を楽しもうと思ったのだが、ちょっと躊躇することになった。まず、出かけたのは駅前の高島屋の地下にあった総菜コーナー。ここにあった中華屋さんで、餃子をおやつに買おうと思ったのだが、その宣伝ボードをよく見たら、誇らしげに「この餃子で使っているキャベツは、群馬の嬬恋のキャベツです」と書いてある。名古屋は汚染地帯のわずかに外側にあるわけで、自身は汚染が弱くても(あるいはされていなくても)、汚染地域からの物流は活発だ。ということで、外食はやめて、この総菜コーナーで産地を聞きながら、一品一品購入し、ホテルで食べることにした。鹿児島のローストチキン、青森米のおにぎり(イクラと明太子はロシア産)、そして北海道ジャガイモとオーストラリアビーフを使った神戸コロッケ、などなどを購入。



2012年2月3日金曜日

松本に引っ越すべきか否か?

onomatopoeia311さんからのコメントの中に次の質問があったので、考えてみた。その質問とは、「松本に引っ越すべきか否か?」だ。

松本の土壌汚染の度合いは、おおよそ10Bq/kgだという。また、空間線量を測ると0.10-0.20μSv/hが出るという。前者の値はとても低いものだし、後者の値は「放射線量結構あるね」という印象。果たしてどちらの数字を頼るべきか、という問題だ。

まず、最初の値について見てみたい。この数字の根拠となる測定はどのように行われたのか?引用されていたブログに飛んで調べることにする。まずは、松本市が行った市内学校の校庭の土壌検査。昨年の8月後半から9月にかけて検査を行っている。検査機器はゲルマニウムγ線検出器。測定限界が10Bq/kgだというから、おそらく15から20分の測定だと思う。この測定条件で、すべての地点がNDとなっている。これをonomatopoeia311さんは10Bq/kgと正しく解釈したのだと思う。もう一つのデータの出所は、木下黄太というジャーナリストのブログ。数字だけが書いてあって測定法が書いてない。科学者じゃないから、数字の意味はあまり考えないのだろう。これではちょと参考にはならない。(想像するに、松本市の測定と同じレベルの測定内容だとは思うが...)

松本市の測定は、信頼できると思う。スペクトルが手に入らないので汚染の有無は問えないが、放射能の数字から「汚染は軽微かそれ以下」だとは言い切れる。

次に、線量計で測定したら0.1から0.2μSv/hの値が出た件についてだが、RADEX 1706というガイガーで測ったということだ。私も同類のRADEX 1503を持っているが、このガイガーカウンタはちょっと高めに値がでる癖があると感じている。また、バックグランド補正も必要で、0.1が出ているということは実質0.05μSv/h程度で、また0.2μSv/hという測定値は0.14μSv/h程度に相当していると考えている。さらに、ガイガーカウンターというのは、核種を特定できないので、自然放射線も取り込んでしまうし、またβ線の遮蔽をやらないと意外に値が上下してしまう。(0.1-0.2μSv/hということなので、揺らぎが結構大きい気がする。)RADEXをつかって、RAMI解析をしてみれば揺らぎは小さくなり、さらにバックグランド補正をやれば、意外に線量は0.1μSv/h以下に落ち着くのではないかと感じる。現に、市のシンチレータによる測定は0.06-0.08μSv/hだというから、私の予想とぴったり符号する。

松本市は、フォッサマグナの西縁にあるため、そのすぐ西側に広がる古い地塊からやってくる自然放射能物質が結構混じっていてもおかしくない。この辺は、スペクトロメータを使って核種同定をすれば、はっきり分かるだろう。ラジウムとかビスマスとかが多ければ、ガイガーカウンタによる測定が高めに出るもう一つの理由として説明つくだろう。

ここまでの議論に基づけば、理論的には松本に住むのはいいアイデア、ということになる。ただ、フォッサマグナに近く、牛伏寺断層があったり、他の因子もあるから、トータルで考えていく必要もあろう。個人的には、松本はいい場所だと思っている。

松本市長は医師であり、チェルノブイリの人々を助けた経験も積んだ素晴らしい人だし、その人が司る市の活動の信頼性は高いと思う。しかし、科学者は自分の手で全て確認してみたいと思う訳で、それが終わるまでは最終的な結論は出すのは控えておく。近々、松本には測定旅行に行く予定だ。

ちなみに、最近、世田谷近くの土壌測定をベクミルのLB2045で行った。予想していたとはいえ、綺麗な「セシウム3兄弟」のピークが立ったのを見て鳥肌がたった。松本の土を測定しても、こんな綺麗なピークは立たないと思う。ちなみに、この土の採集地点の空間線量はJB4020で0.12μSv/h(補正すると0.07μSv/hに相当する)だから、「汚染は弱い」と普通は判断されるだろう。土壌のセシウム汚染の有無は、ガイガーカウンターでは手が出ないと痛感した。(逆に、ガイガーでひどい値が出る場所は、数万Bq/kg以上のものすごいひどい土壌汚染が起きている場所だと思う。)

今朝の新聞で、横浜の側溝で7μSv/h弱の線量が出たという報道があった。また、securitytokyo.comによると、小田原のミカンがセシウム汚染されているという報告もあった。柏のみならず、船橋、浦安、市川、市原などの土壌も汚染されているというブログの記事がある。更に、私の学生の計測によると上野公園は0.2μSv/hほどの線量がいたるところで測定できるという。噂だが、埼玉県和光の土は綺麗なセシウム三兄弟のスペクトルを出すとか。これらの事実から推測するに、関東平野は全土に渡ってセシウムで汚染されてしまった可能性が非常に高い。関東平野に比べれば、松本平の汚染など無視できるほど低いと思っている。

2012年2月2日木曜日

アメリカの2つの原発で事故:レベル1らしいけど。

アメリカの原発2つが事故を起こしたらしい。

一つはシカゴ近くのBylon 2原子炉。外部電源が落ち、原子炉圧力を下げるために、ベントした模様。福島の最初のケースと似てる。トリチウムが環境に放出されたと報道にある。発生は1/31。現在は外部電源は復旧したというが、この辺りは昔から放射能物質のリークがひどいところ。内部被曝で病気になって死んでいる人も昔から多数いたという報道がNHKで以前報道されていた。「いつもの」事故なのか?

もう一つは、カリフォルニアの原子炉。こちらは、配管からの水漏れタイプ。発生は2/2。こちらは原子炉は異常なし。

どちらの事故も、放射性物質の放出は「微量」で、健康には「影響ない」そうだ。日本政府の発表とまったく同じの文面で驚いた。

これらの事故の報道は、英米の主要紙のweb siteからはすでに無くなっている。大事故ではなさそうだが、周辺の住民が気の毒。ぜったい内部被曝してるはず。