今日、スペースシャトルは最後のフライトに向かう。最後に飛び立つのはアトランティスだ。
私にとってスペースシャトルは「未来」だったから、その未来が今「過去」になろうとしているのを考えると、ずいぶん遠くまできてしまったな、という感慨がある。
幼稚園の時、宇宙旅行の絵本を買ってもらった。アポロ計画の詳細な説明があり、その成功までの軌跡や、月旅行の行程などが書いてあって、それを何度も何度も読んだ。この本の最後に「未来の宇宙旅行」というページがあって、スペースシャトルのことが書いてあった。
アポロ計画ではサターンV型を使い捨てることで、人間を月に送った。なぜ、切り離して下のロケットを捨てるかというと、質量を軽くすることで、それまでに稼いだ推力が重力で低下するのを防ぐためだ。切り離さないと、人間は地球からは飛び出せないことが証明できる。この永年の問題を解決するために編み出されたのが、多段式ロケットだった。その最高峰にあるのがサターンV型ロケットということになる。
しかし、人間が宇宙に活動の場を広げ、日常茶飯事のように宇宙旅行にいくためには、サターンV型は使えない。複雑な打ち上げ手順があり、使い捨てなので莫大なお金がかかるからだ。もっと、気軽に宇宙に行くためには、「行って帰ってくる」乗り物、つまり「シャトル便」が必要だ。ということで、考案されたのが「宇宙往還機」すなわちスペースシャトルだ。使い捨てのロケットしか存在しなかった当時、飛行場に戻ってくる宇宙船がある、と想像しただけでも、わくわくしたし、未来の世界を感じた。
品川で宇宙博が開かれた時、もちろんアポロ11号の司令船はつぶさに観察したが、私にとって一番の狙いはスペースシャトルの大型模型だった。このときのシャトルは、確か薄い黄色に塗られていた。博覧会のパンフレットに描いてあったスペースシャトルは、まさに今のモデルと同じ姿で、これが未来なんだと思った。
その「未来」がなんと、数年後にいきなりやってきた。そのショックは今でも覚えている。新聞のトップ記事にスペースシャトル(コロンビア)の打ち上げの様子が大判の写真でバーンと載ったのだ。ブースターからモクモクと広がる噴煙の白さと、その中心に堂々とそびえるシャトルのオービター。感動した。博覧会の時感じた「未来」に自分は今いるんだ、という嬉しさ。それから、人間(特にNASA)が、未来をこんなにも早く連れて来てくれた、という科学への尊敬。などなど。本当に興奮した。あのときの新聞の切り抜きはまだある。
このとき、ロケット工学を目指すことをいったんは決めたのだが、高校生になってよくよく考えてみると、工学者になると地上サポートに回ってしまうから、宇宙に飛び出すことはできない。仮に月に人間が住むことになるなら、最初に構築されるのは科学研究所だろうから、物理学者になっておいた方が宇宙にいける確率は増すだろうと考え直した。
しかし、いったん物理学者になってしまうと、宇宙飛行士に応募するのはためらわれる。最初の募集が在ったときは、大学院に居たが、ここで宇宙飛行士なってしまうと、物理学者にはなれずじまいだ、と考えたし、二度目の時はうっかりミスってしまい、三度目の時は「この度の宇宙飛行士の募集の実際は宇宙土方(ドカタ)の募集だ」と見切ってしまいやめた。
ちなみに、高校の同級生の一人が宇宙飛行士に合格してしまった....自分も出していたら、と思わなかったわけでもないが、ISSに一年いるよりも、月にいきたい。1日でもいいから滞在してみたいと思う。(そのチャンスは案外まだ零ではないと思っている。)
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