2013年4月29日月曜日

信州の桜

信州の標高の高い場所は、今、桜が満開となっている。
実はこの場所、昨年の秋の初めにも撮影していた。
先日の雪がまだ山には残っていて、まさに「信州の桜」の風景となっている。

信濃では桜は待ちて名残雪

この日、美濃戸への登山口から少し山の方へ歩いてみた。崖に終日の日陰があって、雪の柱となっていた。雪解けが流れる渓流は透明で、彼方にそびえる八ヶ岳の白と青の風景に洗心される。夕方になり空気が冷え始める。英国の夏の夕暮れと同じ冷たさ。思わず、パブのテラスで飲んだビールを思い出す。山小屋に戻ると、薪ストーブに火が入った。ここの天ぷらうどんは美味しい。(ラーメンは売れきれ。もっと美味しいのかも。)

霧ヶ峰で「山火事」

昨日、白樺湖に辿り着いた時、霧ヶ峰の方角から煙の筋が立ちこめているのに気がついた。春の始めの野焼きだろう、と思った。ところが、峠を下る時、サイレンを鳴らして登ってくる消防車数台とすれ違った。どうもただ事ではなさそうだ。

今日は曇っているなと思ったら、どうも霧ヶ峰から漂ってくる煙のせいだった。山火事が発生したと村人たちも噂していた。峠を下ったところにある松並木のところで、車山方面の写真を撮ってみることにした。車から下りてみると、なにやら煙臭い。霧ヶ峰には、やはり煙が幾筋か立ち上っているように見える。


家に戻ってから調べてみると、野焼きが強風にあおられて延焼したとのことだった。野焼きは一種のお祭りのようになっていて、点火したのは諏訪市長だったらしい。偉い人たちを呼んでおいて、「風が強いから今日は野焼きは中止します」とは言えなかったのだろう、きっと。消防車、消防ヘリ、自衛隊なども出動したらしい。全部税金で活動していから、国民の金を無駄使いしたことになりはしないか?野焼きを開催した責任者は責任をとるべきだろう。

連休の天体観測2013:月齢17.7日の月

土星の観測がおおよそ終わった9時半頃、まあるい月が東の地平線から昇って来た。


月齢は17.7日。2日前に部分月食があったらしいが、うっかり観測し忘れた。

今回は直焦点でどれだけピントを合わせられるか練習してみた。Tychoやコペルニクスは白く色が潰れてしまって、どうしても立体感が出せない。難しい。

連休の天体観測2013:太陽黒点

11年周期で移ろう太陽活動の周期的な活動において、今年は活動が最大になるはずの年らしい。通常なら黒点が次から次へと発生し、かなりの数の黒点が太陽表面に現れるはずなのに、今年の黒点出現数はかなり低調らしい。ということで、このところ太陽の黒点観測を再開している。昨日の様子はこんな感じ。地球の自転の方向を考慮して、撮影時間で太陽の上下が変わることを考慮して画像の向きは修正してある。(修正のための計算は自作のjavaプログラムで、実際の回転はgimpで行っている。)

2013年4月28日の黒点分布。
先週の終わりに発生した大きめの黒点が2つの領域で確認できる。太陽の自転軸は右に40度ほど傾いているので、黒点は左上から右下に向けて移動する。

連休の天体観測2013:土星の輪の傾き

春の連休は、南中する時間、角度、天気がいいことなど、土星の観測に最適な期間だ。昨年も連休に土星の観測を行った。今年は満月ちょっと過ぎの月があるけれど、月の出が遅いので9時くらいまでなら、惑星(木星、土星)の観測にはもってこいだ。

夕暮れの後、星空が見え始めてくると、まず目立つのが西の空に沈み行く木星の輝き。牡牛座のアルデバランからは随分離れてきた。ぎょしゃ座の5角形、オリオンなども西の空を賑やかに飾り立てている。南中し、天高く昇っているのが獅子座。そして北天には北斗がある。両者とも、今が観測の絶好機。周辺の銀河を狙うなら今だろう。

乙女座、烏座の周辺も観測しやすい。そして土星はこの空域にある。

昨年のセットアップで試したが意外にうまくいかない。感度を上げ過ぎると、CCDの熱電流のせいで、拡大処理したときザラザラした感じの画像になってしまうので、少し感度を下げてみた(iso3200)。この日の土星はかなり明るかったので、シャッタースピードも抑え気味(1/40秒)でやってみた。もっとも大事なのは撮影方式。拡大撮影を昨年と同様に試したが、筒の長さを長めにすると一番像が大きく写ることがわかった。それにしても、ピントが合わせにくいのは相変わらず。心の目で合わせてから、撮影後にモニターで確認するような感じ。皆がやってるように、ビデオにして流し撮りするのが一番いいのかもしれない。
これ以外にも、いろいろな条件でたくさん撮影したが、カッシーニの間隙は写らなかった。Vixen A80Mfではこれが限界なのではないか、という気持ちに傾きつつある。ピント合わせがもう少しやり易ければもう少し希望も持てるのだが、今のやり方では到底間隙は捉えられないだろう。残念。

とはいえ、輪の傾き具合はそれなりにわかる。昨年のデータと比べても、輪と星の間の隙間は広がって来たのがわかる。ガリレオの観測スケッチ程度の精度は出ているような気がする....

2013年4月21日日曜日

英語の勉強:cut your teeth

英語のレベルを上げないといけない。このままだと、皆から馬鹿にされたままだ。また、The Guardianなどを読んでいても、ときおり見たことも無い単語があちこちに散りばめられていて、まずさを感じる。あたかも教養レベルを試されているかのようだ。

英国に住んでいたときも、native peopleの中にやたらと難しい英語をわざと使う人たちがいて、癪に障ることが時々あった。でもよく考えると、彼らと同じことを自分もやってしまっていたのを思い出した。

最初に勤めた研究所に中国出身の研究者がいた。日本語はペラペラだが、発音に若干の癖があったり、中国訛が少しあった。彼と話すときはなぜか難しい日本語を使ってしまった。彼もイライラしていたのだろう、きっと。

ということで、少しずつ英語の勉強を再開していこう。以前にも多少試みたが挫折していた....

今日は cut your teeth.

元々はcut a toothという使い方。「歯が生える」という意味。

これが転じて、「〜の経験を始める、経歴を始める」などの意味に使う。

Those who cut their teeth on Unix prefer to see the file extensions intact.
Unixに慣れ親しんで来た人たちは、ファイルの拡張子を(隠さずに)そのままにしておきたいと思う。
Mac OS Xのfinderでは拡張子が省略されてしまうので、それをUnix風に復活させたいと思う人は結構いるのでは、という内容の文章からの引用文。

信州は雪

もうすぐ連休というのに、信州はかなりの雪が降った。この間ノーマルタイヤに履き替えたばかり。身動きとれない。

2013年4月20日土曜日

ボストンが戦争状態に突入:爆弾テロ

朝起きると、驚きのニュースが流れていた。ボストンの爆弾テロの犯人が特定され、武装警官隊が突入したところ、爆弾と銃弾で犯人が抵抗し、激しい爆弾を含んだ銃撃戦となったという。ボストン警察は既に200発以上の弾丸を打ち込んだと発表。

犯人はチェチェン出身の若い兄弟(26歳と19歳)。兄は銃撃戦で射殺された。弟は体中に爆弾を巻き付けて、ボストン市内を逃走中だとか。このため、ボストン全市民は外出禁止となり、アメリカの古都ボストンはゴーストタウンどころか、戦争状態に突入したかのようだという。

このチェチェン人の生い立ちはまだはっきりしてはいないらしいが、生まれはキルギルスタンらしく、生まれた時すでに争乱が始まっていたチェチェンには住んだことが無いようだ。しかし、難民(亡命?)生活を続けながらも、チェチェン文化に深く影響を受けながら成長したと英国紙The Guardianは報じている。

ロシア、アラブ、そしてアジアの「交差点(roundabout?)」のチェチェン。豊富な石油資源を巡って、ロシアと戦争状態が続いている(というより、実行支配のロシアに対し、ゲリラによる抵抗が続いている)。国が荒むとこういう人間が生まれるのだろうか。

追記:4月20日(現地時間)に、逃走中だった弟の方もボストン郊外で逮捕された。民家の裏庭に置いてあったボートの中に隠れていたらしい。大量の出血をしているようで重体だという。

2013年4月18日木曜日

軽井沢(六本辻)のroundabout

英国に住んで車を運転するとなると、roundaboutに慣れなくてはならない。(roundaboutは「ラウンダバウト」と発音する。ロンドンに住む日本人達はroundaboutのことを、省略して「ランダバ」と呼んだりしているが...)

英国のroundabout。wikipediaより転載。
roundaboutというのは、信号を使わない交差点の形式のことで、英国のみならず、ヨーロッパでは普通に見られる。(私の見た限り、フランスとスペインにはあった。)英国は日本と同じ左側通行なので、英国式のroundaboutは、どのように利用するか説明してみよう。

まず、「交差点」に相当する部分を見てみよう。日本やアメリカの大半(実はボストン周辺のみにはroundaboutがあるそうな)は、"intersection"、つまり道と道がシャープに交差する場所を文字通り「交差点」というが、ヨーロッパのroundaboutの場合は道路が円環状に接続している。信号がないのでどんどん突っ込んでいい。ただし、円環部分にすでに車が入って走行しており、さらにその車が自分の右側にいる場合(つまり自分の方向に向かって走ってくる時)は、roundaboutに突入してはいけない。これだけのルールだ。これ以外の場合は、自由自在にrounaboutには突入して、好きな出口から出て行くことが出来る。またroundaboutに入り込んだら、何周でも回っていてよいのだ。道に迷ったときは、回り続けながら地図を見たり、考えをまとめたりしてよい。どの出口から出るか結論が出たら、そこで出るのである。

roundaboutは、渋滞の頻発する都市部には向かないが(英国の都市部のrondaboutには信号機が付いてしまった場所もあり、本来の利点が損なわれている)、交通の少ない田舎道などではroundaboutは素晴らしいシステムとして機能する。車が一台も通らないのに律儀に交差点の赤信号で待つ必要がないからだ。日本には黄色信号の点滅というのがあるが、ど田舎の森の中で、しかも真夜中だけとか、例外的にしか利用されていない。しかも、信号の設置代、信号機運転のための電気代が無駄にかかる。roundaboutは電気が必要ないから、省エネだし、環境にやさしいのだ!

しばらく前に、信州の飯田地方にroundaboutが導入されたと聞いた。すばらしい、英断だ!と思った。日本のroundaboutを飯田の人たちは、どんな風に使いこなしているのか見物にいこうかな、などと考えていた。

このあいだ久しぶりに軽井沢にいったら、なんと六本辻がroundaboutになっているではないか!嬉しくて嬉しくて思わず「やったー!」と叫んでしまった。信州にはroundaboutがよく馴染むはずだ。そもそも軽井沢の別荘地は、英国の景色や気候に似ているからという理由で明治の頃に英国人達によって開発された場所だ。roundaboutがあったって不思議じゃないのだ。ジョンレノンも軽井沢がお気に入りで、夏になると必ずヨーコの家族が持つ別荘に長期滞在していた。

軽井沢のroundaboutは、英国やヨーロッパのものとちょっと違って、突入する前に必ず一旦停止するように義務づけられている。より安全志向というわけで、これはこれでいいことだと思う。一旦停止して、右から車が来ていないか確認(左は見る必要がないのだ!)し、来ていなかったら突入する。ただこれだけである。突入したら、何回でも周回することが許され、好きな出口に来た所でroundaboutから離脱する。

roundaboutが日本中の、田んぼ道、山間地などの交通量の少ない道路に普及していくことを切に願う。無意味で無駄な信号機をたくさん駆逐すれば、原発数基分は不要になるだろう。

2013年4月16日火曜日

広島を訪ねる(3)

広島市中心部の調査は友人に依頼して行った。測定/採集地点は(1)平和公園付近、(2)広島城周辺の2点。本当は河原に降り立って、昔修学旅行で聞いた噂「河原に落ちている割れた瓦などにガイガーカウンターを近づけると今でも反応する」を確認してもらいたかったが、時間的な余裕がなかったとのこと。いずれにせよ、貴重なデータが手に入ったので嬉しい。以下は伝聞情報をもとに、広島の様子を書き下した(若干の私見混入あり)。

広島駅から出る路面電車に乗って、まずは原爆ドームのある平和公園の方へ向かった。路面電車は思いのほかゆっくり広島の市街地を走り抜ける。原爆ドームで下りる人多数あり。この「遺跡」の周りは見学者で囲まれていて、外国人と日本人の比率は半々程度。核爆弾によって破壊されたそのままが残されている。これは広島の人にとっては大変なことだったと思う。2年前の東北の大地震とその後に襲来した津波が破壊した建物や船舶を、記念に保存しようという動きはあったが、東北の人々をそれを嫌った。むしろ早く撤去して壊してもらいたいと要望した人が多かったそうだ。早く忘れたい、早く昔の生活に戻りたい、という気持ちはわからないではない。むしろ普通の反応だろう。それだけに、広島の人々が、アメリカ軍による非人道的な殺人兵器で人間とその生活と木っ端みじんに破壊された「敗北」の象徴を保存しようと決めたというのは、勇気のあることだし、尊敬するほかはない。
広島の原爆ドーム。桜が咲き始め。
ドームのすぐ外側で線量を測定したが、際立った値は出なかった。むしろ東広島より低い。原子爆弾による放射能汚染はもう残っていないのだろう。橋を渡って平和公園に移動する。ここには原爆資料館がある。この建物、以前からあまり好きじゃなかった。ドームの丸屋根の曲線と比べて、シャープな直線や箱型の形状がなんか刺々しい。

長崎の資料館もあまり好きじゃないが、でも長崎の平和公園は好きだ。あの平和の像とそのまえの噴水。ふんだんに流れる水流の脇にある山口さんの言葉や峠三吉の詩を刻んだ石碑が飾ってあって、それを読むと涙が出る。清らかで豊かな水の流れには、原爆の熱と放射線に焼かれて死んでいった人たちの、渇いた喉にしみ込むように...という祈りが感じられる。

広島にはドームがあるからいいようなものの、それは戦争がつくったものだ。平和の灯火とかいう大きな香炉があるけれど、火で焼かれて死んでいった人を、火や煙で弔うのは残酷だと思う。戦後の人たちは自分たちの手で(広島には)平和公園をつくることができなかったのかもしれない。

平和公園で測定した線量値は0.08μSv/h。東京の西側と同じくらい。もちろん、その内実は随分違うと思うが。
平和公園での線量測定の様子
平和公園を後にして広島城へ。知らなかったのだが、安土桃山時代に建立された、かつての国宝だった城は原子爆弾で破壊されたのだった。改めて、戦争の無意味さを実感す。再建されたものは鉄筋コンクリートだそう。できれば「復元」して欲しかった。
春の広島城
城郭内に入り、石垣の影で測定を行った。平和公園とは違い、東広島に近い高い線量が観測された。0.14μSv/h。平和公園の土は造成のため、外から持ち込んだものなのだろう、きっと。城内の土壌は昔のままだろうから、きっとこれが広島市の本来の自然放射線量なのだろうと思う。
広島城内にて。




広島を訪ねる(2)

広島大学の東広島キャンパスは、とにかく「ばかでかい」。一つの会場から別の会場に移動するだけで15分はかかってしまうのではないか?キャンパスの真ん中にはこの地域特有の溜め池があって、漱石の草枕に出て来た山間の桜の場面を思い出させてくれた。このとき、広島は桜の始めだった。
広島大学の「ぶどう池」
キャンパスは自然がよく残っていて、山の斜面をそのまま土がむき出しのままにしてある。地学の先生からのアドバイスなんだろうか?不整合面が観察できる露頭が残されていて、説明板が設置されていた。とても勉強になる。

それによると、この地域は花崗岩の母岩に、堆積層が乗っかっているのだそうだ。たしかに、この周辺の丘のような山々の所々には花崗岩の露頭があった。広島の自然放射線量が高いのこの母岩のせいだ。花崗岩は風化すると鉄分が出てきて、土を赤っぽく染めるようで、大学内の崖は赤い色をしている場所が多かったのが印象的だった。大学の中にはこのような崖があちこちに残っていて、調査がやりやすかった。
キャンパス内にある断層の露頭とその説明板
土壌サンプリングと線量を測定した場所も同じような場所で、赤い土が特徴的だ。実は、東広島の民家の屋根瓦を見ると、ほとんどが赤というかオレンジ色をしている。これもこの土地の土を使って焼いた瓦だからだろう。この赤い屋根瓦は西条瓦というそうで、明治の頃より普及しているとか。

調査地点の様子
DoseRAE2は0.15μSv/hを示した。
この日はしとしと雨が終日降っていた。もしかするとビスマス214の影響があったのかもしれないが、それでも0.15μSv/hというのは結構高い線量だ。これは原爆の影響が残っているからでもないし、福島原発の放射性プルームがここまで到達したのでもない。大地の持つ自然放射能の影響のはずだ。結論はベクミルでγ線のスペクトルをみてみれば出る。

ちなみに、福島原発からの放射性セシウムによって土壌が汚染された東大本郷キャンパスでは0.13μSv/h、同じく汚染の強い渋谷の代々木公園が0.12μSv/hなどという測定結果がこれまでに出ている。(東大はほぼ2000Bq/kg、代々木公園は1600Bq/kgの放射能が土壌から検出された。)

広島市の中心部は、東広島キャンパスからは結構離れていて、残念ながらなかなか気軽にいくことができなかった。そこで、広島のホテルに滞在した同僚に調査測定を依頼し、代わりにやってもらうことにした。この日と打って変わり、汗ばむような春の一日となった晴天の下での調査となったらしい。

私はというと、広島見物は、雨の降る中、車で中心部を駆け抜けただけとなった。原爆ドームや広島城も車内から見ることはできたが、広島の中心街は駐車場を見つけるのが大変で、車を止めてゆっくり歩き回ることができなかった。(駐車場は大きいのがあるのだが、平和公園からは結構歩く距離にある。雨降りの日にはちょっとキツいものがあった...)また、広島の「右折レーン」という独特のローカルルールに少し戸惑ったのもある。路面電車も走っていて、ちょっとパニック状態となった場面もあったかもしれない。それにしても、右レーンをがら空きにして、左レーンにぎっしりと車が並ぶというのは、いったいなんなんだろう?

広島市の調査へ続く

2013年4月14日日曜日

嵐の気配

嵐の気配。強い南風が、地響のような音を鳴らして吹いている。
草木が波打って、街灯の明かりがちらちらとその影を揺らす。
黒雲がものすごい速さで流れていて、その合間に三日月が見え隠れしている。

竹叢の揺れに揺れたる春の夜の
雲に流るる溺れ月


 朝方には雷がくるかも、などと天気予報は言っていた。

昨日、淡路島で大きな地震があった。屋根瓦が落ちたり、石の鳥居が折れたり、大きな被害が出たようだ。水道管が吹き出したり、液状化が起きたりと、大阪や神戸にも損害が出た。「それ」はもうすぐそこまで来ているのだろうか?

広島を訪ねる(その1)

学会が広島で開かれたので、参加してきた。瀬戸内にしては天気があまりよくなかったのが残念だった。初日こそ晴れて咲き始めた桜などを楽しむ余裕もあったが(驚いたことに東京より開花が遅いらしい)、その翌日は終日雨となって、ズボンの裾がびしょ濡れになったり、論文に雨の滴の染みが残ったりと、惨めな状態になった。それでも、共同研究者と議論したり、おもしろそうなセッションに出向いて質問したりと、物理学者として有意義な時間を久しぶりに過ごすことができて満足した。そして、その合間を縫って、放射線量等の測定を行った。

言うまでもなく、広島は原爆が炸裂した街だ。その影響は100年残るとか、草木はもう生えないだろうとか、いろいろなことが当初は言われたという。ところが、60年代に大阪で万博が開かれた頃になると、街は「復興」し、原発を歓迎するような雰囲気にまでなっていたらしい。つまり、一見して放射能の影響はなかったかのように、広島の街は再興した。外国人にも「広島の放射能汚染は今はどうなのか?」と聞かれることがあるし、自分自身も子供の時にまったく同じ疑問をもった。高校の修学旅行で広島に初めて行ったときに聞いたのが、「今でも河原に落ちている屋根瓦の破片などが放射能を示すことがある」という伝聞情報だった。若干の汚染は残っていても、もう大丈夫なんだ、という感触を得たのを覚えている。今振り返ってみると、正直言ってこの修学旅行は「ボケ茄子」以外のなにものでもなかったと思う。広島の博物館や記念館は、写真や絵を使って恐怖だけを植え付けようとするだけで、放射能汚染や核兵器の科学的な説明と、それにもとづいた怖さに関する情報が決定的に不足している。長崎でも同じ感想をもった。そして、同じような感想を英国人の友人達(物理学者)も語っていた。

まず、目から鱗が落ちたのが、日本地質学会の自然放射能強度の分布図を見たときだ。関西のバックグランドレベルが高いことは、昨年の六甲探訪の時に確認したし、同僚から「岡山辺りが結構高い」という話を聞いていたので、知っていたのだが、まさか広島がそれを上回る高レベルにあるとは知らなかった。今まで調べなかったのは、迂闊だった。
広島周辺の自然放射線量の分布図。
赤い領域は0.13μSv/h以上に相当する地域。
東広島から広島、そして岩国に至るまで広い範囲に高線量地帯が広がる。
これらは花崗岩の分布と一致する。
この分布図を見ると、修学旅行の時に聞いた「広島の河原ではガイガーカウンターが今でも激しく鳴る」という話を、原爆の影響が残っている証拠だとそのまま鵜呑みに思ってはいけないことがわかる。広島のバックグランドレベルが高いことの影響かもしれないからだ。やはりαにせよ、γにせよ、スペクトル分析しないと結論は出せない。

学会は広島大学の東広島キャンパスで行われたので、まず広島の東側の調査から始めた