2013年9月5日木曜日

奈良井宿へゆく

8月の終わりに奈良井宿へ行った。歴史的には当然「木曽」地域なのだが、小泉政権下でやった市町村統合の悪影響を受けて、「木曽の奈良井宿」は「塩尻市奈良井」になってしまった。なんだか興醒めだ。

とかなんとかぐちゃぐちゃ書いても、奈良井宿が素晴らしいことには変わりない。
奈良井宿
五平餅とおやき。木曽のは信州の他の地域のとはちょっと感じが違って、とても美味しいと思う。奈良井宿の通りには、他にも蕎麦やら茶屋やらがずらーっと並んでいて、どこに入ろうか迷ってしまうほど。今回は、しかし、夏の陽光を楽しむために、奈良井宿っぽくないけれど、テラスのあるカフェにいくことにした。場所も街道からちょっと外れた場所にある。目玉料理らしき「百年前のカレー」もよかったが、ここは「水出し珈琲」がなんといっても一番。おかわりしてしまった。

奈良井宿の「手前」には、木曽平沢という漆器工房の村がある。ここの工房では、長野オリンピックのメダルを製造したという。ある漆器店の主に「漆塗りの金メダルだったんですね」と尋ねると嬉しそうに頷いていた。木曽には腕のいい漆器職人も多いけれど、いい家具職人もたくさんいる。山中の工房に独り籠ってもくもくと素晴らしい家具を作りつづけている。そんな職人のひとりを紹介してもらって、工房を訪ねてみることにした。

木曽の山の中に入り込むのは実は初めてのことだ。細い道を縫って緑の森の中に分け入る。やがて、ぽっかりと穴が開いたように森が無くなっている場所があって、そこに工房があった。周りに倉庫が並び、木材がうずたかく積み重なっている。木の歪みをとるために、寝かせてあるのだという。職人の方と話をして、机を作ってもらうことになった。すると、倉庫の中に入ってゴソゴソやっていたかと思ったら、大きな欅の板を二枚持って出て来た。一見、誇りだらけで汚く見えたが、30年寝かせた板だという!しかも、その樹齢は伐採時およそ300年程度だろうという。江戸時代から昭和にかけての300年間を木曽の森で暮らした立派な欅の木の板なのであった。なにもかもが素晴らしい。自然な風合いを生かして、卓を作ってもらうことにした。秋の終わりには完成するという。雪が降る前の、山々が紅葉して赤くなった頃に受け取りに戻ろうと思う。


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