2011年7月30日土曜日

警視庁のSIT

昨晩めずらしくドラマを見た。警視庁もので、SITという特別部隊の話。

ある場面で、任務を誇り高く思っている、ある警官が
「自分は警視庁のシットです。」
といった。

しばらく呼吸ができないほど、のたうちまわって、爆笑した。

(追記:SITというアクロニム自体は悪くないと思う....Special Investigation Force、SIFにしておけばセーフだったのに。)

2011年7月29日金曜日

言論統制の気配:経済産業省による原発に関する情報の監視

東京新聞の朝刊記事を見て言葉を失った。言論統制の気配がある。

しかも監視事業を請け負った会社の理事は電力会社の役員が兼任しているとか。

経産省が国民の言動を監視するなら、国民の方でも彼らの動きを「監視」しなくてはならない。特に、この事業委託金が税金で支払われていることは注目すべきだ。2011年度に関しては、7000万円(!)も、我々国民を監視するために、国民の税金が消えてしまっている。それ以前の数年間ではトータルで1億数千万円が、税金から(電力会社系の広告会社に)支払われてしまったようだ

この情報監視の目的は、「原発に関する『誤った』情報が広がるのを防止するため」、だという。たとえば、放射能物質の拡散予想やホットスポットなどのことだろう。SPEEDIが公開されなかったのも、これに似た政府機関(電力会社関係の影響下の?)から横やりが入ったためだろうか。SPEEDIを抑えたら、次は早野Twitter早川Blogを潰そうとでもいうのか?実際、監視の対象は、今年から個人の情報発信にも拡大されたという。ブログやTwitterの書き込みが標的だということだ。

情報を潰して、懐には多額の税金が転がりこむんだから、一石二鳥もいいところ。そら恐ろしい感じがして、背筋に冷たいものが走った。

2011年7月26日火曜日

軽井沢の放射能汚染:番外編(ある週刊誌の測定)

知らなかったのだが、とある週刊誌の記者が7月上旬に軽井沢で空間線量の「測定」をしたという。科学者でない彼らの測定を信じるかどうかは読者の判断に委ねるが、数字を見た限りかなり高めの数字が出ていると感じる。(実際より高い数字が書いてある、という意味。)

測定方法についての記述がないのでなんともいえないが、想像するにこういうことだろうと思う:安めのガイガーカウンタを購入し(例えばJB4020など)、おそらく30秒モードなどに設定して、数分から数十分測定を行ったのだろう。そして、表示された値の中で、最高値のみを「測定値」として記録すると、ああいう値(”スーパーホットスポット"とか呼んでるらしい....)になると思う。

確かに、私の測定でも、碓氷峠で0.39μSv/hという値が10分の内に2度出たが、同時に0.12μSv/hと0.16μSv/hも1回づつ出た。これらを平均すると(2*0.39 + 0.12+0.16) / 4 = 0.265μSv/hとなる。(これでも高いくらい。信頼できる平均値を求めるなら測定回数を増やしていって収束する回数を見つけるべき。)放射線現象の特質により、安いガイガーカウンターの瞬間測定値は乱高下する傾向がある(リンク先の図は碓氷峠見晴台での測定結果)。だから、瞬間値はあまり信頼せず、長時間平均を採用すべきだと思う。

例えば、最高時速100キロ以上で走ることのできるチーターは、一時間後に100キロ離れた町まで走って買い物に行けるかというと、そうはならない。彼らが全力で走れるのはせいぜい140mくらい、つまり5秒程度しか全速力で走れないのである。一時間後にチーターの位置を測定してみたら、出発点から200m程度しか離れていないところでへばっていた、なんてことになるのである。平均時速にして、わずかに0.2km/h。人間より「遅い」ことになる。いうなれば、チーターから200mも離れていれば、私たちの方が足が「速い」わけで、「走って逃げ切れる」のである。(自分で試してみようとはちょっと思わないが....)この例からわかるのは、今気にすべきことは半減期30年のセシウム137による長期間の被曝線量だから、ポツポツと稀にしか来ない放射線の瞬間線量がちょっと高めだとしても、その長時間平均値が低ければ問題ない、ということだ。(チーターには食われない、ということ。)

[追記:1個の放射線が飛んできてDNAを部分的に破壊するとする。生物はある程度時間をかければガンマ線一個程度で傷付いたDNAなら修復できるだろう。この生物が放射線によって健康被害を受けるかどうかは、DNAを修復するまでに次のガンマ線が何回飛んでくるか、さらに修復までに細胞分裂が何回起きるかによって大雑把に決まるだろう。たとえば30秒以内に、誕生、成長、そして死を迎えるような短寿命の、人間サイズの生物を仮に考えよう。またこの生物のDNAの修復時間1分とする。つまり、この生物は一生損傷したDNAを修復できないとする。このような生物にとって、瞬間の放射線量が0.5μSv/hのような比較的高いエネルギーをもったガンマ線が一発あたるのは致命的だろう。損傷したDNAを使って次から次へと細胞を作ってしまうからだ。一方、寿命が10年間の、似たような大きさの生物を考えよう。とはいえ、幼少期は細胞分裂が盛んなので、成長した後の状態、つまり細胞分裂が落ち着いた状態を考える。この生物も1分でDNAを修復できるので、ガンマ線の年間平均エネルギーが低ければ、30秒間に一回高いガンマ線を浴びたとしても、次の60秒間に弱いガンマ線しか来なければ、この間にDNAを修復してしまうだろう。むろん、成人しているので細胞分裂のスピードは遅く、修復してから細胞分裂が起きる。このような状況では、稀に起きる高エネルギーのガンマ線被曝は健康にあまり大きな影響を与えないだろう。喩えでいうと、波打ち際の砂に描いた漫画の大作が、波に部分的に消される様子を考えればよい。大きな波が来ても、次の大波が来るまでに、漫画を修復できれば、この漫画を読むことはできる。実際テレビ画面がこれと全く同じで、瞬間的に映像は作られすぐに消えてしまう。が、人間の脳が映像の消滅を認識する前に、再度映像を点灯しているだけだ。したがって、よく見るとテレビ画面は点滅している。人間の意識の反応時間より短い間隔で変な映像を途中に入れたりしても、それを見抜くことはできない。]

私の測定の場合20回測定の平均値を採用しているが、一応、ある地点で、20分で40回測定した場合と、10分で20回測定した場合の平均値を比較し、大差ないこと(ほぼ収束していること)を確かめてある。

2011年7月25日月曜日

軽井沢の放射能汚染:セシウム汚染測定の旅(離山の西)

ショーの教会を離れ、人で一杯の旧軽銀座を最徐行で抜ける。車の目の前で、井戸端会議を始めてしまった通行人にクラクションを浴びせる訳にもいかず、浅野屋の前で辛抱強く待ち続ける。途中で歩行者天国になるので、左折して腸詰め屋の方へ抜け、万平にはいかずに駅前の大通りに抜ける。この辺りは離山の東側になる。18号に抜け、軽井沢中学の前を通ってさらに行くと、右手に軽井沢病院、ついで軽井沢町役場に到着する。

軽井沢町では5月の連休の時期に、木の苗を只で配る催しがある。昔行ったときは、朝五時起きで長蛇の列に並び、ブルーベリーの苗をもらった。青空に浅間山の煙がたなびく、気持ちのよい初夏の一日だった。温暖化も放射能汚染も無い、平和で美しい日本だった。

さて、感傷に浸っている場合ではない。軽井沢町役場は、放射能汚染の実態を掴んでいないらしく、最初は群馬大の早川先生の測定値が公開されるや否や、早川先生の測定を認めない立場をとったそうだ。私の測定でも、明らかに碓氷峠離山の東側の地域は、高い線量を記録している。軽井沢のセシウム汚染は(深刻ではないが)間違いない事実だ。その汚染レベルは、まだはっきりはわからないが、東京のホットスポットと同程度ではないかと疑われる。特に、碓氷峠の汚染は結構ひどい

軽井沢町は、おそらく職員の手軽な測定場所として、軽井沢病院でのみ測定を行っている。この一地点のみの測定で、軽井沢全体、特に観光客の多い旧軽のあたりを安全と宣言するのはやりすぎだと思う。碓氷峠やショーの教会での測定の直後に、私の持っているガイガーカウンタで病院における値を測れば、これらの地点の汚染レベルの関係がはっきりする。そういう意味で、ここはぜひとも測定しなくてはならない場所だったのだ。

まずは、町役場の西玄関の前にある芝生において測った。

例のごとく、30秒間隔で10分測定し、平均値を出す。その生データの値は0.13μSv/hだった。前にも議論したように、JB4020は少し高めの値を出す傾向があるから、シンチレーションカウンターA2700による校正を行い、補正値を計算する。その値は0.11μSv/hとなった。結構高いと思う。

次に、隣にある軽井沢病院の敷地に歩いて向かう。皇后陛下の歌碑があり、そこで測定することにした。
ここでの値は、生データで0.11μSv/h、補正値で0.08μSv/hとなった。軽井沢町の測定では、病院の値は7/21で0.07μSv/h、7/22で0.06μSv/hだから、私の測定とだいたい一致している。

こうして見ると、碓氷峠から中山道にそって下ってくるに従って、線量は次第に低下してくる傾向がある。補正値(生データ)を使ってまとめると、

横川SA   :0.20 (0.23)
-------------------------------------------------
碓氷峠(見晴台):0.22 (0.26)
ショーの教会  :0.14 (0.16)
.........................................................
軽井沢病院   :0.08 (0.11)

という結果が得られた。単位はμSv/h。

まだ仮説の域を出ないが、軽井沢の汚染は離山の東西で2つに分類できるのではないか、と思っている。つまり、東の汚染はよりひどく、西の汚染はあまりひどくない、ということである。

軽井沢に住んでいる人で、離山の「あっち」と「こっち」で天気が大きく変わることを経験している人は多いと思う。測定した日も、旧軽銀座から降っていた小雨は、離山を過ぎたあたりでぱったりやんでしまった。御代田に近づくころには、空は青く晴れ、お日様が顔を出した。前にも議論したようにNHKによる解説も)、セシウム汚染の鍵は、プルーム濃度と降雨のタイミングだ。雨の降りやすい離山の東側は、セシウムに汚染されやすい環境だったと考えている。

この仮説を証明するためにも、軽井沢の汚染マップ作りをこれからしばらくやってみようと思う。次のターゲットは、雲場池ショッピングモール、中学校などである。

追記:その後測定した、軽井沢のある地点における土壌汚染(セシウム汚染)の結果はこちら。

軽井沢の放射能汚染:セシウム汚染測定の旅(ショーの教会)

碓氷峠より、細く曲がりくねった旧中山道を車で下り、小さな川に架かる橋を渡る。ショーの教会に到着する。森の中にあるこの教会は、日陰で湿気の高い、まさに「軽井沢」の典型的な場所にある。

ショーの像の右下にある、白い袋がガイガーカウンタ。
カナダに移民したスコットランド人の家系に生まれたアレクサンダー•ショーは、英国国教会の布教活動のために明治の日本にやってきたという。軽井沢の気候や自然の雰囲気は確かに英国に似ているから、彼がたまたま通りかかった軽井沢を気に入ったのはよくわかる。うだるような東京の暑さを逃れて、信州の軽井沢で夏を過ごすようになったのだろう。中山道の宿場としてではなく、避暑地としての軽井沢を再開発したのが、このカナダ人の宣教師だったとは知らなかった。後に、ジョン•レノンも夏の軽井沢の常連となるのも、彼が北イングランド(リバプール)出身だからだろう。

さて、今回の目的は観光ではなく、測定なので、さっそくガイガーカウンターを取り出す。測定地点をいろいろ物色し、ショーの銅像の脇の苔の上に決める。30秒間隔で10分間の測定を行い、その平均値を出す。補正を加えた値は、0.14μSv/hとなった。結構高いが、碓氷峠の6割近くまで落ちている。ちなみに、峠の手前の横川SAでは、補正値が0.20μSv/hとかなり高い。風上と風下の違いはこれだけの差になって出てくるということか?

この日最後の測定地点として、軽井沢町が測定場所に選んでいる軽井沢病院へと向かう

軽井沢の放射能汚染:セシウム汚染測定の旅(碓氷峠)

前回の軽井沢セシウム汚染の測定記をまとめておく。

7/24の午後、軽井沢の5つの地点で、ガイガーカウンタJB4020(中国製)による空間(および地表)線量の測定を行った。測定地点は、碓氷峠の峠町と見晴台、ショーの教会、そして軽井沢町役場と軽井沢病院。ちなみに、最初の3つは離山の東に位置し、最後の2つは西に位置する。私の推論では、離山を境界にして軽井沢地区の汚染レベルは2つに大別できると思う。

もっとも汚染の高かったのは、碓氷峠だった。峠町も見晴台も補正値にして0.22μSv/hを記録した。30秒平均だと最大で0.39μSV/h(生データ)も記録している。こういう値を見たのは初めてだ。

最初に、峠町のとある茶屋に行く。
とある茶屋のベランダで、ちから餅を食べる。

名物のちから餅を食べる(¥400)。たくさんの種類があって目移りしたが、今回はアンコを頼んだ。(「次回」があることを祈る....)美味しいだけに、涙がでる。誇らしげに「地元湧き水を使った珈琲」とメニューにあった。それが仇になるとは。科学者であるから、この程度の汚染では健康被害は無いとは信じているが、ちょっと「地元湧き水」を飲む気にはなれなかった。ちから餅を一皿食べるだけで、精一杯であった。ちなみに、この茶店のベランダで測定を行った。緑が濃く、涼しい風が心地よい。午後の碓氷峠は人影もまばらで、静かだった。
ベランダからの眺め。いつもの夏の軽井沢の風景なのだが...

しかし、高い数値が計測されるたびに、その空気がひどく汚染されていることを思い起こさせた。呼吸を止めたくなるような衝動が襲い、「自分は科学者なんだ。このくらい大丈夫だ」と言い聞かせた。
峠町の茶店にて空間線量を測定する。

この茶屋の駐車場に車を止めさせてもらい、見晴し台まで歩いて向かう。友人の結婚式を行った熊野神社を横目に中山道を下る。彼もまさか自分の人生の節目の場所がこうなるとは思っても見なかっただろう。うっそうとした森を抜けると、視界が開け、横川、妙義方面の山々が見渡せる見晴台についた。

天気は悪い。じめじめしていて、降水量が多いのがわかる。風は涼しいというより、ちょっと寒いくらい。この地理的な特性のせいで、この地がひどく汚染されたのだ。セシウムクラウドとそこからの降雨は、気流上昇に伴う飽和水蒸気量の減少により、この碓氷峠で生じたのだと思う。風景の美しさを感じる度に、東電への怒りがわき上がる。もっと美しい福島や那須の大地では、もっと激しく感じることだろう。測定地点は、県境の標柱の元の地表で行った。ここでも、補正値にして0.22μSv/hが観測された。
測定地点。地面に置いて測定。
中山道を下り、旧軽銀座へ向かう。昔の軽井沢宿の入り口にあるショーの教会で測定するためだ。続く。

追記:その後に行った軽井沢の土壌汚染(セシウム汚染)の結果はこちら

軽井沢のセシウム汚染;ガイガーカウンタJB4020の校正

軽井沢のセシウム汚染が結構ひどいらしいことがわかったので、さっそく測定にいってみた。使用したのは、ガイガーカウンターのひとつJB4020(中国製)。比較的安く、すぐに手に入るということで、これを選ぶ。基本機能は、30秒間の測定値を平均し、線量に変換して表示するというもの。

少しいじってみると、色々問題が判明した。一応60秒平均モードに変更することは可能だが、スイッチを切る度にリフレッシュして30秒モードに戻してしまうので、かなり不便。

また、30秒(あるいは60秒)間隔で平均を取ったあとは、前のデータを捨ててしまうので、自分で記録をとって最後に手で全平均値を計算する必要がある点。これはかなり面倒くさい。PCに転送する機能も当然ないので、データの打ち込み、計算式の設定などをエクセルなどでその都度やる必要がある。

最後に、放射線現象というのはランダムに近い現象なので、30(60)秒平均をとったとしても、その値はばらつきが結構大きい。例えば、碓氷峠で記録を取ったときは、0.39μSv/hという値が出たり、0.12μSv/hという値が出たりした。(下図参照。)このような性質があることを考慮すると、10分以上の測定を何度も行い、全体の平均値をとって測定値としてやる必要がある。しかし、このやり方は時間がとてもかかるのが難点。

碓氷峠の見晴台におけるJB4020の測定例。結果は補正前の生データ。
30秒毎に平均値を表示。横軸は観測番号。縦軸は線量(μSv/h)。
トータルで10分の計測を行い、この時間におけるの全平均値は
0.26μSv/h(生データ)。CsIシンチレーションカウンターを用いて
補正した値は、約0.22μSv/h。

JB4020の機械としての特性は、ちょっと数値が高めに出る傾向があること。これは、群馬大の早川教授の測定データを使って校正することにした。彼は高価なCsIシンチレーションカウンター(A2700)を使って測定しているので、そのデータの信頼度はガイガーカウンターよりはかなり高いだろう。校正地点は(1)峠町(碓氷峠)、(2)ショーの教会(旧軽銀座、中山道の旧軽井沢宿の入口付近)、(3)軽井沢町役場、(4)軽井沢病院の4つ。ちょっと少ないかもしれないが、今回は時間切れとなってしまった。近いうちに、雲場池やショッピングモールの値も取り込みたいと思っている。

JB4020の値とA2700の値を比較したのが下の図。
校正曲線:JB4020をクリアパルスA2700で補正する。
0.16μSv前後で曲線の振る舞いが変わるので、2つの放物線を組み合わせて校正する方法と、4次関数で補正する方法と2種類試してみた。数値計算してみると、少数以下2位の範囲で今回のデータは一致したので、どちらの方法でもよいということが確認できた。この方法で補正すると、次のような感じとなる。(単位μSv/h)

JB4020(生データ)JB4020(較正後)
0.11(病院)0.08
0.13(町役場)0.11
0.16(ショー教会)0.14
0.26 (碓井峠)0.22

セシウムの半減期は長いので、早川先生の測定した6月30日とあまり変わらないとは思うが、それでも数パーセントの減少はあるはずで、そこの部分の考慮がこの校正には入ってない。しかし、軽井沢町の病院における直近の測定(7/22)があったので、それと比べてみると補正後の値とよい一致を示している。上の測定補正値はそれほど悪くないだろう。

最後に、早川先生の測定データの無い、自分の別荘(離山の東の山間部)における値を見てみる。一番高く出たのは、花壇横の落葉の上で、生データが0.17に対し、補正後は0.15。また、車置き場の砂利の上では、生データ0.15に対し、補正値は0.14となった。結構高い....

ちなみに、中山道を下って、佐久平まで行き、とある畑の土の上で測定したところ、生データ0.1に対し、補正値0.06となった。単位はいずれもμSv/h。軽井沢の東部(離山の東)と比べるとかなり低く、ほとんどバックグランドレベルといえるだろう。

言い換えれば、軽井沢の汚染は付近に比べ、抜きん出てひどいらしい、という予想だ。この値が、東京のホットスポットに匹敵する程度なのかどうかは、さらなる調査が必要だと思われる。小諸や上田、長野の測定も必要だ。(特に菅平と鹿教湯。)

噂通り、碓氷峠や離山の東はやっぱり汚染度が高かった。(とはいえ、那須に比べれば圧倒的に低いが。)これはショックだ。この続きは改めてまた

(追記:JB4020を上手に使いこなすと、意外に高い精度で測定することができる。その方法についてはこちらこちら。ばらつきについての考察はこちら。ベータ線を遮蔽してセシウムからのγ線をより正確に測ることについてはこちら。)

2011年7月24日日曜日

信州のセシウム汚染の度合い:アメダス及び群馬大の早川教授の測定を分析する

国立環境研究所のシミュレーションによると、碓氷峠近辺から、セシウムの放射能雲が信州に流れ込んで来ている。軽井沢は雨が多く、霧がかかることも多い場所だ。一方、峠を下って佐久、上田に来てしまうと、これは日本でも最も降水量の少ない地域となる。(が、このあたりは雷雨が多いことは気にかけておくべきだろう。)

3/15から16にかけて、この地域でどの程度降雨があったか、アメダスのデータを使って調べてみた。

長野菅平上田東御鹿教湯立科佐久軽井沢
22時2.51.5--1.0---
23時1.01.50.51.02.01.0-1.0
00時-1.00.50.00.50.0-1.5
01時-1.01.50.0-0.01.51.0
02時-0.50.50.01.50.00.5-

放射性プルームが信州に入り始めた午後9時以降に、一番多く雨が降ったのが長野市。ただし、長野はプルームの侵入経路の末端(入射口は軽井沢)だから、セシウム雲の濃度は低かったかもしれない。とはいえ、下水汚泥に高い濃度のセシウム137が出ているから、やはり影響はあったのだろう。(長野市は最大が5月上旬で3,000Bq/kg、7/14では1230Bq/kg。川崎は7/9でも13,200Bq/kgもあり、東京では最大が5月上旬の170,000Bq/kgと驚くべき値。)

プルームが信州に最初に侵入した軽井沢はどうかというと、日付の変わる頃にやや強めに降っている。群馬大学の早川先生の測定によると、案の定、軽井沢の汚染具合は信州でおそらく最も高いレベルにあると思われる。埼玉や、群馬の都市部よりも、碓井峠や旧軽井沢の空間放射線レベルは高めに出ている。面白いことに、離山を境にした東西でレベルに2倍ほど差がある。驚愕したのは、碓氷峠の見晴し台。ここは、0.261μSv/hもある!柏や松戸と同じ程度の汚染レベルではないだろうか? (軽井沢の測定記録はこちら

この降水データを見ていて興味深いのは、鹿教湯と菅平だ。日付が変わる頃、結構強く降っている。また、シミュレーションでも、この時間に比較的濃いプルームが周辺までやって来ている。ここはまだ誰も測定していないので、調査してみようと思っている。

2011年7月22日金曜日

NHKスペシャル(広がる放射能汚染)の分析:セシウムによる土壌汚染

先日、NHKスペシャルでシリーズ原発危機というのがあった。特に、その第二回「広がる放射能汚染」の内容に注意すべき内容があったので、詳しく見直してみることにした。

内容の情報源は、国立環境研究所の大原さんのシミュレーションが主で、そのあと、ヘリコプターなどを使った実測を行っていた。(実測値は、シミュレーションでもっとも汚染がひどいと予言された栃木県那須塩原市で採取された。)

今回のレポートではセシウム137および134に注目している。それぞれ半減期は約30年および2年である。両者共に、常温で細かい粒子状(粉末状態?)の形態をとり、風に乗って環境に飛散していくと考えられている。したがって、乾いた空気中の放射性セシウムの濃度が、ある程度高くなったとしても、そのまま飛び去ってしまうため、(乾いた)汚染空気が通り過ぎた場所だったとしても、土壌汚染はあまりひどくならないらしい。セシウムが土壌汚染を引き起こす条件は、濃度が高い汚染空気(雲のこと)から雨が降る事だという。雨粒と一緒に(砂を含んだ水滴のようなイメージ?)大地に降り注ぐとき、汚染がもっともひどくなるらしい。

まずはこのシミュレーションの詳細から見て行くことにしよう。使われた気象モデルはWRF v3.1というもの。アメリカの地球物理関係の研究所および米軍が中心となって開発しているシミュレーションで、Intel Fortran compilerがあれば動かすことができる。

次に、化学物質の拡散(伝搬)シミュレーションとしては、CMAQ v4.6が使用されている。これもアメリカの環境科学の研究者によって開発されたもので、主に大気汚染のシミュレーションに使用されている。放射性物質のためのシミュレーションではないので、崩壊による核種の変化や、量の増減については再現性が劣る。(ちなみに、日本政府が開発したSPEEDIは放射性物質に特化された拡散シミュレーションだったが、コードの公開も、計算結果もほとんど公開されず、役立たずの烙印を押されている。)

さて、この2つのコードを組み合わせて行われた国立環境研究所のシミュレーションだが、その計算グリッド数は117x117x34で、水平分解能は6km。計算領域は北海道渡島半島南部から大阪までである。標高に関するデータは若干いい加減なところもあるが、グリッド分解能の精度の数倍程度は信用していいだろう。感覚的なところで、10−20km程度の誤差はあろうが、大雑把なところでは合っているだろう、という感じか?(計算を実行した本人が作ったプレゼン資料はこちらこちらで見る事ができる。)

さて、このシミュレーションをきれいにまとめたNHKのプレゼンを見てみる事にしよう。
まずは、3月15日から。この日の早朝、まず2号機でベントが試みられた。(このベントは失敗したと、東電は思っているらしい。)そして、午前中には、2号機、3号機、4号機で火災などが発生。この際、格納容器(4号機は使用済みプール)が破損し、放射性物質が環境に漏れだしたと考えられている。

最初の図はこの日の朝9時の状況をシミュレートしたもの。

茨城県、埼玉県、東京都に、放射性セシウムの濃い雲(プルーム=煙)がかかっている。千葉や神奈川にもプルームは流れている。しかし、このときは降雨がなかったので、ひどい土壌汚染は生じなかったらしい。(プルームが来ていると知ってしまっただけで、あまり気持ちいい感じはしないが....)

次いで、午後4時に相当する計算結果を見てみよう。

プルームは、東京、神奈川、山梨の県境あたり、つまり奥多摩や丹沢といった関東山地の一部にかかっている。また、秩父山地や妙義荒船山系を含む、埼玉、群馬、長野の一部にプルームが来ている。主に関越道、上信越動に沿った地域に放射性物質がやって来ている。茨城、栃木の南部、埼玉全域、群馬南部の上空はひどく汚染され、長野県の佐久上田長野地域まで染みこみ始めている.

この段階で、北の方から雨が降り出したらしい。しかし、雨はまだ新潟のあたりにあり、関東や信州では降っていなかった。

最後に、午後9時に相当するシミュレーション結果を見てみよう.

栃木県の平野部、群馬のほぼ全域、そして長野県の東信地域(主に軽井沢や佐久など、群馬との県境地域)に濃い目のプルームがかかっている。そしてこのとき、雨が降ったらしい。

そのときの降水の様子を次ぎの図に示す。
群馬県の西部、栃木県の北部、山形県の南部、新潟県の東部、そして長野県の東信地域で雨が降っており、またその地域のプルーム濃度が高めになっている。特にまずいのが、栃木県の北部の那須塩原のあたり、そして、群馬県の西部(前橋、高崎の付近一帯)、そして群馬長野の県境、および群馬新潟の県境だろう。

NHKでは、とくに那須塩原に着目することにした。それは、この後の降雨の様子、およびシミュレーション結果を調べると、プルーム濃度がもっとも高い地域のうち、もっとも激しい雨が降ったのが、那須塩原と考えられたからだ。(次の図参照。)

この図をみると、那須から南西方向に、降雨と汚染が重なっているのがわかる。さらに、群馬全域、会津若松地域、十日町の周辺、そして栃木の北部も汚染が大きい可能性がある。

そして、NHKは、このシミュレーションが正しいかどうかチェックするために、那須塩原地域にヘリを飛ばして、実測してみるのであった。その結果は続きにて。

2011年7月21日木曜日

大江健三郎氏の呼びかけに応える:署名活動

大江健三郎氏の脱原発の呼びかけに応えるべく、署名を集め始めた。少しずつではあるが、身の回りの人たちから賛同を頂き、とても感謝している。この運動が「連鎖反応」を起こし、「臨界状態」に到達すれば、日本は必ずいい方に変わる。1000万人の署名を目指して、大江氏やその仲間たちと共に頑張っていきたい。9月19日の集会が歴史的な集会になる可能性は十分ある。

2011年7月19日火曜日

GIMPによるコンポジット処理

せっかくGIMPという良い画像処理ソフトウェアがあるので、これを使わない手はない、とかねがね思っていたのだが、なかなか手順が分からず、手が出せないままにいた。蝶々星雲の撮影に是非応用してみようと思い、今回は時間を取ってGIMPによるコンポジット処理の習得に挑戦してみた。

いろいろ見たが、一番参考になるのがここ。Photoshop用の解説なのだが、そっくり同じことがGIMPでもできる!レイヤーの意味や、その重ね方をまずマスターする。次に、重ね方の演算の選び方。演算を「標準」にし、透明度を50%にすると、「加算平均」となること、などを学んだあと、最後は「トーナメント方式」による複数枚の合成法を試す。今回参考になったのは、「減算」による重ね合わせの微調整。これはかなり便利な機能だと思う。これを知らずに重ねた画像は、手ブレのひどい写真のようになってしまった。

今日はとりあえず、4枚からなるコンポジット画像を作ったが、元のデータが5秒の露出なので、トータルで20秒に過ぎず、ぱっとしない画像となった。もっと重ねれば、平均操作でランダムノイズを消し去ると同時に、星雲自体は正干渉させてクッキリ浮かび上がらせることができるはずだ。実は、このアイデアはフーリエ級数展開そのもの。

2011年7月15日金曜日

蝉と地震と

今年はセミが鳴かないと書いた。どうも、大地震があると鳴かない、という噂があるらしい。別の噂によると、蝉が鳴かない年の秋には大地震が来るともいう。前者だと思いたいが、後者が正しいとすると、ちょっと怖い。全ては今年の冬までには分かるだろう。

ちなみに、今日の夜、大きめの地震があった。縦揺れが結構長くて、最後に横揺れがバサンと来た。久しぶりにああいうのがくると、結構怖いものだ。

(追記:翌日の夕方、ジージージーとアブラゼミが鳴き始めた。とはいえ、まだまだ静かだが。)

(追記7/19:大型台風近づく曇り空の皇居にて、ミンミンゼミの鳴き声を確認。しかし、夕方には鳴き止んでしまった。東京の雨足は断続的に強まってきている。雨の首都高4号は西新宿手前で渋滞4キロ。参った。)

2011年7月11日月曜日

信毎記事より:地震と信州

7月8日の信毎の記事「地震と信州(2)」に、信大名誉教授(地震学)の、塚原弘昭氏による解説が載った。以下、その記事の要点をまとめてみた。

今回の松本地震は、いわゆる牛伏寺断層がずれたものではなく、周辺の断層がずれたことによるもの。とはいえ、ごく近くの断層がずれたということは、牛伏寺断層にもひずみが溜まり、活性化した可能性は高い。

糸静線北部(松本ー北安曇郡小谷村)と、牛伏寺断層を含む糸静線中部とが同時にずれた場合、M8クラスの大地震が起きる可能性があるが、今回の東日本地震によって、その発生可能性が高まったかどうかと問われれば、「よくわからない」と答えざるをえない。ただし、牛伏寺断層一つだけがずれたとしても、M7クラスの地震は生じる可能性は非常に高い。現に、牛伏寺断層のずれ方をみれば、かつてM7クラスの地震が生じたことがわかる。

糸静線に起因する大地震が松本を中心に起きるとしたら、その前にM3未満の小さな地震が繰り返し起きるだろう。牛伏寺断層で微小地震が繰り返されるようになったら、気をつけるべきだ。

木星の観測:久しぶり

木星の観測も久しぶりだ。とはいっても、たまたま早朝に目を醒しただけのことだ。連続的な観測はちとむずかしいかも。この日は、4つのガリレオ衛星が綺麗に並んでいる様子を撮影できた。左から、カリスト、エウロパ、イオ、そしてガニメデの順番。(私の記号でいうと、配置は2O2)。

左上に、NGC877という系外銀河が写っている。1.5億光年以上という遠方にあるとか。(よく写ったな...)

木星とガリレオ衛星。左よりカリスト、エウロパ、イオ、ガニメデ。
NGC877も左上に見える。

白鳥座のγ星と周辺の散光星雲(IC318)

北アメリカ星雲を撮影しようと思ったが、意外に難しく断念。(肉眼では見えないので、どこにあるのは分からないのだ。)そこで、分かりやすいγ星(サドルともいう)周辺の散光星雲を撮影してみた。

CD-1の極軸設定が甘く、ちょっと像が流れてしまったが、一応「蝶々星雲」(IC318の一部)が写っている。
明るい星がγ星。その下に蝶が羽を広げたような赤い星雲が見える。
撮影データ:iso12800, 60sec.

この星雲は、星間原子が正体で、主に水素からなるはず。水素原子の出す光は赤色が中心で、人間の目には写りが悪い。また、CCD受光器も、ローパスフィルターが仕込まれていると、この波長領域をはじいてしまうため、写りが悪くなるらしい。そこで、赤い星雲の天体写真を本気で撮影する人たちは、このフィルターに手を加えた改造デジカメを使って撮影しているそうだ。(しかし、いったん改造してしまうと、普通の写真を撮る時、赤色が強く出過ぎてしまい、通常用途のカメラとしては使い物にならなくなってしまうようだ。)

改造デジカメでないと、赤い星雲はまったく写らないかな、と思っていたので、一応写すことができて嬉しく思う。でも、赤い星雲の撮影は本当に難しい。冬の薔薇星雲やオリオン大星雲を綺麗に写せることを祈るのみ。

この水素原子雲は、γ星を取り巻いているらしい。だとすると、地球からの距離は凡そγ星までの距離程度であり、それは1300光年となる。これは、もちろん、天の川銀河の内部だ。

土星の観測:逆行完成

久しぶりに、信州で土星の観測を行った。周りの星もたくさん写し、東京で行った観測データの再利用も行う。これで、梅雨の時期に苦しみながら採った不完全なデータも利用できるようになった。まとめた結果は、見事なカーブを描いた土星の逆行となった。

土星の逆行の研究はこれで一段落ついた。縦横の比が1:1のグラフを描いてみた。
土星の逆行:2011年4月から7月まで。

甲府の稲妻

中央道の笹子トンネルを抜けると、甲府盆地の空はまっ暗だった。梅雨明けそうそう、夕立の洗礼を受けることとなった。目の前で、大きな稲妻が2つ光った。「あっ」と叫ぶ間もなく、ドカーンと大音響。勝沼を越えたあたりから、土砂降りの雨となる。前が見えない。

双葉SAの前で、雨はパタリと止んだ。甲府盆地だけの局地的な豪雨だったようだ。南アルプスも八ヶ岳もよく見えた。夏山であった。

稲光、喉より飛び出す阿の字かな。
夕立を越えた向こうに夏の八ツ。 

2011年7月10日日曜日

M31:半年ぶりのアンドロメダ銀河

真夜中、犬が吠えたので目が覚めてしまった。梅雨明けしたとはいえ、夕方は曇っていて、天体観測はできなかった。まさかとは思ったが、外に出てみてびっくり。夏の大三角、そしてペガサスが夜空に浮かんでいたのだった。

夏だから、デネブ周辺の北アメリカ星雲に挑みたいところだったが、ここはあえて、半年ぶりにM31、アンドロメダ銀河の撮影に挑むことにきめた。CD−1を買って初めてのM31の撮影なので、かなり興奮したが、意外にこの天体の撮影は難しいことがわかった。明るすぎるのである....

色々試してみたが、iso400で一分露光したものが一番よく写っていた。それでも、中心部が露出オーバー気味で、周辺の渦をハッキリ出すのと、中心部のバルジをクッキリ写すのと、同時にやるのがかなり難しい。これは下手するとiso200で120秒やった方がよいのではないか?と思ったくらい。ちなみに、右下の丸い銀河がM32、左後ろに写る楕円がM110だ。両者とも、M31に引っ張られているらしい。

アンドロメダまでの距離は約200万光年。ハッブルが、ケフェイド型変光星を利用して初めて測定したのは有名な話。さらに、青方偏移していることも知られている。つまり、我々の天の川銀河に突進してきていて、50億年もすれば衝突するとかしないとか。

M31:アンドロメダ銀河。iso400,60sec.

汗だくの散歩: 梅雨明け

西麻布に用事があったので、蒸し暑い中を歩く。実はこの時、梅雨明けしていたらしい。七夕直後とは、ちょっと早い感じがする。

しかし、蝉の声が無い。今年の東京は、初蝉を聞いた日以外は、まったく蝉の声が聞こえてこない。なんか変な感じ。本当に梅雨明けしたんだろうか?

用事はあっというまに済んだので、少し足を延ばして、国立新東京美術館へ行ってみた。巨大なホールはたくさんの人たちでガヤガヤしていた。館内は冷房が強めにかかっていて、気持ちいい。でも、節電しなくていいんだろうか?(港区は特別区...) 今の催しは、アメリカのThe National Gallery of Artからの印象派の作品の展覧会。モネ、ドガ、ゴッホ、スーラ、ルノワールなど、なかなかいいのが来ているらしい。今日は、パンフレットだけもらって引き上げることにした。

さらに足を延ばして、青山墓地へ。いつもハチ公のお墓を探すのだが、なかなか見つからない。今日も失敗。外苑西通りに架かる陸橋を渡ったところにも、青山墓地は広がっているが、最近少し整備されたようで、新しい入り口が作られていた。もしかすると、ハチはこっちに眠っているのかも。今度いってみよう。

根津美術館は、展示入れ替えのため休館。来週から古書の展示が始まるらしい。ちょっと興味あり。ここは、昨年の梅雨の時期に一度来た。雨がしとしと降っていて、光琳の燕子花の屏風や、鈴木其一の渓流の絵に似合った日だった。その日に行かなかった庭園散歩に次は行ってみたい。

それにしても、今年の夏は長く、厳しい夏になりそう。

2011年7月8日金曜日

スペースシャトル最後のフライト

今日、スペースシャトルは最後のフライトに向かう。最後に飛び立つのはアトランティスだ。

私にとってスペースシャトルは「未来」だったから、その未来が今「過去」になろうとしているのを考えると、ずいぶん遠くまできてしまったな、という感慨がある。

幼稚園の時、宇宙旅行の絵本を買ってもらった。アポロ計画の詳細な説明があり、その成功までの軌跡や、月旅行の行程などが書いてあって、それを何度も何度も読んだ。この本の最後に「未来の宇宙旅行」というページがあって、スペースシャトルのことが書いてあった。

アポロ計画ではサターンV型を使い捨てることで、人間を月に送った。なぜ、切り離して下のロケットを捨てるかというと、質量を軽くすることで、それまでに稼いだ推力が重力で低下するのを防ぐためだ。切り離さないと、人間は地球からは飛び出せないことが証明できる。この永年の問題を解決するために編み出されたのが、多段式ロケットだった。その最高峰にあるのがサターンV型ロケットということになる。

しかし、人間が宇宙に活動の場を広げ、日常茶飯事のように宇宙旅行にいくためには、サターンV型は使えない。複雑な打ち上げ手順があり、使い捨てなので莫大なお金がかかるからだ。もっと、気軽に宇宙に行くためには、「行って帰ってくる」乗り物、つまり「シャトル便」が必要だ。ということで、考案されたのが「宇宙往還機」すなわちスペースシャトルだ。使い捨てのロケットしか存在しなかった当時、飛行場に戻ってくる宇宙船がある、と想像しただけでも、わくわくしたし、未来の世界を感じた。

品川で宇宙博が開かれた時、もちろんアポロ11号の司令船はつぶさに観察したが、私にとって一番の狙いはスペースシャトルの大型模型だった。このときのシャトルは、確か薄い黄色に塗られていた。博覧会のパンフレットに描いてあったスペースシャトルは、まさに今のモデルと同じ姿で、これが未来なんだと思った。

その「未来」がなんと、数年後にいきなりやってきた。そのショックは今でも覚えている。新聞のトップ記事にスペースシャトル(コロンビア)の打ち上げの様子が大判の写真でバーンと載ったのだ。ブースターからモクモクと広がる噴煙の白さと、その中心に堂々とそびえるシャトルのオービター。感動した。博覧会の時感じた「未来」に自分は今いるんだ、という嬉しさ。それから、人間(特にNASA)が、未来をこんなにも早く連れて来てくれた、という科学への尊敬。などなど。本当に興奮した。あのときの新聞の切り抜きはまだある。

このとき、ロケット工学を目指すことをいったんは決めたのだが、高校生になってよくよく考えてみると、工学者になると地上サポートに回ってしまうから、宇宙に飛び出すことはできない。仮に月に人間が住むことになるなら、最初に構築されるのは科学研究所だろうから、物理学者になっておいた方が宇宙にいける確率は増すだろうと考え直した。

しかし、いったん物理学者になってしまうと、宇宙飛行士に応募するのはためらわれる。最初の募集が在ったときは、大学院に居たが、ここで宇宙飛行士なってしまうと、物理学者にはなれずじまいだ、と考えたし、二度目の時はうっかりミスってしまい、三度目の時は「この度の宇宙飛行士の募集の実際は宇宙土方(ドカタ)の募集だ」と見切ってしまいやめた。

ちなみに、高校の同級生の一人が宇宙飛行士に合格してしまった....自分も出していたら、と思わなかったわけでもないが、ISSに一年いるよりも、月にいきたい。1日でもいいから滞在してみたいと思う。(そのチャンスは案外まだ零ではないと思っている。)

2011年7月6日水曜日

神田「まつや」へ行く

神田の蕎麦屋「まつや」に行った。5時過ぎに入ったのだが、もうすでに客で一杯。この間の洋食屋の閑古鳥とは、えらい違いで驚いた。

隣のおっさん2人はどうやら神田界隈で貸しビルの不動産業をやってるようだ。不景気な話かと思いきや、強い江戸弁で、話に花を咲かせている。つまみの皿をたくさん机に広げ、時々箸で摘んでは、ビールジョッキを傾けて流しこむ。

私のように一人で入ってくる客もいれば、9人連れですがいいですか?なんてのもある。とにかく、大繁盛。

「天もり」というのを頼んだら、エビの天ぷらが2つだけの盛りそば。でも、このエビ天は絶品。こないだの、ウィーンで食べたソーセージと違って、真ん中までちゃんと熱いのに、揚げすぎで身が縮んでるなんてこともない。ギリギリのところで油から上げた感じ。素晴らしい!蕎麦は美味しいけれど、信州蕎麦にはかなわない。やっぱり、水の違いだろう。味はいいんだが、シャキッとした感じが弱い。面白いのは、そばつゆが温かいこと。(江戸弁でいうと「そばつゆがあったけーんで、おーどろいちまったい」ってな感じか?)でも、天ぷらにはよくあっていておいしかった。1900円なり。

2011年7月5日火曜日

rarの解凍法

先日の研究会で、共同研究を申し込んで来た中華系の実験家からメールがきた。論文を添付したと書いてあるが、rarという形式の圧縮がしてあった...

以前、北京大学の学生から計算結果を送ってもらったときも、rarで固めてあって解凍に苦労した。どうも、中国で人気の形式らしいが....

こちらも調べてみると、Mac OS X用のツールが見つかった。BetterZipというソフト。試用版だが今回はこれで十分。

flvをmp3に変換する方法

以前から不便に思っていた小さなこと。ちょっと暇になった今、調べてみると、簡単にできることがわかった。要はvlcを使えばいいだけのこと。ちょっと手間はかかるが。

2011年7月4日月曜日

毎日新聞の小出先生特集

毎日新聞にようやく小出先生の特集記事が載った。先生が、田中正造を尊敬していることは、初めて知った。

原発は停めなくてはならない:大江健三郎氏らの呼びかけ

大江健三郎氏を中心に、脱原発そして新しい再生可能エネルギーへの進歩を目指すための、活動が行われている。(内橋克人氏坂本龍一氏らも参加している。)最初の活動として、9月19日の明治公園での集会がある。また、二つ目の活動として、1000万人を目指した署名活動を行っている。

一方、経済産業省の「原発安全宣言」や、九州電力の玄海原発の最稼働など、国の中枢にある政治、官僚、そして大企業は「原発再開」の方向で動き出した。

国民の反応は、震災直後と4ヶ月近く立った現在では、随分変わって来た。直後の反応はどちらかというと政府官僚大企業よりの意見を持っていたのだが、最近は明確な脱原発に傾いている。この4ヶ月間に、東電と政府、そして役人がやってきたこと、言ってきたことが、いい加減だったっり、嘘だったり、適当だったりと、国民は様々な問題を見聞きし体験してきただけに、この反応は当然だと思う。

少数の大企業、そして一握りの官僚や政治家の私利私欲のために、国民とその財産を犠牲にしたのが、先の大戦だ。これに関しては、誰も否定できないと思う。今回の原発の問題をよくみると、戦争に国民を引きずり込んだときとよく似ている。

太平洋戦争の場合もエネルギー問題が始まりだった。石油だ。欧米に石油資源や鉱山資源をブロックされた財閥や大企業が、政府に対して戦争を呼びかけ、権益の確保に動いた。そして、ただそれだけのために、国民の命と財産が無駄に費やされた。「国益のため」というスローガンだったが、それは「(ていうか、実は私たち金持ちのため)」というサブタイトルがついていて、それは発音されなかった。今回の東電は、よーくそのあたりを勉強しているらしく、幹部は、先の軍部や財閥よろしく、「電気が足りない足りない」と危機をあおり、国民(主に福島の子供たち)の命と税金(主に東電管内の電気利用者の)を、貪り食おうとしている。

東電のこのやり方が今回うまくいくとすれば、それは日本はまた戦争に巻き込まれても、国民はそれを停める力を持たない、ということを意味する。政治家や役人の上層部が「エネルギー確保のためにはしかたない」とか「国民のためだ」とか言い出して、仮に戦争に突入しようとしたら、それを停める力を国民は持っていないことになる。脱原発は戦争よりはずっと停めやすい問題だろう。にもかかわらず、それに失敗したら、戦争回避は日本人には到底無理な話ということになってしまう。未来の日本のためにも、今回の大江健三郎氏らの活動はとても重要で、歴史に残る集会にしなくてはならない。

そして、私たちひとりひとりがまず出来ることとして、活動すべきは署名集めだと思う。軍部、あるいはアメリカの占領軍が一番怖がるのが「大衆」だ。御殿場の米軍基地の問題や安保問題のときは、主婦たちの団結をアメリカは一番恐れたという。先鋭化した一部の学生や少数の知識人に対しては、対策法を星の数ほど持ち合わせている彼らも、一般人の塊には対処できないことをよく知っている。家康も農民の一揆が一番怖かった。だから、散り散りばらばらにしようと、あの手この手を打った。(「百姓は生かさず殺さず」、や「五人組の連帯責任」など、まだ日本人の心に巣くっているものすらある...)現行の法律でも集会やデモには政府の許可が必要なのは、彼らが一番恐れるのは、まさにそれだからだ。

脱原発を望むものは、大江氏の下に団結し、一部の利権を握る者たちと対峙し、彼らの野望を止めねばならない。これに成功するかしないかは、次に起こるべき、もっと大きな悲劇を避けることができるかできないかを見定める、大きな試金石となるだろう。

2011年7月3日日曜日

学会キャンペーン終了

この夏の研究発表の「キャンペーン」が終了した。昨日の発表は20分の持ち時間のところ、10分でしゃべりきってしまったが、大御所の先生からは「あれでよかったよ」とお褒めの言葉をいただいた。いつもは強い攻撃をしかけてくる先生だけに、ちょっと意外な感じはしたが、悪い気はしなかった。

会議後、中国系とインド、双方の実験家から共同研究を持ちかけられた。この間のヨーロッパの研究会ではカザフスタンから、次の研究会への招待があった。ちょっと二の足を踏んでしまう国々からのお誘いとはいえ、むげに断れない。一方、イギリスではマンチェスターで大きな国際会議があるとの情報を、かつての同僚からもらった。こっちは、海外渡航申請の締め切りが間に合わないかも。彼によると、英国の友人たちの中には、福島原発の報道番組でBBCのテレビやラジオに解説として連日当番した人がいたという。

国際会議のあと、車で、英国からきた、このかつての同僚と、それからインド人を乗せて、都心まで簡単な観光をしに向かった。皇居の北の丸公園では加山雄三ショーがやっていて、武道館でどうしてこういうことになっているのか、説明するのに苦慮した。また、靖国神社では、巨大な鳥居の意味の説明やら、大村益次郎が何をした人間なのか、説明に困ってしまった。

東京理科大と東大の違いの説明にも困った。というのは、靖国の裏にある理科大には"Tokyo University of Science”と大きく看板があるからだ。はっきりいって誤訳だろう。理科大に文学部や医学部はないはずだから、Universityと名乗ると外国人に対し誤解を生んでしまう。せいぜい、Tokyo School of ScienceとかTokyo Science Collegeとかにとどめておくべきだろう。ちなみに、ロンドンにある有名な経済大学に、London School of Economy(LSE)というのがある。Universityを使わなくても、外国人受けが悪くなることはないはず。むしろ、Universityという割には、これじゃ理科の専門校じゃないか?と文句をいわれてしまうだろう。

ちなみに、靖国神社のお祭りは7/16から3日間だそう。準備が少しずつ始まっていた。一昨年いったときは、ものすごい人と蒸し暑かったのを覚えている。日本帰国後直後で、日本っていいな、と感じた。今年は、日本の信頼や安心感が壊れてしまった年なので、どう感じるかは、自分でも興味深い。

お祭りはこの日は無いと知って、外国の友人たちは当然ながら残念がっていた。"Next time."

さて、これで論文執筆へ、軌道を戻すことができる。

2011年7月1日金曜日

初蝉

午後の暑い盛り、桜並木で、窓を全開にして車を走らせていたら、蝉の(多分アブラゼミ)声が飛び込んで来た。

初蝉や梅雨明けむしのむした午後

夕方、土星が見えたので、さっそく撮影してみたが、いつも座標参照に使う星が、雲に隠れて写っていなかった。犬の散歩から戻ってみると、厚い雲がかかって星々は消えてしまい、この一枚でなんとか土星の位置を割り出せねばならぬこととなる。しかたなく、別の星を使った補正計算をやってみたが、2枚の写真でどの星とどの星が対応しているかはっきりせず、計算は思いのほか手間取ってしまった。ようやく、それらしい土星の位置が計算できたが、ちょっとカーブが歪んでしまったように見える。やはり誤差が大きいらしい。なるべく早くCD-1による観測で修正したいのだが...

ところで、犬の散歩中、クツワムシが橋の欄干にとまっていた。蝉の声は夜にはやんでしまい、虫の声とガマガエルの声が響いていた。