2009年11月1日日曜日

訳本は難しい

訳本を読んでいて「難しい」と感じた。

多くの人は、シェイクスピアの戯曲のおかげで、リチャード三世のことを知っている。だが、歴史としてみた場合、この話は胡散臭い。なんといっても、シェイクスピアのパトロンは薔薇戦争の勝者だからだ。とはいえ、個々の話に問題があっても、学者はさまざまな記録をふるいにかけて共通点や補完する見方を手に入れ、偏見のない知識に到達できる。

日本語として、なんか意味がすぐに頭に入ってこない....それに、この書き方、ハーバード大学の先生が書いた文章とは思えない。「胡散臭い」なんて、どこぞの週刊誌の政治記事かなんかのようだ。そこで、原書を購入して読んでみた。

Most of us learn about Richard III through Shakespeare's eponymous drama, but as history, this account is suspect - after all, Shakespeare's patrons won the War of the Roses. Biased, selective, incomplete, and even incomprehensible documents are the daily bread of historians. Despite the shortcomings of individual accounts, however, scholars can arrive at a balanced understanding of the past by sifting through a number of different records for points of agreement and complementary perspectives.


まず驚いたのは、"Biased, selective...."に対応するはずの一文が、訳本に見つからないことである。完全に訳し忘れている。この文はいわばこの段の主文であり、これがないと、次の段落への展開に辻褄があわなくなってしまう。

最初の文は意味だけとれば悪くないが、learnを使っているので、単に「知っている」とやるより、「勉強して学んだ」感じを出した方がよいと思う。「シェイクスピアの戯曲」ってのはいいとは思うが、「eponymous」を訳してない。エリザベス朝もの、とかエドワード朝もの、とかいった感じの、いわゆる「時代劇」である。イギリスでは"period drama"ともいう。また、文末にリチャード三世が来ているが、後ろの文章で議論されるのは「戯曲」であって、王様のことではない。間違った印象を与えるのを避けるためには、王様と戯曲の順番を変えたほうがよいだろう。

しかし、この翻訳の一番の問題部分は、飛ばされた文の次の文だと思われる。まず、accountを『話」としているが、やはり「記述」にするべきだと思う。「話し」っていうのは、なんか安っぽい週刊誌の記事を思い浮かばせるのでよくないと思う.また、一文飛ばしてしまったので、scholarsの意味が曖昧な「学者」になってしまっている.ここでは「歴史学者」とするべきだろう。

最後の「偏見のない知識に到達できる」というのはそれこそ「訳者のハナシ」であって、原著者の意図していることではない。到達するのは知識」ではなくて、「理解」である。学者たちの骨身を削った前向きな努力があって、やっと得られるのが「理解」である。だから、「理解」は、ある意味、その学者の「作品」であり、創造といってもよいかもしれない。(もちろん、自分勝手な創造ではだめで、史実や論理に沿ったものでなければならないのはいうまでもないが。)一方、「知識」というのは、どちらかというと受け身な感じがして、いわば、論理的な思考を身につけたものなら誰でも到達できるものだから、ある意味「あたりまえ」の作業だ。説明書通りにプラモデルを組み立てるのか、それとも自分のイメージを形にした彫刻作品をつくるか、の違いである。


リチャード三世について最初に学校で習うのは、大抵シェイスピアの「時代もの」の戯曲だろう。しかし、彼の作品が史実を忠実に再現しているかといえば、それは疑わしい。つまるところ、シェイクスピアの創作活動を支援していたのは、薔薇戦争に勝った王や貴族たちだったからだ。このように、恣意的かつ偏見に満ち、不完全である上に、ときには文字がかすれて読めないような文献こそが、真の歴史学者たちが日常的に扱う資料なのである。ひとつひとつの資料には様々な問題点が存在する。しかし、それにもかかわらず、歴史学者たちは、たくさんの記録や資料を調べ、それらをふるいにかけながら、多くの記録に共通して記された出来事や、ある資料で欠損している部分を補完するような記述を探し出したりして、過去に起きた出来事に対してバランスのとれた理解へと到達することができるのである。

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