2012年4月29日日曜日

連休の天体観測:半月ちょっと前の月面

直焦点および拡大撮影の練習台として月面を選んだ。この練習を通して、いろいろなテクニックを身につけたり、確認することが出来た。(ありがとう、お月様。)

まずは、コリメート撮影したもの。さすがによく写るし、ピントも合わせやすい。

コリメート撮影。iso300, 1/800sec
今回はピント合わせにこだわってみた。ピントはやっぱりこだわればこだわっただけいい写真がとれる。

クレーターは1:ヒッパルコス、 2:エウドクソス、3:アリストテレス。

ヒッパルコスは星図を系統的に作った最初のギリシア哲学者。新星を発見して、「コスモス」といえども変化する事を発見し、また惑星の運動(とくに逆行)を離心円と周点円で説明出来る事も最初に示した。プトレマイオスのアルマゲストに出ている観測データのほとんどはヒッパルコスの観測によるもの。

エウドクソスとアリストテレスが並んであるとは面白い。両者とも地球中心説(つまり天動説)だが、プトレマイオスと違って三次元の天球殻の重ね合わせのモデルを想定した。最初にこのアイデアを出して、数学的にも定式化したのはエウドクソス。彼は、このモデルは単に数学的な便宜上のものであり、真の宇宙の姿だとは思わなかった。この真摯な態度が尊敬できる。

一方、アリストテレスは、エウドクソスの天球殻モデルをパクっただけ。若干の修正はしたらしいが。まずいのは、宇宙の真実の姿もこのモデルのようになっていると述べた所。あまりにも複雑なこの数学模型が現実の宇宙の姿になっているなんて、よくもまあ....でも、権威となって、その後の1000年以上のヨーロッパの思想を縛ったのは、アリストテレスの方。エウドクソスは、2人の師匠のプラトンより数学(幾何学)ができたらしく、妬まれたらしい。出世するにあはアリストテレス程度の頭脳で停めておくべきなのかもしれない。原子力ムラも同じか?

「ヒッパルコス」を拡大してみた。
光と影の境界にあるヒッパルコス
今日はピントがよくあっていて嬉しい。クレーターの中央部分の盛り上がりの構造なんかも見えている。右側の海の部分はバッカス。

次は、アリストテレスとエウドクソス付近、つまり晴れの海のあたりの拡大図。

晴れの海と、エウドクソスとアリストテレスのクレーター
晴れの海の真ん中に光条線が見える。その上に小さなクレーターが2つ乗っているが、海の縁ではなく、中にあるのがベッセル!ベッセル級数はもちろん、最初に年周視差によって恒星が有限距離にあることを示した。これで地動説が確定的となった。

次は直焦点で取ったもの。よくピントを合わせたつまりだが、やっぱり直焦点はピントが甘くなる。拡大するとベッセルがぼやけてしまって、見る事ができない。
直焦点。iso100, 1sec.
直焦点は、シャッターを切るときに、ミラーの開閉によって望遠鏡が揺れてしまう。つまり、ピンぼけになりやすい。そこで、ピンぼけを避けるために、ちょっとした工夫をする必要がある。まず対物レンズに蓋をしておき、バルブにしてシャッターを開け放す。直後に蓋を手で開けて、ちらっと月の光をカメラに「流し込む」。あまりゆっくり蓋の開け閉めをやっていると、光量オーバーで真っ白になってしまうので、これが案外難しい。

最後に、拡大撮影をしたもの。この撮影では、初めてビデオ撮影を試みた。Canon EOSはビデオも撮影できるのである!拡大率が大きいため、ピントを合わせるだけで画面は大きくぶれる。が、手を離してしばらく放っておくと、だんだん揺れが収まってくる。ピント合わせがうまくいったかどうかは、揺れが収まってからでないと確認できないので、このピント合わせは異様に難しい。



連休の天体観測:土星の輪の傾き

次は土星の輪の観測。前回の土星の輪の撮影の試みは、単に「輪っからしきもの」が惑星についている程度のレベルだった。撮影法はコリメート撮影だった。土星のコリメート撮影はとても難しい。理由は2つ。まず暗い天体だということ。さすがに、肉眼で見える最遠の天体だけのことはあって、金星とは比較にならないくらい暗い。また、木星と比べてもずっと暗くなってしまうため、木星のような縞模様を写すことすら非常に大変(もちろん、それは機材にもよる。私の機材はVixen A80Mfという初心者レベルの望遠鏡なので、これを念頭に置いている。)もう一つの理由は視半径が小さいということ。これも、遠い所にあるということと同義だ。暗くて小さい天体を、倍率の高い接眼レンズを使ってコリメート撮影するのはとても大変だ。一言でいうと、レンズをカメラで覗き込んだ時天体を見つけにくいのだ。その上、イメージは暗くなってしまうので、シャッタースピードを速くすると写りにくく、ピントも合わせ難い。(シャッタースピードを上げるのは、手ブレを防ぐため。)

また、直焦点撮影すると、小さなイメージがさらに小さくなってしまって、輪っかの構造がわかりにくくなってしまう。

そこで、今回は拡大撮影を試みることにした。拡大撮影はピントをあわせにくい、という問題がある。今回はこれをなんとか解決し、土星の輪をなんとか写す事ができた。望遠鏡には赤道儀を付けてないので、感度はiso12800と最高値に設定し、シャッタースピードの早さを補うことにした。さらに、視野に入れ難い倍率の高いレンズをつかったため、天体を視野に入れるのがとても難しかった。コツを掴むまで10分ほど苦しんだが、なんとかマスターすることができた。

以上のセットアップでは、土星の縞模様は表現できないし、輪の模様も見えない(カッシーニの間隙も当然×)。しかし、輪っかと土星の間の隙間はちゃんと写す事ができた。以前より確かに、円盤面は傾いて来ているのがわかる。

土星とその輪
少なくともこの写真品質の精度をキープしたまま毎年観測を続けていけば、輪っかが波打つ様子を調べることができるだろう。

2012年4月28日土曜日

連休の天体観測:太陽黒点

金環食、金星の日面通過という大きな天文現象が近づいている。両者ともに昼間に太陽を見る観測だから、いままでの夜の観測とまったく違う方法に習熟する必要がある。そこで、しばらく前から太陽黒点の観測をやり始めた。最初は太陽投影板を使っていたのだが、最近ついに減光フィルターを使った直焦点撮影に切り替えた。

今日は結構たくさん黒点が現れていた。一つは、東の縁に登場したばかりなので、連続観測できれば、太陽の自転速度の大雑把な見積もりができるはずだ。

太陽の黒点の観測
画像処理のコツとしては、露出を下げて、コントラストを上げること。結局、明るいものの中にある暗いものをみたいわけだから、露出はがんがん下げた方が見やすくなる。少し暗い感じで撮影しておき、画像処理するのが一番いいような気がする。

連休の天体観測:とりあえず金星から

この三週間というもの、昼間も夜も雨や曇りばかり。土星の衝を逃したばかりか、火星の留も逃してしまいそうだ。おまけに、金星はどんどん内合に向かって欠け具合が大きくなって来ているし、春の北斗七星の銀河観察ももうじきやりにくくなってしまう。フラストレーションの溜まる今年の春の夜である。

久しぶりに晴れたので、がんがん観察をすることにした。とりあえずは、金星から。
実は明日は最大光度を迎えるそうなので、昼までも観測できるらしい。ぜひ試してみたい。が、そのまえに、ちゃんと「三日月」の形に欠けた金星を観測しておこう。前回観測したときは半月からちょっとかけた程度だったが、より欠けてきたはずだ。

「三日月」の形になった金星。
これだけ光っている面が減少しているのに、肉眼でみるとものすごく明るい。地球に接近している効果の方が上回ているのだろう。驚き。眼視では地球照のような感じでぼおっと丸い形が見えるような気がした。その感じは写真には表現されていない。残念。

2012年4月22日日曜日

東京西部のセシウム汚染:ひとつの仮説(現象論的)

川崎と皇居北の丸の汚染レベルはほぼ同じ500ベクレル/キロ。二つの地点はおよそ20キロも離れている。このことから、この2地点の間にある東京西半分は、てっきりこのレベルに一様に汚染されていると思っていた。よって、この「一様な汚染」がどの辺りから減衰するかを調べるのが大切だと感じていた。

ところが、世田谷、川崎、町田と西に移動すると汚染が高くなるという不思議な結果が得られた。この理由は明らかではない。しかし、その変化の傾向を現象論的に押さえておくのは、研究の初期としては大事だろう。

まず、北の丸と川崎の中間地点に有る場所を探す。そこが汚染中心(とはいえ汚染が最小になる地点だから、通常と逆の意味での「中心」になる)になるだろう、という予想モデルである。その場所は、世田谷区役所のある辺りになった。つまり、そこが一番汚染が低いとみなし、そこから東西南北に離れれば離れるほど、汚染は強くなっていくと予想するのだ。この予想を確かめるべく、いままでに得られた実測値をまとめて結果をグラフにすると次のようになった。

世田谷区役所からの距離と、
土壌の放射能の現象論的関係(予想)。

東京西部の採集地点の結果は、なぜかうまい具合に直線に乗る。大雑把に補間してみると、だいたい西方に1 km進む度に40 Bq/kgの割合で放射能強度が上昇する。線形近似では、汚染が最低だと予想される世田谷区役所周辺の汚染は130ベクレル/キロとなった。本当だろうか?この仮説を確認するには、よりたくさんの地点で測定する必要がある!

それにしても、どうして汚染は西に行くと悪化するのだろうか?福島から離れるほど汚染がひどくなるというのは直感的に理解できない。東京周辺のホットスポットである柏や松戸から離れていくことにもなっているわけなのに、とても不思議な結果となった。もしかすると、高尾山や丹沢、陣場山あたり、あるいは箱根や熱海などに知られざるホットスポットがあるというのだろうか?川崎のミカンはこういった山間部で栽培されているわけで、それがセシウム汚染されていたということは、もしかすると「知られざるホットスポット」が関東西部の山地帯に存在することを暗示しているのだろうか?


成城のセシウム汚染

多摩川を臨む国分寺崖線に沿った地域には高級住宅がたくさんあるが、その一つが世田谷区の成城だろう。かつては大岡昇平が住み、そこでの暮らしや文壇批評などを随筆風に記して「成城日記」という本に残している。残念ながら、そこに登場する多くの店は最近無くなってしまった。駅の南口にあったマダムチャンや、大岡が八ヶ岳の別荘への行き帰りによくいったという和菓子屋(入間町の伊勢屋)も消えた。信州北御牧に移住した水上勉も成城に居を構えていた。今でも成城に住むのはノーベル文学賞を取った大江健三郎。反核、反原発を押し進めている。「ヒロシマノート」は昔学部時代に読んだ。「沖縄ノート」はまだ読んでいないが、このあいだ本屋で買ってきて本棚に入れた。

作家以外にも俳優や歌手、所ジョージや大会社の社長などが住む高級住宅地の成城だが、セシウム汚染は貧富の差は関係ないはずだ。先日の大蔵公園のデータを見て、世田谷でもセシウム汚染は確実に存在しているのが明らかとなった。果たして、成城はどうだろうか?他の地点と重ねて結果を示す。

成城など東京の西部の土壌スペクトル
成城のプロファイルは、大蔵公園のそれと瓜二つだ。どうやら、世田谷の国分寺崖線に沿った辺りの汚染レベルはこの程度なのであろう。だいたい300Bq/kg程度の弱い汚染だと思う。セシウム三兄弟のピーク構造ははっきりしているから、成城も確かに放射能汚染されている。とはいえ、その汚染度合いは川崎や町田の汚染より低いような気がする。小田急に乗って世田谷区からどんどん西へ行けば行く程、汚染がより深刻になっているような感じだ。セシウムも貧富の差を気にして土を汚染したのだろうか?

そもそも、上野や本郷のひどい汚染地帯から離れるのだから、西に移動すれば次第に汚染は軽微になっていくだろうと思っていた。それだけに、この意外な結果には驚いた。なにが理由なのだろう?また、その法則性はどんなものだろうか?新たな疑問が浮かんで来た。



町田のセシウム汚染

町田の土壌をγ線スペクトロメータにかけてみた。
町田の土壌のγ線スペクトル
予想では、都心から離れれば離れるほどセシウム汚染は弱くなっていくと思っていたのだが、どうやらそうは問屋が卸さないようだ。約1000ベクレル/キロというのは、上野の汚染レベルに近い感じ。川崎(の西部)はこれよりも低い約500ベクレル/キロで、世田谷(大蔵公園)まで戻るとさらに低くなる(約300ベクレル/キロ)。いったい全体どうなっているのだろう?! もう少しサンプリング地点を増やして、局所的な特殊性はないかチェックする必要はあるかもしれないが、町田が予想外に汚染されている可能性が浮上してきた。

ところで、ベクミル上野店が閉店してしまうそうだ。儲からなかったのだろうか?東京の人はまだ自分の土地がセシウムに汚染されていることに気付いていないのかもしれない。もちろん、ストロンチウムやその他の「死の灰」だって当然きているはずだ。

2012年4月21日土曜日

武谷三男の「原子力発電」より:濃縮ウラン炉

1964年頃、軍事機密として濃縮ウランの取り扱いに慎重だったアメリカは、方針転換をする。一転して、濃縮ウランを世界に売り込み始めたのだ。これには裏がある。

マンハッタン計画(原爆の開発計画)で財政に空いた大きな穴を塞ぐためか、それともプルトニウムが余ってしまったためか、いづれにせよ、原子炉をつかってお金を儲ける必要がアメリカに生じたのだ。石油を産出する中東の国々が独占的な商いをして突然大金持ちになったように、濃縮ウランの技術を独り占めしていたアメリカは、石油による火力発電から濃縮ウランによる原発へと世界中を(無理矢理)「技術革新」させることで、第二の「石油王」ならぬ「濃縮ウラン王」を目指すことにしたのだ。

目の敵にしたのは、発電効率の良い(石油による)火力発電所だ。無理矢理、「火力発電の時代は終わった」と宣言するために、無理な効率追求が始まった。もちろん、そのメインはウランの濃縮度合いを高めることだったわけだが、あまりやり過ぎると原爆へと転用されてしまう。(実際、インドの核爆弾は「平和利用」のものが転用されてしまったため、欧米各国はショックを受けたらしい。)したがって、濃縮以外の工夫も必要になった。燃料棒の皮膜を薄くしてみたり、燃料棒を密集させてみたりと色々な改良を加えた。

燃料棒の皮膜というのはジルコンの合金で、薄膜の燃料棒というのはメルトダウンした福島第一原発でまさに使用していたタイプだ。その暑さは1ミリを切る0.9ミリ!予想外の高温が続くと、すぐにぼろぼろになって崩れてしまうという欠点があったが、中性子を効率よく透過しウラン235の連鎖反応を活性化するためには有効だった。また、燃焼効率を上げてウラン235に「燃えかす」がないようにするため、燃料棒を密着させた。しかし、余り密着すると熱が溜まって溶けてしまう危険(つまり炉心溶融)があるので、冷却水を高速で無理矢理流し込む必要があった。その流速は秒速3mにも及ぶという。しかし、これはちょっとでも流速が衰えればあっという間に熱が溜まって、ただでさえ華奢なジルコンの皮膜が破壊/溶融する可能性を上げてしまう結果になった。つまり、全ての「効率改善」は、メルトダウンしやすい構造への「改悪」でもあったわけだ。

濃縮ウランを使ったこのような『効率性の高い原子炉」は、面白い事に、実は効率の悪い炉であってもいいことを意味する。それは燃焼効率ではなく、中性子捕獲の効率だ。原子力発電の要の連鎖反応は、結局は中性子捕獲反応のことだ。しかも、この中性子は「遅い中性子」でなくてはならない。(遅い中性子についてはこちらを参照。)核反応で飛び出してくる中性子の「速度」はかなり大きいので、反応断面積は小さくなってしまって、ウラン235にうまく中性子は当たってくれない。そこで、早い中性子を何か別の原子核にぶつけて減速する必要がある。これを減速剤というが、もっとも適しているのは重水素からなる重水、あるいは炭素や酸素、そしてヘリウムなどの元素だ。しかし、これらの元素は高価だったり、生産が面倒だったり経費がかかりすぎたりと、問題を抱えている。一番安くやるためには、普通の水(これを、重水に対して、「軽水」と言うことになっている)を減速剤として使いたいと思う訳だ。重水も軽水も「水」なんだから、なんとかなりそうな気がするわけで、実際やってみると減速効率は重水に比べて落ちるが、なんとか使えないこともない。そこで、この「効率の悪さ」を、皮膜の薄さや燃料の密集によって埋め合わせようということになったのだ。

さらに「燃焼効率」を上げておけば、もうひとつの問題も回避できる。それは原子炉の大きさだ。天然ウランは反応効率が悪いので、なるべく中性子が原子炉から逃げないように、分厚く巨大な燃料棒を作ることになる。その結果、原子炉も巨大化してしまう。船に載せたり、潜水艦に載せたりするのは無理がある。しかし、濃縮ウランを使って、効率性を上げればある程度、中性子が逃げてしまっても、反応が速く進むので喪失したマイナスを補うことができる。つまり、小型化することが可能となる。しかし、これは小型の原子炉からは中性子がたくさん漏れてくるということを意味しており、放射能の観点からすると非常に危険な原子炉ということになるだろう。(中性子線で「焼かれた」人が、いかに惨めな死に方をするかは、東海村のJCO臨界事故を見ればよくわかるはずだ。)

これが、濃縮ウランをもちいる原子炉の概要だ。そして、メルトダウンした福島の原発がまさにこのタイプ、すなわちアメリカのGE社が開発した小型軽水炉マークIだった。天然ウラン炉の失敗の後、日本政府はアメリカからこの「無理な」原子炉をたくさん購入する。「濃縮ウラン」帝国を築こうと画策していた米国は、喜んで「濃縮ウラン中毒の植民地の人々」に軽水炉を安く提供した。(MSがIEをただで配り始めたときと同じやり方だ。)濃縮ウランは、まさにかつて中国が苦しんだアヘンであり、現代文明にとっての石油のように、その資源を独占支配する国(つまり米国)によって、日本(だけでなく世界)に売り込まれようとしていた。

この後「核拡散防止協定」がアメリカの提案によって世界各国との間に成立することになるが、それは「自分勝手にウランを濃縮してはいけない」という内容だった。(北朝鮮も、イランも、今まさにこれに引っかかっているわけだ。)これは原爆の悲劇を繰り返さないための「拡散防止」というよりもむしろ、アメリカが濃縮ウランを独占するための「拡散防止」であった。(少なくとも当時は。)

武谷三男の「原子力発電」より:天然ウラン炉

天然ウランには99.3%のウラン238と、0.7%のウラン235が含まれている。原子力発電で用いる連鎖反応を起こしてくれるのは後者のウラン235だから、天然ウランは「非常に燃え難い」。

天然ウランを用いた原子炉はしたがって効率が悪い。しかし、ウラン235の比率を高めた「濃縮ウラン」を生成するには高度な技術と莫大な電力がかかる。発電が目的なのに、その燃料を生産するときに電気を利用してしまったら、もとが取れない可能性があり本末転倒な事態になってしまう。

日本政府は当然天然ウラン炉を利用する方向で当初計画を進めていた。これにはもう一つ理由があった。この当時、ウラン濃縮のノウハウを持っていたのはアメリカのみだったが、濃縮ウランは原爆などの核兵器に転用できるため、遠心分離の技術公開はもちろん、濃縮ウランそのものの商取引もアメリカは手控えていた。一方、イギリスは、軍事利用の色合いが濃い濃縮ウラン技術の開発ではなく、「平和利用」の色合いが強い「天然ウラン炉」の開発を進めていた。天然ウランを原料にするということは、ウラン235の比率が非常に低いため、そのままでは原爆にならないし、ウラン鉱山から採掘したまま、加工(つまり濃縮)せずに原子炉で利用するから手間が省ける。この「平和利用」の方面では英国は当時世界一の技術を持っていたので、日本政府は最初の原子炉を英国から輸入することに決めた。これは東海一号炉と呼ばれる。しかし、その分、発電効率が犠牲となった。(英国はプルトニウム製造工場として同時利用することで、経済的にはもとをとったという。しかし、それでは核兵器の原料を作る事になってしまうから平和利用とは到底呼べない。英国も本音と建前を使い分けていたということだ。ウラン原子炉がなぜプルトニウム製造工場になりうるかについては、こちらを参照のこと。)

日本での運用にあたり、この原子炉の効率の悪さは解決できない問題となってつきまとった。例えば、高出力でフル稼働すると、炭酸ガスによる鉄の腐食が予期せず(つまり想定外に)発生し、原子炉の強度に問題が生じる事態となってしまった。そこで、70%の出力で発電することになったが、それでは経済的にもとが採れない赤字運転となってしまった。大合唱していた「平和のための天然ウラン原子炉」のキャンペーンの音量は急速に萎み、結局英国式の原子炉は一台限りで終了となったばかりでなく、設計寿命の30年を待たずして1998年に廃炉となった。

また、地震のない英国仕様の設計だったため、耐震設計が弱かったのも問題だった。日本の状況に合わせて改良しようとしたが、原子炉の設計情報は英国の機密扱いだといわれ、耐震改良することすらままならなかった。それでもなんとか苦労してそれなりの工夫を施すことができたようだが、それが建築コストや維持コストを跳ね上げる結果となり、経済効率性をさらに悪化させた。結局、人様のものを使うというのは、楽なようでいて、とても無駄の多い事だ。自前で開発したソフトの方が使い勝手がいいというのと同じだ。(最近は、ソフトウェアの世界でも「標準化」が流行っているが、汎用の一般ユーザー向けのソフト製品ならともかく、ロケット制御や、スーパーコンピュター開発など、世界の最先端を狙うなら、「標準化」は二番煎じとなるだけで無駄が多いシステムとなるはずだ。mathematicaの計算エンジンが、汎用の計算ライブラリを使っているとは到底思えない。)

そこで、仕方なく「濃縮ウラン型の原子炉」へと日本は舵を切る。丁度この時、アメリカも原子力政策の方針転換があった。

2012年4月19日木曜日

森泉山の結果の分析:地点Aと地点B

森泉山の山頂付近(弁天池、採集地点C)の汚染が関東のホットスポット、そして福島南部と同等の汚染レベル(レベルA)にあることは明らかにわかったが、その他の地点についての相対的な汚染レベルの検証がまだ終わっていない。そこで、東京と神奈川の汚染地点(皇居北の丸、および川崎)と比較してみた。

森泉山の地点A,Bの汚染レベルの比較。
まず地点B(森泉山の中腹)と、関東の2地点の結果を比べてみる。ピークの高さはだいたい同じだが、森泉山の方が明らかに低い。これら関東の2地点は「レベルC」の汚染(だいたい500 Bq/kg)があるから、地点Bも概ねレベルCに属すると見てよいだろう。(実際の放射能の値は下の表を参考に。)

面白いことがここに一つある。それは、地点Bの放射線量は0.2μSv/hほどあるのに、関東の2地点は0.1μSv/h強程度しかないということだ。具体的な値は次のようになる。

場所線量(μSv/h)放射能(Bq/kg)
森泉山(地点B)0.19400
皇居北の丸0.12560
川崎0.12310

線量だけみれば、森泉山西側斜面(地点B)の汚染は、関東の倍のひどさがあるように見える。しかし、その放射能の数字を見ると同程度あるいは、それより弱い汚染となっている。この傾向は、スペクトルのグラフを見ればもっと明瞭だ。スペクトルのピークを見ると、関東の2地点はどちらも森泉山西側斜面を上回っている。これが意味するのは、土壌の放射能は関東の2地点の方が森泉山中腹よりも強いということだ。つまり、線量の低い関東の土壌の方が、森泉山西側斜面よりもセシウム汚染がひどいことになる。

前に考察したように、山林の汚染は森全体に渡るため土壌だけにセシウムが沈着するわけではない。つまり、土壌汚染が関東より軽いからといって、これは嬉しいニュースとはならないと思う。山や森林の除染は、土壌の剥ぎ取りだけでは済まないだろう。木を切り倒し、岩を撤去し、その上に腐葉土や砂礫を除去しなくては、線量は落ちないということだ。

一方、都市部の汚染は線量だけみれば低いように見えるが、それはセシウムの沈着が主に土壌にのみ形成されているからだろう。森全体が引き受けるはずだったセシウム汚染は、コンクリートやアスファルトの表面を流れ、下水や川に流れ込み、最後は海へと行ってしまった。つまり、東京を含む関東平野だって0.2μSv/h以上の汚染があってもおかしくなかったが、都市化によって汚染は定着せず、海へとその責任をなすりつけた形になったと思われる。東京で土のある所を探すのは難しいが、公園や校庭、神社、数少なくなった畑地など、限られた場所にはある。それだけに、こういう場所には付近から流れ込んだセシウムが溜まり、放射能(つまりベクレル)が高くなってしまう傾向があるのではないだろうか?都市部のセシウム汚染は一カ所にかたまり、局所的なホットスポットを作りやすいと思われる。実際、多摩川の河原ではそういう場所が数地点報告され、現在は立ち入り禁止となっている。その線量は1μSv/hに及ぶような高い線量を示しているという。外部被曝の観点からしても、これは要注意だ。しかし、なによりも関東の人間が気をつけなくてはいけないのは、強く汚染された土や砂が舞い上がり、それを吸入してしまうことだ。いわゆる内部被曝だ。公園に遊びにいったり、校庭でスポーツをしたりするときは注意すべきだろう。

そして、これから最大の問題となるはずなのは、東京湾の海産物だ。これを食べるときは、よく考える必要がある。東京の海には、森泉山が引き受けてくれた放射能物質の大半が流れ込んでいると思うと背筋が凍る。

森泉山の土壌γ線スペクトル

ベクミルのLB2045を用いて、森泉山の3地点で採集した土壌を計測し、それぞれのγ線スペクトルを得る事ができた。予想通り、地点C、すなわち山頂にある弁天池の汚染は凄まじいものがあった。まずはその結果から。
森泉山の地点C
ベクミルの店長に「久しぶりに見た」と言わせた驚愕の一万ベクレル/キロ越えとなった。この数字だけみれば、松戸や福島県の本宮市の結果をも越えてしまっている。(注意:でもこの数字はあまり当てにならない。数字だけにあまり踊らされないように気をつけられたし。大切なのはスペクトルの形であり、その高さだからだ。結論を急がず、下の文章を読んでもらいたい。)

しかし、スペクトルを重ねて見ると、この千葉松戸、福島本宮、そして信州御代田の森泉山山頂のセシウム汚染は同程度であることがわかる。特に、弁天池と福島本宮のスペクトルの形は瓜二つで、相似なことに気付くであろう。ちなみに、福島本宮の土の放射能は4681 Bq/kg、千葉松戸は4524 Bq/kgだった。やはり、ベクレルの算出にはアルゴリズムの不定性があるのではないだろうか?数字で比較するより、スペクトルの高さで比較した方が意味があるように思える。よって、この程度の汚染を「レベルAの汚染」と呼ぶこととしよう。だいたい、5000 Bq/kgから10000Bq/kg程度の放射能汚染に相当すると思えばよい。

スペクトルを重ねて比較。
千葉松戸、福島本宮、そして森泉山弁天池の3つに比べれば、東大の汚染は半分ほど。(これをレベルBと呼ぼう。)京都清水寺のスペクトルは真っ平らに見える(レベルNと呼ぶ事にしよう)。「汚染が無い」ということの意味、そして「セシウム汚染された場所」ということの意味は、ベクレル数を細かく気にするよりも、スペクトルの形を見た時、はっきりするのである。

森泉山のその他の地点はどうだったかというと、中腹にあった地点B(線量はJB4020で0.19μSv/h)は420.6 Bq/kgで、だいたい皇居北の丸と同程度のセシウム汚染となった。面白い事に、線量が0.13μSv/hだった東大本郷よりもセシウム汚染の度合いは弱い(東大本郷は1961 Bq/kgだった)。これは、都心部は土壌のみにセシウムが沈着して線量増加に寄与しているのに対し、山林では土壌だけでなく森全体にセシウムが沈着しているからではないだろうか?

森林の土壌汚染は都市部のそれよりも弱いというのは「いいニュース」のように聞こえるが、それは森林の除染をするときは、土壌だけでは済まないということも同時に意味する。つまり、土を剥いだだけでは線量は下がらず、木を切り、草を抜き取り、岩をどかす必要もあるということだ。これは、山自体を破壊することに他ならないから、私の仮説が正しいとすれば、森林や山岳地帯の除染は事実上「不可能」ということになるだろう。

一方、自然破壊の進んだ都市部では、コンクリやアスファルトにはセシウムは沈着しにくく、また木や草もほとんどないから、セシウムのほとんどは土壌に張り付いて汚染を引き起こしたという予想が立つ。これは逆に、土さえ除去すればかなり線量は落ちるということを意味するかもしれないが、土壌だけに沈着した放射性セシウムが線量に寄与する割合はそれほど大きくないから、除染するところまでは線量が上がらない。とうことは、セシウムのほとんどが、水に流れて川や海に散っていってしまった可能性が高い、という事の方がより深刻な問題になるだろう。

信州より東京の方がセシウムの降下量が少なかったなんてことは、福島からの距離を考えれば、まずありえない。ということは、森泉山を汚染した強い汚染に相当する放射性セシウムは、東京の場合、海へと流れ込んでいった。おかげで、都市部自体の線量は抑えられたものの、海の汚染を非常に深刻なものにしてしまった...などと考えるのが自然だろう。

森泉山の測定に戻ろう。地点A、つまり、文科省の測定で線量が0.1μSv/h(私の測定でも0.1μSv/h)で、汚染が無いあるいは軽微だと思われる場所で採集した土壌の放射能汚染は132.6 Bq/kgとなった。スペクトルをみると微かにセシウム三兄弟の構造が見え隠れしている。つまり、御代田の山地帯は、佐久平の中心部(千曲川流域)と異なり、明らかにセシウム汚染があるということだ。ただし、その汚染具合は弱い。

佐久平の場合には、LB2045の性能の範囲内ではセシウム汚染は無く、より高性能なゲルマなどで測定したら汚染があるかもしれないし、無いかもしれないという程度の汚染レベルだった。ということは、おそらく、御代田と佐久平の間に「汚染の境界」があるはずだ。地理的にいって、たぶんパラダスキー場の辺りにそれはありそうな気がする。より広範囲な調査がさらに必要だと思う。

2012年4月16日月曜日

明日は土星が衝

天文年鑑(誠文堂新光社)の「毎月の空」というカレンダーセクションがある。ここにはその日の天文イベントが記されているが、今まで「衝」とか「内合」とか「矩」だとか、わけのわからないイベントは全部無視して、「皆既月食」とか「日食」とかそういう派手なものばかり注目していた。

今日読んだ天文学史の古い教科書に、外惑星の軌道半径の測定についての記述があって、なるほどと思った。例えば、土星の公転軌道半径を決めるには、土星の公転周期と、衝から矩までの時間間隔を測定すればよいという。衝というのは惑星が地球に最も接近したとき、また矩というのは太陽と惑星の角度が90度になるときのこと。たしかに、直角三角形の性質を使えば、土星の公転半径が(天文単位で)決定できる。すばらしい!

内惑星も同じようにして、その軌道半径を測定できる。ただし、矩の代わりに「最大離角」を用いる。今、金星が夕方の空に輝いているが、夕方の場合は東方最大離角となる。最大離隔の日に、太陽とその惑星の角度を測ると、やはり直角三角形の性質を使って惑星の公転半径を計算することができる。ちなみに金星の東方最大離角は去る3月27日...学会で神戸に行っていたときだったようだ。残念。あのとき、日没時の太陽と金星の角度を測っていれば...記録を見ると4月1日の写真はあったが、太陽の位置が記録されてない...残念。次のチャンスは、金星が明け方に回ってから。つまり西方最大離角を使う事になる。8月15日の日の出直後(直前)がそのタイミングとなろう。

また、今年の金星の内合は6月6日に起きる。しかもそれは「日面通過」という劇的な天体現象として観測できる。これを逃すと100年以上先の2117年まで見る事ができない。金環食より劇的かも。

ちなみに、明日は土星が衝となる。この日は土星が太陽と180度の角度を成していることになるから、日没と共に土星が地平線から昇ってくるはずだ。(実は、正確な衝の時間は、明日の早朝3:45頃になるので、夕方になると角度が180度からちょっとずれてしまう。天体ソフトによると先に土星が地平線から出てくるようだ。)また、衝の土星は地球に最も接近しているので、土星の輪を観測するなら明日に限る。

2012年4月15日日曜日

LB2045の検出限界

関西の土壌をLB2045で測定し、γ線スペクトルに「セシウム三兄弟」の構造がないことを確認し、その結果をもって「セシウム汚染は関西には広がっていない」と結論をだした

しかし、LB2045が算出した放射能は0ではない。例えば、京都の清水寺山門付近の土の場合は次のようになった。

京都の清水寺の土のγ線スペクトル
つまり、「35ベクレル/キロ」という放射能を持っています、とLB2045は主張しているわけだ。しかし、どうみてもセシウムのピークはないから、これは「0 ベクレル/キロ、ただし誤差は40ベクレル/キロ程度」と解釈すべきだろう。

同様に、兵庫篠山、大阪港の結果も、それぞれ35.42 Bq/kgおよび44.61Bq/kgとなった。平均してだいたい40ベクレル/キロ以下の値が出たら、それは0ベクレル/キロと見なしてよいだろう。

名古屋は39.56 Bq/kg、佐久平は40.21 Bq/kgだったから、検出誤差の40ベクレル/キロを引けば、どちらも0ベクレル/キロ(誤差40ベクレル/キロ)となって、「汚染無し」という判断となる。これは、先に出した結論と首尾一貫している。

しかし、これはあくまで日本の土に関しての「誤差」あるいは「検出限界」であって、食品や外国の土に関しては、改めて検出限界を決めないといけないだろう。

信州の早春

森泉山の日暮れは怖かった。風景が素晴らしいほど、怖かった。里に下りてほっと一息するとなぜかザワザワした恐怖感は薄らいだ。ふと振り返って森泉山の方を見渡すと、春の月が山から昇ってくるところだった。


音消えぬ ゆふづき昇る春の里

ツルヤでおにぎりとたこ焼きを買って夕食とす。ツルヤのお米は信州米で、海苔は有明産なり。

北の丸田安門の桜

北の丸公園はセシウムで汚染されてしまったが、桜は満開となって春の訪れを告げていた。暖かい春の季節が短くなって、暑いか寒いかの極端な気候とならないことを望む。が、温暖化してしまうと、それはかなわぬ夢となる。原発を廃し、石油文明も廃し、一刻も早く循環系エネルギー文明へと進化する必要がある。原発の電気で照らされた夜桜など嘘くさいし、猛暑と寒波しかない桜の咲かない春の無い世界も惨めきわまりない。自然と一緒に発展するやさしい文明を作っていきたい。

田安門から牛ヶ淵を見下ろす

2012年4月14日土曜日

世田谷区(砧公園周辺)のセシウム汚染

世田谷区の大蔵公園(これは砧公園に隣接する公園で、温水プールやテニスコート、武道館などがある)には見事な梅園がある。土壌採集に出かけたこの日は、丁度梅が満開だった。3月の下旬にやっと梅が咲くなんて、東京としては記録的に寒い春だという証だろう。
大蔵公園の梅園
この梅園の向こうは土手になっていて、いわゆる崖(はけ)とよばれる多摩川の河岸段丘が広がっている。大岡昇平の小説「武蔵野夫人」にも登場する地形だ。大震災以降は、この崖の上にある成城や瀬田などの高級住宅街は、地盤がしっかりしているからという理由で、引っ越してくる人が増えたという。特に、有明や豊洲といった湾岸沿いの超高層マンションから越してくる人が多いらしい。今回採集した土は、この崖に相当する部分だ。

世田谷といえば、馬事公苑近くや、千歳台のスーパーなどで、高い線量が住民によって発見される事件があって大騒ぎになった。高所得層が多く、また意識の高い人が多く住むところだけあって、高価な計測器を持って付近を測ってくれる人がいるということだろう。脱原発を掲げた社民党の保坂氏を世田谷区町に選ぶあたりも、さすがに世田谷区民と思わせた。しかし、この世田谷区にもセシウム汚染は広がっている。

まずは、LB2045の結果を見てみよう。
大蔵公園(世田谷)の土壌のγ線スペクトル
小さいながらも、しっかりと「セシウム三兄弟」のピーク構造が確認できる。だいたい500Bq/kgの放射能があるという参考値が表示されている。

この数字はあまりあてにならないので、他の地域とスペクトルの高さを比較することで、相対放射能を見積もってみる事にしよう。どの地域も、LB2045によって500Bq/kg前後の値が算出された地域である。これも関西のスペクトルを引いた、差分スペクトルにしてある。

500Bq/kg前後と判定された場所のスペクトルの比較。
比較するのは、船橋(千葉)、川崎(神奈川)、北の丸、神保町(千代田区)、そして大蔵公園(世田谷)の5地点。最初の4地点のスペクトルは、ほぼぴったり重なる。それに比べて、大蔵公園のピークは低めに出ている。仮に、最初の4地点が500ベクレル/キロ程度だとすると、大蔵公園は200−300ベクレル/キロ程度に相当するだろう。汚染は弱めではあるが、しかし確実に存在している。これは、名古屋や信州佐久の「汚染は軽微かも」というのとは、まったく異なる意味での「弱い汚染」だ。

大蔵公園が汚染されているということは、そのすぐ南にある砧公園や馬事公苑も、きっと同様に汚染されているはずだ。これらの公園には小さな子供もたくさん遊びに来るし、多くの小学生がサッカーや野球をやって楽しんでいる。この公園で遊ぶ子供達は砂埃をなるべく吸わないように注意した方がいいだろう。


佐久平(千曲川近く)の再評価

信州の東の端にある佐久地域は汚染の境にある。北佐久に属する軽井沢、隣りの御代田町の山岳地帯の一部、そして内山峠を中心とした佐久市と下仁田の県境、さらには十石峠付近の南佐久と秩父の県境などの汚染がとりわけひどい。

面白い事に、線量だけみれば、これらの汚染地域を越えて西に行くと、信州のセシウム汚染は軽微となる。松本、大町、伊那、木曽の汚染はかなり弱いし、八ヶ岳裏の諏訪地域の汚染も軽微なものだ。

ただし、善光寺平、塩田平(上田や小県)、そして佐久平の汚染がどうなっているかはあまりわかっていない。この地域は千曲川にそって大きな盆地となっているが、それはかつてのフォッサマグナに広がる海の名残(その後、火山噴出物などによって浅くなり巨大な湖となった)だ。つまり、この千曲川のある平らな谷に沿って、軽井沢に侵入したセシウムクラウドは長野市まで流れ込んでも不思議ではない。(国立環境研究所のシミュレーションでは事実そうなっていた。)実際に土壌や線量を測定したら汚染があったという報告もあるし、それほどひどくないという報告もある。場所によって局所的に汚染があるかもしれないが、広域的にみれば汚染が軽微なのかもしれない。これから詳しい調査をしなければならない地域であることは確かだ。

今年の正月に採取した佐久平の千曲川ちかくの砂土のγ線スペクトルには、なんとなく構造があるように見えたが、それがセシウムのモノであるかどうかは断言できなかった。そこで、関西の「無汚染地帯」のスペクトルと比較してみることにした。同じ方法で分析した名古屋の土は汚染はかなり弱いという結論になったが、果たして佐久平はどうか?結果は次の図のようになった。

左が佐久平、右が北の丸(東京)のスペクトル。
右のスペクトルの縦軸のスケールは、左のスペクトルの
6倍になっている点に注意。
参考のために、セシウム三兄弟の構造がよく見える皇居北の丸のスペクトルと並べてみた。セシウム134の604keVのγ線ピークに相当する場所に山があるのがわかる。しかし、これはビスマス214の609keVのピークと被っている可能性がある。というのは、セシウム137の660keVのピークが目立たないからだ。さらに、セシウム134の796keVのピークは見当たらない。なんらかの構造が無いわけでもないが、完全なセシウム三兄弟の構造があるか?と問われれば、「成していない」と答えるべきだろう。

うさん臭い構造がビスマスなどの自然放射性物質からのγ線の寄与なのか、それともそれらの自然放射線に埋もれたセシウムのピークが隠れているのかは、LB2045では判別つかない。これも名古屋と同じで、ゲルマニウム検出器による測定をすれば白黒つくであろう。

佐久平は広いし、東の山際(佐久山地)の群馬県境はひどい汚染があるわけだし、この結果で安心するわけにはいかないだろう。汚染地域の山地から、佐久平中心部の千曲川河畔に向けて、どのように汚染の度合いが変化(減少)しているのか、詳細な研究が必要だと思う。

私の測定によれば、それは汚染地域の境界のすぐ外で、意外に急速に減少しているように思う。たとえば、森泉山の山裾と頂上では、線量が大きく変化したのは、典型的な事例だろうと思う。

名古屋の再評価:関西を基準として

さっそく、篠山のスペクトルを基準に、名古屋のγ線スペクトルを再解析してみた。

兵庫篠山を基準とした名古屋城近くの土壌のγ線スペクトル。
セシウム三兄弟のピーク構造はチャネル番号(横軸)の21、27、そして44番に相当するが、顕著な構造は見えていない。ピークらしきものがあちこちに見えてはいるが、セシウムのピーク位置からはずれているように思う。(19番のピークは自然放射性元素のビスマス214のものだろうか?)この機械の精度では、これがセシウム三兄弟の構造からくるものだとはいえないだろう。ゲルマニウムを使ったγ線検出器で測定するまではなんともいえないが、汚染は無いか軽微であるという結論は出していいと思う。

ちなみに、関西を基準にしても、東京のセシウム汚染にはなんの影響もないことを確認しておこう。皇居の北の丸で採集した土壌のスペクトルは次のようになる。
皇居北の丸の土壌のγ線スペクトル。
セシウム三兄弟の構造がはっきりわかる。
この場所はだいたい500 Bq/kgの汚染。
セシウム三兄弟のピーク構造がくっきりと浮かび上がる。事故から一年ほど経過した時点では(採集したのは先の冬)、左二本のピークの高さはほぼ同じで、右のピークは少し低めにでるのが特徴といえるだろう。ピークの場所は左から21、27、そして44番チャネルの位置となる。名古屋のスペクトルは、このセシウム汚染のパターンとは明らかに異なることがわかるだろう。


2012年4月13日金曜日

関西の土壌のγ線スペクトル

春休みに関西方面に帰郷した学生たちに頼んでおいた関西方面の土壌がようやく手に入った。セシウム汚染の研究をするならば、「汚染されてない土壌」というものがどういうものかしっかり見ておく必要がある。名古屋も信州も今ひとつ確信をもって「汚染無し」と言えなかった(軽微とは言えるが)ので、京都、大阪、兵庫の土壌サンプルはとても貴重だ。

手に入ったのは、京都の清水寺山門近くの植え込みの土、兵庫の篠山の神社の土、そして大阪港の植え込みの土の三種類。ベクミルのLB2045で測定したγ線スペクトルをさっそく見てみよう。明らかに、どれもセシウムのピークは見られない。こうはっきり言い切れるスペクトルは初めてのことだ!(もちろん、ゲルマで見たら核実験やチェルノブイリやらの微量なセシウム137のピークはあるかもしれないが、それは全世界にバラまかれたものであって、福島原発とは関係ないはずだ。)

「系列4」とあるのが京都。
セシウム137のピークは横軸の27番チャネル、
セシウム134のピークは21と44番に対応しているが、
「セシウム3兄弟』の姿は影も形もない。
どれも「セシウム三兄弟」の構造(3つのガンマ線のピーク)が無いことは一目瞭然。とりわけ篠山のスペクトルが平らだ。(ここは兵庫といえども、自然放射線量も低い場所。)よって、これからは篠山のスペクトルから見た相対スペクトル(つまりバックグランドを篠山と見なしたスペクトル)を採用することにする。

金星の満ち欠け

金星が惑星であることを証明したのはガリレオだったと思う。肉眼で見るといつでも、きれいに明るく輝く点状の「普通の星」に見えるが、望遠鏡で拡大すると月と同じように満ち欠けすることを発見したのがガリレオだ。つまり、自分で輝いているのではなく、太陽の光を反射して光っているだけだということに気付いたわけだ。その結果、自然な結論として、金星は太陽の周りを回っているという考えに到達する。(だから、満ち欠けするということ。)

今、金星を望遠鏡で覗くと、半月になっている様子がよくわかる。自分の目で実際に確認したのは今晩が初めて。とても感動した。

半月に近い状態の金星。A80Mfの拡大レンズに対し、
コリメート撮影したもの。


2012年4月11日水曜日

死んだ信頼:The Economist誌の記事より

英国旅行の際にスーパー(Waitrose)で買ったThe Economistという雑誌で、原発特集をやっていた。そのタイトルは"The dream that failed"。英国の経済誌は、はっきりと「原発は終わった」と考えているようだ。

特集記事の前に、導入記事があった。そのタイトルはThe death of trust、つまり「死んだ信頼」。これは原発事故によって日本がどう動いたかを的確にまとめた記事だ。まずは冒頭の部分だけ見てみよう。


浪江町の請戸地区に住んでいた横山若菜(13歳)さんは、大震災から一年たった3月11日に開かれる村の祭りで、村に伝わる田植えの舞を踊ることになっている。横山さんがこのお祭りを心待ちにしているその理由は、避難のために村を離れ、散り散りになってしまった友達たちと久しぶりに再会できるからだ。しかし、それは悲しい現実と向き合うことでもある。「村人」はいても、彼らの「村」はもうないのだ。 
寒く冷えきった一年前のあの日、大津波は請戸地区を直撃した。1800人の人口の内、180人が津波に流されて死んだ。そこには横山さんの家族も2人含まれている。当初は、津波には飲まれたものの、救助隊に助け出され、一命を取り留めた人たちがいた。しかし、村の向こうにある福島第一原発で最初の水素爆発が起きたとき、政府の優先事項は 津波を免れた人々の避難へと変更された。つまり、津波にさらわれた人たちの救助はあきらめたのだ。横山さんとその家族、そして何千人という村人たちは、原発から離れた場所にある避難所へ車で逃げるように命令された。しかし、その避難所が、原発から放出された放射能プルームの通り道にあったことを村人たちは知らなかった。(つまり、政府は何度も何度も致命的な間違いを犯し、やることなすことすべてを失敗したということだ。) 
村を離れた横山さんは現在郡山に住んでいる。原発より西に60キロほど離れた街だ。新しい小学校には、以前のクラスメートは誰もいない。しかも、この地においてすら、放射能汚染のため一日に3時間しか屋外で遊ぶことができない。時間が流れるにつれ、太平洋の潮の匂いを共に嗅いだ、同じ村の仲間達たちとの絆はどんどん薄れていく。しかし、何百年も続く田植えの舞のことになると、横山さんは生き生きと話だす。よく考えるとこれは不思議なことだ。彼女がもう二度と住むことのない村、そこに伝わる伝統の踊りを継承しなくてはならないと、こんな小さな子供が責任を感じている。(よく考えれば、横山さんが負わされた悲劇や苦しみ、そして伝統を守るという責任は全て、横山さんを置いて先に死に行く大人たちのせいで作られたものだ。自分たちだけ楽しんだ「ずるい」大人達がつくったその重い十字架を、どうしてこんな小さな子供たちが、これから死ぬまで背負わなければならないのだろう?)
ちなみに、括弧の中は「訳者注」に相当する付け足し。

訳してしまうとクオリティが落ちてしまうのだが、実によく書けている文章だと思う。海外の人たちが関心を持ったのは、どうやら、東北の人たちの個人個人の志の高さに引き換え、日本政府の能力が信じられないほど低レベルという「対比」あるいは「対照」にあるようだ。つまり、地方に住み、ちょっと古い時代の習慣にしたがって生きる人々の精神性の高さに驚くと同時に、「新しい」考えを持ち、受験競争などを勝ち抜いて首都東京にへばりつくエリート(であるはずの人)たちが、国を転覆させてしまうような致命的な間違いを何度も繰り返すという、その「劣化」した能力に驚いている。

この文章に続く記事でも、この点が何度も突かれる。原発事故の記事というより、だめな日本という国家、という感じである。文章の題名がThe death of trustというのは、原発に対する信頼がなくなった、という意味だけでなく、日本政府や官僚達はもう国民から信頼されていない、という意味にも使っている。この手法、いわゆる和歌の掛詞と似たやり方だ。

2012年4月8日日曜日

瓦礫処理の「安全性」:簡単な割合計算

がれきの広域処理を巡って、「感情的に受け入れを拒否するのはけしからん」という意見がある。この意見の根拠にあるのは、「がれきは安全だから」という主張。

しかし、この「安全性」の主張の根拠がぐらついていることは、既にいろいろな人が科学的な立場から指摘している。(このブログでも、以前東京新聞の記事をとりあげた。)放射能物質だけでなく、重金属やアスベストなどの有害物質が瓦礫にはこびり付いている、という指摘もある。また、政府が制定する、放射能を帯びた廃棄物の埋め立て基準が、震災前は100Bq/kg以下だったのに、瓦礫の問題が出て来たとたんに8000Bq/kg、つまり80倍に引き上げられたことは、基準値自体が既にうさん臭いのでは?という人々の疑いを生んでいる。そして、この疑いは論理的に正しいと思う。8000Bq/kgが大丈夫だというなら、最初から、つまり50年前からそうしておけばよいのに、つい2年前までは8000Bq/kgの放射能廃棄物を埋め立てた人は逮捕されていたのだから、日本政府はそもそも8000Bq/kgは科学的に見て問題があるレベルだと認めていたわけだ。

さまざまな矛盾がある中、今回はもっと簡単な算数で、この安全性について考察してみたい。それは割り算、もっと言えば比率の問題だ。簡単に言えば、木材に付着した放射能物質が焼却されて灰となったときに、どのくらい濃縮されるのかという問題だ。

この資料の6ページによると、広葉樹の木材の組成のだいたい1.6%(コンパスとものさしを使って画面を測ってみた結果の数字)が灰になる成分だという。また針葉樹の木材はもっと比率が低い。この資料を作ったのは、京都大学農学部の名誉教授の方で、森林研究の専門家だから、この数字はそうは間違ってないと思う。組成の比率だから、質量の比率とは限らないけれど、仮にそうだとすると、広葉樹からなる木材1キロは焼却後16グラムの灰になるということだ。針葉樹ならばもっと少ないことになる。目分量でだいたい1/10だとすると1.6グラムとなる。

キロあたり100ベクレルの木材がれきを焼却してみよう。セシウムなどが蒸発して環境に飛び出してしまうとか、煙突にこびり付いてしまうとか、そういう複雑な要因は無視して(だいたいそういう事が起きたら大問題だ。特殊な焼却場を使わないといけないわけだから。)、とにかく全量が焼却灰に残ると仮定する。すると放射能の強さはそのままとなり、放射能の「濃度」が変化することになる。つまり、残った汚染物質、つまり灰の質量で換算した放射能が問題となる。

広葉樹でできた木材の瓦礫の場合、質量は1.6%に減少するから、簡単な割合の計算をすると、100 Bq/kgだった木材の焼却灰が持つだろう放射能は、キロ辺り6250ベクレルへと跳ね上がる。ちなみに、現在の暫定基準値8000Bq/kgに到達するの場合を計算すると、120Bq/kg強の放射能を帯びた瓦礫に相当する。

針葉樹の木材の場合は、さらに濃縮されるので、キロあたり100ベクレルの瓦礫を燃やした後の灰は62500 Bq/kg程度となろう。暫定基準値でみても約8倍の放射能だ。当然、この灰は埋め立ててはいけない。(やったら法律違反で逮捕。)

こんな計算をやってみなくても、柏や東京の下水汚泥の焼却処理施設の問題を見たら分かるように、燃やして濃縮した灰は放射能がもの凄く強くなることは、もう皆知っているはずのことだ。ちなみに、人間が食べられる食品の基準は現在100Bq/kgだから、当然100Bq/kgの木材がれきは「安全」だと政府はいうだろう。その瓦礫は食べたっていいくらいなんだから。

瓦礫の受け入れを表明してしまった自治体のお役人や議員の先生たちでも、小学5年生で習った割合の計算くらいはよくできただろう。「どうしてこの算数を習わなければいけないのか」と疑問に思いながら宿題を解いていたかもしれないが、その答えは今ここにある:瓦礫は燃やすと放射能が強くなる、ということを計算するために勉強していたのです。

残念ながら瓦礫処理の受け入れを認めてしまった自治体は、なるべく木材の瓦礫は引き受けないようにするべきだろう。針葉樹から作った木材の瓦礫の焼却は、特に気をつけたほうがいいと思う。松とか杉とか檜とか。

瓦礫の量を減らすために「焼却」して量を減らしたい、というのが政府のお役人たちの考えだろう。しかし、原発事故がリンクしてしまうと、焼却処理自体をやってはならないのである。広域だろうと、局所域だろうと。前にも書いたが、最初にやらなくては行けないのは「分別」だ。燃やしてもあまり濃縮しないものは燃やしてもいいからだ!(「しかし、それでは燃やす意味がないのでは?」と思うでしょう。その通りです。)

つまり、原発から放射能物質が飛び散ってしまうということは、こういう問題に直面するということなのだ。焼却は、半減期の4倍程度まで待ってから(つまり120年)、行うべきだろう。焦った「復興」は更なる悲劇を生むだけだ。役人達は復興で名を上げ、功を成したいのだろうが、2年前の日本に戻す事はしばらくは無理だと腹をくくるべきだ。(原発をやめておけば、千年に一度の英雄になれたかもしれないのに、残念だったね。)

2012年4月7日土曜日

御代田町の森泉山にて線量測定:間違いなくホットスポット

以前enniethebearさんからお寄せ頂いた情報(リンク先のコメント欄を参照のこと)にもとづき、御代田町の森泉山周辺の別荘地の線量測定を行った。

まずは文科省の線量地図から見てみよう。細かい精度はないが、大ざっぱな分布を知りたいときは、この地図でだいたいのことはわかる。
文科省による線量地図。
本日の測定地点は御代田町の森泉山周辺にあるA,B,Cの三カ所。
左の紫色の地域は0.1μSv/h以下の、いわゆる「非汚染地帯」だと皆が思っている場所。(実際には軽微な汚染やホットスポットもないわけではない。)右側の水色は、0.1から0.2μSv/hの地帯で(実際の線量はこれより高い場合もあるが)、軽井沢の汚染地域におおよそ相当する。政府の発表したこの地図をみただけでも、森泉山の汚染は軽井沢と同程度あることは予想がつく。軽井沢での測定の経験から、それはだいたい0.2μSv/h前後だろうと思われた。

さて、まずは地点Aの線量を測ってみた。ここは「安全地帯」にちゃんとなっているか確認しておく必要がある。ガイガーカウンターの正確さもある程度確認できる。

地点A。
平尾山を望む。畑地が広がっているが、
このすぐ左はゴルフ場になっている。
測定地点は畑脇の雑木林。
まずはJB4020で測定した結果をRAMIで解析したものをみてみよう。
赤線がRAMI、枯れ草色が30秒おきの表示値。
収束は若干悪いが、寒くて20回も測定する気力が途中で失せてしまった。許されたい。収束値を0.1μSv/hとするならば、補正値は0.05μSv/hということになる。

同じ場所でAir Counter Sによって三度測定した。結果は0.06, 0.07, 0.07で、平均値は0.07μSv/h。だいたい上の結果と同じ値だ。

いずれにせよ、A地点での結果は文科省の結果と一致しており、汚染は軽微/無しの場所と言ってよいだろう。(最終的な判断は土壌のγ線スペクトル検査に持ち越されるが、これは近日中に行う予定。)

次に地点Bの結果を見てみる。ここは、森泉山の尾根の一つ。カモシカか鹿の糞が、森の中に散乱していた。ここに至る道は荒れ果てていた。人の頭の数倍もあるような落石がゴロゴロ道に散乱していた。いつ落ちてくるかと思うと、恐ろしい気分になる。大小の枯れ枝も道を塞いでいて、時折車を下りて手でどかさなければならない事もあった。ここはなにもかもが「散乱」しているかのようだ。落石からもわかるように、この辺りの山の斜面はキツく、別荘の痕跡はまったくない。この部分で土地を購入した人は誰もいないようだ。
地点B。
尾根の一つ。森の中で見晴らしはあまりきかない。
斜面はガチガチに凍り付いていて、時折足を滑らせたほど。
文科省の地図によれば、この辺りは0.2μSv/h以下程度となるはず。

水色がRAMI、紫が30秒おきの表示値。
収束は弱いが、0.19μSv/hを採取結果とする。
収束は弱いがRAMIの値は0.19μSv/hとしてよいだろう。補正すると0.14μSv/h程度。Air Counter Sの測定は3回行った(確定値を三回出した):0.19, 0.22, 0.22、つまり平均値を取ると0.21μSv/h。両者の結果に若干の差異はあるものの、だいたい文科省の結果通りとなった。

地点A,Bの結果が政府の値とほぼ一致したことを確かめ、いよいよ問題の地点Cへと向かう。

地点Cへの道は、山頂を周回する道へ接続するまでは、かなりの急坂となっている。北側の斜面からは、浅間山の見事な雪景色を見る事ができた。天空に浮かぶラピュタのように、誰にも邪魔されず静寂を楽しむことができる素晴らしい別荘地だと思った。しかし、東電の原発事故によって一瞬でその素晴らしさが半減、もしくはそれ以下になってしまった。非常に残念な気持ちになった。4月とはいえ、雪が舞う寒さの中、結構な数の住人が訪れていたのは、この風景と静寂の素晴らしさの故であろう。よくわかる。
森泉山より見た浅間。右側の岩山はギッパ岩というらしい。
散策路があって、景色を楽しむことができるらしい。
森泉山の標高は1136m。放射性プルームがもっとも軽井沢地域を汚染した標高にほぼ一致する。面白いと思ったのは、これほど急峻な斜面をそんなに高いところまで登ったところで、小さな池が現れるということ。にわかには信じ難い。しかし、頂上の周回路に近づくと傾斜は緩やかとなり、山頂部はかなり広い台地状になっていることがわかった。ここに湧き水が溜まった綺麗な池があった。

頂上の台地にすり鉢状の地形を作っていて、それは東の方角に開けている。先ほどの地点Bは西斜面に属していて、関東平野から見ると山の「裏側」にある。放射性プルームは関東平野から流れて来たから、東側の方が汚染がひどいことは想像できた。しかし、これほどまでとは予想だにしなかった....

森泉山の頂上付近にある弁天池。手前と奥の2つに
分かれていて、奥の方がメインの池だと思われる。
手前の池の真ん中に祠がある。写真右手の方から湧き水の
川が流れ込んでいる。白いのは雪。
高線量が出たという情報を聞いた場所は、道の行き止まりにある駐車場から弁天池の方へ降りる緩やかな斜面。クマザサがある場所という詳細な描写に、ピンポイントで測定場所が決まる。半信半疑でJB4020とAir counter Sのスイッチを入れる...

測定地点の様子。クマザサが茂る斜面。
地面は凍りついていて、土壌採集は難航した。
0.57, 0.60, 0.62, ....見た事も無いような高い線量が画面に現れた。Air counter Sも0.69, 0.74...と、もの凄い値が表示されていた。地点Bと比べても3倍も高い!間違いなくここはホットスポットだ。

赤い線がRAMI、青い線が30秒おきの表示値。
まずはJB4020の結果から。これも収束はちょっと弱いが、だいたい0.52〜0.53μSv/h程度の収束値と見てよいだろう(生データ)。ここは揺らぎが少ない。瞬間値を見ても、0.3μSv/hを下らないから凄い。補正値にすると、およそ0.43μSv/h。今まで測定して来た中で最高記録が出てしまった。Air counter Sは4回確定値を測定。0.54, 0.69, 0.61, 0.74を得る。平均値は0.65μSv/h。

御代田町は、この結果の意味をよく考えるべきだろう。(まずは、結果を確認し、公開すべき。そして東電に賠償を請求し、困難を極めるとは思うが、除染を試みるべきだろう。なにしろ、この池のすぐ目の前には立派な別荘が幾つか立っているのだから。)

0.6μSv/h以上の瞬間値を表示するJB4020と、
確定値0.69を表示するAir Counter S。

山を下りながら、とても悲しい気持ちになった。東電と原子力政策を推進してきた政府は、この悲劇の責任をどう取ってくれるのか!

2012年4月6日金曜日

フランスでも原子炉事故発生

信濃毎日新聞、およびBBCによると、フランスのPenly原子炉で火災が発生した模様。

こういう事故がなんども繰り返された挙げ句、カタストロフィはいつかやってくるはず。

韓国釜山で原発事故

信濃毎日新聞より

釜山に原子炉があるとは...ここで事故が起きたら日本海の魚もだめになる。そうなったら、魚はもう死ぬまで食べられない...

韓国の人々は廃炉を要求しているらしいので、強く支援したい。日本人と違って、韓国人は強い意志表示ができるので、彼らのがんばりに期待!

命を懸けて





2012年4月5日木曜日

女神湖へいく

台風のような嵐となった昨日。雷が鳴り響き、電光が暗闇を切り裂いた。激しい雨が、強風に叩き付けられて、屋根や壁がもの凄い音を立てた。幸い停電にはならなかったが、春の嵐と呼ぶにはあまりにも「台風」であった。(しかし、台風というのは南洋で発生しないといけないらしいから、定義上は今回の嵐はただの「低気圧」に過ぎないらしい。)

ピークは過ぎ去ったとはいえ、今日も時折強い風が吹き、気温も下がったまま。おまけに、時折雪が舞う冬のような天気となった。しかし、こんなときは観光客も少ないだろうと、いつもの蓼科の牧場にお昼を食べにいった。貸し切りというわけには行かなかったが、ガラガラのレストランで気分良くマルガリータとフォルマッジを食べる事ができた。今日はコロッケも食べてみた。美味しいし、ボリュームもある。しかし何より驚いたのが紅茶。この牧場の紅茶は何故かとても美味しい。Fortnum and Masonの紅茶と張り合ってもいいくらい。(ただし、英国のポット一杯に比べ、カップ一杯しかないのは難だが。)

食べ過ぎたので、この後、腹ごなしに女神湖に散歩にいった。観光客は0(nill)。湖畔の木道が気持ちいい。ちょっと寒いが、さすがに4月、凍えるような寒さじゃない。湖の浅い所にはザセンソウの花芽が水面から幾つか覗いていた。春はもうすぐそこまで来ているのだろう。とはいえ、今年の4月はとても寒い。(東京でもようやく桜が開花したらしい。)下の写真だけ見たら、ただの冬に見えるかも。

女神湖と蓼科
この場所では線量測定はしなかったが、池の湖畔にて土壌を採集。たぶんセシウムは出ないとは思うが、念のため、ベクミルに持っていって測定してみようと思う。ちなみに、もっと下界に下りたところにあるスーパーでAir Counter Sを買ったが、そこでの値は0.5μSv/h程度だった。これはこの機械の限界最低値だから、実際にはもっと低いと思う。

湖からの帰り道、いつものコーヒー屋に寄った。この店は暖炉があって冬にはもってこいの場所。ちょっと強めだが、とても美味しいコーヒーなのだ。確か、昨年の冬は霧ヶ峰からの帰りに寄ってカレーを食べた。今日はお腹が一杯だったので、コーヒー一杯のみ。

Air Counter Sを購入する: JB4020との比較

蓼科に昼飯を食べにいく途中でスーパーに寄ったら、エステーのエアカウンターSが売っていた。5500円程度。さっそく購入して試してみた。まずは仕様から。

説明書によるとシリコン半導体を用いたフォトダイオードを使って、γ線を電子正孔対(electron-hole pair)に変換し、その電流パルスを測定することで線量を推測するメカニズムだという。感度はゲルマニウムには劣るが、機構は同じだと思う。測定誤差は20%程度だそうで、検出最低値は0.05μSv/h。これを下回ると表示が点滅する。較正曲線ならぬ較正係数は、Cs-137のγ線源から求めたもので固定して、内臓のソフトウェアが計算し、その結果が表示される。

測定は、最初の30秒で平均値をまず算出し初期推定値を表示する。次に、最大2分程度かけて確定値を出す。この間は赤いランプが点滅する。確定値が出たその後は、10秒毎に平均値を補正していく。10秒間の間にたまたまγ線が混んで検出されると一時的に表示は驚く程高い値を示すが、時間が経つごとに変動するようなら収束していないので、「動きが止まるまで」待つ必要がある。この動きが止まるまでの見極めが結構難しいかもしれない。今日も随分大きな値が出たりしたが、これはアルゴリズムの問題だと思う。

さて、比較測定をJB4020を使ってやってみた。RAMIを適用し、30秒毎に両者の値を測定し、平均値をとる。収束したところで値を確定するという方法だ。
RAMIによる比較。
横軸は30秒毎の測定回数、縦軸は線量(μSv/h)。

Air counter Sは2分ほどで確定値が出た。しかし、長く測定すればする程、収束値がゆっくりと上昇してしまう問題がある。JB4020もゆっくりと収束値が上昇してはいるが、Air counterよりは変動が遅い。(ちなみに、JB4020の値は補正公式を通した後の値。)大抵の場合は20回程度で測定を打ち切るからAir counterの場合は0.05μSv/h、JB4020の場合は0.04μSv/hという結果を採用することになる。Air counterの値を読む際に注意しなくてはならないのは、最低値が0.05であると言う点。実際、50回の測定のうち15回ほどは点滅の0.05、つまり0.05以下だった。ということは、実際にはもう少し下目の値になっていた可能性がある。

Air counterは、0.05μSv/hより線量の高いところで使用した方がよいだろう。

Air counterの収束値が次第に上昇してしまう理由は、次のグラフを見るとよくわかる。平均値とともに、30秒毎の表示された値を重ねてプロットしたものだ。
変動するAir counterのリアルタイム表示(青いグラフ)
Air counterは、確定値が出た後は、10秒おきに値を測定結果の平均を計算して表示を改める。これは、それまでの積算値ではなく、おそらく10秒間ごとの平均値となっていると思われる。したがって、たまたまこの10秒間にまとまってγ線が検出されると、値が跳ね上がる傾向がある。これが起きる度にRAMI値が上がっている事がわかる。

せっかくいい検知器を作ったんだから、最後の詰めである計算アルゴリズムのところをもう少し丁寧に設計してもらいたかった。今のままだと、最初の30秒間が終わって確定値がでたところの値がもっとも信頼できるような気がする。測定の精度を上げたければ、そこでいったんリセットをかけて再び測定しなおし、これを数回繰り返すのがいいだろう。RAMI値が収束するまで繰り返せば、RAMIモドキのアルゴリズムとなって、平均値の揺らぎは小さくなると思われる。

さっそくやってみると次のようになった。全部で20回、リセットを押しては最初の確定値だけを記録し、その都度平均値を計算する。平均値が収束したかをチェックし、収束値を採用する。これはRAMIと同じ原理(ただし、時間が関係なくなるが。)ただし、一つだけ特別ルールを適用した。それは、確定値が0.05の点滅の場合は、0.04という値を充てることにした点。

Air Counter Sの結果の処理。
青い線が確定値の推移。赤い線が平均値。
結果を見ると、確定値自体は大きく揺れ動いているが、平均値はそれに影響されることなく、綺麗に0.06μSv/hに収束しているように見える。JB4020の結果は補正値で0.04-0.05だったから、若干高めには出るがほぼ一致した値が得られていると思われる。時間にあおられることなく、比較的余裕をもって測定できるのはAirCounter Sの利点だと思う。ただ、大幅な測定時間短縮というわけにはいかないようだ。





2012年4月4日水曜日

巨艦主義と「慣性の法則」

落ち目の国家や集団が「慣性の法則」に従っているように見えることについて以前書いた。最近、この法則があちこちに適用できることに気付いた。その一つが巨艦主義、あるいは大鑑巨砲主義と呼ばれる考え方、行動の仕方だ。

これは、惨めな旧日本軍の失敗を指して、とりわけ使われることが多い。しかし注意すべきは、現在の日本政府は、旧日本軍に勝るとも劣らない勢いで、惨めな失敗や判断ミスを犯していることだ。つまり、旧日本軍の失敗は、かならずや現日本政府が近々犯すであろう失敗を暗示していると考えられる。

旧日本軍の「慣性」が始まったのは、日露戦争の「日本海海戦」だろう。ロシアのバルチック艦隊を運良く撃滅したことに気を良くした日本海軍は、「実績主義」、「経験主義」を重視する日本の役所の慣習をうまく利用して「戦艦」主義を推進する。おそらく、相当の国家予算をぶんどることができ、その恩恵を享受したものは、現在の原発を利用した、経産省—東電の関係に比較できるだろう。

この風習は、現在の科学技術研究費の審査にも未だに適用されている。(管轄は文部科学省だが。)外国で名を挙げたり、論文が海外で認められた研究、あるいは東大や京大のように既に「有名大学」で研究しているものに関しては比較的緩い審査で研究費が配分されるが、国内で萌芽したばかりの将来性ある素晴らしい研究を、日本政府は自分で判断して支援することができない。そういう若い研究は「実績」がないから書類審査で低い評価となり、研究費が支給されないのだ。こういうチャレンジに身をと投じる勇気ある日本人研究者はそれなりにいるが、たいていは潰されてしまう。したがって、大半の「賢い」研究者たちはチャレンジするタイプの研究は早々とあきらめ、安定した研究費支給が見込める、古くてやり尽くされ、「慣性」で動いている「つまらない」研究に参加する。こういうことばかりだが続くと、必然的に日本の研究全体が時代遅れとなって、国際競争力のレベルががた落ちに落ちてしまう。これにうんざりした、優秀な若手の研究者は外国に逃げてしまう。

ただ、運のよいことに語学が達者な人が今まで少なかったので、頭脳流出はこれまではある程度防げた。しかし、文科省が語学教育に力を入れて、英語などの外国語が得意な学生が増えれば増える程、日本を離れる科学者も増えるはずだ。文科省は、自らの経験主義、書類主義、実績主義を捨てないと、語学教育の推進とともに、日本の国力を疲弊させることとなろう。つまり、このままいくと、日本人は自らの資金を投入して、外国の国力(特に科学、技術)の向上のために、無料奉仕というよりも、むしろ「自腹奉仕」することになろう。

いったん「巨艦」や「戦艦」が、文部省や大蔵省で「実績あるもの」として認められてしまうと、それが時代遅れになっても、予算は延々と垂れ流され続ける。そして敗戦というカタストロフィを迎えるまでそれは止められない、というのが近代日本国家の特徴だろう。自律修正が作動しない機械は、爆発したり破裂したりして派手な最後を迎えることとなる。こういうのを「暴走」という。

面白いのは、零戦で真珠湾を攻撃した旧日本軍こそが、巨艦主義を終焉させた新しい流れ、戦法を編みだしたにもかかわらず、本人がその意味を理解していなかった点だ。役人の書類審査というのは、目の前の事務を効率よく処理することを至上目標とするため、処理されされればそれでいい。つまり、処理されるものがよいものか悪いものかは考えない。国の将来などは考えない。ただ、自分に与えられた事務が、法律や規律にしたがって、如何に迅速に効率よく処理されるかだけを気にする。木を見て森を見ず。私が戦争責任者であるならば、真珠湾の成功を見て、予算の中心は戦艦建造から、航空機開発、そして空母の建造へと大きくシフトするだろう。また、敵は真珠湾の敗北から、同じく航空機主力の戦法へとシフトするだろうから、空対空の新戦法の開発も始める必要が在ると考えるだろう。より早く、より高く飛べる航空機の開発、すなわちジェットエンジンやロケットの研究、また強固で軽い素材の開発などに尽力すると思う。しかし、日本政府と旧日本軍が敗戦までやり続けたのは、水面に這いつくばった鉄の塊でつくった鈍重な巨大戦艦の構築だった。零戦の開発費は削られ、養成に時間のかかる優秀なパイロットの命は軽視し、最後は爆弾抱えて飛び込め、といった馬鹿げた使い方に航空機は向けられてしまった。どうみても、日本国が戦争に勝つために努力したとは思えない。むしろ、戦艦を作り続けるために努力したのが太平洋戦争だったように思えるのは、私だけだろうか?

日本の原発は大きな事故を起こした。事故が起きると大きな問題を引き起こすことは、もう周知のことだ。しかし、事故が起きないとしても、使用済み燃料(すなわち死の灰)は、想像を絶するほどの強い放射能をもっていることが、既に大問題になっている。つまり、放っておくと数千度の崩壊熱を発してしまう核廃棄物(死の灰)は、ただ単に穴に捨てることができない。死の灰は毎日大量に「安全に作動する」原子炉で発生し、それは電気で作動する循環冷却システムに入れて100年以上も保管しないといけない。このままいったら、数十年の時間間隔で、日本中は冷却プールだらけになって、使用済み燃料の墓場と化してしまう。停電の度にあちこちでメルトダウンが起きて、放射能汚染されたサイトは100年以上に渡って立ち入り禁止となるかもしれない。こんな「時代遅れ」で割に合わないシステムに、日本の政府と主要な産業者たちは、巨艦主義でやったときと同じように、まだしがみついている。今回はチェルノブイリという「先輩」がいたけれど、それでも世界で二番目に、原発というシステムが役に立たず危険であることを証明することに成功した。そして、太陽光やら地熱やらを使った新しい発電システムの優れた技術も持っているし、その技術革新レースで優位な位置にいることも事実だろう。にもかかわらず、自律修正が効かない日本政府は、またもやカタストロフィめがけてまっしぐらに突っ走っている。これを止めないと、戦争を止められなかった昭和初期の人たちとまったく同じになってしまう。

2012年4月2日月曜日

京都のがれき受け入れ

京都が瓦礫の焼却を受け入れる話が出て来た。正気の沙汰ではないと思った。

京都は日本の古都であり、観光地として世界的に人気がある。日本に遊びに来たいと思った人たちは、放射能は怖いけど西日本なら大丈夫だろう、とまだ安心できたはずだ。

東京の高級食品店やスーパーでは、京野菜が大人気だ。

京都のドル箱2つをみすみすドブ川に捨てる行為、それは瓦礫を京都で燃やし、その灰を京都で埋めるという愚行だ。

京都の人たちは革新的な考えの人たちが従来は多く、進んだ思想の持ち主、文化人が多い場所でもある。彼らが、進んで瓦礫の引き受けを申し出たとは考え難い。実際、細野大臣にモノを投げつけたりして、反対の意思を強く表明している京都の人もいた。(イギリスだと、生卵をぶつける。例えば、昨年、英国の大学の学費が3倍に跳ね上がった時、学生のデモがロンドンであったが、そこにたまたま通りかかったチャールズ皇太子の車にたくさんの卵が投げつけられたことがあった。)彼らの落胆、悲しみは共有できる。

ヨーロッパの脱原発:ドイツとイタリア

ドイツとイタリアは、福島の原発事故を受けて、脱原発に大きく舵を切った。よく考えると、この二国はチェルノブイリ原発事故でホットスポットとなった国だ。偶然ではないと思う。

その他のホットスポットとなった国としては、スェーデン、トルコ、ブルガリア、ルーマニア、オーストリア、スイス、ポーランドなどがある。これらの国も、福島の事故を聞いて、かつて味わった悪夢を思い出す事だろう。

2012年4月1日日曜日

チェルノブイリのホットスポット:イタリアとドイツ

1986年のチェルノブイリ原発事故から一年後に、この事故を特集したNHK番組が作られていたことを知った。その再放送が、先日(例によって真夜中に)流れたので、鑑賞してみることにした。とても驚くべき内容だったので、ここにまとめてみたい。

まずは「ホットスポット」という言葉がすでに登場していたことに驚いた。もちろん、今では多くの人が、「ホットスポット」の概念は、そもそもはチェルノブイリ事故からの応用だということをよく知っているだろうから、それほど驚かない人もいるだろう。しかし、その距離的感覚は、せいぜいベラルーシやウクライナといったチェルノブイリ周辺の旧ソ連地域に限られていると思っているのではないか?この番組で紹介されていたホットスポットは、もっと広大な地域、つまりヨーロッパ全域に関するホットスポットだったことが、私の二番目の、そして最大の驚きだった。そして、その汚染の度合いは、どうやら現在の郡山や日光付近の放射能汚染と同程度だ。つまり、相当強いホットスポットが、西欧州にも広がっていたということだ。この番組があったにもかかわらず、イタリアやドイツに生じたホットスポットについてはあまり知られていないと思う。

まずは、空気の流れによってどのように放射能プルームが広がったのかを計算した図を見てみよう。これは、当時の日本の気象庁を初め、北欧や米国の国立気象研究所が流体計算に基づくシミュレーションを行った結果をまとめたものだ。(今となっては貧弱な、1980年代当時のコンピュータでもこれだけ速く正確に計算できるのに、現代の並列化スーパーコンピュータを利用したSPEEDIの計算が事故の解析に使えないわけがないだろう、と叫ぶ人は多いだろう。他国の解析はこれだけ熱心なのに、自国の事故の分析は隠すのが日本政府の正体なのだろう。)

チェルノブイリからの放射能プルームの流れのシミュレーション。
最初に私の目を引いたのは、イタリアの名勝地Comoだ。湖の青さ、ドロミテ山脈の高さと美しさ(そしてイタリアのドライバーのメチャクチャさ)が素晴らしい。(湖の脇をうねる長いトンネルで何度も追い抜かれた。)コモはヨーロッパ最高の観光地の一つだ。007のCasino Royaleの最後のシーンも確かComo lakeで撮影したはず。この美しい湖のある街が、30年前、セシウムで強く汚染されホットスポットと化してしまったというから、驚いた。
Comoで1987年に測定された、土壌のγ線スペクトル。
セシウム134と137が顕著だと指摘している。
この汚染の度合いは、現在の郡山と同じ程度。
Comoにはミラノ大学で知り合った友人たちが住んでいるし、5年程前に研究会でイタリアに言った時、車で通った場所でもある。ここで素晴らしい時間を過ごすことができたのはいうまでもない。イタリア料理も食べたし、空気も水もおいしかった。(Comoの近くにあるBelgamoではミネラルウォーターの世界的なブランドになったS.Pellegrinoが生産されている。)英国の同僚達も口をそろえて、ニースやカンヌなどのある南フランスよりもコモはすばらしい、と言っていた。

先日、英国に行った時、偶然イタリアの友人に再会した。彼に話を聞くと、確かに小学校の頃、地域に立ち入り禁止区域があったり、食品規制があったという。しかし、それはすぐに無くなって、高校大学に進学した頃にもなると(つまり、10年ほど前?)、もう誰も放射能のことは気にしなくなったという。彼の話では、ミラノ周辺で放射能による健康被害が問題になったことは、未だにないそうだ。

チェルノブイリの事故があったのが25年前だから、ほぼセシウムの半減期にあたる。Como周辺に降り注いだセシウムの量は今ややっと半分になったというのに、事態はそれほど深刻化していないようだ。すでに10年前から食品規制はなくなり、ヨーロッパのみならず世界中に食品を輸出し、観光客を招き寄せるようになった。私もこの地域の食品をたくさん食べて飲んでしまったし、訪問までしたんだから、まちがいなくチェルノブイリのセシウムを摂取してしまっただろう。私だけでなく、世界中の人たちがComoの食品を食べ、飲み、そして観光のために訪れている。これは、「30年はもつ」という風に解釈すべきなのか、それとも「意外にセシウムは怖くない」と解釈すべきなのか?非常に迷う。

ヨーロッパのホットスポットはComoだけではない。ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーン、そしてスイス全域など、観光地で有名なアルプス周辺の地域や国がホットスポットとなっていた。今、それを気にする人はほとんど誰もいない。(ウィーンには去年いってきた...J.シュトラウスの像のある公園で、まずいソーセージ料理を食べたりもした...)ミュンヘン工科大学の教授が先日京都に来た際に話した感じでは、彼はミュンヘンがホットスポットとなっていることすら気付いていない。

80年代は、ガイガーカウンターも大型で持ち運びしにくく、また高価な製品だったので、今のように市民が測定する事は難しかった。そのため、詳細な汚染地図がつくられなかった可能性が高い。だから、人々は汚染の事実に気がつかないまま時が過ぎてしまったのではないだろうか?にもかかわらず、ミラノでも、ミュンヘンでも、ウィーンでも、スイスでも、際立った健康被害は報告されていない。私が思うに、じわじわと増加する乳がんや前立腺がんの原因の一部になっているかもしれないが、それは決定的な原因とはまだなっていないように感じる。半減期を過ぎた頃にそれは現れるのか、それとももうセシウムは怖がらなくてよいのか?まったくもって謎だ。

一つの説としては、陸上の汚染は植物に移行しにくい、というのがあるかもしれない。土壌が汚染されても、植物はその全てを吸収できないので、人間の体にはなかなかセシウムは入って来ないという考え方だ。今Comoやミュンヘンの土壌のγ線を見て、はっきりとしたセシウムのピークがあれば、この考え方でいけると思う。興味があるのは、Como lakeの魚の汚染だ。セシウムの解けた水を直接吸い込む魚介類は、陸上の汚染に比べて遥かに汚染が深刻になる傾向がある。

とすると、日本の場合、陸上の汚染はしばらくは続くだろうが、10年も我慢すれば、イタリアやドイツのように切り抜けられるのかもしれない。しかし、海の汚染に関してはチェルノブイリの事故は我々にあまり教えてくれない。原子炉から直接汚染水を1年以上も垂れ流し続けた事故は、福島が初めてだ。太平洋や東京湾の魚介類の汚染こそが、今一番恐れなくてはいけないことなのかもしれない。