2012年4月4日水曜日

巨艦主義と「慣性の法則」

落ち目の国家や集団が「慣性の法則」に従っているように見えることについて以前書いた。最近、この法則があちこちに適用できることに気付いた。その一つが巨艦主義、あるいは大鑑巨砲主義と呼ばれる考え方、行動の仕方だ。

これは、惨めな旧日本軍の失敗を指して、とりわけ使われることが多い。しかし注意すべきは、現在の日本政府は、旧日本軍に勝るとも劣らない勢いで、惨めな失敗や判断ミスを犯していることだ。つまり、旧日本軍の失敗は、かならずや現日本政府が近々犯すであろう失敗を暗示していると考えられる。

旧日本軍の「慣性」が始まったのは、日露戦争の「日本海海戦」だろう。ロシアのバルチック艦隊を運良く撃滅したことに気を良くした日本海軍は、「実績主義」、「経験主義」を重視する日本の役所の慣習をうまく利用して「戦艦」主義を推進する。おそらく、相当の国家予算をぶんどることができ、その恩恵を享受したものは、現在の原発を利用した、経産省—東電の関係に比較できるだろう。

この風習は、現在の科学技術研究費の審査にも未だに適用されている。(管轄は文部科学省だが。)外国で名を挙げたり、論文が海外で認められた研究、あるいは東大や京大のように既に「有名大学」で研究しているものに関しては比較的緩い審査で研究費が配分されるが、国内で萌芽したばかりの将来性ある素晴らしい研究を、日本政府は自分で判断して支援することができない。そういう若い研究は「実績」がないから書類審査で低い評価となり、研究費が支給されないのだ。こういうチャレンジに身をと投じる勇気ある日本人研究者はそれなりにいるが、たいていは潰されてしまう。したがって、大半の「賢い」研究者たちはチャレンジするタイプの研究は早々とあきらめ、安定した研究費支給が見込める、古くてやり尽くされ、「慣性」で動いている「つまらない」研究に参加する。こういうことばかりだが続くと、必然的に日本の研究全体が時代遅れとなって、国際競争力のレベルががた落ちに落ちてしまう。これにうんざりした、優秀な若手の研究者は外国に逃げてしまう。

ただ、運のよいことに語学が達者な人が今まで少なかったので、頭脳流出はこれまではある程度防げた。しかし、文科省が語学教育に力を入れて、英語などの外国語が得意な学生が増えれば増える程、日本を離れる科学者も増えるはずだ。文科省は、自らの経験主義、書類主義、実績主義を捨てないと、語学教育の推進とともに、日本の国力を疲弊させることとなろう。つまり、このままいくと、日本人は自らの資金を投入して、外国の国力(特に科学、技術)の向上のために、無料奉仕というよりも、むしろ「自腹奉仕」することになろう。

いったん「巨艦」や「戦艦」が、文部省や大蔵省で「実績あるもの」として認められてしまうと、それが時代遅れになっても、予算は延々と垂れ流され続ける。そして敗戦というカタストロフィを迎えるまでそれは止められない、というのが近代日本国家の特徴だろう。自律修正が作動しない機械は、爆発したり破裂したりして派手な最後を迎えることとなる。こういうのを「暴走」という。

面白いのは、零戦で真珠湾を攻撃した旧日本軍こそが、巨艦主義を終焉させた新しい流れ、戦法を編みだしたにもかかわらず、本人がその意味を理解していなかった点だ。役人の書類審査というのは、目の前の事務を効率よく処理することを至上目標とするため、処理されされればそれでいい。つまり、処理されるものがよいものか悪いものかは考えない。国の将来などは考えない。ただ、自分に与えられた事務が、法律や規律にしたがって、如何に迅速に効率よく処理されるかだけを気にする。木を見て森を見ず。私が戦争責任者であるならば、真珠湾の成功を見て、予算の中心は戦艦建造から、航空機開発、そして空母の建造へと大きくシフトするだろう。また、敵は真珠湾の敗北から、同じく航空機主力の戦法へとシフトするだろうから、空対空の新戦法の開発も始める必要が在ると考えるだろう。より早く、より高く飛べる航空機の開発、すなわちジェットエンジンやロケットの研究、また強固で軽い素材の開発などに尽力すると思う。しかし、日本政府と旧日本軍が敗戦までやり続けたのは、水面に這いつくばった鉄の塊でつくった鈍重な巨大戦艦の構築だった。零戦の開発費は削られ、養成に時間のかかる優秀なパイロットの命は軽視し、最後は爆弾抱えて飛び込め、といった馬鹿げた使い方に航空機は向けられてしまった。どうみても、日本国が戦争に勝つために努力したとは思えない。むしろ、戦艦を作り続けるために努力したのが太平洋戦争だったように思えるのは、私だけだろうか?

日本の原発は大きな事故を起こした。事故が起きると大きな問題を引き起こすことは、もう周知のことだ。しかし、事故が起きないとしても、使用済み燃料(すなわち死の灰)は、想像を絶するほどの強い放射能をもっていることが、既に大問題になっている。つまり、放っておくと数千度の崩壊熱を発してしまう核廃棄物(死の灰)は、ただ単に穴に捨てることができない。死の灰は毎日大量に「安全に作動する」原子炉で発生し、それは電気で作動する循環冷却システムに入れて100年以上も保管しないといけない。このままいったら、数十年の時間間隔で、日本中は冷却プールだらけになって、使用済み燃料の墓場と化してしまう。停電の度にあちこちでメルトダウンが起きて、放射能汚染されたサイトは100年以上に渡って立ち入り禁止となるかもしれない。こんな「時代遅れ」で割に合わないシステムに、日本の政府と主要な産業者たちは、巨艦主義でやったときと同じように、まだしがみついている。今回はチェルノブイリという「先輩」がいたけれど、それでも世界で二番目に、原発というシステムが役に立たず危険であることを証明することに成功した。そして、太陽光やら地熱やらを使った新しい発電システムの優れた技術も持っているし、その技術革新レースで優位な位置にいることも事実だろう。にもかかわらず、自律修正が効かない日本政府は、またもやカタストロフィめがけてまっしぐらに突っ走っている。これを止めないと、戦争を止められなかった昭和初期の人たちとまったく同じになってしまう。

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