2011年12月31日土曜日

美ヶ原へ行く

雪の美ヶ原へ行った。和田宿の上で雪道となり、スリップする度に冷や汗かきつつ山道を車で登った。なんとか登りきったとしても、こんな雪道を下るのは不可能だと思った。上田か諏訪に抜けるルートが開いていることを願いつつも、頂上でその淡い期待は裏切られた。全て冬期通行止め。トランクにチェインが入っていたので、凍り付く金属の冷たさに耐えながら、タイヤになんとか巻いた。チェインは素晴らしい!まったく雪が怖くなくなった。気分が少し楽になった。

この日の美ヶ原は晴天で、暖かかった(といっても1度か2度くらいだと思う)。蓼科、八ヶ岳、そして富士山が見えた。
八ヶ岳の全貌。一番左が蓼科。八ツの右横に富士山が見えた。
手前の茶色い山々は霧ヶ峰(中央)、車山高原(右側)。
八ヶ岳の拡大。左端が蓼科。右端に富士が覗いている。

富士の高嶺に雪は降りつつも、かなり融けてる。
右の裾野にたなびく雲が綺麗なり。


美ヶ原自体は、真っ白の銀世界だった。少し歩いてはみたが、帰りのことが気になり、日没の1時間前に下山することにした。無事に家に戻った時は、さすがにホッとした。今度は、雪をラッセルしながら少し歩いてみたい。

美ヶ原。テレビ塔の方角。



2011年12月30日金曜日

夕方、木星と金星の写真を撮ってみると、暈がかかっていて星がよく見えない。もう一度撮りに外へ出てみると、真っ黒な雲が空を覆っていて、星はもうまったく見えなくなってしまっていた。夕飯を食べて、外に置きっぱなしにしておいたCD-1を片付けようと玄関の扉を開けると、吹雪になっていた。急に寒くなって来たわけだ。

今晩のガリレオ衛星は、4つとも右に固まっていたので、一時間おきに記録すれば、派手に動いたはずだ。また、海王星の撮影もやりたかったのだが、この空模様ではお手上げ。今日の天体観測はこれにておしまい。

2011年12月29日木曜日

バラ星雲:失敗

バラ星雲(NGC2244, 約5000光年)は冬の大三角の中にある。赤く光るその花びらは、おそらく水素原子のガス雲だろう。この赤色がCCDの熱電流ノイズと同じ色なので、なかなか綺麗に写ってくれず、撮影がとても難しい。赤外線を強め感光するようにCCDを改造したり、水素の輝線波長に合わせたフィルターを取り付ければ綺麗に写るそうだが、今はその方法が使えないので、この程度にしか写らなかった。北アメリカ星雲や蝶々星雲以上に難しい。
バラ星雲のはず...(iso12800, 30sec * 4 with gimp composite)
とにかく、今回は寒くて寒くて、撮影中に機材が真っ白に凍ってしまった。できれば、感度を落とし、極軸をもっと丁寧にあわせてシャッタースピードを長めにし、あとは何枚も平均加算してノイズを落とせば、バラの模様をもう少しコントラストで強調できるような気がする。ノイズを落としたあとに、単純加算して強調する手もある。少なくとも、12枚くらいは使わないとだめだろう。

ちなみに、カメラのファインダーには散光星団として写り、見つけやすかった。

2011年12月28日水曜日

アルビレオの二重星

白鳥座の頭にある星、アルビレオは綺麗な二重星だ。宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」にも、アルビレオ観測所として登場する。その冷たく美しい描写に感動したことを思い出す。

夏の大三角とはいえ、こんな年の瀬になってもまだ観測可能だ。そこでアルビレオの撮影にチャレンジしてみた。しかし、やっぱり望遠鏡を使わないと難しかった。分解できなかった...残念!
アルビレオ:iso1600, 20sec

ただ、画像処理をすると、一応は青い星と黄色の星の二重星の感じを出すことができた。もしかすると、露出/感光度が強すぎるのかもしれない。iso12800で5秒露出したものと比べると、感度が高すぎると露出オーバーになりがちだと思った。
iso1600(左)とiso12800(右)の比較
次は、iso1600で10秒露出で狙ってみよう。

postscriptのプログラミング(4)

性懲りも無く、またもやpostscriptプログラミング。今度は星からスタート。出発点を星の頂点とし、144度ごとに回転した点へ線分を順に引っ張るだけ。
基本的な部分はこれでOK.

xo0 y0 moveto
1 1 5{
    /n exch def
    /x0 theta n mul sin radius mul xo0 add def
    /y0 theta n mul cos radius mul yo0 add def
    x0 y0 lineto
} for
stroke
アメリカ空軍のマークみたいになってしまった...そこで、もう少し日本風にアレンジしてみよう。回転角を微妙にずらして結んでやると、桜っぽくなった。

これはおもしろい!ってなわけで、色々試したら、次のような図形が描けた。
なんだかカオス力学の、2次元ビリアード問題のようになってきた。完全に、籠の所までは可積分系の軌道に対応してる。最後の籠内桜は若干乱れが入って来たが、まだ「共鳴」が残っていて、きれいな模様がある。土星のカッシーニの間隙とか、水星の自転公転比とか、いろいろ面白い現象をpostscriptのプログラミングで実験できるかも。

2011年12月27日火曜日

postscriptのプログラミング(3)

またまたpostscriptプログラミング。とにかく、これはおもしろい。デカルトにプレゼントしたい気分。

今回は、渦巻きを描いてみる。こんな感じ。
半円を滑らかに繋いで作ったスパイラル図形
まずナイーブに書くとこんな感じ。
%PS-Adobe-3.0
newpath
3 setlinewidth
295 300  5  0   180 arc stroke
300 300 10  180 360 arc stroke
290 300 20  0   180 arc stroke
310 300 40  180 360 arc stroke
270 300 80  0   180 arc stroke
350 300 160 180 360 arc stroke
190 300 320 0   180 arc stroke
showpage
変数を使って、もう少し賢くやってみた。

スタックを使ってコンパクトにやろうと思ったのだが、まだ慣れてないのがよくわかった。エラーが出てばかりで前に進めなかったので、変数を使いまくることにした。ちょっと汚いが一応動いたので、ここにメモっておく。

%PS-Adobe-3.0
newpath
5 setlinewidth
/x0 400 def
/y0 300 def
/x 0 def
/radius 2 def
/sgn -1 def
/a0 0 def
/a1 180 def
x0 y0 radius a0 a1 arc stroke
1 1 8 {
    /n exch def
    /nradius radius sgn mul def
    /x x nradius add def
    /xx x 400 add def
    /a0 n 2 mod 180 mul def
    /a1 a0 180 add def
    /radius radius 2 mul def
    xx y0 radius a0 a1 arc stroke
    /sgn sgn -1 mul def
} for
showpage
 defの使い方をマスターして、変数が使えるようになったのは大きい。defにするとスタックに入らないということだ。

/a0 n 2 mod 180 mul def
の意味は、「a0に、n割った余り180かけたものをしまう」となる。まさに日本語の順番!

また、繰り返し(for)は、1 2 3 {...} forとやる。これは、「1から2おきに3まで繰り返し」と読む。このとき走るダミー添字には変数が付かない。(C++やJavaだと for(int i=1; i<=3; i +=2)などと書いて、ダミー添字iを導入する。)代わりに、スタックにダミー添字の値が入る。添字の内容が必要ない時はexchしてとりだしてしまう。1 2 3 {} forと、1 2 3{/n exch def} forとを比べてみれば一目瞭然。gsのプロンプトでの例は下。


GS>1 2 3 {} for
GS<2>pstack
3
1
GS<2>clear
GS>1 2 3 {/n exch def} for
GS>pstack
GS>




postscriptのプログラミング(2)

調子づいてpostscriptの続きをやろう。しかし、さっそくつまずいた。変数の扱いだ。

例をまずやってみよう。次の図形を描くことを考える。
問題となるのはAの座標計算。普通に書くと(r cosθ, r sinθ)となる。原点Oが(x0,y0)にある時は、平行移動して(X,Y)=(r cosθ + x0, r sinθ + y0)となる。
最終目標は、(X,Y)から(x0,y0)まで線分を引くこと。しかし、直接座標の計算式をコマンドの引数部分におくことができないので、普通の言語ならいったんは仮変数(X,Y)などに入れてから、
X Y moveto x0 y0 lineto
などとやりたい。ここで悩んだのがX = r * cos(θ) + x0のような代入文をpostscriptではどうやって実現するのだろうかという点? 
実は、postscriptには変数の概念がない(まったくないわけではないが)。代わりにスタックを使う。言い換えれば、デフォルトで一種類の一次元配列が準備されているのはよいのだが、それしか使えないのである。しかも、ポインタと違って、アドレスによってスタックをランダムにアクセスすることができない。メモリー管理はかなり不便に感じる。


まずはX, Yの座標計算は次のように行う。
θ cos r mul x0 add θ sin r mul y0 add


どこにもデータをしまう変数の名前がないじゃないか?と正直思った。実は、結果はすべてスタックに(順番に)しまわれてuniqueに決まるため、いちいち変数を宣現したり、代入したりする必要はない。すべての計算結果は、順番にスタックにしまわれる。上の計算ではスタックに結果が2つ入る。深いほうから、X, Yとなる。スタックからのデータの取り出しは、浅い順になるので、
/y exch def /x exch def
と書く必要がある。順番を間違えると違う点(Y,X)になってしまう。また、exchすると一番上の情報がスタックから抜けて、スタックの階層が一段上がる。


こういう計算をやって最後に
x y moveto
....
などとすれば「変数」が使えたことになる。

図形中の文字は、Mac OS Xならばpreviewで開き、その機能の一つである「注釈」を利用して文字を置いていくのが一番効率がいい。結果は、printにしてpostscriptで印字する、とやればよい。

実際のプログラムを書くと次のようになる。(文字を除く。)

%PS-adobe-3.0
newpath
50 cos 400 mul 100 add 50 sin 400 mul 300 add
/y exch def /x exch def
x y moveto to 100 300 lineto 500 300 lineto stroke
100 300 120 0 50 arc stroke
showpage
 あとはpreviewで開いて、文字を付けるだけ。

文法は日本語に近い感じ。例えば、3行目なんか、「50度をcosにいれて、400を掛けてから100を足して」といった具合。ファイヤーフォックスはロシア語でないと動かないのを思い出した。postscriptは日本語で考えて組むのである!(注:ブラウザのfirefoxではなく、クリントイーストウッドのファイヤーフォックスである。)

2011年12月25日日曜日

postscriptのプログラミング

postscriptのプログラムをマスターして、綺麗な図形を自由自在に描けるようになりたいと、昔から思って来た。最近、その必要性を強く感じ、ついに一歩踏み出してみることにした。

まずは、簡単な図形から描いてみようと思い、このtutorialを頼りに四角形を描いてみた。なかなかのできばえ。postscriptは素晴らしい!

%PS-Adobe-3.0 newpath 300 700 moveto 500 500 lineto 300 300 lineto 100 500 lineto 300 700 lineto stroke showpage
これでOK!

「天体の回転について」を読む

コペルニクス著、矢島祐利訳
「天体の回転について」岩波文庫(1953)

を読んだ。最初の所は、こじつけ論理も多々見られ、解読するのが大変な場所もある。思いの外読み進むのに時間がかかり、ちょっと辟易した。が、面白かったのは、惑星の配置を議論する章。ユークリッドの光学理論から、等速で動く物体も観測者からの距離に応じ、見かけの運動が遅くなることを適用して、惑星の順番を決めていく。

これに従うと、土星、木星、火星の順番に地球に近づくこと、月は地球に一番近いことについては、まったく問題なく決まる。これは実は、天動説でも同じ。問題は、なぜ金星と水星が太陽からあまり離れないのか?という点。ローマの古典には、「この事実は、水星と金星のみは太陽の周りを回ることを示唆する」と述べられているのを引き、この文章は最大限に尊重すべしと主張する。そして、太陽を全ての惑星の中心に据えれば、惑星の逆行や、火星の光度の変化などが自然に説明できると強調している。見事だと思った。

また次の章では、地軸の傾きのために、四季が生じることを説明している。この説明って、コペルニクスが最初だったのだろうか?だとしたら驚きだ。

ちなみに、岩波文庫のこの訳本は、コペルニクスの第一巻しか訳してない。本当は、全6巻だから、相当な大著のはず。1953年の訳は、日本語がぎこちなく、古くさい言い回しばかりで、それだけでも読み難い。現代語に訳しなおす必要あり!さらに、全巻やってほしい。英文訳なら手に入るかも。

ふたご座とこぐま座の流星群:2012

今年最後の授業は、ニュートン式反射望遠鏡で、金星と木星の観測をすることだった。学生たちは随分喜んでいた。そういえば昨年のこの時期も観測授業をしたが、満月とこぐま座流星群を観測した。今年は残念ながら両方とも見ることはできなかったが、金星の明るい輝きと、ガリレオ衛星が4つとも見えたのは、上出来だったと思う。来年は何が見えるだろうか?

今年は双子座流星群を見た。観測時間が限られているので、確認した数は一つだけだったが、長く大きく明るいのが牡牛座の上に流れた。それにしても寒くなって来た。年の瀬近し。

教科書執筆の締め切りが大晦日なので、冬休みに入り大慌てで書き始めている。ようやく80ページまできたが、コペルニクスとケプラーの生い立ちの記述に誤りを発見して書き直し。また、コペルニクスの「天体の回転について」の確認で再読。なかなか先へ進めない。

Laboratoire National Henri Becquerel

パリの郊外にあるSaclayに、「アンリ ベクレル研究所」(LNHB)というのがある。ここの核データシートは見やすいので、リンクを貼っておく。たとえば、世田谷騒動のラジウム226がどうしてガイガーカウンターに反応するのか、このデータをみるとよくわかる。

実は、家の物置から、蛍光塗料にラジウム226を使った古い時計が出て来た...英国製で戦前に作られたものだと思う。この時計をしまっておいた木箱が変色しているのは、放射線焼けだと思う... JB4020で測ってみると、かなり高い!しかし、よく考えると、α emitterのRa-226がどうして、β、γにしか感応しないガイガーカウンターに引っかかるのだろうか?

α崩壊はクーロン障壁を抜けるトンネル効果だし、電磁現象ということでγが付随するのかな?程度に思っていたが、LNHBのデータシートを見れば答えは一発。それは、6%弱の確率でRn-222の2+状態に崩壊した状態が、半減期0.32nsで基底状態に電磁崩壊するからだ。励起エネルギーは約190keVだから、γ線一個の線量はCs-137が出すγ線の約1/3。しかし、ラジウム226自体のα崩壊の半減期は約4日なので、半減期30年のセシウム137に比べれば、「弱めのγ線が次々に放射されてくる」感じ。ヨウ素131の8日の半分だから、その放射能はかなり高い。

火星探査ロボットはプルトニウムで動く

先月NASAが火星に向けて送り出した火星探査ロボットのCuriostiy.久しぶりにNASAのpodcastを見ていたら「顎が落ちる」ほど驚いた。動力源にプルトニウム238を使っているというのだ!よくそんなものをロケットに載せて打ち上げたもんだ。

ところが、この原子力電池(RTG)は既にアポロ計画でも使われていたそうだし、外惑星探査船(ボイジャーなど)もRTGで動いているとか(だから、まだ動いていたのか...たしかに、よく考えれば50年近く動き続けるなんてRTGしかありえない。)。

RTGの仕組みは、崩壊熱を使った熱電対。半減期が長い核物質ほど長持ちする。熱電対自体の実験は、大学の教養実験でやった記憶がある。(もちろん、温度差をつくるのにプルトニウムの崩壊熱は使ってない;)氷と沸騰水の間に、異なる金属を張り合わせて作った熱電対を置いて、電流を測定した。

プルトニウム238は半減期が約90年。原子炉で生成される。福島でも飛散しているのが確認されている。廃棄物のうまい利用法を思いついたもんだ!(打ち上げ時の恐怖が無い、ということは、アメリカ人は結構プルトニウムを環境中にぶちまく経験が豊富だとみた。長崎に比べれば、無視できる程度とかいっているのだろうか?)

でも、確かに宇宙ではRTGは素晴らしい動力源かもしれない。もととも宇宙空間は放射線レベルが高い訳だから、そこにプルトニウムを置いても問題ないだろう。現在火星で活躍中の二基の初期モデル火星探査ロボRover(Spriti and Opportunity)では太陽電池を使っていたが、火星の砂嵐にパネルが汚れてしまい、深刻な電源不足と闘うはめとなった。数週間から数ヶ月もの間電力不足でまともな活動ができないこともあった。それを考えると、砂嵐中でもガシガシ作動するRTGベースのロボットは心強いはず。

原子力発電が未来を見いだすなら、それは宇宙においてだろう。ウランの鉱山だって、きっと月面や火星にはあるはずだ。わざわざ地球から打ち上げてまで運ぶこともあるまい。(探検初期には若干必要かもしれないが。)

2011年12月19日月曜日

内部被曝の症状

videonews.comの肥田舜太郎氏へのインタビューは非常によかった。とにかく、このお医者さんは被爆者であり、広島で死んでいった人たちをずーっと見て来ているだけに、その言葉には迫力がある。実は、前に読んだこの本の筆者(「内部被曝の脅威」)でもある。彼は、被曝し原爆で苦しむ人たちをリアルタイムで1945年8月6日以来ずっと診察してきた。

当然、8月6日後の最初の数週間は、熱線(いわゆるピカ)と爆風(ドン)による「熱力学的かつ力学的な損傷」を負った人たちの手当に追われたそうだ。こういう直接的な損傷を生き延びた人たちも、しかし、やがて原爆症を発症して死んでいった。その最初のショックは、口内の悪臭だったという。それは、単に口が臭いのではなく、腐敗臭だったという。生きながらにして、口内が腐っているというのだ。放射線で細胞が「焼き尽くされて」しまったのだ。だるま落としのように、外形を残して組織は死ぬ。さらに脱毛、紫斑、下血など、今では有名になった原爆症の数々が発症し、最後は体中の穴という穴から血を垂れ流して死に至る。血管の細胞が壊れて、体中の血が「漏れて」くるわけだ。

更に恐ろしい問題がこの後しばらく経ってから出て来た。それは、原爆炸裂時に広島に居らず、直接「ピカドン」にやられていない人たちが死に始めたことだ。彼らは、8月6日の午後とか、その数日後とかに、家族や親類を探して広島に入った人たちだ。「わしゃ、ピカにもドンにもおうとらんのじゃ」といって、体中から血を吹いて死んでいく姿は、ピカドンを生き延びた人たちの末期症状とまったく同じだったという。いわゆる「入市被曝」というやつで、世界最初の「内部被曝」と思われる。

数年たって、内部被曝はどんどん深刻になるが、その原因が原爆とどう関わっているのかが、まったくわからなかったという。その理由の一つは、米軍が被曝自体を軍の最高機密として扱ったからだという。日本が占領されたとき、マッカーサーが日本人(「植民地」の人民)に対して命令した数十にもわたる事柄があったという。その最後の命令が「原爆による被害規模の状況や、被曝者の医療データなど、原爆被害に関するあらゆる情報は米軍の機密情報であり、その記録や研究、公開をいっさい禁ずる」というものだった。これに反するものは「厳罰」に処されたという。必然、広島の被爆者は日本中の医者から疎まれ、その症状をまともに調べてもらえなかった。写真もカルテも残らず、研究もできず、学会も形成されず、医者自体が罰を恐れて被爆者を診療してこなかったのでは、内部被曝の理解は進まないだろう。日本が独立を「許された」後もこれは続いてきた。

そんな逆風に立ち向かい、闘い続けて来たのが肥田医師だ。仲間はもともと少なかった。そして今、彼は内部被曝とは何かを知る最後の医者だ。

その肥田氏がいう内部被曝の症状とは次のようなものらしい。下痢、鼻血、口内炎、全身の倦怠感。最後の症状は、長崎の人たちの間では「ぶらぶら病」と呼ばれている。

福島の人たちにこの症状はすでに出始めていると言っていた。福島から「疎開」し、福岡で避難生活をしていたが、しばらく経って福島に戻ったある家族は、小学生の子供が福島に戻って生活を始めたとたんに下痢が止まらなくなり、広島に住む肥大医師に相談にきたという。また、長野や青森に疎開した人々の中には、広島まで医師を訪ねてやってきたのはよいが、診療室の椅子に座り続けることができず、「疲れたから」といって床に寝ながら診察を受けたという。肥田医師にとって、この情景は、被爆者診察の記憶を蘇らせるものだったという。

肥田氏によれば、こういう症状はたいていの場合改善するといっていたが、放射線の影響を受けてしまったという烙印はDNAに焼き付いてしまっていると思う。後々、どんなひどい病気になるかはわからない。

そのひどい症状として、つい最近判って来たのが、セシウム137による心筋梗塞だという。いままでは、乳がんとの弱い関連以外、セシウム137の害はあまり議論されてこなかったという。セシウムはアルカリ金属の一種だから、ナトリウムやカリウムと同じような化学性を持つ。こういう物質はイオンとして水に溶けやすく、体内の電気的機能を担っている。神経信号の伝達とか、筋肉の収縮とかだ。心臓の収縮には間違いなくカリウムやナトリウムのイオンが利用されいるから、こういう場所にセシウム137が代わりに到達すれば、放射線によって心筋はダメージを受けるのは容易に想像が付く。

そういえば、5月に福島原発の作業員が心筋梗塞で死んだという報道があった。肥田医師も最初は「偶然」と思ったらしいが、チェルノブイリでの内部被曝についての論文が最近発表され、そこにセシウム137と心臓病との関連が報告されていたのを見たとき、「もしかして」と思ったという。そういえば、除染をしていた男性が突然死した件が最近もあった。ニュースにならないこういうケースは福島周辺には結構あるのかもしれない。

2011年12月18日日曜日

月食観測で太陽までの距離を知ること

先日の皆既月食の観測は、最初から最後までキチンとやることができた。これをやったのは小学生の時以来の2回目。あの時も12月の深夜だったと思う。皆既中に赤くなることを知らなかったので、とても驚いた。(そのときのスケッチがどっかに残っているはず。)写真を撮ったとか、望遠鏡を買ったとかいう物質面での進歩は今回の観測においては確かに大きい。しかし、今回の観測があの時の知的レベルと同じでは恥ずかしいので、少し頭を使ってみた。

月食というのは、太陽に照らされた地球の影に月が入り込む現象だから、地球の影の大きさを測ることができる。もっというと、この地球の影の大きさは、地球と太陽の距離、太陽の半径、そして地球の半径という3つの天体量の幾何学的な関係によって決定される。したがって、どれか2つを知っていれば、最後の1つの量は計算して求めることができる。

地球の大きさは天文的な知識がなくてもある程度は想像つくし、天文学を利用すればもっと正確に測定できる。だから、これは既知のものとする。次に、太陽の半径に関しては、日食が存在することから、月と太陽の視直径が同じ程度だ、という事実を利用することができる。(もっと正確には太陽半径と地球太陽間距離の比だが。)普段の状態で、太陽の視直径を直接測るのは、古代は大変だっただろう(理由は単に眩しいから)。でも月ならじっくり観測できるから、月を測って太陽を知ることができるというのは随分助かったはず。

この2つの値を使えば、残りの量、すなわち地球太陽間距離(これを一天文単位という)を、今回の月食のデータ(月食の時間)と合わせることで計算できる。もちろん、ちょっとした幾何学計算をする必要はあるが、今回はこれをやってみることにした。すると、意外に難しいことが判明した。太陽と月の視直径がだいたい同じという近似は大雑把すぎるのだ。それでも、強引な誤差解析をすれば、だいたい1億キロ程度という値は出すことができた。

まず、太陽の視直径は月のそれより30”ほど大きいという事実は重要だ。日食ではこの精度が出し難い。しかし、金星の日面通過を観測することで、より精度の高いデータを得ることが可能だということを最近知った。実際、金星の日面通過を最初に観測した英国のHorrocksは一天文単位を約1億キロだと計算している。最新の値は1.5億キロだから、17世紀始めの観測としては相当正確な計算だ。

実は、来年の6月に金星の日面通過がある。この天体現象は8年、105年、8年、105年という間隔で起きる。実は、前回は8年前の2004年で、このときは英国にいたが、まったくそのニュースを聞かずに過ごしてしまった...ということで、今回の日面通過を逃してしまうと、生きているうちに太陽の視直径を自分で測るのは不可能になる可能性が高い(っていうか不可能)。なんとか成功させたい!

2011年12月17日土曜日

論文受理される

秋の学会で、ヨーロッパとアメリカのライバル研究者たちが、自分と同じような研究をしていることが判明し、おお慌てで書いた論文が受理された。やった!

レフェリーレポートは最初から好意的だったと思うが、2、3こちらの能力を試すような難しい問題も突きつけて来て、最後はちょっとヒヤヒヤした。その一つは、おそらくレフェリー自身が昔書いたと思われる、難解で長い数学的な論文に関してのもの。「この論文をちゃんと理解した上で今回の論文を書いているのか?」という質問だった。これは要するに自分の論文を引用せよ、ということなわけだが、ただ引用しただけだと、馬鹿扱いされてイチャモンを付けてくるのは明らか。細部まで理解し、今回の論文の内容とどう違うのか、どこが「劣っていたのか」を適切に説明しないといけない。しかし、あまり否定しすぎると、今度はこちらの論文の否定に転ずるのは明らか。論理的に、過去の仕事より優れているということを慎重に指摘しないといけない。自分の仕事を否定されたり、劣っていると言われるのは嫌なことだ。そこを、「なるほどね。たしかにそれは新しいし、よくこんなこと思いついたね。一本とられたよ」と言わせないといけない。心理戦は消耗する。

とはいえ、いいクリスマスプレゼントを貰った気分。これで楽しく年越しできそう、といいたいところだが、次の論文が早くも競争状態になっているし、実は教科書執筆の締め切りが....ということで、休む暇ないかも。(入学試験の時期も近いし...今年は出張が一つある...)

2011年12月11日日曜日

皆既月食の観測:2011年12月

月食の観測を行った。直前まで曇っていて、月は雲の裏にあったが、月食の始まる30分ほど前に完全に晴れ上がってくれた。神様ありがとう。月食が終了するまで、crystal clearな夜空だった。奇跡といってもいいかも。(昨年は雨だったから....)
月食(11:41pm, iso400, 5sec)
とりあえず、今晩はこの一枚だけ。

2011年12月3日土曜日

「中国嫁日記」を読む

中国嫁日記...ついに買ってしまった。ブログでも読めるのだが、やっぱり寝転んで、ゲラゲラ笑いながらこういうのは読みたい。

「クラスメートル」が一番可笑しかった。王先生の話も面白い。

実はこの漫画もエンターブレイン出版。テルマエ•ロマエと同じ!
漫画家は井上(ジンサン)純一。

広渡氏のメモ

「ドイツではなぜ脱原発に至ったのか?」という題で討論会があった。明治大学と専修大学の双方で開催された。ここでもらった広渡氏のメモは素晴らしいと思った。的確な分析がなされ、世界で唯一の戦争による原爆被爆国でありながら、なぜ原発を推進してきたかという矛盾を追究している。

広渡清吾氏は、東京大学法学部の名誉教授であり、日本学術会議の会長でもある。(現在は専修大学法学部でも教鞭をとっている。)日本の知識人の最高峰に立つ一人だろう。

以前書いたように、日本の原子力政策が始まるのが1954年のことで、当時若手議員だった中曽根元総理大臣と、読売新聞社社長の正力氏が中心となって、国会で原子力予算が承認させた。

広渡氏のメモによると、この予算承認直後に、日本各地(といっても、ほとんど全国規模、つまり、札幌、仙台、東京、名古屋、京都、大阪、広島、そして福岡)で、「原子力利用平和博覧会」が開催された。主催は読売新聞だった。つまり、正力松太郎氏の「原子力キャンペーン」だったわけだ。この博覧会は宣伝がうまくいったせいか、大人気となり、東京だけでも37万人弱が入場したという。驚くべきことに、広島においてもこの博覧会は盛況で、とりわけ原子力科学館が人気を集めたという。

この博覧会の前後で、日本の世論に大きな変化が起きた。1956年に70%の国民が「原子力は有害だ」と感じていたのに、1958年には30%まで激減したという。正力氏のキャンペーンの勝利と言えよう。(ちなみに、彼は関東大震災のときもある事件に関し、その情報操作に関わっていたという。)

ところが、広渡メモにはさらにすごいことが書いてあった。実は、真の主催者は読売新聞社ではなかったというのである。読売新聞、すなわち正力氏は、単に「現地担当者」として開催に協力しただけだというのである。

(つづく)

2011年12月1日木曜日

クリスマスカード

クリスマスカードを書く時期となった。実は、長いこと英国にいたせいで、年賀状よりクリスマスカードのほうが多く来るようになってしまった。今年は、北米にいた友人たちがヨーロッパに戻ってしまったので、全部欧州向けになった。イギリス、スコットランド、イタリア、ベルギー、フランス、スイス、ブルガリア、そして最近ポルトガルから久しぶりにメールが来たので、ポルトガルにも出すことにした。(追記:と思ったら、このポルトガル人、今はニューヨークに住んでるとのこと。北米行きが一枚できた。)

ちなみに、中国やインドの友人たちには、クリスマスとは無関係なのでなにも書かないことにしている。

そういえば、南半球の友人達には手紙を書いたことがない。(オーストラリアと南アフリカ)やっぱり距離や季節の関係で、ちょっと疎遠になる傾向があるのかもしれない。(大地震のとき、メールを送ってくれたので、メールくらいは書いておこうか?)