2011年7月25日月曜日

軽井沢の放射能汚染:セシウム汚染測定の旅(離山の西)

ショーの教会を離れ、人で一杯の旧軽銀座を最徐行で抜ける。車の目の前で、井戸端会議を始めてしまった通行人にクラクションを浴びせる訳にもいかず、浅野屋の前で辛抱強く待ち続ける。途中で歩行者天国になるので、左折して腸詰め屋の方へ抜け、万平にはいかずに駅前の大通りに抜ける。この辺りは離山の東側になる。18号に抜け、軽井沢中学の前を通ってさらに行くと、右手に軽井沢病院、ついで軽井沢町役場に到着する。

軽井沢町では5月の連休の時期に、木の苗を只で配る催しがある。昔行ったときは、朝五時起きで長蛇の列に並び、ブルーベリーの苗をもらった。青空に浅間山の煙がたなびく、気持ちのよい初夏の一日だった。温暖化も放射能汚染も無い、平和で美しい日本だった。

さて、感傷に浸っている場合ではない。軽井沢町役場は、放射能汚染の実態を掴んでいないらしく、最初は群馬大の早川先生の測定値が公開されるや否や、早川先生の測定を認めない立場をとったそうだ。私の測定でも、明らかに碓氷峠離山の東側の地域は、高い線量を記録している。軽井沢のセシウム汚染は(深刻ではないが)間違いない事実だ。その汚染レベルは、まだはっきりはわからないが、東京のホットスポットと同程度ではないかと疑われる。特に、碓氷峠の汚染は結構ひどい

軽井沢町は、おそらく職員の手軽な測定場所として、軽井沢病院でのみ測定を行っている。この一地点のみの測定で、軽井沢全体、特に観光客の多い旧軽のあたりを安全と宣言するのはやりすぎだと思う。碓氷峠やショーの教会での測定の直後に、私の持っているガイガーカウンタで病院における値を測れば、これらの地点の汚染レベルの関係がはっきりする。そういう意味で、ここはぜひとも測定しなくてはならない場所だったのだ。

まずは、町役場の西玄関の前にある芝生において測った。

例のごとく、30秒間隔で10分測定し、平均値を出す。その生データの値は0.13μSv/hだった。前にも議論したように、JB4020は少し高めの値を出す傾向があるから、シンチレーションカウンターA2700による校正を行い、補正値を計算する。その値は0.11μSv/hとなった。結構高いと思う。

次に、隣にある軽井沢病院の敷地に歩いて向かう。皇后陛下の歌碑があり、そこで測定することにした。
ここでの値は、生データで0.11μSv/h、補正値で0.08μSv/hとなった。軽井沢町の測定では、病院の値は7/21で0.07μSv/h、7/22で0.06μSv/hだから、私の測定とだいたい一致している。

こうして見ると、碓氷峠から中山道にそって下ってくるに従って、線量は次第に低下してくる傾向がある。補正値(生データ)を使ってまとめると、

横川SA   :0.20 (0.23)
-------------------------------------------------
碓氷峠(見晴台):0.22 (0.26)
ショーの教会  :0.14 (0.16)
.........................................................
軽井沢病院   :0.08 (0.11)

という結果が得られた。単位はμSv/h。

まだ仮説の域を出ないが、軽井沢の汚染は離山の東西で2つに分類できるのではないか、と思っている。つまり、東の汚染はよりひどく、西の汚染はあまりひどくない、ということである。

軽井沢に住んでいる人で、離山の「あっち」と「こっち」で天気が大きく変わることを経験している人は多いと思う。測定した日も、旧軽銀座から降っていた小雨は、離山を過ぎたあたりでぱったりやんでしまった。御代田に近づくころには、空は青く晴れ、お日様が顔を出した。前にも議論したようにNHKによる解説も)、セシウム汚染の鍵は、プルーム濃度と降雨のタイミングだ。雨の降りやすい離山の東側は、セシウムに汚染されやすい環境だったと考えている。

この仮説を証明するためにも、軽井沢の汚染マップ作りをこれからしばらくやってみようと思う。次のターゲットは、雲場池ショッピングモール、中学校などである。

追記:その後測定した、軽井沢のある地点における土壌汚染(セシウム汚染)の結果はこちら。

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