高校のとき、内積について習った。その意味もわからず、機械的に覚えた。予備校の先生や、予備校の友達からベクトル空間の意味を教えてもらった。それを理解した瞬間、生まれて初めて頭に「光」が走った。見えなかったものが見えた最初の経験だった。大学に入って内積の定義を習った。「これさえ満たせば何でも内積か。ま、でも自分で内積なんて作ることはないな。」と素通りした。量子力学は、大学3年で習って以来、自分の仕事道具となった。関数同士とか、ディラックの<A|B>やら、「内積」にもいろいろあるんだな、と感心した。でも、100年前ならいざ知らず、自分がその設計に立ち会うなんて露も思わず、傍観者だと思っていた.
「教養の知識って大切だな」と実感したのは、あれから20年以上経って、ついに内積を自分で定義しなくては成らない日がやってきたからだ。
この間考えた生成消滅演算子をベクトル基底と見なす問題において、自分自身で物理的に定義した「内積」だが、数学的には内積の定義を満たしているか証明しないと実はいけなかったのだった。今日、久しぶりに大学一年で使った線形代数の教科書をみつつ、自分の「内積」が内積の定義を満たしているかチェックしてみた。
恥ずかしながら、見事に内積の定義を満たしていることに、びっくりしてしまった!
こういうのって、とても楽しい。
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