2012年6月30日土曜日

4号機の燃料プールで冷却システムが停止

東京新聞の夕刊の記事に、福島第一原発の4号機にある燃料/使用済み燃料の保管プール(これは倒壊すると日本が終わると言われている)の冷却システムが午前6時半頃に停止した、とあった。冷却ができないと、水がそのうち沸騰して、核燃料のメルトダウンが始まってしまう。そうなると、プール倒壊と同じことになって、日本存続の危機へと陥る可能性がある。

現状では、プールに水はあり、その温度はまだ低いようだ(30度強)。別系統で冷却する可能性を検討しているらしい。

絶対安全、10万年でも100万年でも事故はおきない、としていた原子力発電所だが、今月だけで、もう二度も冷却システムは停止している。大飯原発の安全性を「保証」した政府だが、そんなことやる前に、福島原発の安全の保証について全力を注いでもらいたい。二兎を追うもの一兎も得ず。というより、マイナスか(つまりお化け兎54匹!)。

追記:新しい情報(30日の午後7時頃)によると、東電は、予備の冷却システムの起動に失敗した模様。危機的な状況にならなければよいが。現在の水温は36度弱。この一日で、1時間あたり0.2度強温度は上昇した模様で、単純計算だと、あと320時間(つまり2週間)で水の沸点(1気圧)に到達してしまう。7月の半ばに山場を迎えるような事態にならねばよいが....

「内部被曝の真実」より:チェルノブイリの甲状腺癌

チェルノブイリ事故から5年後、甲状腺癌がベラルーシの若者の間で急増した。これを、原発事故とは因果関係がないとして、学会は退けた。とくにロシアの学者たちは。

20年後の統計で、ついに甲状腺癌と原発事故の因果関係がWHOで認定された。このとき、事故当時幼児だった大勢の子供達はすでに甲状腺癌を発症して苦しんでいた。証明されるまでに時間がかかりすぎたということだろう。

その貴重なデータが、児玉氏の本には掲載されている。重要だと思うので、そのデータをまとめ直してみた。ベラルーシにおける統計で、10万人における甲状腺癌の発症確率の臨床結果、つまり事実である。

ベラルーシにおける甲状腺癌の発生率。
「内部被曝の真実」から引用。

事故当時、14歳以下だった幼児や児童たちが最初にヨウ素131の餌食となった。その発生ピークは事故から10年後の1995年。青春のまっただ中での発症はそうとうつらい経験だったはずだ。

彼らの苦しみが終わりかけた1990年の後期からは、今度は事故当時15歳から19歳だった、いわゆるハイティーンの少年少女たちの発症が始まる。彼らが中年にさしかかったあたりでの発症だ。

そして、事故当時20歳から30歳前半だった若者達の発症は、まだ増加の途中にある。事故から20年たち、中年から壮年となってからの発症だ。

福島原発の事故が発生した昨年に、これらの年代にあった東北から関東にかけての若者は、チェルノブイリと同じ恐怖に曝されたことになる。東京の人口を1000万人とすると、10年後の2020年頃、20代の若者の甲状腺癌の発生がピークを迎え、その数は数万人に及ぶ可能性がある。関東全域では十万、東北を入れたら数十万人近い若者が喉に手術痕をつけることになるかもしれない。そして、その10年、20年後に今度は働き盛りの中年や壮年たちの発症がピークを迎えるだろう。

忘れてはならないのは、セシウムによる健康問題はさらにその後に出番を待っているということだ。遺伝子レベルの損傷もあるので影響は数百年続くあろう。そして、下手すると日本人が滅びる原因になってしまうかもしれないだろう。佐渡島のトキのように。

「内部被曝の真実」を読む:トロトラストとは何か?

内部被曝の真実 (児玉龍彦 著)幻冬社新書228(2012年9月初版)

児玉氏の有名な国会演説を文書化したもの。加えて、補足などが付け足されている。役に立つのは、第二部、第三部、そして第四部。

まず、第二部で登場した「トロトラスト」について。これは肝臓に蓄積し、発ガンを促すとある。ヨウ素は甲状腺、セシウムは膀胱と続いて説明がある。

トロトラストについてネットサーチをかけてみた。原子力関係の政府機関のホームページに、こんな記事があった。それによると、これは二酸化トリウムのコロイドのことだという。

トリウム(Th)というのは放射能を持つ重元素でα線を放出する。Th-232は天然に豊富に存在する。その半減期は140億年超。ただ、トリウムは中性子を吸収して、ウラン233(U-233)になることができる。U-233は天然には存在しないが、連鎖反応を起こすことができるので、ウラン235の代替核燃料として有望視された/されている。

トリウムは重元素でX線の透過を弱めるため、X線撮影の造影剤として利用されたことがある。それが二酸化トリウムのコロイド、すなわちトロトラストだ。ドイツの医薬会社が1929年に開発した。撮影したい患部に注射などによって埋め込む。

トリウムはα線源だから当然内部被曝の影響は大きい。発明から20年ほど経った頃、ようやく問題が指摘された。肝臓や精巣に沈着してしまうとほとんど排出されることはないことも判明した。長期に渡る内部被曝の結果、肝臓がんや白血病が生じる。精巣に沈着した場合は、DNAを傷つけるため子孫に遺伝障害を残す可能性も議論されている(が、その性質上、結論は数百年後にならないと出ないだろう)。

体内に注入後、どの程度の期間を経て発症、死亡するかというデータはグラフにまとめられている。
http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/09/09030111/06.gifより。
やはり内部被曝というのは半世紀ほどかけて、じわじわ人間の健康を害するのだな、と感じた。さらに、その間に遺伝子の伝搬、つまり子供が生まれてしまうと、その子供達は遺伝障害を引き継いでしまい、100年単位で影響が広がるおそれがあるという恐怖。自分の祖父や祖母が、昭和の初期にトロトラストを注入されて検査されたならば、その影響が知らないうちに、自分の両親を通じて、自分自身の体の中に埋め込まれていることになる。「遺伝子が傷つく」ということの恐ろしさを感じた。

指数関数的爆発:大飯原発再稼働の反対デモ

毎週末、大飯原発の再稼働に反対する人々が、官邸前に集結している。その数はついに4万人に及んだ。昨日も大勢の人が官邸前に集まったと東京新聞が報じている(20万人!)。これだけの人数の人がデモを行っている写真を報道したのは、初めてなんじゃないだろうか?

「膨れ上がる再稼働反対」の記事より
これをみて物理学者なら、「相転移」か「指数関数的爆発」という概念を想起するのではないだろうか?イメージでいうとこんな感じだ。
指数関数的爆発と相転移の概念図。
単位は適当にとった...
両者とも時間0を境に様相が変わる現象のことだ。時間0のことを(大雑把に言って)「臨界時間」という。

昨年あれほど低調だった反原発の意見は、いまやこれだけの大人数が、官邸前にわざわざ電車を乗り継いで遠方からやってくるまでに成長した。これは、相当な数の日本人がポテンシャルとして「再稼働反対」の意見をもっていることの反映だろう。「潮目」は変わったと思う。

実は、原子炉も「臨界」現象を利用している。核反応の始めでは、原子炉から漏れ出る中性子線の方が多く、投入した中性子の数に対して出てくる中性子の数の方が小さい。この状態でなにもしないと、反応は止まってしまう。しかし、核燃料棒を接近させたり、制御棒を引き抜くことで核分裂の反応率を上げると、連鎖反応によって飛び出してくる中性子の方が増えてくる。投入する中性子と、出てくる中性子の数が等しくなったときが、臨界状態だ。これを越えると、反応は爆発的に進み出す。原子炉なら暴走するし、原爆なら炸裂する。

臨界をちょっとでも越えると、制御が不可能になる。反原発の波を伝搬させるためには、なんとかしてこの「臨界」を越える必要がある。一方、当局もそのことはよくわかっていて、臨界に到達する前になんとか手を打とうと躍起になっている。臨界を過ぎてしまうと、当局が何をやろうと国民の勝利は確実となるからだ。

相転移や指数関数的爆発の現象は、「不幸の手紙」や「ねずみ講」と同じで、噂が噂を呼ぶ形で増大しいていく。したがって、その爆発的増加を止めたいとするなら、参加者が少ないうちに横のつながりを切ってしまえばよい。よくやるのは、「リーダーの検挙」や「首謀者の曝し首」というやり方だ。(そういえば、昨日、俳優の山本太郎氏の姉が大麻所持で逮捕されたが、これは公安が脱原発運動の中心にいる山本氏の周辺のあら探しを執念深くやった成果なのかもしれない。彼らは必死なんだろうが、ここまでくると山本氏を潰した所で、反原発の流れにはなんの影響もない。)たとえばアリの群れに襲われたとしよう。一匹のアリが体によじ上るうちに、二匹以上潰すことができれば撃退可能だが、それが逆転するとまずい状況となる。しかし、そのような「危機的」状況でも、アリのリーダー(女王アリ?)をやっつけて群れ全体の団結を消滅させれば、なんとか窮地を脱することができるだろう。

アリに襲われた人にとって最も恐ろしいのは、群れ全体が敵意を持っていて、個々のアリだけではなく、女王アリを潰しても、群れの襲撃が止まらないときだ。インターネットというのは、そういう「中心」を持たない集合体といえる。元々、核攻撃に遭っても機能を失わないよう中心を無くしたネットワーク構造として冷戦中に開発された概念だ。(そういう意味では、東京に政治経済の機能を一極集中させた日本を壊滅させるのは、非常に簡単。大地震でもよし、大津波でもよし、核爆弾一発でもよし。太平洋戦争でも、米軍のとった「飛び石作戦」により、南太平洋の島々をつなぐ拠点を撃滅されてはネットワークを寸断され、その度に日本軍は勢力を削がれた。)中心を持たない集団に襲いかかられると、体制は意外に脆い。どこを攻撃していいかわからなくなるからだ。ハッカーの集団も似たようなもので、能力の高いハッカーがネットワークを通じて緩く結びつくと、その対処は非常に困難だ。やっつけてもやっつけても、四方八方から攻撃がやってくる。

相転移や指数関数的爆発によって、中心が無くなり、集団性が高まると、「国民の意思」を無視し続けることは容易ではなくなってくる。国民を無視し、やりたい放題の政治家と官僚、そして財界の「暴走」を止めるには、群れになって彼らに襲いかかるのが最強の攻撃方法だ。臨界を越えさえすれば、個性は消えるので個人攻撃に曝されることもなくなるだろう。安心して官邸や国会に赴き、声を上げて本心を語ることができる。日本を、そして日本人を喰いものにしているごく少数の特権階級の人々に対し、最後のトドメを刺す日は近いような気がする。




2012年6月28日木曜日

旅行メモ:(4)ホテルにて

これだけトラブルが続出する旅行は久しぶり、というか滅多にない。最後は、ホテルのレストランにて起きたトラブル。

バナナが朝のビュッフェにおいてなかったのだ。バナナを食べないと調子が出ないので、英語で「バナナを明日の朝食には用意しておいてほしい」と要望したのだが、なぜかむっとした店員は、「無理だ」の一点張り。なんとかなだめすかしたが、嫌みな感じで最後は「わかった。考えておく」と去っていった。

翌日、この店員はいなかった。バナナもなかった。別の店員に聞くと、そんな話は聞いてないという。無視されたわけだ。日本のホテルなら、こういうことはまずないだろう。というより、こういう無理を聞いてもらうときは、フランス語で言うべきなんだろう。前の日の店員は、フランス人の客にはやたらと愛想がよかったような気がする。

少なくとも、BonjourとかBonsoirくらいは自然に口から出てくるようにしておいた方がいいだろう。思わず、HelloとかGood eveningとか言ってしまったら失敗。

旅行メモ:(3)ジュネーブのトラムにて

ジュネーブには路面電車(トラム)が走っている。研究所の前にも駅があって、ここから都心に出る事ができる。日曜日、やることがないのでジュネーブの中心地の博物館にいってみる事にした。

トラムの駅は無人駅だ。そして、券売機のみが切符を買う手段となっている。日本やイギリスのように、車掌や運転手が切符を発行してくれるということはない。

この日、2台あった研究所前の券売機は見事に両方壊れていた。この状況で、どうやって都心までトラムに乗っていけばいいというのか?私の他に、スペイン人の老夫婦、そして国籍不明の手品師みたいな格好をした男、そしてやんちゃ坊主の兄弟をつれた太めのお父さんがホームにいた。だれもフランス語を喋れないのが大問題だった。

トラムの運転手は英語を喋れない。困った我々は、まずは自分の言葉で相手に話しかける。スペイン語で日本人に。英語でスペイン人に。と言った具合だ。もちろん通じない。そこで、身振り手振りを交えたジェスチャーでコミュニケーションが始まる。おもしろいことに、これが結構通じる。運転手に金をちらつかせ、切符が欲しいとジェスチャー。「駄目」とバッテン印を手でつくる運転手。お願いお願いお願い、と両手で拝んでみる。「駄目」と運転手。日本人が失敗したので、今度はスペイン人がチャレンジする。撃退された。次の手品師....などとやっているうちに、研究所の研究者がやってきて、「隣りの駅は歩いて2、3分だ。歩いていって、そこから乗ればいい。あ、お札は使えないから、そこのガソリンスタンドで両替してからいったらいい」と英語でアドバイスをもらった。英語が喋れない「仲間達」に伝えようとしたが、なかなか伝わらない。何度か意味のわからない会話を互いに繰り返した後、自然とそれぞれの方法で乗り切ることとなり、皆いろいろな方角へと散っていった。

私はガソリンスタンドにいって両替し、次の駅まで歩く気持ちでいた。駅に戻ってみると、スペイン人夫婦がなぜかトラムの乗り込んでいる。慌てて中に入って、「どうしたのか?」とジェスチャーで聞いてみると、どうも誰かが運転手と交渉して、次の駅まで無料で連れて行ってくれることになったようだ。そこで切符を買えというわけだ。スペイン人の手招きで彼らの横に座ったとき、トラムが動き出した。他の「仲間」も慌てて走りよって来て、みなトラムに乗り込んだ。

次の駅では、なぜかだれも下車しなかった。次の駅の機械も壊れているということを、事前に皆掴んでいたようだった。私もかれらの一挙一動をよく観察して、不思議とそれを見抜いた。

次の次の駅でトラムは停車した。切符を持たない私たちは、なんの説明もなかったが、自然とホームに下りて券売機で切符を買った。「手品師」だけが、札ビラで切符を買おうとして困ってしまったが、それを子連れのお父さんが助けた。うまい具合に両替してあげたのようだ(もしかしたら、ちょっと足りなかったかも)。この間、列車はずーっと止まっていたが、乗客は辛抱強く待ってくれて、誰も文句をいわなかった。ヨーロッパではこういうことは日常茶飯事なのかもしれない。

ジュネーブの駅で券売機が壊れていたらどうするか?隣りの駅まで歩いていってそこで買え、である。平均的に、駅と駅の間は結構近いようだ。ジュネーブは国際都市だが、結構こじんまりしていて歩きやすいのだ!それからもうひとつ。「フランス語は勉強しておくべし」である。困った時、いつでもジェスチャーだけで乗り切れるとは限らない。少なくとも運転手に「券売機壊れてるよ。次の駅まで乗せて」くらいは言えるようにしておきたい。(ちなみに、今私はこれを喋ることができない...深い反省。)

旅行メモ:(2)ルフトハンザ


フランクフルトの巨大な空港を駆け抜けた後、もうひとつの罠が待っている。飛行機がターミナルに乗り継いでいない場合があるのだ。この場合、バスに乗って滑走路横にとめてある飛行機まで移動する必要がある。その昔、空港の建物が小さかった頃、よくあったパターンだ。それでも、普通はバスで5分も走れば飛行機に連れて行ってくれた。

しかし、フランクフルトでは、バスに乗って30分近くも移動することがある!巨大な空港だけに、滑走路も巨大。したがって、そこまで辿り着くのに何キロも先まで移動する必要があるらしい。普通は空港建物を巨大化することで、バス利用の廃止を実現しているわけだが、フランクフルトの場合、巨大化してもご利益がない場合があるらしく、これには驚かされた。

移動に30分もかかるので、そう頻繁にゲートからのバス送迎はやってくれない。つまり、離陸の40分ほど前に出発する送迎バスに乗り遅れると、たとえゲートの前に出発の35分前にやって来たとしても、もう飛行機には乗せてもらえないのだ!この恐ろしい状況を、私は経験してしまうはめになった。2分の差で乗せてもらえなかったのだ!

実は、ゲートの前には随分前に到着していたのだが、長い通路を走り階段を駆け上った結果、汗だくになってしまった。そこで、水を買いにいきたかったのだ。ルフトハンザの係員に、何時までに戻ればいいのか聞いてみた。彼女は「7:10頃までに戻ればよい」といった。そこで、7:10きっかりに戻ってみると、驚いたことに「あなたは乗り遅れた」と言われたのだ。納得いかないので理由を聞くと「7:08に最後のバスが出たから」と言う。

こんないい加減な話あるだろうか?というか、バスの運転手がものすごく時間に正確なのに対し、客と応対する地上業務員が時間にいい加減であるというアンバランスが問題だ。どちらも正確、あるいはどちらもいい加減ならば、結局は飛行機に乗れるから文句はないのだが、このミスマッチのせいで飛行機に乗れなかったから怒っているのだ!融通が効かない生真面目さと、意外に粗雑でいい加減という相反する性質が、現代のドイツにはあるのだろうか? ちなみに、あの故障していたエレベータはドイツ製なんだろうか?

ちなみに、隣りのカウンターに座っていた男性係員はすごく親切で、端末を敏速に操作して、速やかに次の便の情報を教えてくれ、どこで発券手続きをしたらよいかアドバイスしてくれた。発券カウンターではものすごく時間がかかったが、特別扱いしてくれて1時間後の便に潜り込ませてくれた。しかし、無料で発券はしてくれなかった。彼女にはそれをする権限がないからだという。「申し訳ない」といいながらも、ここで彼女の上司と話をして時間を潰してしまうよりも、若干の出費をしても速やかにスイスに移動したほうが得策だろう、とばかりに話を先に進めていく。まあ彼女の術中にはまるのもよいだろうと判断。いったんは追加料金を払って次の便に乗ることにした。この判断は良かったと思う。その後、問題なくジュネーブまでたどり着くことができたし、上空から見えたアルプスの嶺とその手前に横たわるレマン湖の緑色、そして山脈に漂う白い筋雲を見た時、嫌な気分は完全に吹っ飛んだ。おまけに晴天。青空が素晴らしい。ルフトハンザも悪い所ばかりじゃないな、と気分に少し余裕ができた。

とはいえ、ここで引き下がるわけにはいかない。後でANAかルフトハンザの日本支店に文句をいって、追加料金を取り戻すことにしよう。ちなみに、ハワイのレンタカーでもめたときは、この方法がうまくいって全額返金してもらった。

旅行メモ:フランクフルト空港にて

きれいな景色に出会うと、その旅行は何倍も楽しくなる。逆に、嫌な人間たちに出会うと、その旅行は何倍もつまらなくなる。今回のスイス旅行では綺麗な景色を見る事ができてとてもよかったが、その分嫌な体験もたくさんしたので、トータルではプラマイ0だったかもしれない。次にこの地域に旅行に行くときは、これらの点に気をつけておけばトラブルを避けることができ、旅行がより楽しくなるだろう。
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フランクフルト空港は巨大だということを覚えておかないと痛い目にあう可能性がある。現に、今回の乗り継ぎでも、かなりの距離を歩いたし、最後は走らざるをえなかった。ターミナルAからBへの移動は本当に大変(その反対も)。

地平線に消え行くような、延々と続く長い直線の廊下の後(一応、歩く歩道はあるのだが、段差がキツいので荷物を運びにくいし、幅が狭いので追い抜きができない)、エレベータで3階分ほど上下に移動することになる。しかも、この日はこのエレベータが故障...狭い非常階段を、上り下りする人々が大きな荷物を抱えてすれ違うため、不便極まりない。成田のエレベータが全部故障している状況を想像できるだろうか?そしてこのエレベーターの後、再び長い廊下が現れる。脱力する人も結構多いのではないだろうか?

フランクフルトで乗り換える人は、ターミナルA/B間の移動があるかどうか事前に確認しておいた方がいいだろう。もし確認できなかったり、A/B間の移動があるのであれば、私だったら次は迷わずウィーン空港に変更する!(ウィーン空港は無線LANも無料で使える!)


2012年6月23日土曜日

スイスで研究会

現在、スイスに滞在中。驚いたことに、結構暑いし、蒸す天気。でも朝と夕はさすがに涼しくて気持ちよい。夕立が昨日きたが、今日はよく晴れた。この時期、日本の梅雨を逃げてくるのは正解だろうと思う。

マクベスの劇をみたChateau。

ここしばらくは、研究会で発表するための準備に追われていた。苦労の甲斐あって、なんとか内容をわかり易く整理するところまでこぎ着けた。あとは、どれだけジョークを散りばめるかだ。日頃の堅っ苦しい発表(まじめすぎる日本の会議)にうんざりきているだけに、今回は言えるだけ言わせてもらおう。

とはいえ、発表の準備だけでは息が詰まるので、付近の街にヨーロッパの友人たちと少し出かけてみた。今回はなぜかマクベスの野外劇。スイス在住の英国人たちがプロの俳優をロンドンから毎年呼んで開催しているとか。金持ちが多い感じがする。スイスは銀行家が多いからか?劇はレマン湖の湖畔を臨む小高い丘の上に建つ館(Chateau)の中庭にて行われた。劇の前にシャンペンとカナッペが振る舞われた。湖を見渡しながら、遠くに見えるモンブランを見ながらの食事。とても美味しかった!
モンブランとレマン湖
湖の対岸はフランスだという。そしてモンブランの左に見えた山岳地帯の町は、なんとEvianだという。ここで採水しているとのこと。現地にいけば、好きなだけEvianの湧き水を勝手に汲んでいいとか。今回は訪ねる時間がないが、今度行ってみよう。

Evianの村の遠景。湖の対岸にあたる。
夏至ということもあって、今ヨーロッパの日没はだいた9時半過ぎ。10:30頃まで薄明るいので、眠るのが遅くなる傾向あり。気をつけねば。

Chateauの様子。
途中、ブドウ畑とワイン農場の館の風景にも出くわした。広大な風景が目の前に広がっていた。スイスというと寒い地方という印象があっただけに、今回の天気といい、この広いブドウ畑といい、結構暖かい場所だということを知って驚いた。
広がる広大なブドウ畑。地平線のところにあるのが、ワインの醸造工場。

ところで、今日のシャンペンはフランス製。噂ではスイスのワインも結構おいしいらしいが、なかなか手に入れ難いという。英国人達もスイスワインはなかなかみつからないと漏らしていた。これだけひろいブドウ畑があるのだからないはずはない。多分、金持ち達が買い占めているのでは?

マクベスはなかなか面白かったが、英語が難しい。まだまだ不勉強。



2012年6月17日日曜日

「脱原発の日本へ」への修正

前の文章で、『日本人の血と肉を貪り喰って生き残った「政治家」と「官僚」と「財界」』と書いたが、修正しなくてはなるまい。彼らが貪ったのは日本人だけではなかったからだ。中国の人々、朝鮮半島の人々、東南アジア諸国の人々、そして太平洋の島々の人々の命と人生とを踏みにじったのが、昔の日本政府だ。


敗戦を切り抜けたその末裔は、再び世界に迷惑をかけようとしている。大地震や大津波が来る度に、原発が2基、3基と爆発してしまっては地球の環境は持たないし、なにより原発を使い続けると発生する「死の灰」つまり使用済み核燃料は、そのうちいつか人間の住む場所よりも広大な場所を占拠してしまうだろう。死の灰は、循環冷却水で何百年も冷やし続ける必要があるから、「採集処分場」というのは、ポンプで大量の水が循環する巨大なプールという形になる。首都高がボロボロになってしまったように、50年も経てばこういう構築物は必ず劣化し故障する。そのとき、処理場でメルトダウンやそれに相当する深刻な事故は起きるだろう。そうなれば、近隣地帯や太平洋を汚染する形で、人間の生活を脅かすはずだ。それは、日本に留まらず、世界的な規模での汚染になる。そうなれば、「世界のお荷物」とか「アジアの癌」などと、世界中の人に呼ばれることになるだろう。

菅直人氏は再び立つべし:脱原発の日本へ

野田首相とその取り巻き、そして自民党のほとんどは、グルになって国民主権の政治を踏みにじった。国民の声を聞いて政治を行うのが民主主義だ。だから、今の日本政府がやっているのは専制政治と同じだ。野田氏がどうやって原発事故の責任をとるというのか?そもそも、福島原発の事故に関して日本政府が責任をとっていると、福島の人々は感じているだろうか?

官僚や金持ち(財閥)の声だけに耳を傾け、国民の声を無視した時、日本は戦争に向かった。その結果、敗戦という大きな代償を払うはめになった。そして、日本人の血と肉を貪り喰って生き残った「政治家」と「官僚」と「財界」は、また再び同じことをやろうとしている。そして、またもや無知で無口で「従順な」国民はその血を無為に吸われつつある。

戦後60年の歴史の中で、この3つの「惰性」を止めることができたのは、菅直人氏だけだ。野田氏やその取り巻き、そして自民党が日本を動かせば、多くの国民にとって、この先待ち受けているのは、太平洋戦争直後に日本人が味わった「滅び」だけだ。

菅氏が再び立って脱原発を進めることを切に願う。日本は変わらなければ、その未来はない。

2012年6月9日土曜日

securitytokyoによる牛乳再測定:ポッポ牛乳はついに汚染される

securitytokyoが牛乳の再測定を行っている。

前回「不検出」だった野辺山ポッポ牛乳にセシウム汚染が確認された。もちろん、それはかなり軽微(0.14 Bq/kg)だったが。

おそらく事故直後は買い置き/貯蔵飼料を与えていたものの、これが切れたため新しい牧草に切り替えたのだろう。野辺山にはセシウムクラウドが到達していたという証拠なのか?それとも、東北/関東から購入した汚染飼料を与えてしまったのか? いずれにせよ、ヤツレンは対応が甘かったし、理解が浅かったので、気になっていた。その不安が現実のものとなってしまい、残念で仕方が無い。あのまま、注意深くやっていたら素晴らしかったのに。野辺山の牛乳はこれで「無汚染」リストから消えた。深く反省してもらいたい。

それにしても、securitytokyoは素晴らしい。


東京新聞の論説記事:大飯原発再稼働に対する批判

東京新聞の論説記事に、「政府による再稼働の判断は、拙い上に誤りである」という主張があった。昨日の古館伊知郎の番組でも(時間は短かったが)同じような主張がなされた:「日本はもう変わらない、というメッセージになった」。

代謝ができない組織は腐って朽ちる。それはあたかも、強度の放射線で破壊された生体組織のようなものだ。最初の代謝が起きるまでは「形」だけは停めている。しかし、数日程度で起きる皮膚の代謝、消化管表面の代謝などが始まった時に、ドロドロに腐って溶け落ちる。巨神兵が溶け落ちたときみたいに。

変わらない国は、新生などできない。

「早すぎたんだ...だめだ、腐ってやがる」

「大飯原発の再稼働が必要な理由」は論拠弱し

役人が作った作文を読み上げる口調で、総理大臣が「国民生活を守るため」に原発を再稼働したいと宣言した。あからさまな「嘘」だ。総理大臣や官僚達は、日本国民を見下しているように見える。日本人は彼らが思うよりずっと賢いし、いい知恵にあふれている。原発を使って国民生活を守るなんて安っぽい解決法なんかつかわなくても、日本人はもっといい方法で自分たちの暮らしを守っていける。

野田総理の会見を要約するならば、「1+1を計算するために、2基のスーパーコンピュータを24時間365日フル稼働させて、世界最高精度の結果が得られるよう尽力して参ります」と宣言しているようなものだ。1+1の答えを知らない人だけが、臆面も無くこういう会見を開くことができると思う。「裸の王様」ほど恥ずかしいことはない。

2012年6月6日水曜日

金星の日面通過

英国の冬。日の出は遅く、日没は早い。おまけに曇りがちで、ほとんど晴れ間はお目にかかれない。暗く、灰色で、惨めな季節だ。

1639年12月4日。こんな季節に、そしてこんな暗い北国で、ホロックスは金星の日面通過を待たなくてはならなかった。何年も何年も待ったその日がついにやって来た時、彼の鼓動はどれほど早く打っただろうか?そして、その日が明けた時、惨めな灰色の空が英国の地平線に覆いかぶさっていたのを見てどれほど落胆しただろうか?

日没のわずか30分前に、奇跡のように西に傾く夕日が雲間に現れた時、彼の興奮がどれほど高まったか想像するのは難くない。 そして、太陽の表面に黒いビー玉のような影が見えた時、彼の名前は永遠に歴史に刻まれることになった。その感動は科学者だったら理解することができるだろう。この瞬間、この宇宙の秘密を知っているのは彼だけなのだ。目の前に広がるイングランドの凍った大地に一人立ち、至福の時を過ごしたことだろう。

ホロックスの味わった感動には及ばないだろうが、今日(2012年6月6日)、人類史上7回目の金星日面通過の観測を通して、歴史上の科学者/天文学者たちと同じ喜びを共有することができ、本当に幸せに感じる。科学者じゃないと、この素晴らしさは判らないのだろうか?(とはいえ、かく申す私も、8年前の時は完全に無関心だったので、人のことはあまり言えないのです...)とにかく、少しでも見ることができてよかった。金星は本当に大きいと思った。

金星の日面通過(2012年6月6日)
黒点がたくさんあったので、金星の大きさがよくわかる。

ちなみに、ホロックスが信じた「金星日面通過の起きる日」を正確に予言したのが、ケプラーだった!つまり、宇宙の秘密とは、ケプラーの3つの法則と、それから導かれる惑星の軌道、そして太陽系の構造のことだったのだ。

2012年6月4日月曜日

まさかの「地形説」:東京のセシウム汚染の分布


豪徳寺、そして代々木公園のセシウムによる土壌汚染の結果をまとめた時、まさかの「地形説」を提唱した。その記事へのコメントに、TheNextWhiskeyBar さんからの情報が寄せられ、google mapの断面図を計算してくれるWeb pageを教えてもらった。このツールを使うと、東京の地形の高低が非常によくわかるので、放射能汚染の高低と関連があるか調べることができる。そこで、まずはベンチマークとして、東大(駒場)を選んだ。

駒場は平らだと思っていたが、昔の駒場寮があった辺りから一二郎池にかけてぐっと下る。この様子を見てみると、次のような結果となる。
駒場の断面図
上空から見た「切り口」地点は、次の図に示したように4点を選んだ。その端点として、一二郎池と野球場を選び、そこで土壌を採取した。野球場の向こうは駒場公園。前田家の屋敷跡があり、よく映画の撮影ロケに選ばれる(漱石の小説を映画化した松田優作主演の「それから」とか、最近では息子の松田翔太が主演した「ライアーゲーム」など)。この公園は東大の一二郎池に比べて約10m標高が高い。東大の野球場の標高もほぼ同じ。

断面図の切り口を上空より見た図。緑の線が銀杏並木に相当。
野球場と一二郎池は一キロ弱、高低差は約10m。まさかこんな微地形が原因で、250キロ先の福島第一原発からはるばる飛んで来た放射性セシウムの分布に違いがでるなんて、普通では考えられない。もしあるとするならば、経年によるセシウムの再循環、つまり水で流されたり、風で飛ばされたりして分布が移動し、濃縮されたり希釈されたりすることだ。だとすると、標高の低い一二郎池にセシウムが流れ込んで、標高が低い方が汚染が高くなるような気がする。

これらの測定ポイントでは線量も測定した。DoseRAE2とJB4020の結果は一致していて、どちらも0.11-0.12μSv/hだ。(ただし、野球場の近くではときおり0.15μSv/hあたりまで揺らいだりもしたが、しばらく置くと0.12に落ち着いた。)この数字だけを見れば両者に差はない。

さて、2つのポイントの土壌をベクミルで測定した結果を見てみよう。(ちなみに、この測定は柏で行った。)

東大(駒場)の土壌の測定結果
左が野球場近く、右が一二郎池の畔で採集したもの。
同じ東大(駒場)の敷地内なのに、大きな差が出た。汚染がひどいのは、標高の高い野球場だった。雨などによって標高の低い所に流れ込むというシナリオは、どうもここでは成り立っていないようだ。標高の高い野球場近くの汚染は、だいたい代々木公園と同じ程度だ。一方、一二郎池は皇居周辺と同じくらい。代々木公園は高台にあって、皇居は意外にも谷間にある。つまり、この結果だけみると首尾一貫して、東京の丘はレベルB(1000Bq/kg)以上の汚染で、谷はレベルC(300Bq/kg)以下の汚染になっているように見える。

結論を出すには、もう少し測定場所を増やして統計を増やさないといけないだろう。