2011年10月30日日曜日

M45:昴の観測

アンドロメダ銀河を撮っていたら、冬の星座が上がって来た。オリオンも半年ぶりに見た。冬にチャレンジしてうまく行かなかった天体が続々と戻って来たのが嬉しい。

今回は昴に挑戦してみた。メローペとマイアの周辺にたなびく星間ガスをなんとしても捉えたい。このガスは、最近の研究によると、プレアデス星団の星生成とは無関係なんだそう。たまたま昴の星の群れがこのガス雲を通過していて、星の光で照らされて輝いているだけらしい。青白い色は星の温度が高いことを意味する。M45は地球から約400光年の距離にあるから、銀河系の中の天体だ。

gimpで加算処理したもの。
ガスは強調できたが、ノイズが目立つ。

gimpで平均したもの。
ノイズを減らす方向で処理。



2011年10月29日土曜日

信州のセシウム汚染の度合い:佐久平測定の旅(御牧原など)

佐久平や善光寺平など、信州に大きな盆地があるのは、フォッサマグナの海が埋まっていったからだ。海が引いて内陸になると、そこには大きな湖ができた。100年前の八郎潟が似たような状況だったんだと思う(人工的に埋め立てられてしまったが、自然のままでも埋まってしまったんだろう)。その湖もやがて埋まり(埋まった理由は火山の噴出物、特に八ヶ岳や浅間山の溶岩など)、広い平地ができた。その1つが佐久平だ。

佐久平の真ん中には千曲川が流れている。新潟に入るとこの川は信濃川と名前を変えるが、信州人にとって日本一長い川は「千曲川」だろう。(実際「信濃川」だけの長さを測ったら、利根川の方がずっと長い川になるはず。)その千曲川の東側には、関東山地につながる佐久山地があり、ジュラ紀をはじめとする古い地質が広がる。一方、西側は八ヶ岳などの火山から噴出した溶岩が主で、どちらかというと新しい地質を持つ。

今までの放射線量の測定は、千曲川の東(川東)ばかりだったので、そろそろ西側を調査しようと思い立つ。群馬の県境までは間違いなく汚染は進んでおり、境から僅かに信州側に入ったところも汚染がある程度進んでいる(軽井沢内山荒船など)ことが、いままでの調査でわかった。また、県境を越えても少し西へ進めば汚染の程度は軽微になり、平尾富士や志賀の谷までくると佐久の山々の線量はかなり低くなる。では、これで佐久平より西は大丈夫かといえば、そうとは限らない。セシウムクラウドが高度を保って西へ飛んでいけば、佐久平を通り越して、標高1000mあたりで蓼科や八ヶ岳など「川西」の山々に吹き付けるからだ。

そこで、まずは佐久平の西の端にある低い山々の調査に出ることにした。(1)蓼科へと続く里山の1つで「うぐいすの森」と呼ばれる別荘地、および(2)御牧原の斜面、そして(3)望月へ入るときに越える瓜生坂峠で測定を行った。全ての地点の標高は800m前後で、若干1000mを切る。予想としては、汚染はないはずである。

(1)うぐいすの森
黒沢明の映画に「隠し砦の三悪人」というのがあったが、まさにここは隠し砦ならぬ隠れ別荘地。なんの変哲もない村を通り抜けると、軽井沢のようによく整備された別荘地が現れた。別荘の住民しか入らないから、自然がよく残っていてとても静か。秋を満喫できる。ログハウスが多い気がした。買い物は佐久平のショッピングセンターでできるから、蓼科にこもって町から遠ざかってしまったり、軽井沢のように渋滞にはまったりせず、快適な暮らしができそうで、心引かれるものがあった。
うぐいすの森
うぐいすの森にて。
さて、測定結果はというとJB4020によるRAMI平均が0.10μSv/h、RD1503は0.13μSv/hと、ばらつきは出たが、どちらにしても問題のないレベルだった。

(2)瓜生坂
中山道の宿の一つの浅科塩名田宿を越えると、次第に道は登りとなって峠道となる。それが瓜生坂だ。この峠を越えると望月宿となる。さらに登って笠取峠を越えると和田宿があり、そのまま和田峠を抜ければ諏訪にでるが、僅かに北に路をとって美ヶ原や松本にも抜けることもできる。このあたりは、江戸時代、碓氷峠に次ぐ難所だったと思う。

現在の瓜生坂には小さなトンネルがあるが、こちらは昭和初期の古くて暗くて細い「時代もの」。おそらく平成になってからだろうが、隣の山にもっと大きなトンネルが掘られ、メインの通行は現在そちらに行ってしまっていて、瓜生坂の古いトンネルは今ではとても静かだ(というか、むしろちょっと怖いかも)。

観測は、瓜生坂トンネルを抜けて望月に入ったところ、斜面を削って造成したグランドに面する雑木林で行った。曇り空の薄暗い中、小雨がぱらついてきたがなんとか測定中には本降りにならずに済んだ。ここは、JB4020とRD1503の値はよく一致し、前者が0.11、後者が0.10μSv/hという結果となった。ここも問題無い。

(3)御牧原の斜面
ここは、佐久平にできた古湖のうち、もっとも古いものの湖底だといわれている。佐久平の西の端に広がる大きな台地で、千曲川によって削られた急坂に囲まれている。
御牧原の斜面。この丘を登ったところに平ら大地が広がっているとは
ちょっとこの景色からは思えない。斜面の向こうに見えるのは浅間連峰。
手前の、道が走り水田が広がる平らな部分は、佐久平の西端にあたる場所。

この台地には川がないので、溜め池が無数にあり、雑木林がよく残り、そしてなにより登ってしまえば平らなので景色がよい。浅間、蓼科がよく見えるし、千曲を眼下に見下ろすこともできる。付近には温泉もたくさん湧いている。アリスの不思議な国に迷い込んだような錯覚を持つかもしれない。今回は、御牧原の台地に登りきらず、その斜面の森で測ることにした。セシウムクラウドが斜面に吹き付けてないか、チェックしたいからだ。
御牧原に登る途中の森で測る
御牧原に登る斜面を走る路は、グニャグニャ曲がっていて、車で走るのが楽しい。測定中にも、数台スポーツカーが走りすぎた。この辺にうまい珈琲屋でもあればもっと楽しいのだが。

測定の結果は、JB4020で0.10; RD1503で0.11μSv/hだった。ここも問題ない。

つまり、今回測定した場所は、どこも0.10μSv/h程度(生データ)であり、セシウム汚染は非常に軽微と思われる。佐久平を跨いでの汚染はどうもなさそうだ。次は、標高を少し上げて1000m程度のところで測るべき。ということで、この次の週に立科へいくことになる。

最後に、観測中に見つけた秋の実を記録しておく。
ツリバナ(御牧原)
至る所にあったので、採集して種蒔きしてみた。

綺麗な赤い実。低木。なんだろう?




信州のセシウム汚染の度合い:佐久平測定の旅(平尾富士)

実はこの測定はふた月ほど前にやった。ちょうど秋の気配が出始めていたころで、平尾富士の森には様々なキノコが現れ始めていた。中でもツチグリは特に目を引いた。

平尾富士は佐久山地の1つで、佐久平の東の縁にある低山。火山ではなく、火山の噴出物が堆積し、それが風化して形作られた山。また、この噴出物を出した火山は、八ヶ岳や浅間山ではなく、もっと古い時代のもの。どちらかというと荒船山や戸隠などの時代。

この綺麗な山裾を醜く削って作ったのが「パラダスキー場」。佐久平に雪はほとんど降らないのに無理に作った感じ。高速道路のPAともリンクしてあって「便利」だったはずなんだろうが、人工雪のスキー場だけでは当然もうからないらしく、カブトムシドームなる余興などが、なぜか「スキー場の中」に作られている。

今回の測定地点は、このカブトムシドーム裏の森の中。森自体は素晴らしく、様々なキノコで彩られ、秋の気配を楽しむことができた。それだけに、スキー場によって失われた自然が残念だ。

結局、自然の本当の良さがわからない人間たちが、開発偏重の政策を敷き、それに人々も乗っかって、今の日本を作ってしまった。福島原発の事故は、そういう「間違い」に対する警鐘だと受け止めたい。失った自然ほど、かけがいのないものはない。(「原発さえなければ....」と後悔する福島の人たちのコメントを聞いていると、まさにそう感じる。)

佐久山地は群馬県と接していて、その境のセシウム汚染は否定できないほど明らかだった。したがって、佐久山地のもっとも西に位置する平尾富士の森が汚染されているかどうかは、佐久平の運命を握っているといっても大げさではない。そこにセシウムが濃くあるなら、当然佐久の水田、畑にはセシウムが濃く降り注いでいるはずだ。(現に、佐久市の下水処理汚泥やほうれん草などで、若干のセシウム汚染が報道されている。薄いものが集まったのか、それとも厚く降り注いだもののほんの一部なのか?は大きな違いだ。)

測定を始めると、すぐに答えが出た。線量が上がらない。物見岩や下仁田、あるいは内山峠で測ったときとは雲泥の差だった。結局平均値をとっても、結果は予想通りで、RAMIによる平均値は0.10μSv/hだった。佐久平の汚染は軽微だろうと思われる。

信州のセシウム汚染の度合い:立科への延長

晩秋のよく晴れた一日となる。見渡す限り全ての山々が、久方ぶりに姿を表している。浅間、八ヶ岳、立科、美ヶ原、北アルプス、そして茂来山に荒船などなど。石尊山にいこうか、それとも御牧原の続きをやろうか、それとも八風山にいくべきか、など迷いに迷ったが、今回は立科方面に測定を延長することにした。霧ヶ峰までいきたかったが、今日はあまりにもよい天気だったため、牧場のピザを食べたところで眠くなってしまった。残念ながら、長門牧場で今日は時間切れとなった。

観測結果をまとめたものは下の図。今回はあえて補正値を使ってまとめてみた。というのは、航空機を利用した長野県の放射線汚染地図がもうすぐ公表されるからだ。
今回の測定地点は、長門牧場(地図中のA地点)と、立科町の横道というバス停の近くの森(B地点)。どうやら、立科方面は大丈夫のようだ。佐久平から立科にかけては、おおよそ同じ値が続いて、それは0.05μSv/h(補正値)程度しかない。佐久地方のセシウム汚染は、やはり群馬県境の山岳地域に限られている感じだ。

2011年10月26日水曜日

久しぶりの木星観察

今は木星観察の好機だそうで、確かに晴れた日に夜空を見上げると、眩しいばかりに輝く木星がすぐに目に入る。

拡大撮影用のパーツを購入したので、さっそく試しに一枚撮ってみることにした。

木星のクリアな写真がすぐに手に入ると思いきや、これが意外に大変で、手ブレを抑えるのと、ピント合わせが難しく、なかなかうまく撮影できない。すこしアンダー気味にシャッタースピードを調整して、あとは画像処理に任せることにした。が、やはりピントが合ってないと話にならない。たくさん撮ったが大半が没となった。

なんとか、縞模様が写った一枚がこれ。
木星(A80Mfに拡大パーツをつけて撮影:iso400, 1/10sec)
赤道に1つ。上半球(北半球?)に1本。下半球(南半球?)に薄く一本、微かに見える。上半球の極は茶色が濃いような気がする。

次に、ガリレオ衛星の写真。まずはカメラで撮ったもの。
木星とその衛星の望遠レンズによる撮影(iso400,10sec)
木星の左にエウロパ、右にカリストが見える。しかし、エウロパと木星の間にあるはずの、イオとガニメデはよくわからない。若干、木星の左側が膨らんでいるように見えるだけだ。

最後に、拡大パーツを付けてA80Mf望遠鏡にデジカメをつけて撮影したのが次の写真。
A80Mfに拡大パーツをつけて撮影した、ガリレオ衛星。
像は、左右逆転しているのに注意。左に離れて微かに見えるのがカリスト。一番右にあるのはエウロパ。エウロパと木星の間に、さらに2つの衛星(左よりガニメデとイオ)があるのが、はっきりとわかる。さすがに望遠鏡!難点は、赤道儀がないために、像が流れてしまう点。それでも、この撮影はシャッタースピードが1/3秒。iso400なので、もう少し感度を上げて、カリストをハッキリ写してやっても良かった。

以前撮ったコリメート撮影による木星の像はこれ

2011年10月24日月曜日

M31:アンドロメダ銀河

観測写真を撮り始めて、初めての秋となった。そして秋の夜空はペガサスに限る。ペガサスの首の上に足下にはアンドロメダ座があって、そこにはM31、つまりアンドロメダ銀河が茫と光っている。

しかし、この秋は忙しくて時間が取れなかった上に、天候が悪く、なかなか撮影のチャンスがなかった。今宵ようやくチャンスが巡って来た。

まだコンポジット処理してないのでノイズがたくさん乗っているが、さすがに秋の夜空は、夏の朝方より暗く写る。より細かい構造が写ってくれるので、渦巻きの感じがより出ていると思う。
秋のM31,アンドロメダ銀河
iso12800、60sec. トリミング有。

gimpでコンポジット処理してノイズを減らしたのが下。
gimpでコンポジット処理したもの。

信州のセシウム汚染の度合い:佐久盆地

佐久盆地の汚染はたぶん無い(あるいはかなり弱い)と仮定して、その周辺の里山に汚染がないか調査してみた。すなわち、佐久盆地を囲む低山の汚染の有無を調べてみた。

軽井沢周辺や群馬との県境にある比較的高い山々(1500メートル以下)のセシウム汚染はひどい(0.2μSv/h程度)ことが判っているので、そこを突破したセシウムクラウドが信州側のどこで沈着したか興味があるというわけだ。

10月は青森で学会があったり、論文の投稿、さらには講義が始まったりして、あまり測定ができなかったが、ようやく時間がとれるようになったので、久しぶりに測定を再開した。

今回のポイントは次の4地点。
(1)平尾山の麓(パラダスキー場)
(2)瓜生坂(望月)
(3)うぐいすの森(岸野の別荘地)
(4)御牧原の斜面(浅科)

結果からいうと、それぞれ問題の無いレベルだった。(どこも、生データで、だいたい0.10μSv/h程度。)どうも佐久盆地にはホットスポットらしきものはないように思えて来た。(もちろん、マイクロホットスポットはあるかもしれないが、全体の汚染が弱いので雨等で集中しても高線量にはなりえないと思う。)

佐久盆地中心部の汚染地図は次の通り。
さらに広域の、南佐久から北佐久(軽井沢、小諸)にかけての汚染地図は次の通り。
佐久盆地、および関東平野の群馬部分の様子
詳細なレポートは、いつものように別々に書くことにする。

2011年10月23日日曜日

馬事公苑にて

世田谷騒動のあった弦巻をあきらめ、近くの馬事公苑で測定した。馬事公苑は、東京オリンピックの馬術競技が開催されたところらしく記念碑が残っていた。この記念碑は江戸城の石垣を利用してつくったと説明板にあった。
東京オリンピックの記念碑が置かれた石垣

石垣には三というマークが刻まれていた。
馬事公苑はいわゆる公園ではないが、散策路が整備され武蔵野の雑木林が一部保存されている。もちろん、中央部には複数の馬用の道があって、競馬用のトラック、馬術用の広場など、目的に応じて様々なコースがあった。複数の馬がそこで練習をしていた。
馬術コース
最初の測定ポイントは馬術コースのある広場にある側溝でおこなった。ここで、下を向いてガイガーの数値を読み取っていると、突然影がさして何かが上から覗き込んでいるような気配がした。仰ぎ見ると、大きな馬がこちらを上から見ていたのであった....騎手の人が、何してるんですか?と興味深そうに聞いて来たので、放射線測定をしていること、弦巻にいってみたが野次馬がたくさんいて測定できなかったこと、など世間話をしばらくするはめになる。おかげで、読み取りを何回かミスり、大幅に時間超過となってしまった。したがって、この場所の測定データは連続測定でなくなってしまった。(再度測定する必要があるかもしれないが、まあ大丈夫だろう。)測定結果は、JB4020が0.08μSv/h、RD1503が0.14μSv/hと随分違う値となった。前者のRAMIの収束はちょっと甘いかもしれないが、後者はしっかり収束している。
馬術コース横の側溝の測定データ(RAMI)

とにかく、馬に邪魔されたところでデータが飛んでしまっていることもあるし、この差異についてはあまり深く考えないようにしよう。まあ、線量としてはどちらの値だとしても低いと思う。
馬術コース脇の側溝で測定。馬に邪魔される。
つぎに、森の中で測定する。武蔵野の雑木林の名残があって、そこに散策路がある。落ち葉がつもり、笹が茂る場所で測定することにした。今までの経験では、こういう場所が汚染されやすい。だから、世田谷一円が汚染されているなら、まずはここが高線量を示すはずだ。
武蔵野の雑木林の名残にて。
測定の結果は下図の通り。
武蔵野雑木林の名残にて。
どちらもRAMIの収束はよいが、収束値が一致しない。こちらは季節外れの暑さで復活した蚊に追われながら苦労して測定した。まあ0.11(JB4020)と0.14(RD1503)だから、どちらにしても線量は低い。

ということで、世田谷の汚染度は低いのではないか?という結果となった。今では既に周知の事実だが、弦巻の高線量の原因は、戦前に夜光塗料に使っていたラジウム226だった。(実は、家に古い時計があるのだが、先日その表面を測ってみたら、かなりの高線量が出ていて驚いた。結構、昔の人は無頓着だったのがよくわかった...)したがって、馬事公苑の測定結果は、世田谷騒動の結末と、まあ首尾一貫しているといってよいだろう。

ラジウム226は、ウラン238の崩壊系列の途中にあって、安定な鉛 206に崩壊するまでアルファ線やベータ線をたくさん放出する。ラジウム226自身はαエミッターで、その半減期は1600年ほど。ガイガーカウンターで検出できるのは、おそらくベータ線なので、遮蔽すると線量は減るはず。(あとで、例の古い時計を使って調べてみよう。)




2011年10月18日火曜日

「核の墓場」:小出氏のインタビュー記事

日本人は今、「放射能汚染」の2つ目の意味を噛み締めている。もちろん、苦虫を噛み潰したときの強烈な苦みをだ。

最初は、汚染されたということの意味を、放射線を浴びて健康を損ねるから恐いことだ、と理解した。水を飲んだら甲状腺癌になるとか、魚を食べたら白血病になるとか、直接的なタイプの恐怖だ。BSEのとき、鳥インフルエンザのとき、O157のときなんかと似たようなタイプの恐怖だ。しかし、こういう病原菌やバクテリアはそのうち下火になって、どこかへ消えてしまう。この手の「恐怖」が一年以上続くことはまずない。

今、日本人(といっても主に東日本の人たち)が感じている恐怖は、上のタイプの恐怖に加えて、放射能汚染はなかなか消えてなくならないというものだ。それは、むしろ時間が経つにつれて汚染の範囲が広がっているような錯覚さえ感じる。半減期の長い放射性原子核の性質を知りもしないくせに、平然と原発を利用していたツケがついに回って来た。「事故が起きたら取り返しがつかないことになる」というのは、まさにこのことだったのだ。100年以上も消えてなくならないものは、取り除いて「隔離」するしかない。

店頭に今並ぶアエラの記事に、小出氏のインタビュー記事があった。汚染物や放射性廃棄物の「貯蔵場所」などと政府は表現して、それはあたかも年代もののワインでも保管しておく場所のような言い方をしているが、それはまったくもって不適当だ。正確に表現するならば、小出氏のいう「核の墓場」がふさわしい。つまり、そこに入ったらもう二度と出て来てはならないのである。呪われた物質を封印し、現世に戻らないように閉じ込める場所、それがいわゆる「核廃棄物貯蔵所」だ。こんな施設を清浄な場所にわざわざつくるなんてことは、果たしてありえるんだろうか?小出氏は、「放射性物質は東京電力の持ち物なので、速やかに返却すべし」と主張している。その宛先は、まずは東電の社長室、そしてそこが満杯になったら福島第一発電所の原子炉だという。これには誰も否定できないだろう。この二つの住所はいろんな意味ですでに不浄の地なり。

今度は足立区の小学校で4μSv/h

この値は、信じられないほど高い!これからの都市部(特に東京)は、一様なセシウム汚染ではなく、局所汚染へと移行していくのだろうか?

大都市というだけでなく、首都を放射能物質で汚染してしまったのは、世界初ではないだろうか?まったくもって恥だ。もしパリやロンドンが放射能物質で汚染されたとしたら、どう感じるだろう?多分、「あーあ、この国終わったな。」だろう、きっと。そして、そんな国、もう行こうとは思わないだろう。

2011年10月17日月曜日

大田区の環七沿いのセシウム汚染

東京はアスファルトやコンクリートに覆われているので、セシウム137、134は沈着しにくい。おまけに、緑も少ないとくる。環境が破壊し尽くされたところは、セシウム汚染に「強い」のだ。東京都民の半分が原発事故をあまり気にしないのはこのせいだ。

しかし、区内で土がまだ残る場所がある。学校のグランドや花壇だ。今回の大田区の結果は、東京都民にもある程度のショックを与えたと思う。これは大田区だけではないと思うので、これからは東京の測定にも力を入れてみようと思う。学校の中には入れないので、公園や側溝などを当たってみたい。

しかし、東京市街の汚染は、山岳地帯の汚染と異なって落ち葉や森林ではなく、街中の「セシウム溜まり」探しになるから、いままでと違う観点から測定を行わなければならないだろう。

また、多くのボランティア測定が既に成されているので、そういうデータの補完をしていくべきだろうと考える。とはいえ、RAMIを採用している人は少ないと思うので、ガイガーカウンターで測定した地点は参考程度と考え再測すべきだろう。一方、シンチレータで測った場所は信頼できるので、再測は不要と思われる。

ポッポ牛乳

ポッポ牛乳をゲルマで測定してくれた人が現れた!結果はこちら

ヤツレンは自前でこれをやって「大丈夫だぞ!」と宣伝文句にすればいいのに。人気のある牛乳だけに、もうちょっと努力してほしい。[追記:努力不足がたたり、ついに汚染されたとの報告あり。]

予想通りの結果(汚染無し)となり、セシウムクラウドは、南佐久の盆地や高原には来ていないという予想に対し、より自信がもてるようになった。県境の山が止めてくれたんだと思う。問題は、山からどの程度の範囲が汚染されているのかだ。近々発表される、航空機による空間線量測定の結果が待ち望まれる。

2011年10月15日土曜日

ベクミルに行く

ベクミルに行ってみた。最初見たときは予約で一杯だったが、次に確認したとき、うまい具合にキャンセルが出たんだと思う。前日のみの予約というのも効いたかもしれない。とにかく幸運だった。

電車でいくつもりが、直前の確認で高速が空いていると勘違いしてしまい、首都高および柏の国道6号で渋滞にはまる。最後は常磐道になるが、柏ICというのは柏の街の外れにあって、渋滞にはまると駅までは大変遠く感じる。高速でだいたい90分。市内は30分以上。合計2時間強はさすがにきつかった。(帰りは裏道をうまくつかったので、90分ほどで戻って来れたが。)柏は遠い。六本木を売って、柏に行ってしまったのは、物性研最大の失敗だったかも。(でもそのおかげで、一般の人たちは美術館を楽しめるようになった訳だが...)とにかく、柏の主要道路はどこもかしこも混んでいて、不快きわまりない。裏道は結構よかったので、今度は少し下調べしていくべきかも。

市営駐車場にほど近い、金物屋の入るビルの2Fにベクミルはある。大きな看板もなく、初めて行くとどこにあるのはよくわからず、途中で不安になるかもしれない。金物屋が目印だと思っていくべき。駐車場からベクミルまでの道路には歩道がないので、車、自転車、歩行者が入り乱れて、ちょっと危険。側溝の上を歩きながら行くことになるが、気になったのでガイガーカウンターを起動し、歩きながら調べてみた。高い。0.20-0.25μSv/hという値が出ていた(RD1503の4サイクル平均、つまり160秒平均)。アスファルトの上を歩いてこんな値が出るんだから、この街の汚染はちょっと深刻だと思う。

ベクミルにはあまりお客はいなかった。予約制だから落ち着いているんだろう。機械はフル稼働という感じではなく、高価なマシンは空いている感じだった。ちょっともったいない。従業員らしき人は3人ほど。意外に多くて驚いた。たぶん、放射線の技術者ではないから、パートのおばさんみたいな感じなんだと思う。

時間を決めて、一斉に皆で測定を始める。一緒にやったのは杉並からきていたおばあさんと、地元の柏在住のおじいさん。杉並のおばあさんは相馬から送ってもらった米、柏のおじいさんは自宅の土を測定。私は、多摩水道の水道水を測定した。20分測定して結果が出る。が、となりのおじいさんは測定開始数秒で、「Overflow。測定限界を越えました」というメッセージが出た!係の人が、「これは9999ベクルル/Kg以上ということです。」と説明。多分、数万ベクレル/kg以上の汚染土だったんだと思う。おじいさんは、自宅の庭の2、3カ所から土のサンプルを持って来ていたが、全滅。改めて、柏の汚染のひどさを感じた。

一方、多摩水道の水は0Bq/Kg(誤差20Bq/Kg)で、相馬の米も同じ。つまり、いわゆるNDという状態。一安心!おじいさんにはわるかったが、東京組は話がはずんで、軽やかな足取りでベクミルを去った。

おじいさんは、最初は笑っていたが、持ち込んだサンプルが次々にOverflowするのをみて、さすがに表情が曇った。「この土を吸い込まないように注意してくださいね」と忠告すると、「もう庭を歩くのが怖いね」といっていた。本当は、柏の街全体を歩くのが怖い、と思うべきなのかもしれない。

しかし、世田谷の場合は3μSv/hを越えるような環境で何十年も暮らしていた人たちがそこそこ長生きしているんだから、放射線というのはよくとらえれば「毒性が低い」といわれてしまうのも事実。とはいえ、悪く捉えれば「いつ爆発するかわからない時限爆弾」だ。このおじいさんのように、国民が味わっている漠然とした恐怖を考えれば、政府/柏市は時限爆弾だと思って対処にあたるべきだろう。

世田谷の例の場所へ行く

一昨日、空間線量が2μSv/hを越しているという、件の世田谷区弦巻5丁目に行ってみた。むろん測定が目的だが、現場が混乱している場合には巻き込まれるのは嫌なので、まずは車で現地に向い偵察することにした。この細い区道は当然駐車するスペースはないので、本当に通りすぎるだけ。人(野次馬なども含め)が少なければ、近くの駐車場(実は馬事公苑から近い)に止めて、徒歩で現地に向かう計画だった。

午前10時頃にいった。薄曇りの天気の中、馬事公苑の南東の角の交差点から下っていこうと思ったが、この道は日中は進入禁止で入れなかった。馬関係の宿舎などが立ち並ぶこの区画では、馬の運び出しなどの便のために進入禁止にしてあるのかも。カクカク曲がりながら、目的地へと下る坂道に出る。長くて細い一本道。両脇に屋敷が立ち並ぶ。

やがて、坂の下のほうに人込が見えて来た....どうも後で考えると、ちょうど世田谷区による測定が始まった辺りだったらしい。テレビカメラ、報道の写真、近くの住民たち、路駐された車、バイク、よくわからない人相の悪いおっさんたち、などなど、現場は混乱の極みだった。主婦らしきおばさんに手招きで誘導され、一時停止もままならず、そのまま徐行しつつ走り抜けた。向かいの公園は報道陣に占拠され、測定どころではなかった。ちょうど、公園から区の役人たちが現場に歩いて移動していた。現場から少し離れた民家からは、おばさんたちが顔をだして野次馬となっていた。

この段階で、現場での測定は断念。早野先生は簡易スペクトロメータをもって現地で測定をしていたそう。勇気あるなーと感心した。まあ測定器のグレードに雲泥の差があるが。

そこで、予定を変更して、この付近一帯の汚染レベルを調べることにした。もし付近のセシウムが流れ流れて、あの地帯に溜まったものであるのなら、このホットスポットのような地点は関東の至るところに出現してもおかしくない。そしてはそれは深刻な結果となる。落ち着いて測定のできるところ、つまり馬事公苑に行くことにした

2011年10月13日木曜日

横浜のストロンチウム90

横浜港北区でストロンチウム90が検出されたというニュース。驚きだ。ストロンチウムは常温ではもちろん金属固体で、融点が800度近く、沸点は1300度もある。気化しやすいヨウ素や液体金属のセシウムと違って、原子炉から200キロも離れたところに飛ぶとは思っていなかった。

報道によると、ストロンチウム90が検出されたマンションの屋上の塵には、大量のセシウム137、134も含まれていたそうで、そのストロンチウム/セシウムの量の比は、確かにかなり小さい、つまりストロンチウムは飛び難いのは確か。問題は飛び難いけど、まったく飛ばないわけではないと言う点。

東大の早野さんは、早いうちにストロンチウム90の飛散について議論していて、実際その検出実験もやっている。その他の情報(特にチェルノブイリ関連)では、セシウム137が検出された場所では、その10%の割合で必ずストロンチウム90が出たという。今回の横浜の場合は0.5%程度らしいから、チェルノブイリよりはかなりよい。爆発して燃料ごと吹っ飛んだチェルノブイリより、ベントや水素爆発で飛散した福島の方がストロンチウム90の飛散が少ないのは当然だろう。しかし、京大原子炉の小出さんも「(ストロンチウム90の拡散は)当然」といった感じでコメントを出していて、ちょっと驚いた。

ストロンチウム90は、魚介類を通じて食品経由でしか来ないと思っていたが、微量なら風でも飛んでくるのだろうか?本当に「微量」であることを今は願うしかない。

ところで、ストロンチウム90の性質について今まで調べてなかったので、調べてみると、セシウム137やヨウ素131とは随分異なることがわかった。まずもって、ガンマ線が一本も出ない。全部β崩壊。これでは、ガンマ線を測定するガイガーも、シンチレータも、ゲルマも使えない。(ベータ線を測るガイガーカウンターはあるが、γとβを選り分ける必要があるだろう。更にはβとγの同期をとって、セシウムから来る寄与を抜かないとストロンチウム90の影響は測れない。シールド有り無しを比較して、巧く測定するのかな?)ストロンチウム90の測定は、実は間接測定で、それもかなり面倒な手順を踏むらしい。誤差が大きくなるのでは?とちょっと疑っている。

(追記:横浜市も追試し、Sr-90を確認。Sr-89と合わせて約130Bq/kg。さらに同じ場所からCs-137,134が約4万ベクレル/kgも検出されたという。比率にして0.3%ちょっと。たぶん、この割合でSr-89,90は関東一円に広がっているだろう。セシウムのレベルが高いところは要注意だ。)

軽井沢の放射能汚染:ついに町の測定で高線量

軽井沢町は「汚染は無い」と主張して来たが、それもついに取り下げるときが来た。町の測定で、小学校の敷地内に1.7μSv/hという高い値を示す場所が見つかったという。

ちょっと高すぎるかも、と思いつつも、世田谷(馬事公苑の近く)でも2μSv/h越えのところがあるという噂だし、集中すると福島レベルまで跳ね上がってしまうのかもしれない。


2011年10月11日火曜日

答案の最後の見直し

最後に試験を受けたのは...大学院の入試だが、あまり記憶に残ってない。覚えているのは、真夏の東京の、クーラーの無い教室で受験したこと。吹き出した汗で、答案が腕に張り付いてしまって困った。待てよ、大学院の授業でも試験を受けたはず。最後の科目は...覚えてない。いや、成績考査は全部レポートだったかな?だとすると、やっぱり大学院入試が最後の試験だ。(追記:そういえば、英国の永住許可証を取った時に、テストを受けたのを思い出した。英国の祝日の日付とか、人種の割合とか、結構細かい数字まで暗記したが忘れてしまった...)

それからもう何年も経った。しかし、試験の記憶というのはなかなか消えてなくならないものだ。北京大学出身の友人は、今でも夢でうなされるという。さすがに、そこまではいかないものの、確かに嫌な思い出が多い。

試験時間が足りなくて焦ったこともあるが、逆に余って余って仕方ないときもあった。小学校では問題なかった。人より早く解いて、そのまま提出しても、だいたいいい点がとれた。中学校でも最初の頃は答案を早々と提出してしまったが、ケアレスミスに悔しい思いをした。高校に上がってもこの癖はなかなか抜けず、特に物理では、最初にミスってしまうと、坂道を滑り落ちる質点の如く、どん底に落ちてしまうことがあった。そこで、大学入試を受けるあたりから、余った時間は無駄にせず、見直ししようということになった。

見直しでは、ケアレスミスを見つけることができたが、同時に正しいと思った答えに突然自信がなくなり、迷って迷って迷った挙げ句、間違えた選択肢に変えてしまったこともあった。また、「合っているはずだよ。もう疲れたから早く引き上げたい」、という負けの心に打ち勝てず、ミスを見逃すことも多かった。基本的に楽天的な性格なので、細かい点に注意を向けるのが苦手だった。しかし、それでは科学者になるのは難しい、と次第に悟る。予備校で出会った全国から集まった友人たちには衝撃を受けた。トップの大学を狙う人間たちの中にあって、自分が埋没する感覚を初めて味わった。実際、その中の3、4人ほどが後に科学者となって、東大、慶応、そして理化学研究所などで教授や主任研究員となり、今も活躍している。ここでようやく、答案の見直しを真剣にやるようになった。そして、結構精神力が強くないと、見直しというのはできないと骨身に染みてわかった。そして、最後の踏ん張りというのはとても大切だということを学んだし、身につけたと思う。

試験から遠ざかって、しばらく、この「見直し」の感覚から遠ざかっていた。実は、先日、久方ぶりの論文投稿をしたのだが、共同研究者の粘りを見て、この感覚を思い出した。粘ると意外にアイデアが出てくる。そして、それが論文をいいものにする。レフェリーとして見た時、確かにnon-trivialな一歩前進が記述されている論文を見ると、OK!と一発で通したくなる。一方で、ごちゃごちゃと色々なことが「全部書けばいいんだろ。俺は論文数だけ増えりゃ、それでいいんだよ。とにかく早く通してよ。」と嫌々羅列された論文には辟易する。(実は、最近そういう論文の査読を担当したのだ....英語のスペルミスもグラマーの間違いもあちこちにあって、まさに雑だった。)自分も実はこのような論文の書き手になりそうになっていたことに、気づかされたのだった。

「答案の見直し」は、誠心誠意やらないといけない。とても疲れるが。勝っていると思っても、最後の瞬間まで努力しないと勝負を決めることはできない。これはスポーツと同じ。

2011年10月6日木曜日

S. Jobs死す

ジョブズが死んだという報道があった。ショックだ。彼の見せてくれる世界がもう見れないと思うと、がっくりする。

Appleはしばらくはいいだろうが、最終的にはまた駄目モードに入るかもしれず、ちょっと不安に思う。iPhone5出せなかったのは、決断力が落ちたからかも。とはいえ、googleのえげつなさはあまり好きじゃないし、日本のメーカーは文系のトップの発想が貧困だし、しばらくはつまらない時期になるかもしれない。

次の天才が出て来るまで、アップルのまま様子見か?

今年のノーベル物理学賞

今年は、暗黒エネルギー関係にノーベル賞が行った。といっても、暗黒エネルギーそのものではなくて、「暗黒エネルギーがないと説明できない現象」の発見に対して。つまり、宇宙の加速的膨張のことだ。

この現象って、教室でチョークを投げると失速して床に落ちるのではなく(放物線)、加速しながら天井を突き破ってしまうようなもんだ!10年程前に初めて聞いた時、そんなの誰が信じるか?!っと思ったが、どうも本当らしいと今では思っている。

光の「波動」を伝える「エーテル」を探し続けて挫折した歴史を、人間は繰り返すかどうか?それとも、「電磁場」に相当するような新しいものを発見できるのか?