2015年9月17日木曜日

量子力学における「変換」の定義

量子力学は、線形代数によって定式化された物理理論と見なせる。特に対角化による基底変換が重要となる。「よい基底」を見つける事ができると、物理が簡単になるからだ。

量子力学の演算子の変換の定義で、いつも迷うのが逆行列か、エルミート共役か、である。つまり、変換Tによって、演算子AがBに変換されるとき、
と書くべきか、それとも
と書くべきか?という迷いだ。

普通はどちらで書いても問題ない。というのは、量子力学で使う変換というのは大抵の場合ユニタリー変換だから、
が成り立つため、どっちの変換定義を選んでも同じことになるからだ。

しかし、そもそもどちらから話しが始まったか、最近どうしても気になってしまい、Dirac, Messiah, Sakuraiで読み直してみる事にした。

Sakuraiでは、逆変換はまったく出て来ない。スカラー積が保存されるべし、というのが基本原理になっていて、最初からユニタリー変換を基軸にして理論を構築していく。アメリカ人(ほんとは日本人だけど)らしい、実際主義な書き方だと思う。

一方、Dirac, Messiahは逆変換から理論を始めている。

MessiahはDiracの教科書を踏襲しているらしく、話しの内容はほとんど同じ。Messiahの教科書は、結局、Diracが「自明」として書かなかった部分を付け足したりや、現代的な用語を使ってないところを現代的に書き直したり、そんな感じの「修正」に過ぎない(と思う)。

Diracは「量子力学の祖」ということでノーベル賞をもらっている訳だから、Diracの教科書が「正統」だろう。これに異を唱えることは、量子力学に挑戦することを意味する(それをやってはいけない、という意味ではない)。少なくとも、私は挑戦しない...それにしても、Diracの書き方は昔風で、用語も現代の観点からすると馴染みのないものが多いので、読み難い。とはいえ、理論自体は明快で、いったん現代の用語との対応がわかれば、「目から鱗」状態になるのは周知の通り。

さて、逆行列からスタートするというのは、固有値方程式(特にエルミート演算子の)の固有値を保持する、という観点に着目しているからだ。それがユニタリー変換に制限される理由は、エルミート演算子をエルミート演算子に変換するという要請である。Diracを読んでいてこのことに気付いたのは、今回が始めて。もちろん、昔読んだ訳だが、先を急いで読んでいたので、こういう細かいところは忘れてしまっていた。

ということで、演算子の変換は逆行列で定義され、それを量子力学の要請によって、ユニタリー変換に制限する、というのが正しい論理のようだ。

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