2012年4月1日日曜日

チェルノブイリのホットスポット:イタリアとドイツ

1986年のチェルノブイリ原発事故から一年後に、この事故を特集したNHK番組が作られていたことを知った。その再放送が、先日(例によって真夜中に)流れたので、鑑賞してみることにした。とても驚くべき内容だったので、ここにまとめてみたい。

まずは「ホットスポット」という言葉がすでに登場していたことに驚いた。もちろん、今では多くの人が、「ホットスポット」の概念は、そもそもはチェルノブイリ事故からの応用だということをよく知っているだろうから、それほど驚かない人もいるだろう。しかし、その距離的感覚は、せいぜいベラルーシやウクライナといったチェルノブイリ周辺の旧ソ連地域に限られていると思っているのではないか?この番組で紹介されていたホットスポットは、もっと広大な地域、つまりヨーロッパ全域に関するホットスポットだったことが、私の二番目の、そして最大の驚きだった。そして、その汚染の度合いは、どうやら現在の郡山や日光付近の放射能汚染と同程度だ。つまり、相当強いホットスポットが、西欧州にも広がっていたということだ。この番組があったにもかかわらず、イタリアやドイツに生じたホットスポットについてはあまり知られていないと思う。

まずは、空気の流れによってどのように放射能プルームが広がったのかを計算した図を見てみよう。これは、当時の日本の気象庁を初め、北欧や米国の国立気象研究所が流体計算に基づくシミュレーションを行った結果をまとめたものだ。(今となっては貧弱な、1980年代当時のコンピュータでもこれだけ速く正確に計算できるのに、現代の並列化スーパーコンピュータを利用したSPEEDIの計算が事故の解析に使えないわけがないだろう、と叫ぶ人は多いだろう。他国の解析はこれだけ熱心なのに、自国の事故の分析は隠すのが日本政府の正体なのだろう。)

チェルノブイリからの放射能プルームの流れのシミュレーション。
最初に私の目を引いたのは、イタリアの名勝地Comoだ。湖の青さ、ドロミテ山脈の高さと美しさ(そしてイタリアのドライバーのメチャクチャさ)が素晴らしい。(湖の脇をうねる長いトンネルで何度も追い抜かれた。)コモはヨーロッパ最高の観光地の一つだ。007のCasino Royaleの最後のシーンも確かComo lakeで撮影したはず。この美しい湖のある街が、30年前、セシウムで強く汚染されホットスポットと化してしまったというから、驚いた。
Comoで1987年に測定された、土壌のγ線スペクトル。
セシウム134と137が顕著だと指摘している。
この汚染の度合いは、現在の郡山と同じ程度。
Comoにはミラノ大学で知り合った友人たちが住んでいるし、5年程前に研究会でイタリアに言った時、車で通った場所でもある。ここで素晴らしい時間を過ごすことができたのはいうまでもない。イタリア料理も食べたし、空気も水もおいしかった。(Comoの近くにあるBelgamoではミネラルウォーターの世界的なブランドになったS.Pellegrinoが生産されている。)英国の同僚達も口をそろえて、ニースやカンヌなどのある南フランスよりもコモはすばらしい、と言っていた。

先日、英国に行った時、偶然イタリアの友人に再会した。彼に話を聞くと、確かに小学校の頃、地域に立ち入り禁止区域があったり、食品規制があったという。しかし、それはすぐに無くなって、高校大学に進学した頃にもなると(つまり、10年ほど前?)、もう誰も放射能のことは気にしなくなったという。彼の話では、ミラノ周辺で放射能による健康被害が問題になったことは、未だにないそうだ。

チェルノブイリの事故があったのが25年前だから、ほぼセシウムの半減期にあたる。Como周辺に降り注いだセシウムの量は今ややっと半分になったというのに、事態はそれほど深刻化していないようだ。すでに10年前から食品規制はなくなり、ヨーロッパのみならず世界中に食品を輸出し、観光客を招き寄せるようになった。私もこの地域の食品をたくさん食べて飲んでしまったし、訪問までしたんだから、まちがいなくチェルノブイリのセシウムを摂取してしまっただろう。私だけでなく、世界中の人たちがComoの食品を食べ、飲み、そして観光のために訪れている。これは、「30年はもつ」という風に解釈すべきなのか、それとも「意外にセシウムは怖くない」と解釈すべきなのか?非常に迷う。

ヨーロッパのホットスポットはComoだけではない。ドイツのミュンヘン、オーストリアのウィーン、そしてスイス全域など、観光地で有名なアルプス周辺の地域や国がホットスポットとなっていた。今、それを気にする人はほとんど誰もいない。(ウィーンには去年いってきた...J.シュトラウスの像のある公園で、まずいソーセージ料理を食べたりもした...)ミュンヘン工科大学の教授が先日京都に来た際に話した感じでは、彼はミュンヘンがホットスポットとなっていることすら気付いていない。

80年代は、ガイガーカウンターも大型で持ち運びしにくく、また高価な製品だったので、今のように市民が測定する事は難しかった。そのため、詳細な汚染地図がつくられなかった可能性が高い。だから、人々は汚染の事実に気がつかないまま時が過ぎてしまったのではないだろうか?にもかかわらず、ミラノでも、ミュンヘンでも、ウィーンでも、スイスでも、際立った健康被害は報告されていない。私が思うに、じわじわと増加する乳がんや前立腺がんの原因の一部になっているかもしれないが、それは決定的な原因とはまだなっていないように感じる。半減期を過ぎた頃にそれは現れるのか、それとももうセシウムは怖がらなくてよいのか?まったくもって謎だ。

一つの説としては、陸上の汚染は植物に移行しにくい、というのがあるかもしれない。土壌が汚染されても、植物はその全てを吸収できないので、人間の体にはなかなかセシウムは入って来ないという考え方だ。今Comoやミュンヘンの土壌のγ線を見て、はっきりとしたセシウムのピークがあれば、この考え方でいけると思う。興味があるのは、Como lakeの魚の汚染だ。セシウムの解けた水を直接吸い込む魚介類は、陸上の汚染に比べて遥かに汚染が深刻になる傾向がある。

とすると、日本の場合、陸上の汚染はしばらくは続くだろうが、10年も我慢すれば、イタリアやドイツのように切り抜けられるのかもしれない。しかし、海の汚染に関してはチェルノブイリの事故は我々にあまり教えてくれない。原子炉から直接汚染水を1年以上も垂れ流し続けた事故は、福島が初めてだ。太平洋や東京湾の魚介類の汚染こそが、今一番恐れなくてはいけないことなのかもしれない。


0 件のコメント: