2012年2月12日日曜日

事故の力学法則(2):NASAのスペースシャトル爆発の場合

まずスペースシャトルについて簡単にまとめておこう。

アポロ計画で月にまで人間を送ることが可能になったアメリカだが、一回一回の打ち上げ費用が膨大で、定期的かつ持続的に宇宙へいくことは困難な情勢となった。残り三回の打ち上げを残していたが、1972年を最後にアポロ計画は中止された。

アメリカが次に欲しかったのは、宇宙への「定期便」だった。が、それは「安く」打ち上げないと意味がない。そこで、アポロ計画のような使い捨てシステムではなく、何度も再利用が可能なシステムの開発を目指すことになった。当初日本で「宇宙往還機」と直訳された「スペースシャトル計画」はこうしてアポロ計画の直後の1972年に正式に認められることになった。「宇宙に行ったり来たりを、安く気楽にやる」というのが鍵となる概念だ。

1981年に最初のシャトル「コロンビア」の打ち上げが成功し、5年ほどの間着実に打ち上げ実績は上がっていった。シャトル打ち上げがニュースにならなくなっていったが、まさにそれこそが、シャトル計画の目指す目標だった。「宇宙に行き来するのが当たり前」ということだ。

この頃、NASAの技術者の間には、定期的にシャトルを打ち上げるということが如何に困難であるかが、少しずつ分かり始めていた。一回の宇宙旅行を終えて帰ってきたシャトルは、宇宙にあふれる放射線、大気圏突入時の高温、それから大気圏脱出のための高加速などによってぼろぼろに痛んでおり、それを一つ一つ確認し、修復するのは予想以上に手間と金のかかる作業だったからだ。

打ち上げのペースを落とし、検査にもう少し時間をかけるよう技術者の方から要望があがったが、NASAの上層部をそれを無視する。定期的に打ち上げて、打ち上げコストを下げないと「シャトル」の意味がなくなってしまうと考えたからだろう。まさに、事故の力学の第一法則、すなわち「慣性の法則」が働いたと思われる。事故を起こした時の代償と、コストが膨らんで(アポロのように)計画が中止されてしまうという損害を、「知性」と「良識」、そして「倫理」の観点から比べることができなかったのだろう。こうして、現場からのSOSを無視したまま、1986年1月28日を迎えてしまう。

チャレンジャー号の爆発(NASA提供)
右下にたなびく細い煙状の「雲」の間を拡大すると、落下する乗組員が確認できるという。この段階で彼らは生きており、脱出装置が付いていたら助かったかもしれない、と言われている...実は、脱出装置の概念はアメリカ空軍のものであり、NASAのものではなかった。NASAは脱出装置を無用と判断し、外してしまったという報告がある。シャトルの打ち上げ費用を安くするために、安全を軽視して、無駄を削減したわけだ。福島原発のベント装置にあるべきはずだったフィルターが取り外された経緯と似ている感じがする....)

チャレンジャーの事故は、最初の打ち上げから25回目、コロンビアの打ち上げから5年後に起きた。事故の原因究明のための委員会が大統領命令によって立ち上げられ、「専門家」による検証が始まった。その中に、ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者R.P.ファインマンがいた。

0 件のコメント: