2011年2月28日月曜日

天体核の研究会

とある天体核の研究会で話すことになった。発表の準備やそのための計算をするため、しばらく論文執筆はお休み。

天体核というのは天文学の分野の一つだが、恒星や超新星などで起きている核反応の研究を通して、どんな元素がどのくらいの割合で合成されたか/されるかを調べる学問だ。量子力学や統計力学、熱力学、更には相対論や素粒子論といった物理の手法をつかって研究が進められることが多い。

今回は特に「r過程」と呼ばれる、超新星爆発直後に起きるとされる、重元素合成に関する研究テーマに焦点が当たっている。r過程は寿命の短い不安定核領域を走る導火線みたいなもので、爆風によって物質が飛び散る時間と、原子核崩壊の寿命の兼ね合いで、どこまでこの導火線が伸びるか決まる。が、この二つの時間を正確に計算するのが容易なことではなく、毎年毎年、地道な努力が重ねられていて、今回の研究会もその一つだ。特にこの研究会では、金、銀、白金などの貴金属の合成過程に興味があるようなので、自分としては、そこに至るまでの前段階として、今話題の希土類(レアアース)の研究をしてみようと思っている。

どうして中国にばかりあって、日本にはないのか?とかいう話ではなくて、どうして宇宙全体にレアアースはあまりないのか、あるいは、宇宙には貴金属が比較的たくさんあるのはどうしてか?というレベルの話。

2011年2月26日土曜日

論文執筆

本当に久しぶりに、論文の執筆をしている。昨日までに、演算子に関する細かい問題がすっきりしたので、ようやく安心して論文を書く気分になった。理論のコア部分の数ページを、この4日ほどで書いた。本当は一日で片付けるはずだったのが、理論の細部の確認に思いのほか時間と精神力を取られてしまった。

研究は「精神力」と「体力勝負」だと感じている。そして、精神力は物理的な体力に基盤があることもわかった。そして体力の維持には睡眠と食事がとても大事だということも。きっと「人生のピーク」というのは、体力と精神力の積が極大値になるときをいうのだろう。

2011年2月25日金曜日

二体演算子も行ける!

ボゾンの場合は対称化、フェルミオンの場合は反対称化することで、二体演算子もベクトル空間となりうることが判明。鍵は粒子交換対称性。これがあるおかげでa+a+aaもベクトル基底に成りうる。ちょっと安心した。

2011年2月23日水曜日

第二量子化の生成消滅演算子を、ヒルベルト空間の基底と見なせるか?

第二量子化の表現をよく使うが、その演算子表現について、今までちょっと認識が足りなかったことに気づいた。特に二体演算子についての理解に問題があったと思う。

例えば、古典場をφと書くとする。最初に考えるのはこれを正規直交系で展開すること。つまり、φ=aifiとし、展開係数aiは内積を用いてai=<fi| φ>と計算される。

場を量子化するときは、展開係数のaiを量子化する。(この場合、aiは消滅演算子に対応する。)そうすると、あたかも展開係数が入れ替わったようになって、fiが展開係数のように見える。果たして量子化された場は、消滅演算子という「基底」によって線形結合されている、といえるのだろうか?つまり、この場合、量子場は、消滅演算子という基底によって張られたベクトル空間の要素と見なせるのかどうか?

今までナイーブに「見なせる」と考えてきたのだが、最近二体力の対称性を考察するときここが問題になり、困ってしまった。手近にある教科書で、生成消滅演算子からなるベクトル空間を考えたものがあるかどうか調べてみたが、見つからない。神保町の明倫館と書泉で(立ち読みで...)確認してみたものの、やっぱりそういう記述のものはない。そこで、仕方ないので自分で考えてみることにした。(ところで、書泉の物理書のコーナーに、ぶつぶつつぶやきながら立ち読みしている人がいた...自分もときどきやってしまうのだが、端からみるとちょっと怖かった。)

単なるベクトル空間というよりヒルベルト空間であるかチェックするべきなので、内積を定義する必要がある。これは交換関係を利用すれば「直交」の概念をうまくいきそう。実際「展開係数」は、<a+i|φ> := fiと書けて、展開の概念をひっくり返すのに成功した。

陪線形の一体演算子もこれに似たやり方でうまく「ひっくり返せる」。しかし、二体演算子がだめなのだ!

2011年2月17日木曜日

「月の科学」を読む

「新版 月の科学」竹内均、伊佐喬三著(昭和53年2月、NHKブックス)
昭和53年?1978年だから、かなり前の本だ。月に人類が到達してから約10年後、スペースシャトルの初飛行の3年前、ということになる。

実は、月の研究はここ数年で大きな進歩があった。一つは水の発見(学術論文はこちら)で、もう一つはヘリウム3の存在

前者は2009年に、NASAが月にぶつけた人工衛星がまき散らした月の土壌に水分子が含まれていたという発見のこと。とりわけ、太陽の光が永久にあたらない極地方のクレーターの影部分には、氷の形で水が大量に存在しているという観測結果が出たのは驚きだった。月面にこの水をもたらしたのは、太陽系を彷徨う無数の彗星だろう、と考えられている。月に移民したら、極の「氷」鉱山からの氷供給が重要なライフラインとなるはず。

後者のヘリウム3は、核燃料としての価値がある。ヘリウム3は希少な同位体で、地球上には、原子炉で作られたもの以外ほとんど存在しない。最近、ヘリウム3の超流動理論にノーベル賞が与えられたが、これも原子炉の実用化によってヘリウム3が生産できるようになったことによる。

月には大気がないので、太陽から飛んできた物質がそのまま岩石に吸着される。太陽はpp-chainと呼ばれる核融合を起こしており、その過程でヘリウム3をたくさん作ることができる。それが太陽の活動(フレアなどといった爆発的な現象)によって宇宙空間に飛ばされる(太陽風)。こうして飛ばされたヘリウム3が、この46億年間、月面に保存され続けてきたというわけだ。

実は、原子炉でヘリウム3をつくるのは手間がかかる。だから、原料としてヘリウム3から、核融合をスタートすることができれば、とても効率がよくなる。核融合炉はまだ完成していないが、いったん完成すれば、月に眠るヘリウム3は、原油なんかよりも、はるかに価値が高くなるはず。油田ならぬ「ヘリウム3田」が月のあちらこちらにでき、そこからヘリウム3を地球に輸入するための宇宙港が建設されるだろう。その周辺には大都市ができて、いまのドバイやカタールのように繁栄するのは間違いない。

「新版 月の科学」には、こういう記述はない。しかし、1978年までにわかっている事実だけでも十分おもしろい。それは、アポロ計画を筆頭とする月探査競争がとても重要な役割を果たした、ということでもある。最近、金星探査のために打ち上げた「あかつき」の失敗があったが、こういう失敗は、月探査を目指した頃の米ソはたくさん犯している。月を通り越してしまったり、月に激突したり、月についたのはよいが計測機器が壊れていたり、さらには、打ち上げ前に火事が起きてクルーが死んだりと、ありとあらゆる失敗を10年間やり続けた上で、偉大なる成功があった。そのことが、本書には淡々と書かれていて、ある意味感動した。

そして、アポロ計画に比べれば、スペースシャトルがいかに素晴らしいか、ということを再認識させてくれる。(しかし、今となっては、スペースシャトルも1980年代のテクノロジーであり、もはや30年前の古いものとなってしまった。あくまで、「アポロ計画と比べて」という意味。)

NASAの惑星探査のやり方が、月探査の経験を通して養われていったのは、間違いない。火星探査のやり方も、土星探査のやり方も、月着陸までの手順と瓜二つだ。そういう意味で、この「古典」はとても興味深い情報を提供してくれる。

月自体の記述は、やはり昔日の感がある。クレーターの成因について長年論争になっていたのは知っていたが、今ではあまり興味をもたれない。ただ、月の海が、古いクレーターの底に溶岩(玄武岩)が溜まったものだ、という説明は役に立った。望遠鏡で覗く時、半月とか三日月の際の「影領域」に月の海がくると、その縁の影が長くのびて、たしかにクレーターだということを実感する。実は、先月の半月において「危機の海」を見たとき、そう感じたのであった。また、Tychoやコペルニクスなど、「光条」を引いたクレーターは比較的新しいもので、隕石の衝突によって岩石が飛び散った様子がよく残っている、という説明も勉強になった。色が黒くないのは、岩盤を形成する斜長石がえぐられたままになっているからで、溶岩の噴出がないからだ。月の溶岩の活動はプロセラルム紀(30億年ほど前?)に終わっているようで、こういう派手なクレーターはそれ以後の衝突ということになるだろう。

巻末にある、惑星探査のまとめも面白い。1970年台の理解がどこまで進んでいるのか、よくわかる。水星の自転周期と公転周期の日がきっかり2:3だというのはおもしろい。たしか、カオス力学で出て来た共鳴という現象だと思う。土星のカッシーニの隙間がなぜできるか、というのも共鳴現象で説明できると記憶している。ただ、カオス力学は1990年代にならないと注目されないので、本書にはまったくその記述はない。

さらに、金星の磁場がないことが言及されているが、それは二酸化炭素のせいだ、とかいてある。これは間違いだと思う。実は、今でもこの問題には決着がついてないようだ。

同じ著者による「新々版」を読みたいところだが、竹内先生は数年前に亡くなってしまった。とても残念だ。

2011年2月11日金曜日

予言:携帯電話はなくなる

一年ほど前、英国から帰国して久しぶりに中学—高校時代の友人にお茶の水で会った。そのとき、「携帯をもってない奴と待ち合わせしたのは、何年ぶりだろうか?日本に帰って来たんだから、お前も早く買って、みんなに追いつけ。」と言われた。

待ち合わせの仕方(1980年代から1990年代まで):駅の特徴ある場所で、時間を決めて集まる。例えば、仙台なら「国分町の水時計前に7:00」とか。(まだ水時計はあるんだろうか?)

待ち合わせの仕方(2000年以降):携帯をかけて「いまどこ?モヤイの前?あっそう。あと2分でそっちへいくから。」などとする(らしい)。

最初に携帯らしきものを買ったのは1996年頃で、あえてPHSを選んだ。PHSの使える範囲は都市の中心部に限られていたが、大学周辺(渋谷区や目黒区)で使うだけだし、いわゆる携帯電話は料金が高いから嫌いだった。

私がPHSを買ったことを知った、どちらかというと保守的な私の家族は「そんな新しいものに飛びついて。お金の無駄使いじゃない?」などと私のことを馬鹿にした。が、私の使い方を見ているうちに、彼らもその便利さに気づきだす。

最初のPHSが壊れて「もう次は要らないかな。」といったら、家族の反応は「それは困る」だった。電子メールやインターネットが民間に導入されたのも、この頃だったが、やっぱり最初は馬鹿にするものの、私の使い方を見て学んでは、すぐに新しいテクノロジーにのめり込んだ。(ちなみに、携帯でメールする意味が未だに私にはわからない。そもそものメールの利点は「つかまらないこと/じゃまされないこと」だったからだ。)

英国に住んでいた頃は、pay-as-you-go,つまり日本語でいうところのプリペイド携帯を家族が購入したが、私は使わなかった。英国も携帯電話の料金は高かったし、日本の携帯に比べると一世代遅れた感じで買う気がしなかった。(最後にiPhoneがやってきたが、間もなくして日本に戻ることになった。)結局、英国に住んでいた10年間に、携帯嫌いが加速した。

昔の友人とお茶の水で酒を飲みながら、携帯の素晴らしさ、いかに日本の携帯事情が「進化」したかなどについて講義を受けながらも、私は反論した。「携帯の時代はもうすぐ終わるよ。かならず無料の公共無線LANの時代が来るはず」と。

あれから一年余り経つが、まず私の予言があたり始めたと感じたのは、日本の携帯が斜陽しはじめたことだ。i-modeとか、最近話題にならないじゃないか!友人が褒めちぎっていた日本のi-modeはiPhoneアプリの前に敗れつつある(既に敗れた?)。さらに、iPhoneと似たWirelessのiPod touchが出た。iPadにもwireless版がある。Steve Jobsはたぶん私と同じことを考えているんだと思う:もうすぐ携帯電話は無線LANにとって代わられる、と。

今日のNew York Timesにアメリカの公共無線LANネットワークについての報道があった。これは、まさに私(やジョブズ....)が考えている未来の方向性であると、密かに自信を持ったのであった。

ちなみに、潰れそうになりながらも、なんとか踏ん張っているPHSだが、最近料金が安くなったり、他会社にかけても一定時間は無料とか、いろいろ面白いサービスをやりだした。平成23年度の「新規事業」として、PHSに復帰するのも悪くないかも、と思っている。英国にいた頃は、携帯Skypeに興味があった。あれから2年ほど経つし、どの程度進化したか、ちょっと調べて比べてみようかと思い始めている。(外国人の友人はしつこくSkypeを使えと言ってくるが、まだちょっと面倒なので、よほどのことがない限り使わないようにしている。)

冬のカワセミ

東京に雪の予報が出ている。確かに今週は寒い。寒いと通りから人が消える。人が消えると、いつもは見えない風景が見えてくることがある。この度はカワセミのいる風景。一本の木に3羽もとまっているのは初めてみた。

慌ててカメラを持って戻って来たが、残念ながら一羽だけしか残っていなかった。でも、初めて大きく撮ることができた。あまり飛び回らないカワセミは、実は撮影しやすい鳥のひとつなんだと感じた。

ところで、写真を撮っている間に二回ほど魚を捕獲したのだが、動きが速すぎて写真に収めることはできなかった。ざんねん。寒さゆえ、次の捕獲まで待ち続ける元気なし。早々に退散する。


2011年2月6日日曜日

起動不可となったiMac G5についての現状

内部回路が埃だらけとなっていたiMac G5の修復だが、結論としてはSATAコントローラの故障、もしくはMBRの損傷ではないか?と疑っている。

まず、電源は入る。そして、その直後にリンゴマークはちゃんと出てきて、起動音のボーンという音もなるから、Firmwareからの初期化の呼び出しにはマシンがちゃんと応答していると思われる。(これをチェックするには、手動でOpen Firmwareのプロンプトを出せばよい。起動時にCmd-Opt-OFを組み合わせて押す。)

Open Firmwareのmac-bootが動き出すと、SATAコントローラを通してHDDのMBRを読みにいくはず。ここで問題が生じるから起動しないんだと思う。MBRに関しては、HDDのサルベージの作業中にまったく問題が生じなかったので、HDDの損傷が起きているとはちょっと考え難い(もちろん、まだ除外はできないが)。ということで、SATAコントローラの損傷の可能性が高いと考えている。

ちなみにインストールCDで立ち上げると、SATA HDDが認識できなかったから、ますますコントローラがあやしいと考えられる。(HDDを認識するだけならMBRは不要だろうから。)

基盤のチップを交換する技術はないので、とりあえずはここでお手上げということになる。が、一つ試してみたいのは、Firewireを使った外付けHDDからの起動。SATAコントローラが壊れても、これならiMac G5を使い続けることが可能かもしれない。また、FirmwareかUSBを通じてSATA HDDに接続できるような部品があれば、データの移動も可能かもしれない。

とりあえず、このiMac G5はお蔵入りとなった。

2011年2月2日水曜日

P67/H67の不具合の問題

インテルP67/H67チップセットを積んだマザーボードの販売が凍結されてしまった。SATAのI/O部分で不具合が見つかったとか。(まずい部分を回避して作動させることは可能らしいが。)

もしかすると、春になるまでi7-2600Kは動かせないかもしれない。ショックだ。

2011年2月1日火曜日

春の大曲線と土星

最近は土星の観測がしやすくなっている。夜12時頃になると東の空に上ってくる。今年はスピカと対で上がってくるので見つけやすい。

この時間帯は、北斗七星も北の空に高く上がっている。杓の柄にあたる滑らかな曲線は「春の大曲線」と呼ばれる目印の一部分となっていることを最近知った。これを使うと土星を見つけやすい。

杓の柄に沿って外側に飛び出していくような形で(つまり地平線に向かって)曲線を外挿する。すると、その延長上にとても明るい赤っぽい恒星が見える。それが、牛飼い座のアークトゥルス(0等星)。さらに曲線を延ばすと乙女座のスピカ(1等星)になる。スピカの真上にあるのが、土星ということになる。

カメラの望遠レンズで土星を撮ってみたが、さすがに輪は写らなかった。そのかわり、土星の横に2つほど小さな星が写っていた。もしかすると衛星かもしれない。望遠鏡で撮影してみたい。

2月1日のガリレオ衛星(と天王星)

このところ、毎晩、木星とガリレオ衛星の撮影をしている。いまこの時期、おまけとして天王星も撮影できる。今日は、4つの衛星全てが木星の片側(写真の下側)に来た。(が、ガニメデは木星に近すぎて写真には写ってない。)写真の下から、カリスト、エウロパ、イオという並びになっている。斜め下にあるのが、天王星。