天然ウランには99.3%のウラン238と、0.7%のウラン235が含まれている。原子力発電で用いる連鎖反応を起こしてくれるのは後者のウラン235だから、天然ウランは「非常に燃え難い」。
天然ウランを用いた原子炉はしたがって効率が悪い。しかし、ウラン235の比率を高めた「濃縮ウラン」を生成するには高度な技術と莫大な電力がかかる。発電が目的なのに、その燃料を生産するときに電気を利用してしまったら、もとが取れない可能性があり本末転倒な事態になってしまう。
日本政府は当然天然ウラン炉を利用する方向で当初計画を進めていた。これにはもう一つ理由があった。この当時、ウラン濃縮のノウハウを持っていたのはアメリカのみだったが、濃縮ウランは原爆などの核兵器に転用できるため、遠心分離の技術公開はもちろん、濃縮ウランそのものの商取引もアメリカは手控えていた。一方、イギリスは、軍事利用の色合いが濃い濃縮ウラン技術の開発ではなく、「平和利用」の色合いが強い「天然ウラン炉」の開発を進めていた。天然ウランを原料にするということは、ウラン235の比率が非常に低いため、そのままでは原爆にならないし、ウラン鉱山から採掘したまま、加工(つまり濃縮)せずに原子炉で利用するから手間が省ける。この「平和利用」の方面では英国は当時世界一の技術を持っていたので、日本政府は最初の原子炉を英国から輸入することに決めた。これは東海一号炉と呼ばれる。しかし、その分、発電効率が犠牲となった。(英国はプルトニウム製造工場として同時利用することで、経済的にはもとをとったという。しかし、それでは核兵器の原料を作る事になってしまうから平和利用とは到底呼べない。英国も本音と建前を使い分けていたということだ。ウラン原子炉がなぜプルトニウム製造工場になりうるかについては、こちらを参照のこと。)
日本での運用にあたり、この原子炉の効率の悪さは解決できない問題となってつきまとった。例えば、高出力でフル稼働すると、炭酸ガスによる鉄の腐食が予期せず(つまり想定外に)発生し、原子炉の強度に問題が生じる事態となってしまった。そこで、70%の出力で発電することになったが、それでは経済的にもとが採れない赤字運転となってしまった。大合唱していた「平和のための天然ウラン原子炉」のキャンペーンの音量は急速に萎み、結局英国式の原子炉は一台限りで終了となったばかりでなく、設計寿命の30年を待たずして1998年に廃炉となった。
また、地震のない英国仕様の設計だったため、耐震設計が弱かったのも問題だった。日本の状況に合わせて改良しようとしたが、原子炉の設計情報は英国の機密扱いだといわれ、耐震改良することすらままならなかった。それでもなんとか苦労してそれなりの工夫を施すことができたようだが、それが建築コストや維持コストを跳ね上げる結果となり、経済効率性をさらに悪化させた。結局、人様のものを使うというのは、楽なようでいて、とても無駄の多い事だ。自前で開発したソフトの方が使い勝手がいいというのと同じだ。(最近は、ソフトウェアの世界でも「標準化」が流行っているが、汎用の一般ユーザー向けのソフト製品ならともかく、ロケット制御や、スーパーコンピュター開発など、世界の最先端を狙うなら、「標準化」は二番煎じとなるだけで無駄が多いシステムとなるはずだ。mathematicaの計算エンジンが、汎用の計算ライブラリを使っているとは到底思えない。)
そこで、仕方なく「濃縮ウラン型の原子炉」へと日本は舵を切る。丁度この時、アメリカも原子力政策の方針転換があった。
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