2012年12月31日月曜日

時間反転操作と反ユニタリー性

Bellの不等式と並んで、J.J.Sakuraiの時間反転操作の章は、いつも理解するのに時間がかかり、そして、すぐに忘れる。さすがに今回は論文で使う事になったので、慎重に読んでいる。

反ユニタリー性...滅多に使わない、というか、久しぶりに耳にした。自分が使わないだけでなく、他人の論文や教科書でも出くわした事はない。J.J.Sakuraiだけに登場する(少なくとも私の場合は)。

ユニタリー変換...これは日常茶飯事の概念であり、量子力学の基本だ。ほとんどの対称性はユニタリー変換になっている。超伝導理論でよく使う、フェルミオンの準粒子基底への変換、ボゴリウボフ変換、もユニタリー変換だし、角運動量の理論で出てくる「回転操作」もそうだ。一言で言うと、ユニタリー変換というのは、内積を保存する変換のことだ。

反ユニタリーというのは、内積の絶対値を保存するという定義で、ユニタリー変換の反対というよりは、より広義に変換を定義したものというべきだろう。Sakuraiはさらに定義を拡張して、変換した後に、もともとの内積の複素共役になっているものを反ユニタリーと再定義している。一見抽象的で、「???」的な初期反応を示してしまいがちだが、この「複素共役」というところがとても大事で、この「無機質」で、純粋数学的な操作に、物理的な意味を持たせる企てだ、と理解すると納得しやすいだろう。

時間反転は反ユニタリー変換だ、というのが結論なんだが、複素共役の効果は、実は考えているベクトル空間の基底の選び方によって千差万別なので、基底がなにかよく見極めてから、時間反転の操作を定義しないといけないところが面倒くさい。つまり、うまく基底を選べば、時間反転操作もうまい具合に複素共役にできますよ、という話だ。これは、基底に依存しないユニバーサルな定義が可能な演算子や変換ばかりを習って来た「普通」の学生にはなかなか理解できないのだろう(私を含め)。

2012年12月30日日曜日

吹雪の霧ヶ峰

雨が2日続いた。この季節に。信じられないことだ。たしかに暖かい。気温は氷点下になってない。この間の大雪から一転して、「暖かい」冬になってしまった。楽しみにしていた山の雪も、白樺湖まで雨、という信じられない状況。駐車場は満車なのに、スキー場のゲレンデはガラガラ。おかしいなと思ったら、スキー場の客たちは「雨宿り」をしていたのだった...まことにお気の毒。土砂降りの雨の中、スキーをするなんてやったこともないし、見たこともない。普通は、吹雪いて大変だったとか、雪がひどくてレストランで休むとか、そういうのがいつもの風景だと思うのだが。

それでも、蓼科山や車山は鼠色の雲に覆われていたので、あそこまで登ればきっと雪になっているはずと期待し、登ってみる事にした。いつもなら、先日のように積雪にハンドルを取られながら、命がけで登る斜面の道も、今日は雨で路面が露出している。脇には先日の雪がうずたかく積もっていたので、辛うじて冬の景色は停めてはいたが。(それでも、前を走っていた三河ナンバーの車には大変だったようで、滑ったのか、その雪の中に突っ込んだ...) それにしても、富士見台まで登ってもまだ雨とは...霧ヶ峰の年の瀬に、雪じゃなくて雨が降るなんて驚きだ。

さて、さっきの三河ナンバーの車を抜いた後、車山肩の駐車場にて車を降りる。雨はようやく雪になった。駐車場は一応雪かきはしてあるものの、車を止めるスペースはほとんどない。一、二台で一杯一杯といったところ。もちろん、誰もいない。店も冬期休業中。

横殴りの吹雪が冷たい。気温が「高い」せいか、ビチャビチャの雪だった。すぐに靴とズボンが濡れてしまう。このまま頂上までいったら、遭難すること間違い無し。天候が回復する気配もなく、装備も弱かったので、30分ほどで引き上げる。車にもどり、紅茶を飲んで一息いれる。

それにしても、これが冬の霧ヶ峰? ちょっとイメージと違う。真冬の霧ヶ峰のさらさらの雪と、真っ青な空は次回以降のおあずけとなった。それでも、吹雪の中の散歩は、雨に降られてトボトボ歩くのよりも、ずっと楽しかった。

吹雪の霧ヶ峰。車山頂上を臨むも雪雲の中で見ること能はず。
柱の横に張り付いた雪で、吹雪の強さがわかる。

2012年12月29日土曜日

取手市の子供たちの心臓異常のデータの簡単な解析

取手の子供たちの心臓に異常が見つかるケースが急増している、という報道が最近あった。この報道にはデータが載ってなかったので、その実態がよくわからなかったのだが、この方のブログにデータが載っていたのでさっそく分析してみた。また、「異常」というのは、心電図の波形異常のことだという。

原発事故の前のデータが3年分載っていた。これは重要だ。それによると、毎年10人ほどが「異常」を示していたという。(なるべく古い過去のデータをたくさん集めて、その平均値やその揺らぎを割り出しておく必要があろう。)この3年間のデータの平均値を基準にして、2011年以降どれだけ「異常」が増えたかみてみると、確かに2011年に大きなジャンプがあり、その傾向が2012年にも継続しているのがわかる。しかし、定期検診は毎年5月頃に行うというから、2011年の「ジャンプ」は原発事故からわずか2ヶ月後に生じたことになる。いくらなんでも、これはちょっと早すぎるような気がする。

取手のデータは心電図波形の異常の割合。
チェルノブイリのデータは、甲状腺癌の発生の割合。
(どちらのデータサンプルも小中学生の年齢層に限られている。)
チェルノブイリのデータは、事故後の最初の3年間の平均値を基準にしてある。
取手の方は、事故前の3年間の平均値を基準にした。

チェルノブイリの甲状腺癌の発生の様子を同じ年齢層の場合に限って比較してみる。よく知られているように、この甲状腺癌はヨウ素131(半減期8日)という放射性物質が原因で起きる。ヨウ素131は半減期が、セシウム134(半減期2年)よりも短いので、その放射能は圧倒的に強い。にもかかわらず、最初の甲状腺癌の増加が認められたのは、原発事故から3年後の事だ。

甲状腺癌と心電図の異常という異なる「病気」の比較だから、本来は科学的なデータではないかもしれない。しかし、それにしても、立ち上がりの早さ、ジャンプの位置などを見れば、なんとなく「これは違うな」という直感を得る人は多いのではないだろうか?

普通はこのデータをみて、「取手のジャンプは2011年よりも前に起きた、何か別の事柄が主たる原因となっているのではないか?」と結論するだろう(もちろん、複数の要因が絡み合っている可能性はあるが)。

ただ、今後の推移には注意を払わなければならないだろうし、柏や松戸など周辺にも調査を広げて、より多くのデータサンプルを集めるべきだと思う。

追記:最近、子供の肥満が問題になっているというが、これが心臓疾患とどう関係があるか、慎重に吟味する必要があるように思える。汚染されたグランドで運動させないようにした結果、福島では子供の肥満が目立つようになったとも言われる。放射能の直接、間接的な影響、またそれ以外の影響など、この問題は意外に複雑だと思った。

雪の中央道を走る

笹子トンネルの天井崩落事故以来、中央道の下り区間も大月JCTから勝沼までが通行止めとなっている(上りは一宮御坂から大月JCTまで)。明日からは、笹子トンネルの下り線を対面通行にする形で部分開通させるらしいが、今日あえて国道20号を走るつもりで中央道を下ってみた。

最近、首都高4号新宿線は空いているような気がする。そして3号渋谷線は逆に混雑が増したような気がしている。名古屋から西へ向かう交通が、中央道を避け、東名に移ったからだろうと勝手に推測しているが、今日も4号線は実に空いていた。しかし、その快適なドライブも大月JCTまでだった。

八王子から山岳地帯に入ると、最初の「緊張」ポイントである小仏トンネルが現れた。事故以来、久しぶりの中央道のトンネル。やはり怖い。が、よくみるとこのトンネルは丸天井で、排気用の大型扇風機が天井に取り付けられていた。つまり、吊り天井式ではなかった。少し安心したものの、ちらちら天井を眺めるのは危ないので、速めの速度でとにかく通り抜ける事に専念する。この後、中央道は左ルート、右ルートに分岐するのだが、今日は右ルートを選んだ。ここは短いトンネルが集中して現れる。しかし、どれも丸天井だったので胸をなでおろした。なんだ、快適じゃないか、と安心したとたん、車線規制が突然始まり、いきなり一車線まで減少する。慌ててブレーキを踏んで、ハンドルを切る。富士五湖方面への分岐道へ誘導される。笹子峠を国道20号(甲州街道)で抜けるなら、ここ(大月)で下りる必要がある。ICの出口直前のトンネルで突然、前を走っていたバスがハザードランプを出して急停車した。渋滞がいよいよ始まったのだった。

高速道に発生した渋滞列の中で待つこと15分。ほとんど動かない。こんな調子で峠を越えるのは堪え難い。しかも地図をよく見ると甲州街道も結局トンネルを抜けることになるようだ。大渋滞のまま古いトンネルに突入し、そこで長い時間を過ごすのだけは、ご免被りたい。予定を変更し、河口湖まで行くことにする。

予定が変更された結果、河口湖ICで一般道に下り、国道137号で一宮御坂へ抜けるか、それとも更に西へ抜けて国道358号で甲府南を目指すか、あるいは更に更に西へ走って国道52号から中部横断道経由で双葉JCTに出るか、3つのルートのどれかを選ぶことになった。

このとき、NEXCO中日本が、迂回路として137号を推奨しているとは知る由もなかった。今さらながら調べてみると、河口湖ICを下りてから24時間以内に、一宮御坂ICで中央道に復帰すれば高速料金を安くしてくれるとか。どうりで、137号へ抜ける車が多かったわけだ。トラックなどは全部そっちへ行ってしまった。

私はというと、河口湖で下りたとき、間違えて139号を逆走し、西へ向かってしまった。たしかに、甲府は河口湖から見て西の方にあるのだが、137号に乗るにはいったん139号を東方面に「逆向き」に走らないと「正しい向き」とならなかったのだった。途中でこのミスに気づき、右折して河口湖大橋に抜けては見たが、この道がひどく渋滞していたので、「これは河口湖迂回ルートを選んだ車の大勢は137号を通るのだろう」と予想。137号で峠を越えるのはあきらめ、その手前で西湖、そして精進湖へ抜けることにした。

途中、河口湖の畔のカフェで休憩す。雪が降り始めてきた。河口湖大橋の袂にあったカフェは混んでいたが、ここは貸し切り状態。雪が降っていなければ、目の前の湖の向こうに富士が大きく見えただろう。吹雪になり始め、視界が悪くなってきた。富士の半分から上は白い靄に隠され、裾野だけが見えた。暖かいコーヒーを飲み干し、スコーンをほおばって、再出発する。

西湖は雪景色となった。岸辺の岩が妙にごつごつしているな、と思ったのだが、多分あれは溶岩だったんだろうと思う。精進湖の手前は、青木ヶ原樹海だということを忘れていた。久しぶりに訪れた深い樹海も雪に埋もれて白黒の世界と化していた。精進湖のところで、このまま西進して身延からの52号線へ行くか、それとも右折して358号線で峠を越すか、少し迷ったが、交通量が少なそうに見えた後者のルートを選ぶ事にした。吹雪は続いていたが、路面にはまだ積もっていなかった。これはこの後に現れる厳しい山道を抜けるには幸運だったと思う。

この山道に沿って、隠れ里のように深い山のなかにひっそり横たわっていたのが、上九一色村だった。初めて来たが、これほどの奥山だとは思わなかった。警察もここまでくるのは大変だったろう...サティアンがあった場所は、きっとさらに山奥だったはずだ。

上九一色を越え、古いトンネルをくぐると、目の前に甲府盆地が開けて来た。雪は小やみになっていた。甲府南から中央道に復帰する。これで一気に信州まで...と思ったが、双葉JCTを越えた辺りから再び雪が舞い始め、最後は吹雪になってしまった。乗用車とトレーラーの事故があったのは、八ヶ岳SAの手前。辺りは薄暗くなり、雪の白さが際立ち始めた。その景色の中に、非常灯火の赤い火花が幻のように列を成して光る。この辺りから積雪がひどくなり、ノーマルタイヤで走る関東からの乗用車は低速運転し始め、後方へと去っていった。ひどい積雪と吹雪の中、中央道をただ一人走ることになった(時折、諏訪ナンバーの車に追い抜かれたけれど)。日が沈むと気温がぐっと下がり、スタッドレスとはいえタイヤが微妙に滑り始めた。仕方なく速度を落とし、諏訪南まで雪の高速をひた走る。

原村は大雪だった。車を止めて、歩いてみる。ツルツル滑って、転びそうになった。犬は喜んで吹雪の中を走り回っている。車に戻り、試しに急ブレーキを踏んでみた。結構滑る。気温が下がり切ってないので、圧雪すると融けて滑りやすくなるようだ。これから暗闇のなかを、吹雪の霧ヶ峰に向かうのは狂気の沙汰のような気もしたが、久方ぶりの年の瀬の大雪を楽しまない手はない。大門峠を目指すことにする。

白樺湖までの道のりは、予想していたとはいえ、息を飲む道のりとなった。所々でハンドルをとられ、横滑りした。ヘアピン手前ではブレーキを掛けすぎないよう、そして絶対に止まらないように、空回りする車輪を回し続けた。下りの対向車線はスピードが出せず、大渋滞していた。大型のトラックとすれ違う度に、冷や汗をかいた。

雪はまだ降り続いている。ストープの揺れる赤い火が眠気を誘う。暖かい部屋の窓から、積もる雪を眺めるのは至福の時間だ。昨年の美ヶ原の経験が生きたと思う。今年も、これから足を伸ばして、雪の美ヶ原を再訪してみてもよいかも。真っ白の雪に覆われて、誰もいなくなった霧ヶ峰や美ヶ原ほど美しく楽しい場所はない。

年の瀬の夜の雪。

2012年12月27日木曜日

東京新聞の記事より:取手市で心臓に異常のある小、中学生が急増している件

信じられない記事が東京新聞から出ていた....

取手(茨城)に住む小中学生を対象にした心臓検診で、心臓に異常があると認められた子供達の数が、2011年を境に急増している、とのこと。

12月26日の東京新聞(茨城版)の記事より。
先日調べた印西市、関東のホットスポットとして有名な柏、松戸。これらの地域のすぐ近くにあるのが取手だ。この辺りは千葉、埼玉、茨城の県境が複雑に入り組んでいる。この辺りの地理に疎い人にとっては、千葉県の柏市と茨城県の取手市は、県が違うので遠く離れているような気がしてしまうが、実は利根川を挟んで隣同士に位置する街だ。つまり、取手もホットスポットの中にあるといってよい。

セシウム137の健康への影響については、チェルノブイリ原発事故では、当初過小評価されていて、「ヨウ素131の危険性に比べれば、あまり気にするな」といった対応が取られて来た。しかし、事故から30年経った今、当時10代の若者だった人々に心臓血管系の疾患が顕著に表れ出し、大きな注目を集めている学術論文はこちら)。実はチェルノブイリの事故ではセシウム137に比べて、セシウム134の放出量が少なかった。それは、核燃料をセットして間もなくして事故を起こしてしまったからと言われている。

一方、福島原発の事故では核燃料の使用期間が長かったため、セシウム134とセシウム137が、原発事故によって、ほぼ同量の割合でまき散らされた。(私の調査でも、初期に測ったγ線スペクトルは、セシウム134と137のピークの高さはほぼ同じだった。最近のスペクトルを見ると、セシウム134のピーク高の減少がはっきりわかる。)セシウム134の半減期は2年、セシウム137の半減期は30年、つまり前者の方が圧倒的に放射能が強い(比放射能の議論を参考のこと。セシウム同位体の比放射能のデータは米国Argonne国立研究所、ANLのデータを用いると、1300/88=約15倍ほどセシウム134の方が比放射能が強いことが確認できる)。

まとめると、セシウム134の影響は、日本の事故に特有の可能性がある。そして、放射性セシウムの放射線が健康被害を与えるのであれば、それは事故が起きてから2年程度で顕著になるはずだ。というのは、半減期30年のセシウム137が、事故から30年経とうしている今になってチェルノブイリの人々に毒牙を向いているからで、その類推から、半減期2年のセシウム134は、事故から2年ほど経過したところで人間に害を及ぼすと思われるからだ。それは、現在のチェルノブイリの状況と同じような状況、あるいはそれよりも悪いかもしれない。というのは、セシウム134は主に2本のγ線を出すからだ(セシウム137は一本)。一つはセシウム137のγ線より若干エネルギーが低いが、もう一つはずっと大きなエネルギーを持っている。

半減期が短く放射能が高い上に、γ線の数も多く、そのエネルギーも大きいとすれば、セシウム137のみで心臓病が多発している、と疑われているチェルノブイリよりもひどい状況が、思いの外早い段階で発生してもおかしくないだろう。

今回、取手市で、2年を待たずに子供達の心臓にすでに影響が出てしまった理由を考えてみろ、と言われたら、セシウム134の影響を除外するわけにはいかないだろう。

先日やった計算でも、ちょうど2年くらいで内部被曝は平衡値に到達する(計算はセシウム137を想定していたので、やり直しが必要だが)。様々な事実が共鳴しあっているように思えて来た。

2012年12月26日水曜日

足立区荒川の土手(堀切橋近く)の放射能汚染

youtubeのある投稿。これはすごい。先月の測定だというのに、1μSv/hを突破していく。3分および9分のところで、地面に線量計を近づけるシーンがある。放射線の検出音がけたたましく鳴り響いて止まらなくなる。恐ろしい。

汚染が一様に広がっているのではなく、部分的に汚染物質が溜まっている感じがする。

Clebsh-Gordan係数<jm00|jm>

久しぶりにWigner-Eckartの定理を使う。スピンに依存しない相互作用の行列要素の計算が目的。スピンが0だから、ランク0のテンソルと見なせる。このとき、状態の角運動量は相互作用の前後で変化してはならない、というのがWigner-Eckartの意味する所。Clebsh-Gordan係数はこのとき<JM00|JM>となる。これが実は1になる!

つまり、スピンに依存しない相互作用の行列要素はreduced matrix elementだけで書けてしまうのだ。ここで(JM)は2粒子の合成角運動量。

2012年12月24日月曜日

印旛沼周辺のセシウム汚染

8000 Bq/kgを超える高い放射能をもつ焼却灰が、手賀沼にある千葉県の下水処理場に運ばれることになったが、その背景にあるのが周辺地域に広がる「ホットスポット」だ。昨年の福島原発の事故によって飛散した放射能物質(死の灰)は、降雨によって柏や松戸周辺をひどく汚染してしまった。その汚染は福島周辺なみの非常に強い放射能汚染であり、人の立ち入りが禁止された場所も発生したほどだ。これだけ、大地が死の灰によって汚染されたら、草木や落葉の汚染も相当なものとなるはず。にもかかわらず、それを行政は焼却してしまった。焼却による濃縮効果によって、その焼却灰は手に負えないほどの放射能を帯びた。手賀沼の下水処理場に運び込まれているのは、このようにして「作ってしまった」放射能物質なのである。

柏や松戸がホットスポットであることはよく知られているが、その隣りにある印西市が「汚染状況重点調査地域」に指定されていることはあまり知られていない。これは、死の灰による汚染により、年間の線量が1ミリシーベルトを超えてしまった地域だ。線量計が0.23μSv/h以上の値を示す場所と言い換えてもよい。

印西市は印旛沼や手賀沼周辺の農地の土壌調査を行い、その結果を公表している。手賀沼周辺には500-900 Bq/kg程度のセシウム汚染があることは前に書いた。一方、印旛沼周辺は手賀沼よりも低めの、300-700 Bq/kgの汚染があると報告されている。協力者が持って来てくれた印旛沼畔の土を測定してみたが318 Bq/kgという結果となり、おおよそ印西市の調査通りとなり、少し安心していた。この協力者によれば、調査地点での線量は0.14μSv/hだったという(DoseRAE2による測定)。「汚染状況重点調査地域」としては「低い」(もともとこの地域の自然放射線は0.04μSv/h程度だったことを思えば、3.5倍も「強い」わけだが)。

ところが、そこからわずか数キロ離れた場所で採集したという土を測定してみて仰天した。その放射能が、13,000 Bq/kg (!!!)を示したからだ。1万ベクレル/キロを超えたのは、軽井沢の近くにある森泉山(御代田町)以来のことだが、この千葉の汚染土壌は森泉山の汚染10500Bq/kgを軽々と超え、今までの中で最高の汚染値を記録してしまった。福島北部の伊達市が3000-5000Bq/kg、福島南部の本宮市が4000-5000 Bq/kgの汚染であることを考えれば、放射能汚染は東北だけでなく、関東でも非常に深刻であることがわかる。
印旛沼の近くで採集した土壌が
1万3千ベクレル/キロを示した。
後でこの場所の線量を測定してもらったら、0.32μSv/h(JB4020 + RAMI解析)を示したというから、ここはたしかに「汚染状況重点調査地域」だ。事故から1年半ほど経過しており、セシウム134の崩壊により線量は若干減少しているはずだ。とすると、ここは事故直後はかなりの放射能汚染があったと推測される。

現地の写真をみると、どうやら農業地帯に点在する丘状の小山のようだ。(調査/採集はこの山の頂上で行ったという。)
1万3千ベクレル/キロ、0.32μSv/hを記録した
印西市のとある地点の様子。
この小山は神社として祀られているようで、人気はなく、木に覆われて薄暗い感じ。山頂は森の中のような状況だ。印西市はこの周辺の農地の土壌汚染の程度を調査しているが、農地は耕したり、水を流したりして、この地に降り注いだセシウムが移動している可能性がある。しかし、このような森の土壌は汚染当初の状況をよく保存していると見られるから、印西市一帯がいったんは1万3千ベクレル/キロ級にセシウム汚染されたとみてよいだろう。(セシウムが雨水などによって、水路や雨どい、あるいは河川の河原などに集積し、2次的なホットスポットを形成してしまう事例はよくあるが、この場所は丘の頂上だ。「上」から流れてきたセシウムが溜まることはないはずだ。)

柏や松戸の隣りにあるとはいえ、印西市がこのレベルの汚染を示しているということは、ホットスポットの中心には想像もつかない程の強い汚染が広がっている可能性があると、今更ながら驚愕してしまった。

たとえ、農地の除染が行われても、このような森が「セシウム貯蔵所」となって大雨が降る毎に除染された農地に流れ下る可能性があることは否定できないし、さらにこのような1万ベクレル/キロ以上の高レベルの放射能を帯びた汚染土壌はやたらには処分できない。それを手賀沼の終末処理場に運び出したら、あっというまに敷地は汚染泥によって埋め尽くされ、焼却灰を「仮置」するどころではなくなってしまうだろう。(もはや、この場所を行政に通報したとしても、除染はできないということだ。)似たような丘や小山はこの地域には無数にあり、調査を広げれば同様な汚染がたくさんみつかるだろう。東京電力と政府はこの責任をとるべきだと思う。

そういえば、今日はクリスマスイブだった...今年こそ神に心から祈るべき。「日本に未来がありますように」と。

2012年12月23日日曜日

印西市による手賀沼周辺のセシウム汚染調査

印西市はLB2045を持っていて、土壌調査を行っている。ただし、農耕地のみの調査なので、部分的に耕したり、田起こししたりすると、汚染が撹拌されて、正確な汚染状況を把握できない可能性がある。とはいえ、少なくとも現在進行形で農作物を栽培している畑地や水田の汚染度合いを知っておくのは有益だ。印西市の取り組みを評価したいと思う。そのデータは市のホームページで公表しているから、汚染の様子は誰もが確認できる。ただ、表の形式でまとめているだけなので、地元の地名に疎い人は汚染分布がわかりにくい。そこで、手賀沼周辺だけだが、地図に落としてみることにした。
手賀沼とその周辺の地図。
印西市がセシウム汚染を調査したところには
ピンを置いた。黄色が500-600 Bq/kg,
オレンジ色が800-900 Bq/kg程度。
手賀沼は、かつては透明度の高い湖で、魚が多く住む豊かな水域だったという。その形は、ひらがなの「つ」のような形をしていたが、江戸時代から進んだ干拓によって2つに分断されるような形になってしまった。現在は柏、我孫子側に大きな手賀沼が残り、印西市の方に小さな部分がある。この2つは細い流路と用水路(あるいは運河)によってつながっているだけとなった。干拓した場所には縦横に用水が走って、「魚の骨」のように見える。

干拓したのは、水田にするためだったのだろうが、周辺の宅地化が昭和40年以降に急速に進み、下水などの生活用水などによって水域が急速に、そして激しく汚染されたという。そこで、手賀沼の水質を改善するために設置されたのが、下水処理施設、すなわち「手賀沼終末処理場」だ。

今回問題になっているのは、この下水処理場に、柏や松戸のゴミ焼却場で生じた灰を運び込む県の判断だ。この焼却灰は、8000 Bq/kg以上の放射能を持っていて、放射性セシウムを「大量に」含んでいる。それが、汚染の歴史に苦しんで来た手賀沼に運び込まれるとあっては、住民が怒りを感じるのは無理も無いことだ。

福島原発から関東に降り注いだ「死の灰」(放射性セシウムやストロンチウム90など)は、柏市の付近に大量に降下した。雨に伴う汚染なので、湿式汚染と言われるらしい。(風に乗って飛来し、地面に降下したときは「乾式汚染」といい、こちらの方が汚染は弱くなるらしい。)印西市の調査によれば、手賀沼周辺では800-900 Bq/kg程度の汚染が、農地で発生している。このような汚染された地域で、木を燃やしたり、落葉を燃やしたり、雑草を燃やしたりすれば、当然「死の灰」は濃縮される。放射能物質は拡散したまま処理するのが一番安全であることは、放射線防護学でも最初に教えることだ。

原爆をアメリカ本土から日本に運搬する際も、濃縮ウランを細切れに切って「臨界質量」を下回るように「散り散り」にした。自発核分裂による中性子線のフラックス(放射線の束)が強くなりすぎないようにするためだ。原爆を爆発させるときは、逆にダイナマイト等を利用して、ウランの細片を中心部に押し付けるように圧着させる。臨界質量を突破し、連鎖反応を引き起こすためだ。

このように、濃縮が御法度ということは核物理学者でなくても、放射線防護の専門家なら誰でも知っている。しかし、環境問題や汚染対策を担当して来た行政の係員、役人の人たちは、ゴミを減らすことしか教えてもらってない。核物理というのは、田崎さんの本にも書いてあるけれど、「常識が通用しない」。この場合には、むしろ「常識と逆のことをするのが『常識』」なのだ。汚染されたゴミは焼却してはいけない。煙にのって広域を汚染するし、残った灰は放射能が強くなってしまう。現に、手賀沼終末処理場に運び込むのはキロ当たりで4万ベクレルにも及ぶ非常に高い放射能をもった灰だ。現在の手賀沼周辺の農地が1000ベクレル/キロの汚染があると高めに見なしたとしても、焼却してしまったことで40倍に濃縮されてしまったことになる。

そもそも、この「死の灰」は東京電力の所有物だ。誰もが納得する解決法は、東電に返却することだろう。東電は、原発用に確保した、人が入ったらすぐに死んでしまうようなひどく汚染された広い土地をもっているのだから、少なくとも、そこで「仮置」すべきだろう。

(追記:ちなみに、印旛沼近くで行った私の調査ではこのような結果が出ている。)

手賀沼に高い放射能を帯びた焼却灰が運搬された件

手賀沼と印旛沼。千葉県の北方にあって、関東平野東部に隣り合って位置する湖沼だ。かつては美しかっただろうこの2つの湖は、1960年代の高度経済成長によって、まず水質が汚染され、それは20世紀が終わる頃まで続いた。日本でもっとも汚い湖だった(最近は改善されているようだ)。その水質汚染のひどさにも関わらず、この付近(柏市や印西市)では手賀沼や印旛沼の水を上水として利用してきたと知って驚いた。おそらく、地域の住民は健康被害で苦しんできたことだろう。

そして、2011年3月に、福島原発からやってきた放射能プルームが降雨によって地面にタッチダウンし、「死の灰」によって再び汚染された。この付近は関東における「最悪のホットスポット」として知られる。内部被曝で苦しむ運命(の可能性)が、住民にのしかかっている。

この二重苦に加え、「三重苦」が手賀沼の近隣の住民に押し付けられた。それは、柏や松戸などで生じた「焼却灰」、つまり高い放射能をもつ廃棄物(8000 Bq/kg以上の放射能汚染)の保管場所に選ばれてしまったのだ。この付近の住民は、昔から汚染との闘いを続けて来たのだろう。報道では、千葉県の運搬トラックを止めようと体を張って阻止しようとしている写真が公表された。たとえば、毎日新聞のものは以下のような感じ。
毎日新聞の記事から。
住民への説明もなく、いきなり運搬が始まったという。たしかに1年程前にこの話は出たと思うが、しばらく行政はおとなしくしていた。きっと、住民が忘れた頃を狙って、強行突破することにしたのだろう。年末の忙しい時期をわざと狙ったのか、それとも柏の焼却場は「死の灰」で埋め尽くされ、いよいよ切羽詰まったのか、どちらかなのかはわからないが、住民への説明も、住民からの同意もなしにいきなりやるのは、「国民主権」を無視した「封建主義」のやり方に見える。

「お上(千葉県)」の測定では、今回運び込んだ「死の灰」は、柏の分が37,500 Bq、松戸の分が11,700 Bqだったという。そして、今後も搬入は続き、毎月200トン近くの量の、高い放射能をもった「死の灰」が手賀沼の処理場に運び込まれることになるという。

当局は今回の処置は「あくまで仮置」で、2015年4月までに運び出すと言っているが、すべては国がつくる最終処分場が建設されるかどうかにかかっている。この計画がこけると、六ヶ所村と同じように、いつまでも(永遠に?)「仮置」することになる。だいたい、最終処分場に選ばれる場所は、こういう「死の灰」を全国から引き受ける地獄のような所になるはずで、誰が名乗りを上げて誘致しようとするだろうか?

2012年12月22日土曜日

木星の大赤斑らしきもの

冬至の日、木星の観測をした。狙いは、口径20センチの大きめの反射望遠鏡で、木星表面のガス模様を捉えること。また、可能ならばガリレオ衛星の位置も記録すること。冷たい風が吹く中、頑張ったかいあって、初めて大赤斑らしき模様を捉える事ができた。とはいえ、最初なので知らない人が見たら何でこんなので喜ぶのだろう?と不思議に思うかもしれない。それは無理も無い。自分でもそう思う。しかし、自分の観測技術が向上するのはとても嬉しいことなのだ。アマチュア無線の人たちの喜びと、ちょっと似てるかも。
冬至の木星。上の帯の真ん中当たりに、
ボンヤリの丸い模様が見える。

ガリレオ衛星も加えてみた。
左がエウロパ、右がイオ。カリストは遥か右にあり、
ガニメデは木星に重なっているはず。

2012年12月17日月曜日

静岡市のセシウム汚染

静岡市のお茶や柑橘類がセシウムで汚染されていることは既にいろいろな場所で報告されている(その程度は、平均的にはかなり弱いが、時折高い汚染が見られるときもある)。たとえば、静岡放射能汚染測定室報告書(第8号、2012.3.3発行)によると、2011年5月5日に静岡市葵区で収穫された緑茶は放射性セシウムが合計で428ベクレル/キロの値を示している。(この測定所は京大の河野さんと共同研究を行っている。通常はNaIシンチレータを使用して測定を行っているが、時折京大のゲルマニウム測定器を用いて較正しているらしいので、発表している結果の信頼度はかなり高いと思われる。)厚生労働省の発表しているデータをみても、静岡市のお茶は、平均してだいたい2 Bq/kg未満の汚染があることが見て取れる。その他、静岡市のミカンやユズなどからも、弱いセシウム汚染が検出されている。

この事実からして、放射性セシウム、すなわち「死の灰」のプルームは、箱根を突破して、東海地方まで広がってしまったことは確実だ。そのセシウム汚染の程度は、土壌汚染を調べればわかる。今までにいろいろな地点で測定しているので、比較することでプルームがどのように、そしてどこまで広がったのか、検証することができる。実は、静岡放射能汚染測定室では土壌の測定を実施したらしいが、データが公開されていないため、結果を確かめることができない。
関東平野、伊豆半島、富士山、そして静岡市の位置関係
去る夏の終わり、仕事で静岡市を訪ねる機会があった。あのときは、まさか静岡市までセシウムが来ているとは思わなかったので、あまりまじめに土壌調査をしようと思わなかった。せっかくの機会だったが、駿府城と八幡山頂、そして登呂遺跡の3地点のみの調査しかやらなかった。また、汚染はないだろうと思い込んでいたので、土壌の放射能測定の優先順位を下げていた。そのため、ついこの間まで測定せずに放っておいた。それだけに、今回の測定でセシウムのピークがクッキリ浮かび上がったことに、非常に驚いてしまった。

静岡市は太平洋に面しているけれど、駅から浜辺までは結構離れている。歩いていくと1時間以上かかってしまうが、バスが結構便利なのでうまく利用するとよい。東には日本平や東照宮のある久能山があり、ちょっとした山地を形成している。南向きの斜面は冬でも温暖で、石垣イチゴが有名だ。(いちど食べ放題に行ってみた事があるが、ハエが多くて衛生上の問題があるような気もしたのだが、静岡の人たちはあまり気にしてないようだ。)ロープウェイがあるので、久能山の長い石段を登らずとも、手軽に山頂から臨む太平洋の景色を楽しむこともできる。

市内は平坦だが、周辺は山に囲まれていて、夏に行くと遠景の緑がきれいだ。ただ、街はコンクリートに覆われていて自然は少なく、開発が進んで高いビルも多い。飲屋街が縦横に伸びていて夜は騒がしいが、他の地域よりも景気がいい印なのかもしれない。この平坦地は新幹線で南北に分断されていて、さらに東海道や東名高速などによって更に南北に分けられる。

静岡市とその周辺の地形
そんなのっぺりした地形の中、静岡駅の近くで新幹線の南方向の窓から見ると、大きめの丘(小山?)が平野から立ち上がっているのが特に目立つ。八幡山と呼ばれる山だ。地元の住民何人かに「あの山はなにか不思議な感じがしますが、市民にとってのシンボルだとか、憩いの場所だとか、かつての古墳の跡だとか、なにか特別な意味があるのでしょうか?」と尋ねてみた。しかし、どの人も「さあね」と答えるばかり。個人的には、謎が深まり興味が湧いてきた。高台と平野の汚染の違いも比較出来ると考え、訪ねてみる事にした。
駿府城、八幡山、そして登呂遺跡の位置関係
まずは、静岡市のある平野の代表地点として、駿府城(静岡市葵区)の調査から始めることにした。この地点の汚染の度合いは、静岡市全体を代表しているはずだ。

駿府城は、徳川家康が隠居してから居城として使った城で、江戸で将軍を勤めていた息子秀忠の黒幕となって、引退してからも自分の作った幕府に対し、静岡の地から影響力を行使したらしい。家康が睨みを効かせていたおかげで、静岡は経済的にもずいぶん繁栄したようだ。久能山のイチゴ農家がちょっと高飛車なのも、「殿様商売」の影響が残っているのかもしれぬ。「ハエが嫌なら帰ってもらって結構」ってなわけだ。

夏の陽光は強かったものの、東京よりも涼しく過ごしやすい。海風のせいなんだろうか?とても気持ちのよい場所だった。街中はコンクリートに覆われてあまりよい風景とはいえないが、城門から遠くに見えた山の緑が気持ちよかった。やはり、城のある街はいい雰囲気がある。
駿府城の入り口。明治政府に破壊されたものを、
最近になってから復元したもの。
門をくぐると、中は広場になっている。日本庭園もあるが、これは後から付け足したもので、歴史的にはあまり意味はないようだ。真ん中に大きな池があって、その周りを散策できる。とてもよい庭園だと思う。

さて、調査は城内の桜林らしきところで行う。空間線量を測り、カラカラに乾燥した土を採取した。空間線量の測定結果は、地表で0.08-0.10μSv/h程度。ちょっと高いような気がした。東京で汚染の「低い」場所と似たような値だったからだ。
城の中の桜(?)林にて、調査を行う。
空間線量は地表で、0.08μSv/hだった。
ちと高めだな、と思った。
最初で述べたように、この土壌は最近まで放っておいたのだが、この間ベクミルで測定してきた。その結果は93.93 Bq/kgとなった。値自体は低いものの、セシウムのピークがはっきりわかるスペクトルとなった。セシウムの「死の灰」は、思ったよりも濃い濃度で、静岡市まで到達していたのだ。
駿府城の土壌の放射能
矢印がセシウムのピーク(左よりCs-134, Cs-137, Cs-134)。
1550keV近くのピークはK-40(天然の放射性物質)のもの。

静岡の名産といえば、茶と蜜柑だ。キノコやタケノコと並んで、この農産物はセシウムをよく濃縮する。つまり、大地自体の汚染が弱くても、自らセシウムをかき集めて汚染を強くしてしまう傾向が強い。すなわち、「移行係数」が高いのだ。これは、静岡にとって本当に不幸だったと思う。汚染が弱くて済んだのに、その主力農産物が汚染を悪化させてしまうからだ。もし、静岡のお茶や蜜柑の売れ行きが落ちているなら、ためらう事無く東京電力や政府に賠償請求すべきだろう。蜜柑やお茶は、私が思うに、「静岡の名産」というよりも「日本の特産品」と呼ぶべき農産物だと思う。だからこそ、静岡の大地がセシウムに汚染されたことは、大きな驚きであり、悲しい事実だ。

追記:あとで別の方がすでに土壌測定をし、その結果を公開していることを知った。3地点で測定している。一番高かったのは、静岡市大坪町という場所の公園の土で、94.1Bq/kg (LB2045で20分測定)。3つのセシウムピークもクッキリ見える。これは、今回の駿府城の結果とよく似ている。また、その他の2地点は10 Bq/kg前後で、検出限界ギリギリ。スペクトルにピークらしき構造は見えるようなみえないような。こちらは、静岡放射能汚染測定室で測定とのこと。


セシウム137の体内平衡量(2)

まずはICRPのモデルの概要を復習しておく。体内を複数の「袋」に小分けし、それぞれの袋への放射能物質の流入比、およびそれぞれの袋での半減期をパラメータとする。保存則の条件を課しつつ、通常の半減期の微分方程式をそれぞれの袋で立てて解く。田崎さんのモデルでは、放射線を出すことで放射能物質が減少する効果は無視している。

ここでは、体内を複数の袋に分けるのではなく、一つの大きな袋としてモデル化する。そして、核崩壊による物理学的半減期と、代謝による生物学的半減期の両者を並行して扱ってみることにする。(必要ならば、モデルを作ってから、物理的半減期を0にすればよい。)まずは、通常の半減期のモデルから、次のような微分方程式を立てる。

ここでN(t)は体内(大きな袋の中)に含まれる「死の灰」の数(原子の数)。λiは、i=1が核崩壊(β崩壊とかγ崩壊とか)に相当する係数、一方i=2が生物学的半減期に関連する係数。λと半減期(τ)はつぎの関係式によってつながっている。

ν は一日に摂取する 「死の灰」の原子数。tは「日」を単位として測定する時間とする。

この微分方程式は、定数変化法などを利用すれば解く事が可能で、

となる。この時、初期条件はN(0)=0と置いた。(t=0は、つまり事故のあった日である。)この式を見てわかるように、時間を無限大にすると(つまりt→∞)、N(∞)は平衡値ν/(λ12)に収束する。セシウム137のデータを利用すれば、セシウムがまったく体内に無い状態から平衡値に到達するのは、おおよそ事故から2年後という結果を得る。つまり、今が「そろそろ時間」というわけだ。

最後に、簡単なモル計算と比放射能の値を利用して、N(∞)をベクレル数に変換してみる。半減期が長いとすれば、比放射能(r)はr=(NA/M)(ln 2/τ1)と近似できる。ここで、NAはアボガドロ数、またMは原子量を意味する。この結果を利用すると、平衡状態の放射能(単位Bq)は

となる。bは食品の汚染限界値 (Bq/kg)。Wは一日の食品摂取量(kg/day)。最後のτ2は「日」の単位で測る。

日本国の法律によって、bは現在100Bq/kgと定められている(実際の摂取量は田崎さんが指摘しているように数十ベクレルであろう)。この計算では、全ての食品が一様にb(Bq/kg)まで汚染されていると仮定している。つまり「法定限度」の目一杯まで汚染が進んでいる極端な状況だ。しかし、この状況は法的には「問題ない」わけで、国は責任を負うことになるから、考察に値する。また、τ1は物理学的半減期でセシウム137の場合はだいたい30年、一方τ2はだいたい70日から110日(日本保険物理学会のデータより)。この生物学的半減期は、体を「大きな一つの袋」に見なしているようなので、今考えているモデルには適当だ。最後に、W(kg/day)は一日に摂取する食物の量(質量)だ。今回の計算では糖尿病患者向けに考案されたメニューを参考に見積もるとする。それはだいたい850gほどになる。糖尿病患者の食事ではお腹がすいてしまうだろうから、ちょっとだけ多めに見積もり、計算で切りのいいところ、つまり1kgとしよう。

セシウム137を例に取り、「死の灰」の放射能平衡値を見積もると、それは凡そ7000 Bqとなった。糖尿病患者用のメニューをもとに、セシウムの摂取量を見積もった事を考慮すれば、まあ10000Bq程度とみておけば間違いないだろう。(このあたりの数字の扱いが、いい加減といえばその通りではあるが、物理学者は大雑把なモデルから出てくる結果に対しては、オーダー、つまり桁だけに着目して議論を進める癖があることにご理解願いたい。)田崎さんのモデルを使って、上記の条件の下で計算しても、だいたい同じようなオーダーの結果を得た。

一日に100Bqの死の灰を摂取し続けると、最後はその10倍の死の灰を体に溜め込むことになってしまう。(この計算では生物学的半減期を70日としたが、これを110日とすると、平衡値は約11,000ベクレルとなる。)個々の食物の汚染値は気にするけれど、「平衡値」という観点は、一般の人には意外な盲点だったのではないだろうか?放射能汚染は低ければ低いほど「より安心」に近づくというのは、こういうことだったのだ。この問題を解いてみて、よくわかった。

天然に存在し、生物が地上に発生して以来、地球の生命がつきあってきたカリウム40は、体重60キロ程度の人の場合、常に4000 Bq程度が体内に存在している。それに対し、昨年制定された法定基準に従う最大限度(現実的な値でないにせよ)の汚染食物を摂取し続けた場合、私たちの体は大雑把にいって10,000 Bq程度の「セシウム漬け」になってしまう。田崎さんがすでに説明しているように、これだとカリウム40による自然放射線による体内被曝の2、3倍の放射線被曝を受けることになってしまう。

10,000 Bqというのは、体の中に飛び交う放射線の数が、一秒間に1万個、という意味だ。カリウムと合わせれば1万4千個ということになる。この数字を見て、もうだめだとか、まだいけるとか、いろいろな意見はあるだろうが、普通の小学生や中学生にこれでもいいか聞いてみたらいい。結局、より苦しむのは彼らになる可能性が高いから。きっと、「ヤダー、そんなの!」と言うはずだ。

彼らが背負うことになるかもしれない、この追加放射線量は、彼ら自身の咎ではなく、彼らの爺婆(あるいは父母)が自身の享楽のためだけに幼い者たちに負わせた重荷だ。だから、子供達は「やだよ」と、いくらでもいってよいのだ。(もちろん、言わなくてもいいけれど。)

2012年12月16日日曜日

セシウム137の体内平衡量

田崎さんの本に生物学的半減期という概念が載っている。かなり大雑把に言って、「生物学的半減期」とは、代謝によって体内から物質が排出されるまでの時間(もっと正確にいうと、体内に入った物質の量が、代謝によって半分に減るまでの時間)のことだ。

ある薬(例えば抗生物質)を定期的に服用している場合、その薬は次第に体内に溜まっていくが、代謝による排出も同時にあるので(肝臓その他の臓器で化学的に分解される分もあるだろう)、出る量と入る量の兼ね合いによって、最終的には平衡値へと収束していく。(抗生物質を途中でやめてしまうと、代謝によって血中濃度が次第に下がり、細菌を「死滅」できなくなる。かといって無力化するわけではなく、濃度がある程度下がった状態、いうなれば「スパルタ訓練」程度にまで効力が落ちる。この濃度減少の時間変化は、原子核物理と同じように「半減期」という概念で比較的よく説明できるらしい。細菌が死滅しないうちに半減期を迎えると、スパルタ訓練に耐えて生き残った細菌がパワーアップ、つまり「耐性菌」となってしまう可能性が生じてしまう。)

ICRPの内部被曝のモデルでは、放射能物質(例えばセシウム137)が体内に摂取/吸入された際、いろいろな臓器に分かれて沈着すると考えるらしい。「沈着」と言っても、臓器によっては、早くセシウム137を排出するものあるだろうし、逆に長い間保持してしまう器官もあるだろう。ICRPのモデルでは、したがって、それぞれの臓器/器官における半減期を別個に決める。どの臓器にどのくらい流れ込み、そこでどのくらいの半減期に従って排出されるかはモデルのパラメータ、つまり人間が勝手に決めることになる。もちろん、より現実的な結果を得るためには、なるべく医学的な実験、臨床データなどに即してパラメータを決める努力はなされるが、計算して算出するような類のものではない。したがって、恣意的にいじられる可能性は十分あるし、仮定や想定が甘いときは大きな誤差をだすはずだ。したがって、田崎さんもこのようなモデルは「ある程度」までの精度しかない、と注意をよびかけている。(ICRPのモデルのエッセンスは、田崎さんのメモに詳しいことが書いてある。このメモはネットで閲覧可能なので、基本的な内容はそこで確認すべき。一つ要点を書いておくとすると、田崎さんの説明には核崩壊による半減期が含まれていない。精度の悪いモデルだから、そこまで丁寧にやる必要はない、からだそうだ。これはまさに物理学者の得意な「近似」感覚のよい例だと思う。ちなみに、私も田崎さんの感覚に同意。)

ICRPのモデルでも、摂取と排出のバランスがとれた時点で平衡値に収束するという結果となる。つまり、一定量のセシウム137を長期間、摂取し続けると、体の中にセシウム137が一定の量(濃度)溜まってしまうということだ。田崎さんのメモの結論をみると、この平衡値は摂取する量に比例して増大する。

田崎さんの結論は、(自然に存在する)体内のカリウム40の放射能と同程度(つまり体重60キロの人で、凡そ4000ベクレル)に抑えるためには、一日あたりのセシウム摂取量をだいたい30ベクレル程度に抑えればよい、というものだ。

また、政府が決めた食品の放射能汚染の基準が100Bq/kgであり、基準まで目一杯汚染された食物を食べ続ければ、その人の体は、カリウム40の数倍の放射能平衡値となってしまうという結果も得ている。ただ、現実には福島のある家庭のある食事のサンプリング調査では、汚染は20Bq/dayだったそうで、これならカリウム40の放射能と同じくらいだ、ともある。

ICRPのモデルを理解するため、そして田崎さんが無視した核崩壊の半減期を考慮したらどうなるか検証するため、自分でも微分方程式を立てて解いてみる事にした

2012年12月13日木曜日

ふたご座流星群

都心部でも見えた!道ばたで高校生が空を見上げていたので、調子はどうかと話しかけてみた。「もう3つ見えました。結構明るいですよ。」と教えてくれた。こちらは2つ。かなり明るいのが11時頃、御者座のど真ん中で流れた。光のグラデーションとなって(かすれた書道の線状)、明るい筋が引いたのがよくわかった。

今日は学生たちと天体観測した。木星とその衛星(ガリレオ衛星)の移動。イオは最初木星に重なっていて見えなかったのが、だんだん動いて最後はクッキリ見えるようになった。イオの影が木星に写っているのが見えた、と喜ぶ学生たち。揺らぎも少なくなかなかの状態。木星の2つのオレンジ色の帯模様もよく見えた。残念ながら、大赤斑は見えず。

東の空から上がって来たのは、獅子座だろうか?浜辺に行けば、きっとカノープスが見えるはず。明日は朝の講義があるから、夜更かしできない...残念。

追記:一昨年の観測記録があった。やっぱりカペラやオリオンで飛んだ、と書いてあった。

追記2:さらに昨年の観測記録があった。おうし座で飛んだとある。

放射能の強さ:「やっかいな放射線と向き合って....」を読んで

田崎さんの「やっかいな放射線と向き合って暮らしていくための基礎知識」を買った。いままで原発の問題を軽視してきた理論物理学者たち(私も込みで)。彼らが、福島の事故を契機に「真剣に」考え出すと、こういう内容になると思う。というのは、読んでいて、この1年自分が考えて来たことと似たようなことがたくさん書いてあったからだ。よく勉強してあるし、さすがに優秀な人だと感心した。

でも、彼はこの分野の真の専門家ではないということもよくわかる。理論物理学者が陥りがちな、問題の単純化のしすぎ、あるいは楽観的な分析が目立つ。手軽に手に入る資料に基づく分析が多く、その文章が誰によって、どういう背景のもとに、いつ書かれたか、そしてそれが政治によって歪められ、どれほど誇張されているかなど「裏の部分」を知った上で書いてある感じはしない。手近にある文書に書いてある仮定を信じ、そこから出発して論理的に、そして「科学的に」話が進んでいく。仮定自体の正当性も時には疑う「政治社会」の観点から見ると、掘り下げが甘い所もあると感じる人もいるかもしれない。かく申す私本人も、まさに田崎さんと同じようなアプローチを取って来た。だから、まさにこの本は、「理論物理学者による、福島原発事故の理解の仕方」を知る上で貴重な文献となると思う。私たち理論物理屋は、だいたいこういう風に考えているのだ。

しかし、この1年半の経験により、こういう楽観的、あるいは単純化しすぎる物理学風のやり方が、必ずしも現実をうまく記述できるとは限らないということを思い知らされた。こういうやり方で得られた楽観的な議論が何度となく裏切られた。現実の問題を扱う時、「第一近似」や「定性的説明」は、一般の人にはかなりの落胆をもたらすようだ。彼らにしてみれば、このような「いい加減な説明」は、「的を外してる」とか「間違えてる」とか思うらしい。さらに、完全に私たちが間違えた予想もある。例えば、東京を中心とする関東地方のみならず、長野県や静岡県までもがセシウム137やヨウ素131で汚染されるなんて、想像もつかなかった。おおいに反省している。

さて、田崎さんの本に、カリウム40とセシウム137、134との比較が出てくる。この部分を読んで、昨年考えたことを思い出した。

前にも書いたように、セシウムもカリウムもアルカリ金属で、ナトリウムとよく似た化学性をもつ。つまり、直感としては「食塩みたい」な物質だと思えばいいだろう(こういうのがまさに過度な単純化の一つかもしれないが...)。また、カリウムやナトリウムは神経伝達のための電気信号を伝えるイオンとして体内で重要な役割を担う。ということは、いったんセシウムが体内に入ると、カリウムやナトリウムと同じ経路を通って体中に運ばれる。

田崎さんは1ベクレルのカリウム40と、1ベクレルの放射性セシウムを比較している。しかし「ベクレル」という放射能の強さを測る単位は日常生活ではあまり使わないから、ベクレルだけをもとに議論を進めるのではなくて、「グラム」とか「キログラム」とか「重さ(質量)」についても同時に考えたほうがいいと個人的には思う。

たとえば1グラムのセシウム137(これはもの凄い大量の「死の灰」だが、議論を簡単にするために、この非現実的な量をひとまず受け入れてもらいたい)と、1グラムのカリウム40を考えよう。

カリウム40の半減期はおよそ12億年、一方セシウム137は約30年。統計力学の専門家である田崎さんは、半減期を「寿命と考えるな」と書いているが、核物理では(特に実験家は)寿命と見なして直感的な議論をよくやる。(もちろん、大ざっぱな近似として「寿命」と考えるだけであって、やっぱり「通常の寿命」とはたしかにちょっと違うかもしれない....。)それぞれの核種の「寿命」をみれば、カリウム40はなかなか放射線を出さないけれど、セシウム137は「激しく」放射線を飛ばす、というイメージを持っていいだろう。つまり、半減期は放射能強度(つまり「ベクレル」)と深い関係がある。

1グラムあたりの放射能(単位質量あたりの放射能のことを比放射能、specific radioactivityという。熱力学の比熱みたいなもの)を計算すると、

カリウム40 は、26万   ベクレル/グラム
セシウム137  は、3兆2600億  ベクレル/グラム

という比放射能をもつ(リンクはanl.govのデータ)。その比は1000万倍(!)もあり、セシウム137の方が圧倒的に強い放射能を持っている。つまり、セシウム137の「寿命」は短いから、どんどん放射線を放出して、放射能(単位質量当たり)が強くなるというわけだ。

しかし、これだけではだめで、人間の体にはいったいどの程度のカリウム40(K-40)が入っているのか調べる必要がある。これは田崎さんの本にもあるし、wikipediaなどで調べてもすぐにわかる(若干計算する必要があるかもしれないが)。だいたい、体重の0.2%だそうだ。60キロの体重の人は120gのカリウムを体内に持っていることになる。さらに、このカリウムの9割以上が安定なK-39で、肝心のK-40は0.012%しかない。つまり、120gの全カリウムの内、カリウム40は、わずか14mg程度しか体内に含まれていないことになる。しかし、比放射能の値が大きいことには留意しないといけない。つまり、60キロの体重の人が浴び続ける(カリウム40から来る)自然放射能の強さは、比放射能と質量をかけて、26万Bq/g * 14mg * 1e-3 = 3700 (Bq)という結果を得る。思いの外、大きな値になったと感じる人は多いのではないだろうか?

つまり、原発事故とは関係なく、古の昔より人間は、3700 Bq程度の放射能物質を体内にもち、その分の放射線を浴びてきたことになる。原発推進派の人たちは、「だから10Bqとか1Bqくらいで、しのごの言ってんじゃねーぞ!」と主張するわけだ。しかし、セシウム137とカリウム40は、まったく別の物質で、その人体への影響は異なる。重さと比放射能を同時に考慮した時、果たしてセシウム137や134は、カリウム40と比較して、人間への脅威となりえるのだろうか?この分析には、ちょっとした数理モデルが必要になる。次はその考察をしてみよう

2012年12月4日火曜日

笹子トンネルの崩落も報道されてしまった

中央道の笹子トンネル下り線の崩落事故は、英国の主要紙"The Guardian"にて、主要記事として現在web版の一面に取り上げられている。この記事の最後で、日本のトンネルの安全性が疑問視されてしまった。

BBCの人気番組の一つだった"Top Gear"は以前日本での特集を組んだ。この番組は自動車の紹介をする番組だが、新車の性能調査や、クラッシクカーの紹介だけにとどまらず、いろいろな企画に挑戦していて、それが視聴者の人気を得ていた。例えば、ロケットエンジンを積んだ車で世界最高速に挑戦したり、カーブだらけのアルプス(もちろんスイスの)山岳道路をフェラーリで下りるのが速いか、それとも直滑降するプロスキーヤーの方が速いか競争したり、などなど。(ロケットカーの方は大失敗で、バランスを崩した車が超高速で横転してしまい、ドライバーだったプレゼンテーターの一人が意識不明の重体となってしまった。この責任を取る形で番組はしばらく休止となり、番組制作者が批判された。)

日本特集では、北陸を出発して、上信越道を経由し、首都高を抜け、アクララインで千葉の鋸山へ疾走するGT-Rの方が速いか、それとも北陸本線から米原で東海道新幹線に乗り換え、横須賀からフェリーで東京湾を横断し、最後は鋸南からロープウェイで鋸山に登る方が速いか、という日本の公共交通vs. GT-Rの競争という企画だった。(この当時、日本の公共交通機関は、世界一正確で遅れがない、という認識だったから、こういう企画ができたと思う。)

ここで、GT-Rを担当したJeremy Clarksonは、日本の高速道路(特に北陸道と上信越道)の印象を次のように語った:「なぜかアルプス(スイスの)が目の前にあるぞ。----(途中省略)--- しかし、この素晴らしい眺めも...トンネルのせいでなかなか楽しむことができない。日本人はこの素晴らしい山の全ての土手っ腹に、必ずトンネルを開けてるようだ。(ここまでトンネルの暗闇の中。そしてやっとトンネルを抜けて...)あー、太陽の光!(一秒後に真っ暗になって)またトンネルだ....」

原子力発電所の事故、トンネルの崩落事故、暴走列車の脱線などなど、こういう類いのニュースばかりが報道されると、日本の施設は危険だという認識が世界に浸透してしまうだろう。

そういえば、日本が特集されるニュースにはもう一つある。それは「超高速高齢化社会としての日本」というネタだ。人間も、国の施設やシステムも、この国の全てが老化していると、世界の人は感じるかもしれない。

個人的な話だが、笹子トンネルはよく通るので、ニュースを聞いたとき、冷たいものが背中に感じた。実はそのニュースを聞いたのは、事故で首都高に足止めされていた最中だった。代官町を越えて、千代田トンネルに入る直前、2台前の車が急に停止した。4号新宿線が新宿で6キロの渋滞という電光掲示があった直後だった。たしかに4号に分岐する右レーンは渋滞気味で、スピードが落ち渋滞の兆候が出ていた。渋谷や湾岸方面に抜ける車は左レーンに寄り、それなりのスピードが出ていたし、車の数も少なめだった。だから、前の車が停車したとき、新宿線に行きたいのだが、渋滞で車線変更できずに、急ブレーキをかけた下手くそな車だと勘違いしてしまった。ついついクラクションをならしてしまった。首都高とはいえ、急停車されるとそれは怖かったからだ。ところが、前方をよく見ると何かがおかしい。千代田トンネルの中を数人の人が走り回ったり、立ち尽くしていたりと異常な感じがした。前方にヘッドライトらしい眩しい白い光が、不思議なことにこちらに向いて光っている。事故だった。

千代田トンネルの直前で立ち往生した。
トンネル内のように見えるが、窓に雨の滴がかかっている。
前の車はトンネル内にいる。そのさらに先の銀色の車が急停車した車。
その先に車はなく、事故現場まで道が空いている。
自分のわずか10台ほどまえで、スポーツカー同士が衝突し、片方が横転してしまったのだった。2時間近くトンネルの寸前のところで立ち往生させられた。事故が発生してから、30分近くもの間、警察も消防も来なかった。炎上している気配はなかったので、単なる追突事故かな?と思った。最初に来たのが、高速道路の管理会社の黄色い4WD車両で「通行止め」の看板を掲げにきた。それからかなり時間が経ってから、消防車一台と救急車2台がやってきた。もしかして大事故か?と焦る。それからさらに時間が経って、パトカー1台とボックス型の警察車両が入って来た。消防車からレスキュー隊が走り出して、トンネルの奥の方に消えていった。周りのドライバーに動揺が走り、車から出て様子を伺う人、窓を開けて隣りの車と会話を始める人、非常階段から高速を脱出する人など、いろいろな動きが出て来た。雨が降っていて、ワイパーを時々かけながら前方に注視した。渋滞は呉服橋の近くまで伸びていたらしく、通行止の区間もかなり広がっていたようだ。2時間近くしてから、突然交通が動き出した。警察の指示に従って、進んでいくと、黒いスポーツ型の外車が完全にひっくり返り、前のめりになって海老反りのような状態になって、トンネルの壁面にそって置かれていた。運転席は潰れていて、人間が収まる余地はないように見えた。もう一台、前方のエンジンルームが大きく破損した、やはり外車らしい金属光沢色の車が、進行方向の反対の方を向いて止まっていた。激しい衝突の後、横転したり、スピンしたりして、転がりながらトンネルの中を跳ねていったんだろう。火災は起きなかったようだが、大事故だったようだ。しかし、この事故はどこの新聞にも報道されていない。首都高では「日常茶飯事」レベルの事故なんだろうか?だとすると、逆におそろしい。

前方に車が一台もいない異様な首都高の風景の中をしばらく走り、あっという間に家に戻ってしまった。そして、テレビで笹子トンネルの状態を見た。トンネルの中で立ち往生する車の列と、その間を移動する警察車両やレスキュー隊といった風景は、まったく先ほどの首都高の情景と同じだった。もちろん、天井が崩落したわけではないが、首都高だって劣化は至る所で激しく生じている。いつあれと同じ事が起きても不思議ではない。

原発も日本で一番古いタイプのものが爆発した。山陽新幹線のトンネル崩落も、関門トンネルの天井崩落も、1960年代、あるいはそれ以前の古い構築物の、構造劣化や性能不足、そして想定を甘くみた設計などが原因となって、わずか30−40年程度で壊れてしまっている。雑草のようにヒョロヒョロと早く伸びる植物は、根が伸びていないから、冬を越せずに、一年で枯れてしまう(また生え変わるけれど)。一方、ブナの林は数百年の長い年月をかけて、少しずつ大きくなっていく。根をまず広く、深く張って、それから上へと伸びるからだ。どちらがいいかは、子供でもわかるだろう。