2012年3月31日土曜日

学会で神戸へ:六甲山での線量測定

神戸に到着す。何回か通り過ぎた事はあったが、この地を訪ねたのは生まれて初めて。新神戸の裏手にはすでに山が迫っていて、軽井沢かどこかの避暑地に来た雰囲気。目の前には瀬戸内の海があるはずなのに、不思議なところだと思った。

まずは、駅近くのホテルで寿司を楽しむ。和歌山の魚だということで、久しぶりに、刺身を注文する。先日も報道されていたが、福島の原子炉には亀裂や穴が空きまくっているようで、水位はわずかに60センチ。毎日9トンの水を注ぎ込んでおきながら、そのほとんどが漏れているということは、ストロンチウム90どころか、プルトニウム239やその他の恐ろしい「死の灰」のほとんどが、きれいさっぱり環境、つまり海に今でも流れこんでいるということだ。そんな場所の魚(つまり関東近海の太平洋)は到底楽しんで食べる事などできっこない。しばらくは、寿司を食べるのは関西のみのつもり。ということで、結局この店には二度食べにきた。探せばきっともっと美味しいところはあるはずなんだろうが、神戸というのは食べる場所を探すのがなかなか難しい。

すこし斜面にそって移動してみた。神戸のこの辺りは、六甲山の斜面に沿って高級住宅街が展開されている。神戸の大地震の傷跡はもうないように見える。それにしても、こんな斜面に高層建築を建てて大丈夫なんだろうか?もう地震は当分やってこないと高をくくってないだろうか?杞憂に済めばいいのだが。

六甲山に登ってみる。意外に高い山で驚いた。山頂までの道のりはグニャグニャ曲がりくねっている。谷に大きな橋がかけてあったところで道を間違え、危うくトンネルの向こう側の丹波に抜けてしまうところだった。

関西とはいえ、6時半を過ぎると夕闇が迫ってくる。この日は、接近した金星と木星の丁度真ん中に細い三日月が入り込んでいて、非常にきれいだった。(写真を撮ってみたが手ブレがひどくうまく行かなかった。残念。)

神戸の夜景はそれなりにすごかった。しかし、この灯りを手放しで喜ぶことはできないと思ったのも事実。少なくとも、せっかくの綺麗な星空が見えなくなってしまうのは見過ごせない。しばらくすると土星が上がって来た。今は、火、木、金、土が観測できる素晴らしいタイミングなのだが、いかんせん天気が悪い。神戸も東京並みに寒いと思った。(翌日、六甲はすごい吹雪となり、真っ白の世界と化した。下から登ってくると、嘘のような景色の変化でとても驚いた。たぶん、学会会場に居ただけの人たちは、神戸の山の方で積雪があったなんて説明しても、「わかった、わかった。ところで、今日4月1日だっけ?」と笑われるだけで、きっと信じてもらえないだろう。)
夜の六甲山と神戸の夜景

翌日、空き時間を使って再び六甲山を目指した。六甲の頂上付近は路面が凍結ぎみで緊張する。しかし、そこからちょっと南にくだっただけで雪は消えてしまった。ものすごく局所的な気候変化だ。神戸って実は変化に飛んだ、おもしろい場所なのかもしれない。この日の目標は線量測定と土壌採集。まずは、JB4020で線量を測定する。
六甲山系のとある山頂にて。
六甲山は母岩が花崗岩なので、自然放射線が結構高いはずだ。日本地質学会のページで調べると確かに高めになっている。0.1μSv/h弱といったところだろうか?
自然放射線量分布図
地面を見ると、砂粒/小さな石ころが多い。そしてその母岩が露出しているところをよくみると案の定、花崗岩だった。花崗岩が風化してぼろぼろになり、砂粒となって表土を形成していた。セシウムが仮に福島から飛んできていたとしても、沈着せずに雨などによって流れ出しやすい土壌といえる。が、いちおう土壌を採取し、「汚染の無い例」として持ち帰ることにした。スペクトル分析したとき、どんな形になるか楽しみだ。
六甲の花崗岩

さて、線量測定の結果はというと、RAMIによる平均値は0.1μSv/h(生データ)となった。補正すると、0.05μSv/hに相当する。これは地質学会のデータ通りの値だ。つまり、福島原発事故に由来した汚染による、線量上昇は無いと解釈してもいいだろう。(もちろん、γ線スペクトル分析をしてより確証を高める必要はあるが。)この場所の測定でおもしろかったのは、一度だけ0.21μSv/hという値が表示されたことだ。これは、予想通りに結構高めの自然放射線がときどき六甲の山からは出ているということだろう。同じ0.1μSv/hという平均値が出ても、関東の汚染が弱い地域では各々の測定値で0.2μSv/hを越える値が出たのを見た事はない。(0.16μSv/h程度が上限のことが多い。しかし、東大本郷では0.2μSv/h以上の値が観測されている。)

六甲山の線量測定(JB4020による)。
青い線が測定値、赤い線がRAMIによる平均値。
17回目の測定値から、0.1μSv/hに収束している。




2012年3月30日金曜日

学会で神戸へ:新幹線から富士を撮る

学会発表のため神戸へ向かう。いつもは、東京駅まで出るのだが、今回は新横浜を使ってみた。

第三京浜の方が、首都高よりも渋滞が少ないのは利点だ。港北ICはIKEAに行くときによく使うが、新横浜にいくにはIKEAとは反対方向にいく。少し走ると、日韓W杯の決勝を行った日産スタジアムが見えてくる。大きい。作りかけて計画頓挫したらしい首都高X号線の残骸が見えたりする。その先で右折し直進すると高島屋とくっついた形で新横浜の駅に突き当たる。ロータリーには10台程度路駐可能で、荷物の積み降ろしができる。が、込み合っているときはスペースが空くまでロータリーをクルクルと回り続けるか、有料駐車場に停める事となろう。

今回は、いつも静岡で見る見事な富士山の姿を新幹線の車窓から写してみようと、準備しておいた。時速200キロ以上で走行しているため、目で見える景色と写真に写る景色が異なる。つまり、肉眼では高速で視界から走り去る鉄柱やら電線を自動的に消去補正して認識するのだが、カメラは律儀にすべてを写し込むのである。あっ綺麗だ、と思ってシャッターを切ると、ど真ん中に鉄塔が鎮座して富士をまっ二つに割っていたりして、なかなかうまくとれなかった。それでもなんとか一枚まともな写真が取れた。とはいえ、この日の山頂は雲の中であった。残念。(実は帰りの列車からは綺麗な白富士が拝めたのだが、準備するのは忘れてしまい撮影する事ができなかった。残念。)

それにしても、シャッタースピードを1/800秒にすると、あたかも景色が止まっているように見えるから驚いた。

静岡から見た富士(新幹線から撮影)



2012年3月28日水曜日

今年二つ目の論文


この間の論文の続編がほぼ完成した。

前の論文が発表されてから、よくよく調べてみたら前回の結果は一般化できることが分かったのだ。今回の論文では、数学の基礎理論を多用している。数学の基礎というのは本当に大事だと痛感した。それから、難しい教科書の細部という奴も、後で凄く大事になる。つっかかってしまって先に行けないのはよくないが、後で思い出して戻れる程度には理解しておくべきだった。そして必要なときに、必要なだけ深く理解できるような柔軟さも訓練して身につけておく必要があろう。人間というのは動機が必要なのかもしれない。せっかくの才能も、動機がないと発動させられない。

そういえば、小学校の頃、桜の散る時分になると必ず外国人の宣教師が校門脇に現れた。この宣教師、桜の木の下で自転車の荷台に紙芝居の道具を載せて、聖書の話を紙芝居にして子供達に説教した。私はクリスチャンではないが、彼らの影響を受けて、知らないうちに聖書風の考え方を身につけてしまったような気がする。

彼らの見せた絵の中に、天国への門の絵があった。開け放たれた大きな門は、門というよりは広い敷居に過ぎなかった。誰だってそこを跨いで簡単に天国に向かう事ができるように見える。しかし、宣教師は、「天国への門は誰にでも開かれているのだが、それを見る事をできるのは限られた人だけ」と言った。この広くて開け放たれた門を、多くの人々は見逃してしまうのです、と付け加えた。確かに絵をみると、門の目の前で横を向いたり、下を見たりと、まさに近視眼的な振る舞いをしている人々が描かれていた。天国の門の存在は、見える人には自明だが、そうでない人には永久に見えないのだという。子供の頃に「洗脳」されてしまった私にとって、この喩話は、今、至極納得がいく。

2012年3月24日土曜日

ストレステストはGIGOでしかない

「ストレステスト」などという名称がついているが、所詮はシミュレーションだ。シミュレーションをやったことがある人なら誰でも知っていること、それはシミュレーションは想定内の事しか扱えないということ。しかも、モデリングに問題があれば、出てくる結果は惨憺たるものになる。

ネズミの頭数を計算する「ねずみ算」を考えてみればよくわかる。最初のうちは指数関数的に増えるだろうから、現実のネズミの「人口」も、「シミュレーション」でよく予言できるはずだ。しかし、このシミュレーションに空間の有限性や、食料の有限性、ネズミの精神安定性などなど、数えきれないほどの条件を入れておかないと、シミュレーションと現実の結果はやがて乖離する。だからといって、増えすぎたネズミが海を渡って隣りの島に旅立つシナリオ、洞窟の中に潜るシナリオ、殺し合って個体数を減らしてしまうシナリオ.....いろんなシナリオはあるだろうが、その全てをシミュレーションに取り込む事はできない。結局はプログラマーが「考えつけることだけ」を取り込むだけとなる。

福島第一原発の事故が「想定外」だったとするなら、シミュレーションで安全性を「きっちり」議論することは不可能だ。津波の高さを想定し間違えただけで、「絶対安全」なものが3つもメルトダウンし、水素爆発するわけだから。ファインマンが言ったように、シミュレーションというのはGIGO(ギーゴ)に過ぎない。GIGOすなわちGarbage in, garbage out (ゴミを入れて、ゴミを出す)というのがシミュレーションの正体だ。この本質を知り抜いた者だけが、シミュレーションの結果をうまく利用できる。

数値計算をやったこともなければ、原子力発電のことなんかさっぱり知らない文系出身の総理大臣が、シミュレーション(ストレステスト)の結果を見て政治判断する、という報道が最近あった。この「政治判断」は「破滅的判断」になる可能性がある。論理的、科学的な判断こそ求められているのに、(近視眼的な)経済的/政治的な判断など無意味というよりは、害悪を及ぼすだろう。

(原子力ムラ以外の)計算機科学の専門家が判断するなら、必ず「安全とは言い切れない」と結論づけるはずだ。シミュレーションの性質を知っていれば、その計算結果なんか見なくても必ず同じ答えに収束する。1+1が2になるのと同じくらい自明な話だ。

2012年3月19日月曜日

武谷三男の「原子力発電」を読む:死の灰

飛行機の中で何冊か新書を読んだ。ケプラーの伝記はおもしろかった。高木さんの「プルトニウムの恐怖」も良かったが、ちょっと話が脱線気味で読み難かった。そして、武谷先生の「原子力発電」は思わず没頭して読み切ってしまった。


武谷先生の「原子力発電」は岩波新書から1976年に発行されている。武谷三男博士は、東大話法の安富氏による「三聖人」の筆頭に上げられた物理学者であり、反原発論者だ。


原子力発電に反対するこの「三聖人」は、実は皆、専門が異なる。高木さんは核化学、小出さんは原子力工学、そして武谷さんは物理学だ。自分が物理学者であるせいもあろうが、この本は他の「聖人」の著書と比べても格段に読みやすい。物理学は、複雑な現象を細かく分解し、その基本原理を探り出す学問だが、そのやり方が貫徹された表現が心地よい。

一言だけ感想を書くとすると、この本は名著であり、今年巡り合えた本の中で一番である。それは、日本陸軍に命じられて原子爆弾の開発に身を置き、その内実のすべてを知り尽くした科学者が暴露しているだけに迫力がある。そして、原子力発電の弱点の全てが書かれている。原発推進/反対に関するすべての議論は、この本を読んでから始めるべきだろう。

ところで、この本では「放射能物質」のことを、端的に「死の灰」と呼んでいる。昔のNHK特集なぞ(例えばチェルノブイリ原発事故の番組)でも、「死の灰」を採用していた。(外国人は、その番組内でradioactive materialsと言っているが、それを死の灰とわざわざ訳している。)原爆とか、ビキニ環礁の被曝事故とか、チェルノブイリの放射能汚染など、外国のやることに関しては「死の灰」と呼んでおいて、自分の国がまき散らしたものは「放射性物質」と呼び変えるのは、非常にずるいことだ。NHKなどは、今まで通り「死の灰」を採用するべきだ。私も、武谷先生に倣い、これからは出来る限り「セシウム137などの死の灰は...」などと書くよう努めることにする。

2012年3月18日日曜日

Cotswoldで化石採集

今回はさらに二カ所、化石採集に向かった。最初はWest SussexのLittlehampton.ここは以前の記事にも書いた場所。やっぱり嵐が少なかった今年の冬は、打ち上げられる化石の量もすくないようで、30分程歩いてようやく一つ見つけただけ。いつもと同じscutataだったし、あまり品質もよくなかったので、そのまま置いてきた。

海がだめということがわかったので、翌日はCotswoldに向かう事にした。普通、英国旅行にきてCotswoldに行く人は、お茶を飲んだり、英国庭園を見て楽しんだりするだろう。しかし、化石ハンターにとっては、Cotswoldは一億8千年前のジュラ紀中期の化石が産出する場所なのである。Cotswoldの黄色い石でできた町並みは美しく、Cotswoldの象徴だ。しかし、その石こそがジュラ紀に形成された石灰岩が酸化して色づいたものであることは、化石ハンターしか知らないだろう。この黄色い岩石はOoliteと呼ばれ、大物の化石を産出することで有名だ。実は、Cotswoldはアンモナイトや恐竜の化石もたくさん出る、隠れた名産地なのだ!

Chipping Camdenの町並み。家の石材が黄色なのが
Cotswoldの特徴であり、美しさの中心だ。しかし、これは
Ooliteというジュラ紀の石灰岩が酸化したものなのだ!
今回訪れた場所は、Chipping Camdenという所の近くにある崖だ。この日は終日霧がまいていて、なにやら幻想的な雰囲気だった。丘を下り、霧の中に、この町が浮かび上がってきたときは、おもわず感嘆の声を上げてしまった。まずは、この町にあるBadger's HallというTea roomで腹ごしらえ。お昼が午後1時ころから始まるイギリスでは、正午直後に行くと店はガラガラ。石炭が燃える暖炉を独り占めして、セロリがメインの野菜スープ、サンドイッチ、そして紅茶(Cream tea)をまずは楽しむ。寒い日だったので、スープが特に美味しかった。

お昼を済ませ、買い物をしてから、採集地点に向かう。途中間違えてStratford upon Avonに行ってしまった。丘を下るときに方角を違えてしまったらしい。迷いながらもようやく現地にたどり着く。

この場所はゴルフ場の敷地の端にあたり、崖が長く続いている。最初は芝生の緑に覆われているが、20分も歩くと黄色の崖が姿を現した。この崖の崩落を丁寧に観察すると化石が採集できるというわけだ。しかし、今回は初めて訪れたこともあり、勝手が分からずに時間を無駄にしてしまった。化石が採集できる場所を突き止めたところで、この日は引き上げることにした。夕方には宿に戻りたかったからだ。

黄色の崖が広がる採集地点。
それでも、腕足類が詰まった岩を採集することができた。最初にしては上出来だと思う。一億8千年前の腕足類で、おそらく死骸が固まった海底の様子を表していると思う。結構潰れたり、割れたりしている化石が多い。種の同定はおいおいやっていこうと思う。

岩石の見事な黄色はまさにCotswoldの家並みの色。よく見ると、直径1mm程度の小さな丸い粒子が含まれている。これは岩石成分が丸く結晶化したものらしい。同じような岩石は、Jurassic coastのさらに先のところでも見る事ができるから、地層の分布はDorsetからCotswoldにかけて伸びているのだと思う。

Ooliteの岩石に含まれる化石

口が段違いのタイプのBrachiopod
とにかく今回の採集旅行の景色は「黄色」だった。英国の化石採集は「色」の採集でもある。Doverの白亜の化石は白、Dorsetのジュラシック海岸は黒や灰色、そしてCotswoldは黄色。あと見てないのは、Cornwallの赤のみ。これはもの凄く古い化石でほとんど形が残ってないらしい。あまりに大昔で生物の形態は原始的になりすぎ、フデイシとかクラゲとかそういうタイプの化石になってしまうようだ。

2012年3月17日土曜日

Dorsetでの化石採集:つづき

成果が少なかったので、さらに海岸線の続きを探索する。こちら側はGreen Ammonite Bedという地層が現れてくる場所で、先ほどのBelemnite marlの上層、つまり新しい層に相当する。この層からは、大きめのアンモナイトが産出するので当たると大きい。

このあたりで出る大型のアンモナイトはAegocerasという種類で、アンモナイトの体が収まっていた付近には、死後に砂や泥が入り込み、海底に沈んでも水圧や土圧で潰れ難い。一方、中心部は空のままになるので圧力で潰れてしまう。その結果、殻の外周部のみが化石となって残り、あたかもソーセージのようになる。この地層からは「ソーセージ」は結構たくさんとれるが、完体の化石を取るのはなかなか難しい。今回は、残念ながらソーセージだけとなった。

Aegoceras。中心部は潰れ、泥が入っている。
この付近に嵐が来た翌日などには、砂浜の砂が大きくえぐられ、下からBelemnite marlが露出することがある。そんなときは、大物でかつ完体の標本がざくざく取れる。またベレムナイトの完体や、大きめの黄鉄鉱のアンモナイト化石なんかも出たりする。今回は、そんな化石ではなく、雑魚ばかり。しかし、採集した貝殻の化石でも、日本に持ち帰れば、「お宝」だ。なんともいっても、ジュラ紀の貝だから!

二枚貝(?)の化石。泥の中から採集。
またこの地層からは、黄鉄鉱(pyrite)や石膏(gypsum)などの鉱物も採集できる。前者は、酸素の少ない泥の奥底に住む細菌の活動によって生成されたものだし、後者は海水成分が火山の噴出などによって、地中の裂け目(vein)に晶析したものだ。生物の死骸が分解されて、黄鉄鉱と化したものは浜辺に無数に転がっていた。また、石膏の中でも透明度の高い結晶はセレナイト(Selenite)と呼ばれるが、今回はそれを採集することができた。(ただ、結晶が割れた隙間に泥が入りこんでしまい、透明度は今ひとつだった。)

Seleniteの結晶。
今回借りたレンタカーの写真を載せておく。Vauxhall(現在はOpel/GMの英国子会社)のCorsaの新型。1.4Lだったが、結構良く走ってくれた。
Vauxhall Corsa @ Jurassic coast

DorsetのJurassic coastへ行く

昨年の旅行では、化石採集のためEast sussexのSeven sistersへ行った。Londonの南側にあたるその場所は、真っ白のチョーク(柔らかい石灰岩)の崖が海岸線を成していた。

今回は、その遥か西にあるDorsetのJurassic coastに採集に行く事にした。この海岸線は黒い。Seven sistersは南洋の海の珊瑚礁の名残だが、ここは深い海に沈んだ有機物を豊富に含む泥の名残だ。つまり、大陸の沖合に相当する場所だ。

この海岸線は世界遺産の一つに登録されており、ジュラ紀から白亜紀にかけての化石が豊富に産出する。恐竜、魚竜も時々でるし、アンモナイトはざくざくとれる。(といっても、こればっかりは運に左右されるけれど。)そもそも、化石による古代生物の研究はこの地より始まったので、地質の資料や化石の標本などは、この地のものを標準に組み立てられている。したがって、自分が採集した標本の同定がやり易いため、初心者にはもってこいの場所だ。

Jurassic coastの黒い崖。このあたりの年代は約1.9億年前。
化石がたくさんとれるかどうかは、崖の崩落が進み、それが海に洗われているかにかかっている。したがって、冬の間に嵐がたくさんくると、よい化石がたくさん採集できる。残念ながら、今年の英国の冬は非常に穏やかだったようで、海岸は大量の砂に覆われてしまっていた。通常のビーチなら「きれいな浜辺」と喜ばれるところなのだが、化石ハンターにとっては「最悪の状態」だ。

実際このあたりにはプロの化石ハンターがたくさんいる。今回も一人、大きなシャベルとザックを背負って崖を登っていった。彼らが狙う大物は、飛行機に乗せて持ち帰れないから、真似して後はついていかない(負け惜しみ?)。彼らの(そして彼らの祖先の)獲物は大英博物館の分館である自然科学博物館(The Natural Hisotry Museum)に展示してある。イクチオサウルスやプレシオサウルスなどが最初に発見されたのはこの海岸だ。

写真に写っている崖はBelemnite Marlという名前がついた地層で、Belemniteというイカに似た生物がたくさん埋まっている。いつもは吐いて捨てるほど取れるBelmniteは今回あまり見られなかった。やはり砂の下に埋まっているのだろう。この地層の下部にあるBlack Ven Marlからは、黄鉄鉱化したアンモナイトが泥の中から採取できる。海がよく荒れたときは泥が洗い流されて、綺麗に輝く化石だけが浜辺に打ち上げられていたりする。それを見つけたときの感動は「あ+感嘆符」のみでしか表現できない。残念ながら、そういうのは今回なかった。

ということで、今回の採集は黒い泥を覗き込んでアンモナイトをほじくり出すタイプの採集となった。こういう採集はなかなか実りがなく、いい標本はなかなか取れない。ということで、きれいな春の日ではあったが残念な結果となった。それでも久しぶりの海だったし、化石採集だったし、楽しかったんだから満足。

今回採集できた、黄鉄鉱化したPromicrocerasの化石。

2012年3月11日日曜日

Royal Observatory Greenwichに行く

英国の大学でセミナー発表することになり、その合間にグリニッジ天文台を訪ねた。

VauxhaulのCorsaの新型を空港のレンタカー屋で借り、ロンドン中心部を抜けて走ること1時間程。行きはテムズの南岸を走った。その途中車から見ただけでも、グリニッジ手前の周辺地帯(例えばPeckham)はシャッターがしまった店ばかりで、かなり荒んだ感じなのがわかる。この間の暴動では焼き討ちなどもあったのかもしれない。渋滞もひどかった。しかし天文台の近くは道も広くなり、駐車場も意外に多く、車の置き場には困らない。今回はEnglish Heritageの駐車場に停めた。土日は無料というのも嬉しい。

芝生が広がる丘をしばらく歩く。Heritageの敷地に沿ってフリントの塀があり、その脇にfootpathがあった。この塀はやがて大金持ちの屋敷の塀と合流し、細い通路のようになっていく。そこを通り過ぎると塀に穴が空いていた。恐る恐るそこをくぐったら、さらに広大な芝生の公園が目の前に広がった。この丘の縁に天文台の建物が建っているのが見えたのでほっとする。途中、「事前に地図は確認しておくべきだった」と一瞬後悔したが、見つけてしまえばこっちのものだ。

グリニッジ天文台の建物群。
赤玉のある建物(Flamsteed House)のところに子午線がある。
午前中は結構寒かったのだが、博物館の展示に熱中しているうちに天気になった。お昼近くには16度近くまで気温は上昇。春の到来初日といった感じ。

£7払って博物館に入ると、まず出迎えてくれたのがハーシェルが製作した40フィートの大型反射望遠鏡。18世紀当時の世界最大の望遠鏡だったという説明があった。しかし、天王星の発見はもっと小さな反射望遠鏡を使って成し遂げたらしい。どうも大きすぎて使い難く、毎日の観測には使えなかったようだ。
ハーシェルの40フィート反射望遠鏡。
肉眼観測時代に利用した四分儀などの観測道具や、種々の望遠鏡、そして地動説、天動説の模型、無数の古い時計など、面白いものばかり。2時間程楽しんでしまった。
Framsteed House(肉眼観測のための天文台)
赤玉は、テムズを航行する船に時間を伝える時計だったとか。

子午線。
この後、「川底トンネル」を通ってテムズを渡り、ロンドンの中心部に入る。シティに近づくにつれ渋滞が始まる。交差点で立ち往生すると罰金になるので、強引に割り込みを繰り返しつつテムズ沿いの道を目指す。スピードカメラが林立し、非常に走り難い。知らないうちにThe monumentやTower of Londonの目の前に抜けてしまったりもしたが、それもまた一興。

Westminsterにたどり着くと、歩道は観光客で溢れていて驚いた。今日はなにか祭りでもあるのかと街行く人に聞いてみたが、「なに、天気がいいってだけのことだよ」との返答。南ヨーロッパの学校が多分春休みに入ったのが原因だと思う。

車をいつもの場所に路駐して、タクシーでFortnum and Masonに向かおうしたが、Black Cabの運転手に「ピカデリーまでが凄く混雑しているから、歩いていった方が早いぞ」といわれる。腹ぺこ状態で、とぼとぼなんとかSt.James Parkまで歩き、そこで捕まえたBlack cabはピカデリーまで乗せてくれた。(そんなに混んでなかったぞ!)F&Mのレストランでは「予約なしではちょっと...」と断られる。タクシーにせよ、F&Mにせよ、本当は服装を見て差別されたかも。(ロンドンには少なくともジャケットを着て来るべきだったと反省。)しかたなく、お茶席の方へ回る。料理はちょっと塩っぱくて今ひとつだったが、落ち着いて食べられるのがここのいい所。お腹いっぱいになって満足。さすがに紅茶とティラミスの組み合わせは絶品。

お茶席の階段を下りて、客で埋め尽くされた売り場へ飛び込む。手作りチョコのコーナーで、長いガラスケースの中に溢れる、様々な一口チョコを、ひとつひとつ迷いながら選んでいくプロセスは、ヨーロッパだけの楽しみなり。

Piccadilly circusにあったジャパンセンターが入っていた建物が壊されていて驚いた。Fortnum and Masonが混んでいたら、寿司でも食べようかと思っていたので冷や汗。ジャパンセンター、フロアを広くしたばかりだったのに...いったい、どこにいってしまったのだろう?

追記:後でPeckhamのことを調べてみると、イギリスで最も危ない地域だということが判明。犯罪率は高く、ギャングが蔓延っていて、貧しい人が多いとか。ロンドンの暴動の時も、案の定ひどかったらしい。Peckhamを見た後、PiccadillyのFortnum and Masonという対極の世界へ行ったのは、ある意味衝撃的なことだった。資本主義の最大の問題点「貧富の差」というものを、わずかに1時間ほどしか離れていない場所(同じ町の真ん中とその外れ)で見ることになった。貧富の差が開きつつある日本とはいえ、まだここまではひどくないと思った。絶対にこちらにむかって落ちてきてはいけない。

2012年3月9日金曜日

LAの原発事故

毎日新聞の3月9日の記事に、ロスアンゼルス近郊にあった原子力発電所周辺のセシウム汚染の記事があった。驚いた点は2つ。LAの中心部から目と鼻の先に原発が建設されており、そして事故を起こしていた事。もう一つは、アメリカの汚染許容基準はだいたい10Bq/kgだということだ。日本の埋め立て基準値は8000Bq/kg!!!

まず、最初の点。事故を起こしたのは、Santa Susana Field Lab.という研究所にあった原子炉。ここで、米国最初の商業用原子炉が運用された。1950年代から1970年代まで10基の原子炉が稼働したようだが、現在は廃炉解体されて残ってはいないという。1950年代の後半に事故が相次ぎ、1959年には商業炉としては世界初のメルトダウン事故を起こしたようだ。しかし、この事故の存在はは米国政府によって機密扱いされ、事故事実や関連データは隠蔽されてしまった。事故の存在を認めたのは最近のことで、付近住民の健康問題が浮上し、ついに今年になってセシウム汚染の検査が行われたというわけだ。

放射線は人間には見えない。匂いも色もない。しかも、健康に害が出てくるのは、被曝してから何十年も経ってから。さらに悪い事に、確率論的な発生をするので、被曝した全員が必ず被曝症状を発症するとは限らない。つまり、悪魔のくじに当たってしまった運の悪い人だけが、いわれのない責め苦を負うことになる。こういう性質から、事故直後に事実を隠蔽するのがとても容易だ(必ずいづれはバレるけれど)。

この原子炉のあった場所が驚きだ。地図を見てみると、LAにあるサンタモニカ山脈(いわゆるHollywoodの文字看板がある山)の北側だ...LA中心部から見てこの山の裏手の街Van Nuysからサンタモニカに向けて101(Ventula highway)という高速が走っているが、途中にVentulaというちょっとした町があって、LAからサンタモニカへ行くときの中間地点だ。

夜LAに戻ってくる時は、このあたりから山岳地帯となり山道をぐんぐん登る道程となる。赤いテールランプが線状に連なっていたらその日は運悪く渋滞。しばらくは寒いこの場所で我慢する必要がある。この辺の感じは、山梨の勝沼から笹子トンネルに入るまでの風景に似ている。この山岳地帯の北側の谷(Simi valley)に、件の原子炉はあった。
Santa Susanaの原子炉があったSimi Valleyの位置。
Simi valleyから、サンタモニカ山脈の南にあるLAのダウンタウンまではちょっと距離はあるが、それでも車で40から60分程度(もうちょっとあるかも)。海岸にあるサンタモニカだったら、もっと近い。なにより、マリブやトパンガの「すぐ裏側」にある訳で、ビバリーヒルズやベルエア、ウエストウッドなんかには「とても近い場所」だと個人的には思う。こんなところに、「もんじゅ」と同じ液体ナトリウムで冷却するタイプの原子炉があったとは!

そして、案の定、液体ナトリウムは事故を起こしやすいこと、そしていったん事故ると人間の手に負えなくなってメルトダウンまでいってしまうことを、最初に実証して見せてくれたわけだ。地域住民の命と健康という高い代償を払って。メルトダウンすると燃料棒の温度は数千度に上がるから、連鎖反応の分裂砕片核物質(fission fragments)のうち、揮発性の高いヨウ素131やセシウム137などがガス状になって、溶けてしまった炉心内部から逃げ出してしまう。電源がキチンと確保され、冷却機能が保持された状態でも、メルトダウンしてしまうわけだから、福島のように電源喪失、冷却機能停止と、警告音声が鳴り響く状態になってしまったとき、液体ナトリウムで冷やす原子炉を冷やす手だてはもう無い。(水をかけたら、ナトリウムと反応して爆発炎上してしまうから。)

驚いたことの二点目:封印され隠蔽されてきたこのSanta Susanaの原発事故だが、事故から50年近くも経てば、健康被害も目立つようになってくる。さすがに隠しきれなくなった米国政府は、ついに土壌の放射能レベルを測定するはめになった。その結果が7300Bq/kgで、アメリカの基準の1000倍近い「汚染」があるという....

ちょっと待て。この「汚染レベル」は日本政府が「安全だから埋め立てていいよ」といっているレベルと同程度ではないか?日本政府が出した「お達し」では、「8000Bq/kg以下の焼却灰は通常どおりの埋め立て可能」となっている。この「法的」根拠(科学的、医学的な根拠ではないことに注意)に基づいて、佐久のフジ・コーポレーションだとか、信州中野の飯山陸送、さらには政府の瓦礫処理キャンペーンに乗っかって、伊勢崎(群馬)だの、房総(千葉)だの、その他もたくさんの地域で、放射性物質の埋め立てを行っている。米国の「法律」に基づけば、これの埋め立ては、法定基準値の1000倍近い汚染を奨励促進しているという,まさに愚行。これを驚かずに何を驚けというのだろう?

2012年3月6日火曜日

長野県の「風評被害」

セシウムを纏った震災の瓦礫焼却や、高い放射能を持つ焼却灰の埋め立ては、放射能物質を拡散させて、放射能汚染を広げてしまう。にもかかわらず、それを必死でやろうとする政府や自治体に対する「うさん臭さ」を多くの人が感じている。瓦礫処理の「本当の理由」を巡る裏話は、すでにあっちにもこっちにも広まっている。

この愚策を行う政府や自治体でも、「風評被害」だけは気になるようだ。瓦礫処理や放射能物質埋め立ての「安全性」について必死に口裏合わせを行っているように見える。しかし、「放射能物質の粗雑な処理」というone phraseが人々に与える不安感は、役人たちの、長ったらしい「安全性」の説明が、丁寧で長くなればなるほど倍増する。いうなれば、「風評被害」をもっとも恐れる役人たち自身が、「風評被害」を生み出している張本人だ。

長野県の「風評被害」課(産業廃棄物課?)に問い合わせてみた。すると「風評被害は無い」とおっしゃる。

このタイミングを狙ったかどうかはともかく、3月5日の信濃毎日新聞(信毎)の朝刊に「続く食品輸入規制」という記事が載った。世界の47の国が日本からの農産物の輸入を、放射能汚染を理由に、ストップしているという。

特に問題となるのは、中国の輸入規制だろう。日本からの輸入はまったく禁止というわけではなく、たとえば京都からの野菜の輸入は「放射能検査証明」があれば可能だ。しかし、次の10都県は例外で、何をいっても取り扱いしてくれない。完全な輸入禁止である。その10都県とは、福島と宮城の東北二県。次に栃木、茨城、群馬、埼玉、千葉、東京の関東全県。最後に、新潟と長野の信越二県である。

つまり、長野は、福島や関東と同レベルの放射能汚染があると、中国には思われているのである。確かに、軽井沢や佐久市の県境付近の汚染は、関東のホットスポット並みの汚染がある。しかし、佐久市から西の地域の土壌汚染を調べると、そのレベルは関東に比べて遥かに低い。(しかし長野県の東北信の汚染は皆無とまではいかず、「軽微の汚染」ということは認めないといけないが。)例えば、安曇野の蕎麦を中国に輸出することは、「放射能汚染」のため不可能であり、小布施の栗菓子も「セシウム汚染」のため中国には持ち込めないのである。

「風評被害」がないとする長野県の役人は、これをどう説明するのか?

小布施の栗菓子も、伊那の市田柿も、いまや、中国の農薬入り餃子と同じレベルの扱いになっている。すでに「風評被害」があるというのに、さらに高い放射能をもつ廃棄物や瓦礫を、関東や東北から長野県内に持ち込もうというのだから、長野県の役人たちは「風評被害」の熟成、醸造のプロとして、「いい仕事」してる。


2012年3月4日日曜日

The GuardianのFukushimaの記事

原発事故から一年が過ぎた。英国の主要紙The Guardianでも記事が載った。それは、大地震の記事でもなく、巨大津波の記事でもなかった。書いてあったのは、原発事故の現在を伝える内容だった。世界の人々は、もう津波のことも大地震のことも、ほとんど忘れている。覚えているのは、「日本のフクシマというところで、史上最悪の原発事故が起きた」ということだけだ。この事実が、日本の観光や産業のイメージに、どれだけ泥を塗ってしまったかは計りしれないだろう。今や、世界の人が日本を見る時、「放射能に汚染され、技術も劣等で、落ち目の国」という印象を持つのは間違いない。