2013年5月19日日曜日

江戸前のウナギのセシウム汚染

福島の原発が事故を起こして半年も経った頃、東日本、特に関東周辺のセシウムによる大地の汚染が明らかになり出した。柏、取手、三郷周辺や日光や那須、そして赤城、榛名、妙義(さらにはその裏の軽井沢まで)の山々などに、ホットスポットが点在していることが一般の人の努力によって発見され、それを文科省が追認する形で、放射性物質による関東平野とその周辺の山岳地帯の汚染が公式のものとなった。豊かな自然に恵まれたこれらの地域では、美味しい野菜や果樹が穫れ、牧畜や観光も盛んで、「美しい日本」の代名詞のような場所だった。これらの地域が、東京電力がまき散らした「死の灰」によって、一夜にして呪われた場所になったのは、皮肉にも、その豊かな土壌や美しい森が原因だった。セシウムは、粘土や、多孔質の植物表面/内部(稲藁とか、大木の表面など)に吸着しやすいからだ。雨水などで洗い流されることは少なく、豪雨や大規模な土砂災害がない限り、降り積もった場所を100年の単位で汚染し続けることになった。

関東平野の都市部にも放射性物質は大量に降った。東京中心部も例外ではない。自分の国の首都を、日本人(東電と政府の関係者というべきか)は自らの手で放射能物質により汚染し、死の灰にまみれさせた。これは世界に恥ずべきことだろう。(今後、日本が掲げて来た「技術立国」の肩書きは、世界の人々から嘲笑をもって、ジョークの種にされるだろう。)

関東の自然豊かな山林や農地と異なり、東京の中心部などの首都圏の都市部に降り積もった大量の放射性セシウムは、沈着する量は少なく、アスファルトやコンクリートの上を雨水などによって流れていく。そのため、「天然の除染となるだろう」と科学者たちは予想した。それを聞いた一般の人(つまり科学者ではない人たち)は安堵した。「東京は大丈夫なんだ」と。しかし、流れていったセシウムは、川が流れていく先のどこかに「移動するだけ」であって、消滅するわけではない。物理でいう、質量保存の法則、あるいは粒子数保存の法則だ。東京湾が、東京を含む首都圏の都市部に降り積もった莫大な「死の灰」を引き受ける「最終の地」であることは、科学者でない人たちにだって、よく考えれば明らかなことだったはずだ。

原発が爆発した直後、京都大学のある研究グループがシミュレーションを行った。首都圏の放射性セシウムがコンクリートの上を流れて、どのように下水から河川に侵入し、それがどんな具合に一級河川に集合し、そして、どの程度の時間で最後は東京湾に注ぎ込まれ堆積していくか予測を行った。その結果は、NHKの番組で報道された。東京湾が最大限に汚染されるのは2014年の春頃から、という結果だった。
NHKスペシャル「知られざる放射能汚染:海からの緊急報告」より。
(2012年1月15日放映)
京都大学のグループによる東京湾のセシウム汚染のシミュレーション結果
あれから一年ほど経過したが、東京湾の汚染に関する報道はほとんど無くなってしまった。浅草海苔、あさり、穴子、ウナギなど江戸前の魚介類にはおいしいものが多い。だからこそ、影響を考慮して(影響といっても食べる人の健康への影響ではなく、売る人のお財布への影響だが)報道を「控え」たか?などと思っていた。

そこへ先日、江戸川で捕獲したウナギが150 Bq/kgほどの放射性セシウムに汚染されているという報道が突然現れた。ついにきたか、と思ったが、実は研究者による調査結果はもっと前に判明していたのに、その通報を半年近く行政は無視/放置していたらしいことも伝えられた。やはり、隠していたのだ。ここにきて、良心の呵責に耐えきれず行政内部の誰かが情報をリークしたか、それとも「おかしい」と思った研究者がしびれを切らして報道関係に直接データを持ち込んだか、そんなところだろう。

今回の調査では、調べたのがたまたま鰻だったというだけで、東京湾全域が放射性セシウムで汚染されたとみるべきだろう。アサリなどの貝類、穴子、鰻などの魚、そして海苔などの海草類、すべての江戸前の魚介類の汚染調査を緊急に行う必要があろう。そして、調査が確定するまでは、これらの食品を口にするのは避けておくのがいいだろう。もちろん、食べたい人は「自己責任」で食べてもいいし、年齢の高い人たちは「影響が低いだろう」から気にしなくてもいいのかもしれない。しかし、疑いのある状況では、まずは「やめておく」というのが、「健康の観点」からは必要だと思う(経済の観点からではないことに注意)。

確かなことは、原発というのは、かくも経済的にも健康にも割にあわないものだ、ということだ。このことを、骨身に沁みて「日本人」は噛み締める必要がある。

5月17日の朝日新聞の報道から。

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