2012年1月7日土曜日

「天文学をつくった巨人たち」を読む

桜井邦朋著「天文学をつくった巨人たち --宇宙像の革新史」
中公新書(2011)

昨年の秋に出版されたばっかりの新しい新書本。シャプレーのことが書いてあったので、期待して購入した。またWMAPなど最新の結果も詳しく書いてあるように見えた。

しかし、この本には嘘が書いてある。残念だ。

最近黒体のことを勉強しているが、この本ではなんと書いてあるのかな、と思いページを広げてみた。関連する場所は、最後の第9章、宇宙マイクロ波輻射背景(CMB)のところだ。

ビッグバン直後の宇宙がまだ小さかった頃、宇宙は大量の光子に満ちていた。この光子は、電子などの素粒子と散乱するなどして熱平衡状態にあった。つまり、この時の宇宙に満ちていた光の波長分布は、黒体輻射の波長分布に従っていた。宇宙の膨張によって、宇宙の温度が3000度にまで低下したとき、電子と原子核が結合し原子(主に水素とヘリウム)が誕生した。電気的に中性な原子は光子との散乱断面積が小さく、光子の平均自由過程は伸びていく。さらに、宇宙膨張によって平均原子間距離もやがては大きくなって、光子と物質粒子との間に成立していた熱平衡は完全に崩れる。しかし、熱平衡の最後の状態、すなわち3000度だったときの「記憶」は宇宙に散っていた光子の波長分布に記憶される。とはいえ、宇宙膨張のドップラー効果によって光子の波長は伸びてしまい、3000度のプランク分布は、より低温のそれに対応する分布へと移ろっていく。そして、現在宇宙を飛び交う光子を捕まえて波長の強度分布をみれば、それはT=3Kの黒体輻射分布になっていた。このような背景で、黒体輻射がCMBに関連して登場する。

CMBを発見したのはベル研のペンジアスとウィルソンだが、その発見の背景の説明が、この本では完全に間違っている。

間違い一:「アメリカの通信事業会社であるベル電話会社では....」とあり、ペンジアスとウィルソンがこの電話会社で働いていたかのように書いてあるが、これは間違いだ。彼らが働いていたのはベル研究所であって、ベル電話会社ではない。ベル研というのは、通信工学のみならず、物理の基礎研究も行っていて、ノーベル物理学賞受賞者を多数輩出した一流の基礎物理研究所だ。一般にも有名なのは、トランジスタの発明だろう。

間違い二:「この事業に携わったのは、会社(ベル電話会社ということだろう)の2人の技術者であった。彼らは電波天文学については、まったく素人の....」とあるが、これはひどい!ここで「この事業」とあるのは、(この本によれば)通信衛星からの電波を効率よく受信するためには、宇宙からやってくる雑音電波の詳細な分布を知る必要があり、その系統的分析研究のことらしい。そしてその事業にペンジアスとウィルソンが関わっていた、とあるから驚いた。(そんな事業に2人は関わってない。)

彼らが(少なくともウィルソンは)電波天文学の専門家だったことは、ワインバーグの「宇宙創成最初の三分間」にも書いてあるし、なによりウィルソン自身のノーベル賞受賞講義を読んでみればはっきりする。(ペンジアスは電磁波/量子力学の研究に従事した物理学者で、メーザーの物理や、マイクロ波の研究を大学院では行っていた。)ウィルソンは、Caltechで博士号を取得するが、その博士論文が銀河系の(特にハロー部分の)マイクロ波分布の研究だった。つまり、生粋の電波天文学の専門家だったわけだ!ベル研に就職したのは、電波天文学の研究を続けるためだった。ただし、その道具として、望遠鏡や他の大型電波望遠鏡ではなく、衛星通信にかつて使われていたアンテナを選んだのだった。1963年、ウィルソンがベル研で研究を始めた時、このアンテナは、衛星通信開発に関しては初期の目的を達成し、すでに誰も使っていなかった。そのアンテナを電波天文学に転用しようとウィルソンは考えたのだった。

とにかく、この部分の記述はいい加減でとても驚いた。著者は理学出身らしいが、工学系のキャリアを積んでいるようで、本を書く際にスピードを重視したのか、よく調べないで適当につじつまを合わせてしまったようだ。こういうのがあると、もうこの本の信頼度は0で、結局は外の文献で確認しながら読まなくてはならなくなり、かなり面倒だ。シャプレーの箇所も疑って読まねばなるまい。非常に残念!

(追記:もうひとつ誤りを見つけた。COBEで発見された、宇宙背景輻射の非均一性を示す有名な図が図9−3に出ているが、その説明が間違っている。筆者は、この図を輻射の強度分布だと思っているようだが、実際には温度の揺らぎの分布図だ。この最先端の研究結果をよく理解していないのは、大きな問題だろう。)

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