2012年6月17日日曜日

菅直人氏は再び立つべし:脱原発の日本へ

野田首相とその取り巻き、そして自民党のほとんどは、グルになって国民主権の政治を踏みにじった。国民の声を聞いて政治を行うのが民主主義だ。だから、今の日本政府がやっているのは専制政治と同じだ。野田氏がどうやって原発事故の責任をとるというのか?そもそも、福島原発の事故に関して日本政府が責任をとっていると、福島の人々は感じているだろうか?

官僚や金持ち(財閥)の声だけに耳を傾け、国民の声を無視した時、日本は戦争に向かった。その結果、敗戦という大きな代償を払うはめになった。そして、日本人の血と肉を貪り喰って生き残った「政治家」と「官僚」と「財界」は、また再び同じことをやろうとしている。そして、またもや無知で無口で「従順な」国民はその血を無為に吸われつつある。

戦後60年の歴史の中で、この3つの「惰性」を止めることができたのは、菅直人氏だけだ。野田氏やその取り巻き、そして自民党が日本を動かせば、多くの国民にとって、この先待ち受けているのは、太平洋戦争直後に日本人が味わった「滅び」だけだ。

菅氏が再び立って脱原発を進めることを切に願う。日本は変わらなければ、その未来はない。

1 件のコメント:

enniethebear さんのコメント...

Kuzzila 先生

よくぞ発言していただきました。

管直人氏は、世間一般の受けはよくないようですが、私は、彼が“生来の理科系人間”としてよくやった方であると評価しています。

“管直人”の“かん”は“癇癪”の“かん”であることは、彼を知る東工大での管氏の友人(そして私の高校の級友)の認めるところかも知れません。 決断を求められる科学者や技術者はそうであっても仕方がないのです。 他者の思考や行動が時にスローモーションであるかのように見えますから。

原発事故の根本原因には、官、民双方の事故調査委員会なる集団とも全く減れておりません。 異分野のエンジニアから見れば、安全を担保できるは、「不作動が発生しない単純なハードウエアと誰にでも決断し操作できるシステム」、あるいは「壊れないアポトーシス機構」なのは明白です。 事故発生後の対応や情報伝達など全くの枝葉末節なのです。

私は、3月11日の時点では、手動による排出物吸収装置槽付ベント機構と非電子制御ディーゼルエンジン直結の容積型高圧冷却ポンプは当然備わっていると考えていました。 スイスの原発には一部ですが、この思想が採用されています。 しかし、私の楽観はNRCの80年代の資料を読むことにより完全に打ち砕かれました。

知ろうと思えば知ることが出来た危険を指摘できなかった異分野の科学者、技術者は、その責から免れないと思います。

私も声をあげるべきであると考えており、近々のうちに行動をおこす予定です。

Kuzzila 先生には、ますます鋭い舌鋒をもって警鐘を鳴らしていただきますよう期待申し上げております。