2018年9月3日月曜日

シムライノデとその生息地の壊滅

シムライノデについての報道(毎日新聞2018.Aug.21) に衝撃を受けた人は結構多いのではないだろうか? 腐海の森を焼き払おうとする一連の「愚行シーン」が宮崎駿の「ナウシカ」に出てくるが、それを思い出させる。

トルメキアのクシャナやペジテのリーダーのように、資金力のあるもの、政治的に力のあるものは、ついつい自分のことを「偉い」と思ってしまいがちで、なにをやっても褒められると考えたくなるものだが、自然科学の「偉さ」は金や実用性だけでは測れないものがある(例えば、「腐海遊び」と称される、ナウシカが独自に解明した腐海の研究など)。研究資金に困窮している科学者が、崇高で貴重な研究をしていることは多いし、「(日常の生活に)役立つ」ことが必ずしも「文化の水準」と同義であるとはいえない(むしろ非常に弱い相関でしかないことが多いのではないか?)ことを知ってもらいたいと切に思う。今回のシムライノデの問題は、異なる集団における「偉さ」の定義が平行線のように噛み合わないことに原因がある。

シムライノデは目立たない、控えめな風貌のシダ植物である。実際に野山で見たことはないし、写真でみたこともほとんどない。山で見かけたって同定はできない。だいたい、この記事が出るまで、その存在についてはまったく知らなかった。

東京の住宅地にはイヌシダという、日本原産の、案外よいシダが生えているのは知っている(wikipediaによれば、分布はユーラシア大陸東部とその沿岸諸島、つまりアジア東部だという)。英国のある造園家は「(東京のガーデナーが)イヌシダを目の敵にして必死に引っこ抜き、その跡地にガーデンセンターで買ってきたポット苗を植えるのは笑止千万だ」と評しているほどヨーロッパ人にはイヌシダはエキゾチックな観葉植物に見えるらしい。信州の山林で見かける大型のシダ、例えばヤマドリゼンマイだったり、クサソテツ(コゴミ)は信州の山なら無数に生えていて、あれをガーデンセンターで買う気はまったく起きないが、通信販売で買うと結構な値段がする。また、ゼンマイやワラビは、英国の森では採り放題である(現地人にあれを食べる風習はない)。

シムライノデは数が少なく珍しい、つまり希少である、というところが最大の問題である。写真でみても、私にはイヌシダと区別はつかないし、ヤマドリゼンマイのように見栄えはしないし、クサソテツやワラビのように食べられるわけでもない。しかし、多摩地方近辺の限られた森にしか育たない、と言われれば採集に行きたくなるし、高値をつけて買いたくもなる。が、その一方で「雑草」にしか思えない人は、草刈り鎌で切り払うだろうし、除草剤を撒き散らして枯らしてしまうのかもしれない。

今回の問題も、多くの報道で「盗掘を恐れるあまりに繁茂地を隠した挙句、無知な人間に切り払われて壊滅状態となってしまった」と解説している。難しい問題だと思った。

英国なら、すかさず採取してKew Gardenで栽培しながら(DNA保存やその他のあらゆる科学的手段を使って)種(しゅ)の保存を試みることだろう。日本の場合には、国立科学博物館の研究員が、シムライノデが生息する「秘密の森」に関していろいろ把握していたらしいが、その森を買い取って研究林にしたり、生育環境について研究を行い、東大や筑波大の実験林で栽培/保護したり、といったことはやっていなかったようだ

政府は、こういう「科学」に惜しみなく研究費を投入するべきだ。島国である日本には貴重な植物が多く、19世紀からヨーロッパ諸国の「植物狩り(プラントハンティング)」の格好の標的であった。牧野博士も、自分の自宅に野草を集めてきて種の保存と確保の努力に全力を費やしている。ボヤボヤしていると、世界中のみんなに持って行かれた上、自分では絶滅させて「持っていない」なんていう恥ずかしいことにもなりかねない。



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