2013年12月31日火曜日

大晦日の準備

今年は「村のしきたり」にならってみることにした。年越しに必要なのは、まずは新しい神様だ。次に、屋敷神という神様を、家の敷地にある祠の数だけ用意する。家の各部屋を清める笹のお祓い(魔法使いの杖みたいなもの)も必要なのだが、村で一本つくって共有するため、個人個人で勝手なタイミングで使うことができない。「村長」に尋ねると、今年はすでに回してしまったというので、泣く泣く諦めることにした。

最初の悩みは、「神様をどこで調達しようか」である。通常は、村の回覧板で「神様の注文承ります」という広告が秋の終わりに回ってくるので、そこで注文しておけば、年の瀬までには氏子の人たちによって玄関先までちゃんと届けられる。しかし、今年はちょうどその時期に「江戸詰め」しており、注文すること能はず。生まれて初めて、ネットで「神様の購入」と検索をかけてみた。すると、近場の神社が2つ候補に上がった。今回は、やや南の方にある山間の神社を選んだ。社務所に電話を入れると、「2時に閉めるから、早く来」とのこと。また、注文する時は「神様3つ下さい」というのではなく、「お札を3つ」といった方が良いらしい。ちなみに、天照大神は800円、地元の神様は500円だという。地獄の沙汰も金次第というのは聞いたことがあるが、神様もお金で買えたとは知らなかった...

住んでいる村より南に下ること、車で30分程。山に囲まれた谷間の集落にその神社はあった。三重塔の偉容にどぎもを抜かれる。樹齢1000年以上もあるケヤキや杉の大木が林立し、不思議な世界に迷い込んだような錯覚を受ける。この塔は鎌倉時代の作だそうで、国の重要文化財に指定されているとは知らず、驚きの連続だった。氏子の人たちは、杉の生葉を威勢良く燃やしていて、あたりは煙に包まれていた。
神様を購入した神社にあった三重塔。
室町時代のもので、国の重要文化財であった...
知らなかっただけに驚いた。
神主に「神様1つと屋敷神様を3つ下さい」とたのむと、「2つで十分ですよ。わかってくださいよ!」と言われるようなことはなかったが、お札は地元神にしたので500円、屋敷神は3つで900円であった...

つぎに、「ごぼうじめ」と呼ばれるしめ縄を調達に、今度は村の北西にある道の駅へ。ここには地元の物産が集まっていて、いろいろ便利なものが手に入る。お正月飾りのコーナーにいってみると、ごぼうじめは一本120円だった。4本調達する。思えば、笠地蔵のお話も年の瀬に金がなくて年越し/正月の準備ができずに苦労する話だ。年越しは何かと金が掛かるものだと思い知った。

家に戻ってさっそく「屋敷神様」を祠に納める。「ごぼうじめ」を立てかけ、細縄で縛る。昨年の神様を回収し、まとめて近くの神社の境内にある「神様捨て」に奉納する。これはいってみれば焼却炉であって、氏子の人がタイミングをみて適宜、火を付けて旧いお札などを燃やしていく。有り難いのか、罰当たりなのか、かなりすれすれの線ではないだろうか?

神様のお札は自宅の高い所に祀ることにした。お神酒は省略。来年は徳利をどこぞで調達する必要があろう。それよりも、祠の数をもう少し増やし、隣家の侵入を神頼みでなんとか防がんと、小諸の方へ探しにいくことにした。北国街道沿いにちょっとした石屋があったので話を聞いてみると、小振りのもので4万円だという。材質は中国産の御影石。まあ食べる訳ではないから、と買って帰ろうとしたら、なんと重くて独りでは持ち上げられない。仮に持ち上がったとしても、車に直接載せると傷だらけになるというので、毛布などを持参してから出直すべきとアドバイスされる。取り付けを依頼しようかと思ったが、店開きが1月14日だとのんびりしたことを言う。これまでのやりとりをまとめて考えると、今年は諦め、しばし様子を見る方がよかろうということになった。

飯綱山と呼ばれる丘に登り、年の瀬の夕暮れを眺めることにした。
小諸から見た富士山。左のごつごつしたのは(多分)瑞牆山。
その左にある一番高いのが甲武信岳だろう。
蓼科や八ヶ岳がよく見えるのはわかるし、美ヶ原や上小の山々が見えるのはわかる。しかし、富士が見えると知って非常に驚いた。浅間の斜面に暮らす小諸の人は昔から富士を見ながら暮らしていたんだな、とカルチャーショックを受けた。

家に戻って来て、大晦日の全ての準備を完了したことを確認。イタリア産の白ワインを開け、ほろ酔い気分で夕方の観測に向かう。金星が西の山の端に沈みゆくところ。2013年もこれでおしまいなり。
金星はやぎ座の下にあって、西の空に沈んでいった。
やぎ座のα(二重星)とβが見える。

2013年12月30日月曜日

英国旅行(3)

海岸からの帰り道、ちょうどお昼の時間となったので、Petworthという街によった。ここは平原の中にぽっこりと膨らむ小さな丘の上に王族の館が築かれ、それを中心として街が発展した。あたかも城郭都市のようなところだ。現在は丘の頂きに時計台が立っていて、南イングランドの平原を走っていると、地平線の彼方にその姿が見えてくる。すると、なにか救われたような、家にたどり着いたような、そんな不思議な気分になる。館にはターナーを始めとする国宝級の絵画、彫刻が収蔵されていて見学することができる。たしか、スコットランドのメアリー女王(Mary queen of Scots)の肖像画があったのを記憶している。
Petworth houseの森
残念なことに、この館は冬は閉館なのだ。しかもレストランは工事中だった。来年以降に楽しみは残しておこう。ここは、春先の水仙の乱れ咲きが有名なのだが、紅葉も意外に美しいことが今回初めてわかった。「腹は空けども高楊枝」風にいえば、南イングランドの紅葉を満喫できて本当に満足であった...

見晴し台を臨む。この裏に広大な平原と湖があって、
無数の野生の鹿が群れをなして自由に暮らしている。
画家のターナーもその景色を描き残している。
お昼を食べ損ねたので、宿のある街までもどり、ちょっと遅い時間だったが、その街一番のイタリア料理を食べる。ランチメニューということで、ボロネーゼとミネストローネ。そしてティラミス!この店はHighstreetにあるので、細々とした用事をこなし、そして買い物をすませる。

夕食は、英国人の友人たちとフランス料理へ。住んでいた頃はいったことなかったのだが、こんなに美味しいのだったらもっといっとくべきだったと後悔。楽しい時間をすごすことができた。翌日は大学でセミナーをしたり、議論したり、共同研究の予定を立てたりして忙しくする。宵の時間にヒースロー空港より日本へ向けて出発す。

2013年12月29日日曜日

英国旅行(2)

滞在初日は、馴染みのインド料理屋へいって、いつものパパドム、ラムバルティ、サガルーなどを味わう。この店には、インドのビールが2種類あって、「コブラ」と「キングフィッシャー」というのがある。この日は、久しぶりにキングフィシャーを飲んだ。軽い味で、冷たく冷やして飲むとインド料理にぴったり!

翌日のBread & Breakfastの朝食はタマゴサンドのクロワッサンと紅茶(イングリッシュブレックファースト)。それにドーセットシリアルと缶詰果物。お腹を一杯にしたところで、この日は一気に南下してハンプシャーの海岸に化石採集にいくことにした。

この場所は以前にも頻繁に来た場所だったのだが、久しぶりだったせいか、途中Chichesterで迷ってしまった...この街はなぜかいつも混んでいて、中心部に入ってはならないのだが、今回は足を踏み入れてしまった。苦労して脱出。そして、久しぶりのBracklesham bayにやってきた!


この日もそうだし、以前来た時もそうだったのだが、内陸部がどんより曇っていても、(文字通り)この湾から先だけが晴れ渡ることがある。雲の境界がくっきりしていて、不思議な光景となる。遠浅の砂浜だが、干潮時間の直後にやってきたせいで、水位は少しずつ上がって来ていた。しかーし、今回の旅ではWellington bootsを購入してあったので、まったく水を気にせず浜辺を歩くことができた。冬の海岸での採集に、防水ブーツは必須のアイテムではないだろうか?

この浜辺での化石採集は、波打ち際を歩いて探し、見つかったら拾い上げるだけ。たとえば、こんな感じ。
Vernicor  planicosta
この巨大な二枚貝(Vernicor planicosta)はここでもっとも採集できる化石。狙うは合弁のもののみ。巻貝はTurritella imbricatariaが比較的たくさん産出する。
Turritella imbricataria
今回はこの手の貝殻はすべて捨て置いて、狙いをサメとエイの歯に絞る。およそ45分ほどで、ひとつづつ採集することができた。潮が満ち始めの時間帯としては、上出来だろう。

サメの歯の化石
最後にビーチの礫部で線量測定。ここも問題無し。

街に戻る途中、丘の上に築かれた城郭都市があり、そこで休憩することにした。

英国旅行(1)

今年の英国のクリスマスは大水害に見舞われ、大変なことになっている。とりわけ、英国本島の南半分の被害がひどいようだ。

実はこの水害の直前に英国に仕事で行った。その時に見た穏やかな秋色の気配からの、変わりように驚きが隠せずにいる。水害が襲う前の南イングランドの様子を、ここに記録しておきたい。

今回ヒースローで借りたレンタカーは、フォードのC-MAX。店員に強く進められてディーゼル車を試してみることになった。欧州では環境問題に対処するため、ハイブリッドではなく新型のディーゼルを推奨しているらしい。でもコンソールに表示される燃費はMPG(mile per galon)...日本で使うkm/Lにいちいち換算するのは面倒で、結局燃費はいいのか悪いのかわからずじまいに。ただ、3日走りまくっても、給油は一回も必要なかった。
ガーデンセンターの駐車場にて。
この車で南イングランドを走り回ってみたら、英国は紅葉の最中にあることが判明した。久しぶりの英国の秋を楽しむことができた。

お昼の紅茶を飲みに、とある村へ出かける。ここは18世紀のある有名な博物学者が暮らしていたところで、彼の屋敷が博物館として現存している。彼の墓も村の教会にある。ここから、高速で30分程走って、以前暮らしていた村に行ってみた。細かいところで変化はあるものの、基本的な風景はまったく変わってない。懐かしく思うよりも前に、完全にタイムスリップして、あたかもあの頃に戻ってしまったような錯覚を覚えた。ガーデンセンターでウェリントンブーツを購入し、毎日散歩に行っていた丘陵地帯へいった。この丘陵には、平原、森林、湖、砂地(大昔の砂浜の跡)など様々な場所があって、今日はどこに行こうかと、楽しみながら行き先を決めたものだ。

遠くにSouthdownsを臨む丘の尾根。

この場所を撮った4年前の写真はこちら。
砂の道は、大昔の砂浜だった場所。
現在は、乗馬用の道として利用されている。
秋も深まり、空気はひんやりして、今にも雨が降りそうな気配があった。典型的な、英国の晩秋の気候だと思う。丘を下りて森の中に入ってみると、黄葉が綺麗な木々がところどころに散らばっている。日本の紅葉とちがって、一色に染まるようなことはない。英国は気温の変化が日本ほど劇的には起きないのが原因だろう。とはいえ、これが英国の秋の表現であり、それはそれで心和む。特に、森の中にひとり迷い込む感じは、ほんとうに久しぶりで、心地よかった。



この穏やかな南イングランドの自然が、クリスマスの日に到来した嵐のせいで水没したなんて信じられない。

ところで、丘の上で放射線量を測定してみると0.03-0.04 μSv/hだった。東京も原発事故前なら、こういう値が出ていたはずなのだ...

2013年12月28日土曜日

福島のあんぽ柿

福島のあんぽ柿を3年ぶりに出荷」という報道が少し前にあった。気になる人はたくさんいると思う。茨城出身の友人は、同県の特産である干芋のセシウム汚染を気にしていた。たしかに、果物などは、乾燥させ水分を抜くことでBq/kgの値は上昇する。(とはいえ、乾燥の前だろうと後だろうと、柿一つ、芋一つに含まれるセシウムの総量は変わらないわけで、よく考えるとこの数字を気にするのはおかしな話だ。果物の場合は、Bq/個という単位にした方が意味があるような気がする。)

検索して調べた人もたくさんいると思う。私も遅ればせながら検索してみたら、あんぽ柿を専門につくっている大武農園のサイトに行き当たった。「緊急時環境放射能モニタリング」という制度があり、福島県がゲルマニウム検出器で測定を行っている(例:10月の測定結果)。大武農園もこの制度を利用して、今年収穫した柿の測定を行ってもらったようだ。干し柿やあんぽ柿にしたときに抜ける水分を考慮して、セシウム汚染の程度を見積もっているが、その結果は100Bq/kgを越えている。しかし、この値は前年の測定と比べると大幅な減少となっていて、そのこと自体は喜ばしい結果だ。ただその主な理由は、半減期が2年のセシウム134の減衰によるものだと思われる。だとすると、これからはセシウム137(半減期30年)が汚染のメインとなるので、来年は今年とほととんど変わらない結果となり、落胆する可能性がある。

いずれにせよ、報道では出荷のことばかりで、実際には汚染のレベルが100Bq/kgを上回る干し柿やあんぽ柿があることにはあまり触れていない。ただ、「検査」に合格したものだけを出荷しているという説明はしていた。しかし、映像でその検査の様子を見ると、ちょっと不十分のような印象を受ける。出荷する商品をそのまま直接測定できる機械を開発したようだが、全量検査を目指して「安全」をアピールしたいため、測定時間を2分程度に大幅短縮している。デジタル体温計で利用されているような、外挿アルゴリズムを使って推測値を出していると思うのだが、「外挿」は誤差が大きくなる傾向が強く、科学者の間にはよく知られている「危険な推測法」だ。誤差の少ない測定を目指すなら、測定時間は長く取るべきだ。特に、今気にしている汚染のレベルが100Bq/kg程度であるならば、10分から20分の測定はした方がよいと思う。今年は慎重を期して、量をさばくのを目的にせず、少量でも安全性の高いものを売って、信用を回復するのを目標にすべきだと思う。

そういう意味では、上記の大武農園の姿勢には頭が下がる。検査結果を正直に公開し、今年の生産は難しいという判断をしている。こういう農園の生産物なら、「(ゲルマでの5分の)測定結果の平均値が20Bq/kgでした(ただし、平均値の算定に使ったのは100個の柿)」などと詳細を書いて出荷すれば、「基準値」以下のものが出ればちゃんと買ってくれる人は出てくると思う。もちろん、買いたくないという人も大勢いるだろうが、それは消費者の判断だ。(今、ふと思い出したのだが、確か原発事故の直後に値札の横に放射能値を添えたスーパーがあった。しかし行政の強い介入があって、このサービスが潰されたことがあった。このような「行政指導」のために、皆やりたくてもやれないのかもしれない。)

国がお墨付きを無理につけて、形式だけ「白黒」つけてその結果を消費者に押し付けるやり方は時代遅れだと思う。現代の農業/商業の進むべき方向とは、正しい情報を正直に開示し、その情報を基に消費者が独自に購入を判断する、という形だろう。行政による「販売中止命令」でもなく、行政に依る「販売促進キャンペーン」でもない。生産者と消費者が、政府や行政の介入を受けること無く、直接「会話」しながら物事が進むようにすべきだと思う。政府や行政が真にやるべきなのは、偽装や偽造といった「情報」に対する犯罪を見張ることだけだろう。

2013年12月27日金曜日

分割して統治せよ:沖縄の場合

いうまでもなく、古代ローマ帝国の編み出した方法で、大英帝国がインドを植民地化したときに応用した。今、沖縄にこれが適用されている。「分割材」はもちろん金だ。

住民が一丸となり結束すれば「支配」を破壊することができるのに、住民同士で争いが始まり、身内で分断してしまうと、統治者を追い出すことができなくなってしまう。(原発誘致や建設でも、同じ方法でうまくいった。)私たちは歴史に学ぶ必要がある。

そもそも沖縄の人の寿命が、長野県人なんかより短い訳がない!補助金の薬漬(しゃぶづけ)によって、目先の享楽にふけることを覚えさせられた一部の人が、伝統的な沖縄料理を「まずい」と言い出し、欧米風の料理やジャンクフードを食べ始めたからではないか?

真の民主政治を住民/市民が勝ち取るには、「集団」で意見を言うのが最強だ。そして、その集団でも特に強いのが子供を持つ親達だ。彼らが分割されてしまわないように、私たちは身を捨てて彼らを守らねばならない。

2013年12月23日月曜日

冬至2013

冬至となりぬ。ツグミ垣根に飛び来たりて、紫式部の実をつぐみ居り。冬の影、長く伸びたる様、寒々しく感ず。
ツグミとムラサキシキブ
太陽に最も近づくこの季節の太陽の姿を写す(近日点通過は新年の正月四日)。
冬至の太陽
寒さ厳しき夜に星空観測す。

2013年12月13日金曜日

Peter Higgsに同意。

ヒッグス粒子の存在を理論的に予言し、今年のノーベル物理学賞を受賞した、エディンバラ大学名誉教授のPeter Higgsへのインタビューがthe Guardianに載った。

「今の(英国の)大学のやり方では、私(Higgs)が1964年に成し遂げたような独創的な研究は成し遂げられないだろう」という。彼の不満はよくわかる!まさに同感だ。RAEが行われたとき、論文を書かないHiggsをエディンバラ大学は厄介者と感じ、もしノーベル賞にノミネートされてなかったら「首にしてた」そうだ。現在の英国の大学は「金集め」が目的だから、金目の薄い学術や芸術の探求にはまったく興味を示さない。

「ヒッグス機構」以上の内容を持った論文を書くのはそうそうできるものでもないが、書いた本人にしてみれば、それ以下の内容の論文は「駄作」になるから書きたくないと思うのは当然だ。Higgsが最後に論文を書いてから40年近く経つそうだが、その間「研究もせず大学をぶらぶらしていただけ」なんて誰が思うだろうか?考えても考えても、論文にできないことはたくさんある!それを強引に安っぽく書き上げてしまっては、ゴミ箱直行の駅前チラシと同じ程度の価値しかない!

2013年12月9日月曜日

Mac のコンソール

ログイン画面のユーザーネーム欄に「>console」と打ちこんでenterを押すと(パスワードは要らない)、GUIが起動せずコンソールでのログイン画面になる。

計算プログラムを走らせるときは、GUIに関連するプログラムやデーモンが動いているとパフォーマンスの低下になりはしないかと気になっていた。そこでこの技を利用して、コンソール状態とGUI下での計算速度の比較を行ってみた。GUIでは余計なプログラムは一切開かず、ターミナルだけを起動しそこで計算プログラムを走らせた。

結果は...まったく同じ計算速度。がっかりというか、安心したというか。ちょっと複雑な気分。

2013年12月2日月曜日

師走の初:凍り付いた女神湖

師走となる。女神湖は全面結氷に近い状態となり、湖面は氷に覆われていた。雪はまだ本格的には降っていない。紅葉の散った山は、まだ茶色の状態を保っている。スキー場には人工雪があったりして、幾分白い色が風景に入り込んできたのは確か。蓼科山にはこの前に降った雪が少し残っているが、まだ真っ白にはなってない。本格的な冬がやってくるのも時間の問題となった。


2013年12月1日日曜日

ラブジョイ彗星の二度目の観測(実は三度目)

アイソン彗星の消滅を確信。観測対象をラブジョイ彗星にシフトすることにした。観測結果はこちら。

12月1日午前3:47ごろ。追尾無し、iso6400(20 sec)の広角一発撮りでも、意外によく写っていた。

2013年11月30日土曜日

アイソン彗星は消滅したのか?

多くの人が楽しみにしていたアイソン彗星が「消滅した」というニュースが流れた。とりわけ日本では悲観的な報道や報告が多い。たとえば、国立天文台ではSOHOの観測データを下に「彗星の核が消滅し、融け残った残留物のみが空間に拡散したような状態」と状況分析している。しかし、この分析は簡単な文章のみによるもので、肝心の画像データを示しながらの説明ではない。国内のアマチュア天文家が多数、観測写真を投稿するastroarts.co.jpでも悲観的な報告となっている。ただ「長い尾が見れない」だけだとし、彗星自体が観測できなくなったとは書いてない。「明るい残留物も見える」と注意深い書き方になっているのは、まだあきらめていないという意志の現れだろうか?

海外のサイトでは「まだあきらめないぞ」という論調のものが目立つような気がする。特に、アメリカのアマチュア天文雑誌のSky and Telescope誌は12月初めの観測機会を虎視眈々と狙っている。

確かに彗星のコアのほとんどの部分が太陽風(放射線)と熱によって消滅してしまったようだが、SOHOの最新のデータを見るとかなりの量の残存物(debris)が残っていて、彗星の軌道上を塊になって移動しているように見える。欧米の天文学者の中にはこれを「アイソンのお化け(Ghost of ISON)」とか「シュレディンガーのアイソン」とか呼んで、「消滅し、かつ消滅していない」彗星と考えている人にいる。

SOHOのC3カメラの画像データ。
sohodata.nascom.nasa.govより。

ハリーポッターに出て来たNearly headless Nick(ほとんど首無しのニック)のように、欧米の化け物の代表格に「首無しxxx」というのがあるが、近日点通過後のアイソン彗星もHeadless ghost comet(首無しお化け彗星)と呼ぶべき「ゾンビ」彗星となっていれば、12月の初旬のチャンスになれば、見える人には見えるかもしれない!

追記:更に最新の画像データを見てみた。.....明らかに輝きが失われている。太陽風をかぶるたびに、どんどん暗く、拡散していく様子も確認できる。もはやこれまでか。
上の写真の8時間後のSOHOのデータ。
更に追記:もはや彗星の形はほとんど残っていないように見える...後ろの2つの恒星が透けて見えるほどに拡散している。さようなら、アイソン彗星。

2013年11月17日日曜日

久しぶりの太陽黒点の観測

久しぶりに太陽黒点観測を行った。詳細はこちら

COP19で日本は火だるま状態

かつて鳩山政権が発表し世界中から賞賛を浴びた、二酸化炭素排出量の大幅な抑制目標を「やっぱ、やーめた」と発表した阿部政権(日本)に対し、各国代表から「無責任だ!」などの批判が相次ぎ、日本代表はCOP19で火だるま状態になっている、と英国の新聞The Guardianが報じている。

2013年11月13日水曜日

ラブジョイ彗星の観測

年末にかけて増光が注目されていたアイソン彗星は、期待外れの目算が高くなってきたようで、当初の予想通りには明るくなっていないらしい。おまけに朝方の観測となるため、朝の弱い人にとっては非常に困難な観測となっている。

その一方で、ラブジョイ彗星は、現在はアイソン彗星以上に明るく輝いている上に、夜半まで待てば蟹座と「獅子座の頭」の間に見つかるらしく、観測しやすいという。

そこで、アイソン彗星の前にラブジョイ彗星の観測に挑戦してみることにした。木枯らしが吹いて「冬」となった今、夜の冷気は体の芯まで凍えさせる。しかし、そのエメラルドグリーンの輝きを夜空に見つけた瞬間、寒さを忘れて観測に没頭してしまった。


春に観測したパンスター彗星(Comet Pan-Starr)は、夕焼けに照らされた「赤い彗星」だった。が、こちらは冬の冷気の中で、青緑色に神々しく輝いている!

尾の方向を見るために、強めの画像処理をしてもの。
iso6400(60sec)を4枚、加算平均したもの。
寒さの中、極軸合わせがなかなかはかどらず、精度を妥協してしまった。が、それは良い判断だったと思う。なぜなら、彗星の位置をなかなか同定できなかったからだ。精度を妥協しなかったとしたら、彗星探しの段階で寒さに絶えられず諦めてしまったことだろう。

見つけ方は、ふたご座の「頭」と北斗七星の「水汲み部」を結ぶ平行線を思い浮かべつつ、その線に沿って蟹座のプレセペ星団から左に若干視線をずらせばよい。この日は、獅子座の頭のちょっと右に彗星は位置していたようだが、日付が変わった直後では、しし座はまだ高度が低く、座標の目印としては使えなかった。

それにしても、この緑色は美しい。これは太陽風に分解された炭素分子が光っている色らしい。彗星は「生命の種」であると最初に言ったのはFred Hoyleだっただろうか?

ラブジョイ彗星は、今月下旬にかけて更に増光、尾も延びてくるらしい。観測もしやすいので、楽しみな天体となってきた。次は、がんばってアイソン彗星に挑戦してみよう。

目印に使ったふたご座(Gemini)と蟹座(Cancer)にある星団も観測してみた。どちらも以前にも観測したことがあるが、綺麗なので、ついつい撮影してしまった。

M35(散開星団):2600光年
右上に見える小さな星雲はNGC2158:1万6千光年.

M44:プレセペ星団





2013年11月11日月曜日

アルビレオの二重星:再挑戦

二年前にチャレンジして失敗した「はくちょう座のアルビレオ」の観測に再挑戦してみた。

木枯らし1号が吹いた後、急激に気温が下がり、日が沈む頃になると冬の寒さとなった。手袋をしないと手がかじかんでしまう。「秋はこれにておしまい」とばかりに冬の星座が東の空に昇ってきた。それでも、夏の大三角は北から西の空にかけて、いい角度で傾き、観測に絶好の位置につけている。アルビレオを狙うのは今年は今が最後となろう。海王星や天王星の観測に後ろ髪を引かれもしたが、半月のあまりの明るさに、うお座もやぎ座も肉眼には映らなかったので、そちらの観測は今宵はあきらめた。

A80Mfを使用する。先日購入した「新兵器」の、Celestron zoom eyepiece 1.25"を利用することにした。

この接眼レンズは拡大率を連続的に変えることができる。つまり、倍率が低い状態で天体を探して視野に収めてから、天体像を拡大できる。通常は倍率の異なる接眼レンズを付け替えなくてはならないが、その度に望遠鏡の位置がずれて天体が視野から外れたり、焦点の設定が大幅に狂ったりして天体を見失ったりと、その観測は困難だ。また、接眼レンズのネジの口径が、Canonの一眼レフカメラに合致しているため、接眼レンズを直接取り付けることができるのも便利な点だ。

肉眼でアルビレオの位置を確認し、ファインダーで望遠鏡の視野に収める。この辺りは、天の川の中となるので、ファインダーに無数の星が見えてしまう。おかげで、なかなかアルビレオを同定できない。寒さの中、辛抱しながら、少し赤い感じの星を探す。意外に高度は低い感じだ。そして、ついにこの二重星をうまく撮影することができた!

ついに捉えたアルビレオの二重星。430光年。
アルビレオは宮沢賢治の「銀河鉄道」の夜に登場する。そこで描写されているように、実際に観測しても、2つの恒星の青と赤の色の対比が素晴らしい!しかし、Wikipediaには「これは真の二重星かどうかは未だに不明」とある。賢治は「真の二重星」つまり互いの周りを周回する2つの星と考えていたが、是非それが本当であって欲しいと願う。なんとかして結論を出して欲しいものだ。

今日の成功は、実は月の存在が大きい。今宵は月齢7.6日の半月だが、ピントを月に合わせてからアルビレオを撮影したのだ。実は、今晩使った接眼レンズを通してみたカメラのファインダーにはアルビレオは写らなかったのだ。そこで、望遠鏡のファインダーを使っておおよその位置を掴み、月面のピントのままバシャリとシャッターを切る。写真で星の位置を確認しながら微調整し、拡大率を上げる。ピントがずれるので、何度か撮影像を用いながら手探りでピントを合わせていく。こんな具合にして、アルビレオの撮影に成功したのだった。もし月がなければ、ピント合わせに時間がかかり、あまりの寒さにやる気が失せてしまった可能性もあったと思う。

2013年11月4日月曜日

東方最大離角の近傍にある金星の半月形

去る11月1日、金星は東方最大離角の位置にいて、太陽からの角度がもっとも広がった。これはもちろん、観測の好機ということを意味する。しかし、今年は台風やら何やらで、天気の悪いが長く続き、なかなか観測することができずにいた。11月1日の夕方も、西の空は厚い雲に覆われてしまい、金星の観測はあきらめざるを得なかった。その後は、忙しくて観測の機会を逸したり、また天気も悪かったりして、なかなか最大離角の特徴である「半月」状態を観測することができなかった。

毎年綺麗な秋晴れが期待できる文化の日すら雨にやられ、今年は本当に異常気象だと思っていたら、11月4日の午後ようやく青空が雲間に覗いて、夕方には西の空が見事に晴れ渡った。やっとこさ、輝く金星の観測をすることができた。

東方最大離角から3日後の金星。
A80Mfを久しぶりにセットし、倍率を上げて拡大すると、見事な「半月」状の金星が浮かび上がった。アダプターを大学に忘れてきてしまったので、コリメート撮影になったが、半月形の金星をなんとか撮影することができた。これから金星は次第に地球に接近し内合へと向かう。金星の大きさが増すと同時に、三日月状の「欠け」も進んでくる。しばらくは、金星の連続観測に励もうと思う。

紅葉の彩り

文化の日の連休に、御牧原に登った。途中の斜面の林は紅葉の赤や黄色で染められていて、それは綺麗だった。目立ったのは、ダンコウバイらしき黄色に葉。それに、黒い葡萄のような実。調べてみると、アオツヅラフジというものらしい。

ダンコウバイの葉とアオツヅラフジの実

アオツヅラフジの実

2013年10月29日火曜日

朝永振一郎も「慣性の法則」に気付き給ふ

朝永振一郎著「量子力学と私」(岩波文庫1997年)が出版されたとき、理学部の学生/大学院生の間にざわめきが起きたのを記憶している。「朝永の日記読んだか?」「ああ、読んだよ!」という会話が大学の講義室や研究室のあちこちで交わされた。この文庫に収録されている「滞独日記」の章のことだ。

この日記には、ハイゼンベルグ(ドイツ)の下で研究を行う、朝永さんの日常が赤裸裸に綴られていて、凡人の我々には本当にありがたい本なのである。これを出版する事を了承した御家族の英断には感謝申し上げたい。それは、この日記を読むと、ノーベル賞を受賞した人でも、これほど迷ったり、さぼったり、計算に疲れたり、優秀な友人(湯川秀樹のこと)をひがんだり...まったく一般人の我々と変わらないじゃないか!という驚き、そして「これならオレだって同じだ。いつかはノーベル賞とれるかも」という妙な希望を我々に持たせてくれるからだ。

久しぶりにこの本を読み返してみたが、どうも前半の部分の印象が随分薄くなっていたことを痛感した。読み返してみると、これも非常におもしろい!特に、「原子核物理における日英の交流」の章にある一節が目に留まった。引用してみよう。
....大学という機関は保守的であるのが常であって、急激な変化に対しては大きな慣性を示します。とくに有力な大学の多くが国立であり....文部省とか大蔵省とかの官僚機構のもつ大きな慣性によって、大学の慣性はさらに倍増されがちなのです。この大きな慣性のために、...科学の進歩があまりにも急激であるとき、大学がそれに反応し得ないことが私の国(日本)では起こりがちなのであります....
以前、慣性の法則について書いた事があった。朝永氏も似たような感想をもったのだと知って、またもや「妙な」親近感が湧いたのだった。

2013年10月28日月曜日

双子山へ

秋晴れの陽の下、大河原峠から双子山へ登った。
途中ふりさけ見れば、蓼科山と横岳の間から南アルプスが雲海の上に浮かんで見えた。



紅葉はすっかり終わり、眼下に広がる山麓へ下りてしまっている。とはいえ、白樺の幹が白く目立ち、針葉樹の緑がパッチワークのようになっている。紅葉はさらに下の里の方にまで下りてしまっているようだ。手前の落葉松の黄色は、紅葉の終わりを告げている。高山の秋は既に晩秋に入ったのだ。
大河原峠から眼下を望む
双子山の山頂は大きく景色が広がっていて、晴れていれば爽快な気分が味わえる。遠くに見えるのは秩父や群馬との県境の山々だ。これだけの景色が見えるということは、実は、ここは放射能プルームが信州に突入したとき最初に引っかかる場所に相当する可能性があるということだ。今回は調査道具を持って来なかったが、再訪してこの峰はよく調査する必要があると感じた。
双子山の山頂

2013年10月27日日曜日

秋の終わり

おそらく今年最後であろう台風が去っていった。大島の土砂崩れに追い打ちがかからなかったのは幸いだったと思う。ただ、あちこちで被害を残していったらしいが。

一晩明けて秋晴となった。晩秋を感じるのは気温の低下のせいだろうか?紅葉も随分里まで下りてきた。

中央道を下る。まずは、甲府にて富士を眺める。東京からの丹沢越しでは雲に隠れて見えなかったのに、さすがにここまでくると雲は退いてくれるようだ。それでも、御坂山地越しの富士は久しぶりのことではないだろうか。甲府にはまだ紅葉は来てないようだ。お昼に、山梨育ちのワインビーフの焼き肉を、山梨米に敷き詰めた焼き肉重を食す。美味なり!
甲府から見た富士。
信州に入る。紅葉は里まで下りてきていた。IC周辺は鮮やかな赤、オレンジ、黄色の紅葉で彩られていて、まったくの別世界に迷い込んだようだ。牧場近くのカフェはお休みで、少し離れた所にある別のコーヒー店で一服した。ストーブの火が心地よかった。
八ヶ岳山麓の紅葉
山を下ると、金星が山の上に輝いていた。もうすぐ東方最大離角を迎えるため、かなり高度は高くなってきている。
金星と夕焼け
この日の夜は、海王星、冥王星の観測にチャレンジした。水瓶座と、うお座をマスターした。これからひと月毎に観測を続けていけば、最果ての氷の惑星の逆行が観測できるはずだ。

それから、CD-1の練習のために、M31(アンドロメダ銀河)を撮ってみた。今回はピント合わせにこだわってみた。夜露がキツかったので60秒露光で2枚撮ったところで断念したのは残念。






2013年10月20日日曜日

山本太郎氏

東京新聞の記事。(あるいはこちら。)
先の参議院選挙で国会議員に当選した山本太郎氏いわく「オリンピックを開催し目先の享楽(金?)にふけるよりも、原発事故の収束や震災復興などで苦しむ人々を直接的に救済することに日本は取り組むべき」と。

国会議員は国民の代表なのだから、投票してくれた人々の声を国会で代弁する義務がある。しかし、与党についた大抵の議員は掌を返して人々の声を裏切るものだ(TPP、沖縄、除染などなど)。それに比べれば、山本氏は国会議員としての仕事をキチンとやってくれていると思う。東京に住む少なからぬ人々が感じていることを、ちゃんと声に出してくれたことを評価したい。

2013年10月6日日曜日

いるか座の新星は去りにけり

いるか座の観測を久しぶりにやってみた。同じ条件で撮影してみたら...もう消えてしまっていた。新星の減光は意外に早いことが判った。超新星ならずっと見えるのに。



新星の観測は以上で終了。

紅葉の蓼科

まさかとは思ったが、蓼科の上の方は紅葉が盛りとなっていた...ナナカマドの赤と白樺の黄色が素晴らしい。
所々に、先日の台風18号の爪痕が残っていた。霧が濃く巻いていて、道を踏み外しそうになった。落ちたら...多分助からないだろう。

下界に下りると蒸し暑かった...台風のせいらしい。

2013年10月2日水曜日

ヤマトの諸君....

先週、NHK教育で放映された番組「海の放射能に立ち向かった日本人~ビキニ事件と俊鶻丸(しゅんこつまる)~」を観た。

太平洋戦争が終わった後、アメリカとソ連(現在のロシア)は核兵器の開発競争を繰り広げた。如何に威力のある核兵器をもっているかを見せしめることで、相手を威嚇しコントロールするためだ。

アメリカはニューメキシコの砂漠で最初の核爆弾の爆発実験を行い、その後はネバダ州などの砂漠地帯で実験を繰り返していたが、アメリカ本土の放射能汚染を恐れ、日本との戦争で手に入れた実質上の植民地、太平洋の島々に核実験の場所を移した。ビキニ環礁と呼ばれる珊瑚礁では水爆実験を23回繰り返した。

NHKのETV特集より。

南太平洋のこの海域とその周辺は日本のマグロ漁場となっていて、多くの日本の漁船が実験中にビキニ環礁の海域にいた。アメリカ軍は爆弾の威力を低く見積もり過ぎていたため、この海域を立ち入り禁止にしていなかった。

米軍の開発した水爆は原子爆弾を起爆装置として利用する「汚い水爆」であり、爆発と共に飛び散る「死の灰」は致死量を遥かに上回る放射能を帯びていた。死の灰を浴びた第五福竜丸の船員たちは急性の放射性障害にかかってバタバタと死んでいった。また、日本に水揚げされるマグロの放射能汚染は想像を絶するひどさであることが判明した。魚を主たる食料とする日本人にとって、太平洋の放射能汚染は死活問題だった。

アメリカ政府は「放射能は怖くない。薄まるので問題はない」と(どこかの電力会社と同じ様に)日本人に説明した。にも関わらず、日本から輸入するマグロの缶詰には厳しい汚染検査を要求し、放射能が検出されないマグロだけを特別に選ばせ、それを米国向け缶詰用とさせた。日本政府は言われるがままであった。そして、(米国の基準では汚染された)残りのマグロを日本人に消費させた。「許容範囲以下であるから安心」と説明したが、日本人だけに適用された「安全な」許容範囲であった。

日本政府内でも意見の対立はあったようで、このような米国の圧力に対抗しようとした部署もあった。水産庁が南太平洋海域の放射能汚染調査を実施することを決定したのである。案の定、諸々の圧力がかかり、調査のための予算は削りに削りとられた。その結果、ボロボロの練習船を改造した「俊鶻丸」が調査船に選ばれることとなった。

ビキニ環礁にたどり着くまでに、米軍の潜水艦に沈められる恐れがあった。いわゆる「どさくさ攻撃」による証拠隠滅だ。俊鶻丸の使命は、米軍の攻撃を避けてビキニ環礁まで到達し、その海域を含む周辺の海の放射能汚染データを持ち帰ることであった。

日本の命運を懸け、東京から4600キロ彼方のビキニ環礁目指して、
たった一隻で太平洋を進む俊鶻丸。NHKのETV特集より。
乗組員に選ばれたのは、30から40代の若い科学者だった。幅広い分野から選考され、生物班、気象班、海水大気班、海洋班、環境班、食料衛生班といったグループが組織された。また、物理から放射能測定の専門家、岡野真治博士が選ばれた。

俊鶻丸に乗り組んだ科学者たち
(NHKのETV特集より)

日本人の健康、そして日本の国の尊厳とその未来を懸けて、科学調査船「俊鶻丸」は東京港を出航した。米軍の攻撃や強い放射能被曝など、数多の困難が待ち受ける命懸けの航海であった。

「必ずここへ帰ってくると、手を振る人に笑顔で応え...」

出航する俊鶻丸(NHKのETV特集より)

まさか本当にそういう事が日本の歴史で起こっていたとは知らず、驚くばかりだ。


どさくさに紛れて...

1990年代の前半、ユーゴスラビアは分裂し、セルビアやコソボなどの地域が独立戦争を起こした。バルカン半島は昔から異なる民族が混在し争いが絶えなかったが、このときもキリスト教系とイスラム教系が激しく対立した。憎悪による市民の大量虐殺などが起き人道的に問題視された。1999年国連そしてNATOが独立戦争に介入し大規模な空爆を行った。このとき、アメリカ空軍を主力とする爆撃部隊は、なぜかベオグラードの中国大使館を空爆した(中国人3人が犠牲となった)。米軍は「CIAのもっていた地図が古かった」と説明したが、この時期米中は台湾の帰属を巡って対立、台湾海峡を挟んで米中の空母が睨み合う緊迫した事態にあったことを知るものは、米軍の説明に疑いをもった。英紙の中には「どさくさに紛れた仕返しの空爆ではないか」と分析したところもあった。

1945年、アメリカ軍は広島(8月6日)と長崎(8月9日)に原子爆弾を投下した。これは人類史上初めての対人殺傷目的の核兵器使用だった。戦争終結を早め米兵の命を救うための必要不可欠な作戦だったと米政府は今でもそう説明しているが、そもそも原子爆弾は日本戦に使用する目的で開発された兵器ではない。当時ハイゼンベルグを筆頭とするドイツの優秀な科学者がナチスに協力し、原子爆弾の開発に着手したのではないかという噂があった。戦況が不利になりつつあったナチスが一発逆転を狙って、原子爆弾を用い米英に壊滅的な先制攻撃を仕掛けるのを恐れたアインシュタインらのユダヤ人系科学者(ナチスの迫害を逃れアメリカに亡命)は、原子爆弾の開発を米国大統領に進言した。ナチスが原子核の火を手に入れる前に、逆に原子爆弾を使ってナチスを打倒するためだ。しかし、ナチスは原爆をつくるどころか、アメリカが原爆を完成させる前に降伏してしまった。近年、機密文書が公開されるにつれ、広島と長崎への原爆投下は不要で、その本当の意義はその後の核戦争を睨んだ「人体実験」だったことが明らかとなりつつある。しかも、アメリカ軍は本国においても、自国民の患者にプルトニウムを注射するなど、人体実験を繰り替えし行っていた事が明らかとなっている。「戦争のどさくさに紛れた人体実験」、それが日本に投下された原爆の本当の意味だと考える人は多い。


2013年9月、大型の台風18号は愛知の豊橋に上陸。東海地方を東進し、北関東から東北南部を通過。16日には仙台湾へと抜けた。福島第一原発の福島県でも大雨が振ったが、原発近くの地域での降水量はそれほどでもなかった(小名浜は48時間の降水量が65ミリ)。にもかかわらず、東京電力は、原子炉から溢れ出る大量の「雨水」を海へ放出した。この報道を聞いた人々の中には「どさくさに紛れた意図的な汚染水放出ではないか?」という疑念を持った人もいた。
台風18号(2013年9月)が福島にもたらした降水量。
このとき、台風は仙台湾に抜けてしまっている。
FNNの報道より引用。



2013年9月23日月曜日

中秋の名月2013

今年の中秋の名月は箱根で見る。東名を東に車を走らせていると、足柄山の陰より大きな満月が、昇っては沈み昇っては沈む。でこぼこの外輪山が成せる技なり、と感心する。

写真を撮るため足柄SAに止まるも月すでに高く昇る。夕焼けの富士も暗闇に没し、機会を逸す。カレースープをナンで食してから帰路に着く。

2013年9月20日金曜日

ヒガンバナ

今年の秋のヒガンバナ。東京でも信州でも、だいたい同じ時期に開花したことを記録しておこう.皇居のヒガンバナは今年は見逃してしまった。


8月の夏の盛りに球根を植えて、9月の末には開花する、実にせっかちな花ということがわかった。立科で購入。

カワムラフウセンタケ

別の森に行ってみたら、こんどは紫色のキノコがあった。調べてみると「カワムラフウセンタケ」という可食キノコ。とはいえ、齧ってみる勇気はない。
カワムラフウセンタケ

2013年9月17日火曜日

台風一過と秋の到来

野分の過ぎた次の日、青空が広がった。日射しはまだ強いが、秋の風が吹く。山に入ると、ベニテングタケが顔を出していた!英国で見て以来、数年ぶりの「再会」。嬉しい限り。
ベニテングタケ(毒性有り)